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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第三章 一ツ星の夫婦
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第62話 守護る心

「いやぁ、それにしても実に興味深い!」


 カインの興奮した声が、迷宮の通路に響き渡る。彼の声と視線は、先ほどからずっと自身の前を歩く幽霊(ゴースト)スライムへと向けられていた。


 マユとミオの姉妹を見送ったアレクセイたちは、≪アガディンの大墳墓≫から出るため、迷宮の入り口を目指して来た道を戻っていた。


 そもそもアレクセイたちの目的は、幽霊スライムの噂を確かめにやってきたカインの護衛である。紆余曲折は経たが、こうして目当ての対象にたどり着くことができた。更にはマユとミオの因縁を解き明かすことで、このスライムがこのようになってしまった原因も判明したのである。


「思っていたスライムの自立進化とは随分違うけれど、これもまた貴重な参考例だよ!いやぁ、やはり無理を押してでも来てよかった!」


 迷宮主の間を後にしてからこちら、カインはずっとこのような有様であった。マユたち姉妹の最期の時にあっては随分と殊勝にしていたようではあるが、どうやら彼女らと戦っているときからずっと、このスライムのことが気になっていたらしい。


 一同と同じように足を進めながらも、スライムの腕やら頭やらを触っては何かを確かめているようだ。スライムはいまだミオの姿をしたままであるから、いい齢をした大人の男が喜色満面で少女の身体を弄繰り回している様は、見ていてあまり気持ちがいいものではない。


 一方のスライムはといえば、特に気にした風でもなくカインのいいようにさせている。人の形をしていてもやはりスライムであるためか、その面には何の表情も浮かんではいない。

 それでも彼女、と呼んでいいかは分からないが、このスライムは去り行くミオへと手を振っていたのである。どうやら随分と長い間ミオの魂をその身に宿していたようであるから、ひょっとしたら何がしかの影響を受けていたのかもしれない。


 アレクセイがそんな己の予想を話してみると、エルサは小さく頷いた。


「……そうですね。たとえ生物ならぬ道具であっても、百年情を持って使えばそこに魂が宿ると言いますから」


 確かにアレクセイもそんな話をどこかで聞いた覚えがある。とそんなことよりも、答えるエルサのどこか力の無い様子が気にかかった。


「どうかしましたか、エルサさん。もしかしてどこかお怪我でも?」


 同じように感じたのだろう、横を歩くソフィーリアがそんな彼女に声をかけた。それに対しても、エルサは「なんでもありません」と静かに首を振るばかりだ。怪我をしているようではなさそうだが、迷宮主の間でのマユたちとの一件からこのような様子なのである。


 そして静かと言えば、先ほどから殿を歩くアネッサも随分と口数が少ない。短い付き合いながらも彼女は女だてらに豪放な性格をしていると思っていたが、こちらの娘もまた随分と今は大人しい。アレクセイはエルサを妻へと任せると、歩みを緩めて彼女の隣へと並んだ。


「何か気にかかることでもあるのかな、教官殿」


 アレクセイとアネッサは、ついこの間知り合ったばかりの関係でしかない。いち冒険者とギルドのスキルトレーナーという間柄であり、また北を目指しているアレクセイたちが、再びサルビアンの地を踏むことはないだろう。だから別段彼女の心情を慮る必要はない。


 だがアレクセイとしては、共に同じ戦場に立ったものとして、彼女の様子が気にかかった。あるいはそれは、アネッサがヴォルデンのことを思い出させる数少ない品、"明星の剣(モルガーナ)"の持ち主であるからかもしれない。


 アレクセイの言葉に、アネッサは顔を前に向けたまま言った。


「あんた、強いよね」


「む?」


 唐突な彼女の言葉に、アレクセイは思わずアネッサの横顔を見下ろした。そこには前を行くスライムよろしく、いっかな表情も浮かんではいない。


「あんたは強いよ。スキル講習の時から、この一ツ星(ひとつぼし)は只者じゃないなって思ってたけどさ。一緒に戦ってみてそれをより強く実感したよ。身に着けてる装備がいいとか、身体が大きいからとか、そんな次元じゃない。もっと芯のところさ」


 迷宮の通路を歩きながら、アネッサはじっと己の掌を見下ろしている。


「あたしだって、それなりに自信があったさ。人様にスキルを教える仕事をやってるくらいだからね……現役時代だって、そりゃあ辛いこと苦しいことはたくさんあったけど、それでもそれらを乗り越えてここまで来たんだ。心・技・体、そのどれだっておろそかにしてきたことなんて、ないつもりだよ。でも……」


 そこまで言うと、アネッサは言葉を切る。ここまで言われれば、アレクセイも彼女の言わんとしていることがわかった。


 彼女は若い冒険者たちの怨霊を前に、剣を振れなかったことを気にしているのだろう。若いながらも経験を積んで自信を獲得し、一端の冒険者として生きてきたつもりが、些細な不幸を目の前にして剣を鈍らせてしまった。


 戦士として、いかにも半人前のような無様な姿を見せてしまった自分を恥じているのだ。その上冒険者としては一介の一ツ星でしかないアレクセイが、自分の愛剣を振るって目覚ましい活躍を見せた。そのことに心を揺らしてしまう自分すら、情けなく思っているのだ。


 だが、アレクセイはそれを笑いなどしない。むしろ熟練の戦士である彼女が、今更になってその境地に立てたことを、称賛してもよいくらいだと思う。

 だからアレクセイもまた、駆け出しの冒険者としてではなく、いくつもの戦場に立ったヴォルデンの騎士として、彼女に相対することにした。


「その剣の持ち主はな」


「え?」


 何を言い出すのかと驚くアネッサを横目に、アレクセイは訥々と語り始める。


「その剣の持ち主は、数々の戦場を渡り歩いた猛者であった。一度剣を振るえば、まさに無双。何百何千の敵を打ち倒し、それより多くの仲間を救ってきた。眩いばかりに明星の剣を輝かせ、それ以上に輝かしい、立派な男だった。敵を前に挫けることはなく、常に仲間を鼓舞し続けていたよ」


 今でもその光景を思い出すことができる。彼が率いれば、勝てぬ戦いも勝つことができた。折れかけた心も、再び強く持ち直すことができたものだ。アレクセイもそのようになりたいと思ったからこそ、騎士として大成できたのである。


「まるで見てきたように話すね……けど、ほんとならすごい奴じゃないか。あたしとは随分違うね」


「はは。確かに、似てはいないな。彼は戦場での働きとは逆に、物静かな男だった。だが、その心の在り様は、君と近いのではないかと思う」


 アレクセイの確信めいた言い方に、アネッサは顔を上げた。


「彼はとても優しい男だった。倒れた味方はもちろん、自信が切り伏せた敵やその家族にまでさえ思いを馳せるくらいにな。私の国ではそれを惰弱だという者も少なくなかったが……しかしそれでも彼の剣が輝きを消すことはなかった。そして彼は、後に涙を流すことになろうとも、剣を振り続けたのだ」


 アレクセイはかつて彼に、どうすればそのように強くなれるのかと訊ねたことがある。すると彼は「守りたいと想う心が大事なのだ」と答えたのだ。大事な人を守りたい。己の名誉を守りたい。それが土地や、なんだったら金でもいい。何かを守りたいという心があれば、全てはこともなくうまくいくのだと。


「守りたいと想う心……」


 アネッサはアレクセイが語った言葉を、真意を計るかのように噛みしめている。


 何かを守りたいという気持ちは、全ての衝動をねじ伏せると、アレクセイもまた信じている。恐怖や躊躇いや欲望、時には理性すらも超越して、身体を動かすのだ。戦士であれば、それによっていかなることがあろうとも、剣が鈍ることはない。


 アネッサとの違いがあるならば、そこだろう。彼ならばたとえ自らの教え子や部下が敵になろうとも、剣を背けることはない。それが尚更彼らの意に沿わぬものならば、むしろその尊厳を守るために力強く剣を振るったはずだ。


「冒険者においては、ときに"戦士(ファイター)"というものは、仲間の壁になるものなのだろう?仲間を守るためならば、それは必要な気持ちであるはずだ」


 アレクセイがそう言うと、アネッサはたっぷりと余韻を置いたのちに、大きく息を吐きだした。そして遥か上にあるアレクセイの顔を見上げる。そこには赤獅子らしい、勇猛なる笑みが戻っていた。


「……まさか、教師が生徒に諭されるなんてね」


「確かに、出過ぎた真似をしたな」


 アレクセイがそう言って肩をすくめると、アネッサは笑いながらその腕を叩いた。


「よしとくれよ!相手があんたなら、さもありなんさ!ぐうの音も出やしないよ!」


 そう言うと、アネッサは背負っていた鞘から明星の剣を抜き放った。朝の空をそのまま切り取ったかのような刀身は、相も変わらず美しい。アネッサが明星の剣の力を解き放つための文言を唱えると、その刀身はまさしく朝陽の如く輝きを強めた。


「実を言うとさ、この剣、あんたにあげようかと思ってたんだ」


 輝く刀身を見つめるアネッサは、やはり眩しいのか目を細めている。だが、決して目を背けようとはしなかった。


「あんたがこの剣で娘っ子たちを解放したとき、この剣の持ち主に相応しいのはあんたなんじゃないかってね」


 剣の名と、その力を引き出す言葉を知っていたこともそこに含まれるのだろう。どんな名剣であろうとも、使い手が伴わなければ真価を発揮することはできないからだ。


「だけど、それは止めることにしたよ!悪いけど、こいつはあたしのもんだ。いや、あたしのものにしたい!この剣に相応しいあたしになりたいんだ!」


 明星の剣以上に瞳を輝かせてそれを見つめるアネッサに、アレクセイはとても眩しいものを見たような気がしていた。

 アレクセイもまた聖竜の鎧や盾と巡り合った時、そのように己に誓ったのだ。これらにふさわしい騎士になると、愛する者たちを守るのだと。


 アレクセイはふと前を歩くソフィーリアに目をやった。彼女は力なく隣を歩くエルサに何事か話しかけている。妻はまるで生きているかのようにそこにいるが、実際はそうではない。幼く縮んでしまった今の姿が、何よりの証拠だろう。アレクセイは彼女を守ると誓いながら、一度は失敗してしまったのだ。


(だが神は、私にもう一度誓いを守る機会を与えてくれたのだ)


 だがなんの因果か、夫婦揃って数百年の時を経ていまここにいる。肉の身体はなくとも、もう一度誓いを果たすことは可能なのだ。


「そういえば、このスライムはいつまでこうやって付いてくるんだろうねぇ」


 思いを新たにしていたアレクセイを現実に引き戻したのは、すぐ前でスライムにまとわりついていたカインの声であった。


 確かに、なんとなくあの場の雰囲気で連れ歩いてはいたが、このスライムは一応この迷宮の魔物なのである。どこまで付いてくるつもりかは知らないが、生きた人間には害のない存在とはいえ、このまま迷宮の外に連れ出すのは憚られた。


「僕としては、このまま研究対象として連れ帰りたいところなんだけどねぇ」


「それは……う~ん、どうなんでしょう?」


 ソフィーリアがこちらを振り返るが、アレクセイとしてもそれに返す言葉を持ち合わせてはいない。常識的に言えば、このまま迷宮内に止め置くのが普通であろう。但しそうすると、いずれは他の冒険者に狩られることになるだろう。マユとミオの経緯を知っている者としては、あまり喜ばしい結末とは言えない。


 かといって、カインの研究とやらの礎にされるというのも、哀れに思う。本来の姿ならいざ知らず、それが見知った娘の姿かたちをしているのなら尚更だ。


 結局アレクセイは、冒険者と迷宮という存在について一番詳しいであろうアネッサへと顔を向けることとなった。彼女もまた微妙な顔をして頭を掻いている。


「あ~……基本的には、魔物を迷宮の外に連れ出すことは禁じられているんだけどね。何事にも例外ってもんはあるもんでさ」


 迷宮で生まれる魔物というのはすべからく、人間に対して敵意をもって襲ってくるものであるらしい。どんなに温厚そうに見えても、それは変わらないのだそうだ。それゆえに無用な事件や事故を避けるため、魔物を生きて連れ出すことは、帝国とギルドの法によって禁じられているのだという。


 ただ彼女の言う通り例外というものもまた存在する。迷宮は数多く、そこに住む魔物もまた色々なものがいる。中には種族的特性として、人を害さずむしろ人の生活に役立つものもいるそうだ。それらにはそもそも人に危害を加える力を持たないものや、魂がない一部のゴーレムなどが該当するようである。

 あるいは、"獣遣い(ビーストテイマー)"のような特殊な技能を持った冒険者によって、服従させられた魔物たちも当てはまるという。


「あっ!!」


 するとアネッサの話を聞いていたエルサが、不意に何かを思い出したように手を叩いた。


「"獣遣い"で思い出しました!そういえば私たち、迷宮内(ここ)で不思議なお爺さんに会ったんです!」


「ほっほ、それはワシのことでよいのかな?」


 エルサがそう言った時、突然しわがれた老人の声が聞こえてきた。

 アレクセイは咄嗟に剣の柄に手をやった。アレクセイともあろうものが、まるで気配を感じなかったのだ。それはソフィーリアも同じであったのか、きょろきょろと辺りを見回している。ただし武器を構えるつもりはないようで、それを見たアレクセイは少々不思議に思った。


「いきなりすまんの、お嬢ちゃん方」


 そして驚くべきことに、何の変哲のない壁から抜け出るようにして、一人の老人が姿を現したのである。


「帰る前に、おんしらにもひとつ頼みがあってのう」


 そうして青白い顔をした奇妙な老人は、これまた変わったことを話始めたのである。


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