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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第三章 一ツ星の夫婦
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第58話 噂の真相

「マユさん……」


 愕然とした表情で立ち尽くすマユを前に、エルサは声もなかった。

 そして何より目を引いたのは、彼女の背後に漂う無数の亡霊たちの姿である。苦しげな顔で呻く霊たちが、まるでマユに憑りついているかのように蠢いている。あるいは、あたかもマユに囚われているかのようにも見えた。


「エルサさん下がってください。彼女は……危険ですわ」


 エルサやエド老人を守るかのように、ソフィーリアが一歩前へと進み出る。確かにエルサも、マユから尋常ならざる気配が漏れているのを感じていた。


「マユさん、あなたが探していた妹さんというのは、ミオさんなんですね?」


 ソフィーリアの後ろからエルサはそうマユに問いかけた。が、彼女からは何の反応もない。構わずにエルサは話を続けた。


「妹さんの日記を読みました。あなたも見覚えがあるはずです。この迷宮に残された、ミオさんの遺品です。ここにはあなたとミオさんの事が書いてありました。お二人が生まれた村のこと。かつて冒険者であったご両親のこと。そしてあなた方がそれに憧れて、冒険者となったこと……全てです」


 エルサはそこで一度言葉を切る。いまやマユは俯いていて、その表情を伺い知ることはできない。エルサは一度喉を鳴らしてから、慎重に、彼女に起こったことを話し始めた。


「マユさんあなたは……あなたは死んでしまったんです。この迷宮で、もう百年も前に。どうかそのことを思い出してください。そして大丈夫、あなたが探していた妹さんはここにいます。私もお手伝いしますから、どうか……」


「……アタシは、死んだの?」


 エルサの言葉を遮るように、マユが声を上げた。それまでの彼女からは考えられないような、暗く淀んだ声音である。それに対しエルサは小さく頷いた。


「はは……そっか。それは全然、気づかなかったな……はは、ははは」


 マユは顔を抑えて、乾いた笑い声を上げている。

 警戒するソフィーリアの身体が、僅かに固くなったような気がする。と同時に、エルサも密かに自分の鞄の中に手を差し込んだ。そしてそこにある"あるモノ"を掴む。そこに忍ばせてあるのは、特殊な奇跡がかけられた聖水である。霊魂遣いであるエルサが、除霊と鎮魂の際に用いる道具であった。


 経験から言って、霊がこのような反応を示すのは危険な兆候なのだ。自らが死者であることに気づいていない霊体は、意外なほどに多い。そしてそういった手合いは往々にして、真実を知った時に過剰な反応を見せるものだ。


(使いたくはないけれど、このままじゃ……)


 エルサは内心で歯噛みしていた。その間にもマユは空虚な笑い声を上げ続けており、背後の亡霊たちも変わらずに渦巻いている。


「マユさん、大丈夫、大丈夫ですから……私たちが、あなた方を安らかなところへ導きますから……」


「ううん。それは無理だと思うな。だってアタシ、思い出しちゃったから」


 なんとかマユを落ち着かせようとするエルサの声を、再びマユが遮る。そうして彼女が顔を上げた。その顔には、悲痛な微笑みが貼り付けられていた。

 また同時に、エルサは彼女のある変化に気づいた。マユの大胆にさらけ出された胸のあたりに、痛々しいまでの大穴が開いていたからである。そしてそこからどす黒い血が流れ出て、彼女の装束を汚していた。


「マユさん、あなたは……」


「もう、ここから出て行って……でないと、アタシ……アタシ……あああああああ!!」


 マユが胸の傷を抑え、天に向かって絶叫した。

 と同時に背後の亡霊たちに変化が起こった。ぐるぐると渦巻いていた無数の亡霊たちの中から、一体の霊が進み出て、マユの背中に覆いかぶさったのである。それは長い髭をたくわえた、しわがれた老人の霊であった。


 そしてマユと老人の周囲を、禍々しいオーラが包み込む。彼女から発せられる邪悪なオーラが一気に増大し、マユの異変に思わず身を乗り出しかけていたエルサをソフィーリアが押しとどめる。


「いけません、エルサさん!」


「でも、マユさんが!!」


 老人の亡霊に絡みつかれ苦しげな様子を見せていたマユが、助けを求めるように手を伸ばした。その手はエルサではなく、幽霊スライムと化したミオの方へと向いていた。


「ミ……オ……」


「ア……アア……」


 ミオもまた姉へと向けて手を伸ばす。しかしその手が触れ合う前に、マユの身体に新たに他の亡霊たちが纏わりついた。そしていつの間にか生じていた背後の真っ暗な闇に、彼女を引きずり込んでしまったのである。


「マユさん!!」


 そうして闇の穴は悲痛な表情のマユを飲み込むと、忽然と空に消えてしまった。あとにはまるで何もなかったかのような、奇妙な静寂だけが残った。

 エルサは呆然とその空間を眺めていたが、ふと我に返ると周囲を見回した。当然ながらエルサたちの周囲に彼女の姿はない。あの穴に引きずり込まれたことによって、この迷宮のいずこかに消えてしまったのだろうか。


「ソフィーリアさん……!」


 エルサは勢いきってソフィーリアに問いかけたが、彼女は静かに首を振るばかりであった。


「気配は感じられません。この場からは完全に消えてしまったようですわ。もっともはっきりとは言い切れませんが……ひとまず、私たちは私たちにできることをしましょう?」


 冷静なソフィーリアの様子に、エルサもいくらかの落ち着きを取り戻すことができた。エルサは一度深呼吸をすると、改めてエド老人の方へと向き直った。彼はここまでほとんど無言を貫いていたが、そもそもこの場所へエルサたちを連れてきたのはこの老爺である。消えてしまったマユの行方は気になるが、彼女を探す前にまずは真実を確かめておかなければならない。


「お爺さん、あなたに訊ねたいことがあります」


「なんじゃね?」


 エド老人の瞳がエルサの方を向く。そこには最初に会った時のような好々爺の雰囲気はない。静かな湖面のような、全てを達観した色が見えるのみだ。


「あなたはここが冒険者の方々のお墓だと仰いました。もしかしてそれは、この迷宮で行方不明になった人たちのものですか?」


 エド老人はそれには答えず、いまだマユが消えた方向を見つめているスライムのもとへと歩み寄っていった。そしてその背を叩きながら、静かに語り始める。


「そうじゃとも。いつからだったか、こ奴が迷宮のどこからか冒険者共の死体を引きずってくるようになってな。そいつらは皆、あの娘っ子のように胸に大穴が開いておった。不思議には思っておったが、さりとて墓を荒らす無法者どもにかける慈悲など、ありゃあせんと思っておったが……それが若い娘ばかりとあらば、の」


 そして流石に奇異に思い、このスライムに調べるように命じたのだという。通常のスライムであればそんな高度なことはできはしないが、ミオの魂と混ざり合ったこの魔物は他とは違ったようだ。


「すると冒険者に声をかける、一人の幽霊(ゴースト)がおることがわかった。こ奴の目を通してその霊の風体を見て、あの日記を読めば、嫌でも事情はわかるようになるわい」


 つまりマユは、「はぐれた妹を探している」と言って何人もの冒険者を迷宮に誘いこんでいたのだ。ギルドで聞いたことを思い返せば、被害者は魔術師や僧侶の娘ばかりだったそうだから、おそらく高い霊力を持つ者に声をかけていった結果そうなったのだろう。


「そしてなんらかのきっかけで自らが死んでしまったことを思い出し、暴走により冒険者を襲ってしまったということですか。確かに霊の中には、憑りついた相手を自らが命を落としたときと同じように殺してしまう霊がいます」


 エルサは考える。女性の方が男性より霊感が強いとされていること、相手がミオと同じような年頃の少女であることを合わせれば、マユの凶行にも辻褄は合う。

 そして霊というものは、目的が果たされるまで何度も同じことを繰り返すものだ。自らの死を知ったという記憶はリセットされ、被害者を殺めたことすら忘れ、延々と妹を探し続ける。


 この事件に霊魂遣い(ソウルコンジュラー)であるエルサが巻き込まれたのは、運命に思えた。たとえエルサ一人では力不足であろうとも、今はアレクセイとソフィーリアがいる。彼女たち姉妹の魂は、ここで自分たちが解放させてやらねばならないだろう。


「お爺さん、マユさんの行方に心当たりがありますか?」


 そう決意したエルサはエド老人に尋ねた。今更ではあるが、彼女らを見捨てないことにソフィーリアは意見を挟まない。マユたち姉妹を救おうというエルサを、慈愛の表情でもって見守ってくれることが、エルサには嬉しかった。


 エド老人はしばし腕を組んで考えていたが、ふと思い出したようにぽつりと零した。


「そういえばあの老人の亡霊、あれはレディオン様だったような……」


 それはこの迷宮の主の名だという。王の命により≪アガディンの大墳墓≫を建設し、そしてエド老人同様に迷宮に囚われてしまった迷宮主(ダンジョンマスター)である。優れた魔術師として知られたレディオンだったが、墳墓が迷宮となってからは、その姿は不死の化け物たるリッチへと変わり果ててしまったのだとか。


「しかしその者がなぜマユさんに?」


「わからぬ。ワシとてここ百年はお姿を見てはおらなんだ。迷宮主の間まで到達するような気骨のある輩も、とんと現れんかったからの。しかしだとすれば……」


 エド老人はそう言うと、エルサたちに付いてくるよう促した。一同は大人しくその後を追う。老人はやがて大広間の一角、用水路の脇の壁際まで来るとその足を止めた。


「お爺さん、ここに何が?」


「まぁ見ておれ」


 老人が壁のある部分を押すと、その石が音を立てて奥へと引っ込んだ。そして何か機構が動く音がしてから、なんとエルサたちの正面の壁に大きな穴が出現したのである。恐る恐るエルサがそこを覗くと、そこは上下に続く縦穴の途中らしく、上にも下にも真っ暗な闇が続いていた。


「エドさん、これは?」


「うむ。本来はスライムたちの移動用なんじゃがな。これはレディオン様の間へと続く裏道なんじゃよ」


 どうやらこの先は迷宮主の部屋らしい。つまりエド老人は、マユがそこにいると言いたいのだ。


「おんしらを生かしたまま、再び迷宮の外で呑気に他の冒険者に声を掛けているとは思えん。こ奴の姿を見たなら尚更じゃな」


 エド老人はそう言って隣のミオを見やった。


「あの嬢ちゃんがどの程度正気を保っておるかは分からんが、レディオン様はここが迷宮へと変わったとき、魔道へと堕ちられた。どの道戦いは避けられんじゃろう」


「しかしよろしいのですか?エドさんとてこの迷宮の方でしょう。私たちを主の元に誘うなど……」


 ソフィーリアの言葉に、エド老人はなんとなく居心地が悪そうな顔で顎髭を撫でつけた。


「お嬢ちゃんのことを抜きにしても、ワシはおんしらをレディオン様のもとへ案内するつもりじゃった。別段それが、主に対する背任とも思わん。なぜか、そうすることが正しいように思うのじゃよ」


 そうやって二百年前にも、老人のもとにやって来た若者を送り出したそうだ。そしてその冒険者は、見事に迷宮主を打ち倒している。


「分かりました。もとより主人たちと合流するためにも最奥まで行く必要がありましたし、その道行が短縮されるのであれば是非もありませんわ」


 そう言い切ったソフィーリアが見つめてくるので、エルサもまた強く頷いた。そうしてエルサが大穴の淵に手をかけると、その横にミオが並んでくる。


「ミオさん……」


「……」


 何も語らぬミオが、表情を映さぬ顔で見つめ返してくる。


「そうじゃな。お前も行くべきじゃろうて」


 エド老人の言葉に、エルサもまた異論はない。微笑みでもってミオに返したエルサは、彼女の手を掴む。スライムらしい弾力ある感触だったが、ミオはまるで人間のようにエルサの手を握り返してきた。


「行きましょう!!」


 そして覚悟を決めると、エルサはミオとともに勢いよく大穴へと飛び込んだ。すぐ後にソフィーリアも続いてくる。

 優しく見下ろすエド老人の顔が、どんどん遠くなる。流石に恐怖を感じないでもないが、エルサは目を閉じることなく足元の闇を睨み続けた。


 やがてそこに、微かな青い光が見えてくる。そしてそれが迷宮主の間への出口だと分かるようになるまで、さしたる時間はかからなかった。

 エルサたちは迷宮の最奥の間、その天井に開いた穴から、真っ逆さまに落下したのである。


「あっ!!」


 そのときエルサの手を握っていたミオが、もう一方の腕を天井へと伸ばす。腕は天井へと張り付き、落下するエルサたちからぐんぐんと伸びていく。そうして減速したのちに、エルサたちはゆっくりと床を踏みしめることができた。


「あ、ありがとうございます、ミオさん」


「いざとなれば念力を使ってエルサさんを下ろそうかと考えていましたが、その必要はなかったようですね」


 闇霊であるソフィーリアはふわりと装束をなびかせて、ゆるやかに着地する。やる気満々で飛び込んだはいいが、着地のことを考えていなかったエルサはこっそりと赤面した。

 そんな彼女をよそに、ソフィーリアは表情を改めると決然とした顔で正面へと向き直った。


「エドさんの予想は、当たっていたようですわね」


≪アガディンの大墳墓≫の最奥。

 迷宮主の間にいたのは、先ほどと同じように無数の怨霊を背負ったマユの姿であった。

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