第57話 疑惑の少女
「まさかマユくんが人ではないとはね……アレクセイくんは気づいていたかい?」
薄暗い墳墓の廊下を歩きながら、横にいるカインがアレクセイにそう尋ねてきた。それに対してアレクセイは「否」と答えるほかない。
恥ずかしながら、アレクセイはあの少女が人間ではないことなどまったく分からなかった。騎士である自分がその手の事に疎いのはともかく、よもやソフィーリアや本職であるエルサを欺けるような霊がいるなど、アレクセイには到底思えなかったからだ。だからアネッサがマユなどという少女は見ていないと言い出した時は、頭からその言葉を信じることができなかった。
アレクセイは一行と共に迷宮の中を歩きながら、つい先ほどのことを思い返していた。
「失礼ながら、教官殿の勘違いではないのか?」
マユの姿など見ていないと聞いて、アレクセイがそのように彼女に返したことも、無理からぬことであった。だがアネッサは確信めいた様子で首を振る。
「実を言うとね、ギルドの方にある報告が入ってきたんよ」
アネッサによると、とある冒険者パーティの一人が迷宮で正体不明の幽霊を見た、と報告してきたのである。たかが下級冒険者の言うこと、しかもアンデットが渦巻く"アガドゥランの大墳墓"において、幽霊の一体や二体珍しい話ではない。
しかしその冒険者は、その幽霊を迷宮の"外"で見たと報告してきたのである。しかも正気を失った低位の亡霊などではない。外見的には生きた人間と変わりのない、あたかも普通の冒険者のように見える霊だったそうだ。
ではなぜその冒険者にそれが幽霊だと看破できたかのか。
それはその冒険者の姿をした幽霊の胸に、大きな穴が開いていたからである。人間なら生きているはずのない致命傷である。その霊は胸の大穴から大量の血を流し、しかしまるでそんな傷などないかのように"普通に"話しかけてきたのだそうだ。その尋常ではない様子と、当の冒険者以外の仲間にその霊の姿が見えていなかったことから、異常を察したらしい。
やがてサルビアンの街へとたどり着いたその冒険者は、自らが見たものがどうにも恐ろしくなりギルドに報告に来たそうだ。
「それがマユ君だと?」
「でも彼女の胸にはそんな傷なんかなかったよねぇ?」
確かにアレクセイたちがマユと出会ったのも迷宮の外ではある。だがカインの言う通り、マユの身体にはそんな傷などありはしなかった。彼女は胸をさらけ出すような、些か破廉恥とも思えるような装束を纏っていたから、そんな傷を見逃すはずもない。
(む?しかし我々に合流する前にもマユ君は、他の冒険者たちに声を掛けていたような……)
思い返してみれば、確かに彼女はアレクセイたちの前に他の冒険者にあしらわれていた。彼女自身がそのことを愚痴っていたのをよく覚えている。
「よしんば彼女が幽霊であったとして、何か問題があるのかい?」
アレクセイが考え込んでいる間にも、カインがそのような問いをアネッサに投げかけていた。
「大ありだともさ!最初にも言ったけど、あたしは冒険者行方不明事件について調べているからね。冒険者を誘う怪しげな死霊がいると聞いちゃあ、黙ってはいられないでしょ」
「それにしたって、肝心のその幽霊が視えないんじゃどうしようもないでしょうよ」
呆れたようにカインがそう言うのを聞いて、アレクセイも内心で同意する。仮にマユが死霊か何かだったとしても、それを追ってきたアネッサが彼女の姿を捉えられないのでは意味がない。
カインのもっともな指摘に、アネッサはばつが悪そうに頬を掻くと、至極小さな声で呟いた。
「……霊の姿が見えるようになる魔道具を忘れちゃって、さ」
なんとも言えない空気が、周囲に満ちる。
「そ、それよりさ!あんたたちはどうしてそのマユって子の姿が見えたんだい?聖職者っぽい奥さんや、死霊術師のあの女の子ならともかくさ。その報告してきた冒険者の子っていうのも僧侶だったたから、不思議に思うんだよね!」
アネッサはごまかすようにひとつ咳ばらいをすると、少々そのように強引に話題を変えた。
アレクセイがマユの姿を見ることができたのは、恐らく自身がアンデットのさまよう鎧であるからだろう。少なくとも生前のアレクセイには、霊感のようなものはなかった。
とはいえ、本当のことを言うわけにもいくまい。
「む……私、の兜には……対アンデット用の奇跡がかけられているからな。いかなる死霊とも戦えるよう、妻が施してくれたのだ」
思い付きではあるが、アレクセイにしては上等な言い訳である。細かいことは気にしない性格なのか、あるいは自らの失態ゆえの負い目からか、幸いにしてアネッサからの追及はなかった。
一方のカインはというと、どこか自慢げにその顔の眼鏡を押し上げていた。
「僕はこの眼鏡のおかげさ。僕は幽霊スライムを探しにこの迷宮にやって来たわけだからね。それがどこに隠れていても見つけられるように、特別製の眼鏡をこしらえてきたわけさ」
「ほへ~、そうなんだ」
「……言っておくけど、貸さないよ?」
じりじりと滲み寄ってくるアネッサから身を引きつつ、カインはそう言って顔面の眼鏡を押さえた。
「しかし本当にマユ君がその死霊なのだろうか。少なくとも、その話のような傷跡はなかったぞ?」
アレクセイが誰にともなくそう言うと、眼鏡に手を伸ばすアネッサを必死に抑えつけていたカインがその問いかけに答えた。
「それについては僕に思い当たることがあるよ。幽霊の中には、自分の姿を思うがままに変えることができるものもいるそうだ。といっても他者に変身するとかではなくて、あくまでも当人が知覚している範囲内だけらしいけどね」
そして霊の中には、自らが死んでいることさえ気が付かず、それゆえに無意識のうちに生前の姿を取ってしまう者も少なからずいるという。
(あくまでも当人のままで、しかし自在に姿を変える、か)
その話を聞いてアレクセイが思い浮かべるのは、当然ながら妻のソフィーリアだ。
彼女は本来の長身の美女の姿から、エルサくらいの年齢に姿が変化してしまっている。それは以前エルサに憑依したことによるものだが、もしかしたらカインの言うように自分の意志でその姿を変化させることができるのかもしれない。
そしてまた、彼女の身体には傷一つありはしない。その純白の肌はおろか、身に纏っている神官服や鎧にいたるまで清らかなままなのである。彼女の最期が炎に巻かれてのことなのだとしたら、それはそれでおかしいことになる。
やはり多少事情は違えども、これこそカインの言う特異な霊体の一例だろう。
「ふむ、まぁこうして考えていても仕方のないことだ。マユ君が死霊であってもなくても、当人を前にしなければ分かるまい。それにそうであるからといって、彼女がその行方不明事件の犯人とは限らないわけだしな。それにソフィーリアがいれば、仮に彼女が牙を剥いたとしても敵ではあるまい」
ソフィーリアであれば不意を打たれたとしても十分対処できるだろう。それに共に過ごした時間は僅かばかりだが、アレクセイにはマユが悪人には思えなかった。だから心情としては彼女を擁護したいと思う。目の前の二人には言えぬことではあるが、善良なアンデットも存在するということを、アレクセイは身をもって知っているからである。
「とはいえまずはソフィーリアたちと合流だな。迷宮主の間まで行けば、彼女らとも巡り合えるだろうさ」
示し合わせたわけではないが、ソフィーリアであれば夫の思考を読んでそこまで行くはずだ。入り口まで引き返すよりも、そのまま進んでこの迷宮の主を倒そうとするはずである。
アレクセイたちは別にこの迷宮を攻略しに来たわけではないが、折角潜ったのならば最後まで進んでみたくも思うのだ。
そうしてアレクセイたち三人は地下墳墓を下へ下へと進んで行った。道中には当然アンデットたちが出現したが、アレクセイたちの敵ではない。そして不思議なことに、玉ねぎゴーレムだけは姿を現すこともなかった。
「もしかしたらあのゴーレムがあんな上層で出てきたのも、幽霊スライムやマユくんのことが影響しているかもしれないね」
手製のスライムの背を撫でながら、カインがそのような推論を口にした。
「マユ君たちが、あのゴーレムを呼び寄せていたと?」
「可能性はなくはないと思うよ。もしマユくんが件の事件の犯人なのだとしたら、迷宮に誘いこんだ冒険者を始末するためにあのゴーレムたちを呼んだと考えれば、十分辻褄が合う」
そしてカイン曰く、この大墳墓は古くから冒険者たちが挑んてきた迷宮であり、それ故に迷宮内の構造は細部まで調べつくされているのだそうだ。それによるとこれまで上層階でゴーレムが確認されたことは一度もないのだという。
「そういえばこの迷宮の主はどんな魔物なのだ?長い歴史があるのならば、迷宮主についても分かっているのだろう?」
アレクセイの問いかけに、カインは「もちろんだとも」と頷いた。それによるとこの≪アガドゥランの大墳墓≫の迷宮主は"氷雪の魔術師"なるリッチだという。
リッチとは、死んだ魔術師が不死の魔物として転生したものである。死霊術の極意のひとつに、自らを永遠の寿命を持つアンデットへと変化させるというものがある。リッチはその外法によって生と死の頸木から解き放たれた魔物なのである。ただリッチへの転生は往々にして正気を失わせることになり、アレクセイの時代ではそれを免れた者はいなかった。だからこその"外法"なのである。
「よもやそれはマユくんのことではあるまいな?」
死した魔術師と聞けば、否応なく彼女のことを連想せずにはいられない。だがアレクセイの疑念をカインはきっぱりと否定した。
「いや、それはないよ。"氷雪の魔術師"は男の老人だそうだからね。それもいかにも偏屈そうな、まさにリッチらしい見た目をしているそうだから。幽霊に対して言うことではないけれど、あの元気そうな娘さんとはいかにも正反対だと思うよ」
聞けばこの迷宮の主は過去に七度ほど、冒険者によって倒されているらしい。迷宮全体の魔物に比べれば強力な方らしいが、それでも無敵の存在ではないという。倒せずとも氷雪の魔術師から逃げおおせた冒険者も多いらしく、それ故に迷宮主に関する情報も正確に伝えられているのだそうだ。
そう考えると、迷宮主というものも不憫なものに思えてくる。強力な力を持っていても、迷宮に囚われ抜け出すこともできず、幾度となく挑んでくる冒険者たちの相手をせねばならないのだ。そして一時のあいだ死という解放を得たとしても、迷宮の呪いによって再び復活させられてしまうのである。
「まぁアレクセイくんの戦いぶりを見ていれば、この迷宮の主相手でも問題ないんじゃないかと思えてくるね。これが一ツ星だなんて、まったく頼もしい限りじゃないか」
そう言うカインに、アレクセイは肩をすくめるほかない。アレクセイとて自らの腕には相応の自身があるし、たかだかリッチ程度にこの聖竜の鎧を破れるとは思わない。
(しかし魔術師は思わぬ搦め手を使ってくることもあるからな。用心は必要だ)
すると先を進んでいたアネッサが自分たちを呼ぶので、アレクセイとカインは足早にそちらへと合流する。
「どうした?」
「ほら見てみな。階段があるだろ?ここを降りると大広間で、その先がもう迷宮主の間さ。本来ならそこにゴーレムたちがいるはずだよ。で、どうする?あたしとしては娘っ子たちが来る前に片しておいた方がいいと思うんだけどね」
アレクセイは腕を組んでしばし考える。ソフィーリアたちとの合流を考えるのならば、あえてゴーレムたちがひしめく広間に突入する必要はない。だが不意の事態を想定するなら、近くの敵は掃討しておいた方がいいのも事実だ。戦力的にも、この三人で問題はないだろう。
「そうだな。妻たちと合流する前に、憂いは絶っておくとしよう」
アレクセイが同意すると、アネッサはニヤリと笑って背負っていた大剣を抜き放った。カインもまたやれやれと息を吐いたが、特に文句を言うでもなく魔術師の杖を構える。
「用意はいいようだな。ではいくぞ」
アレクセイも大盾を構え、一行の先頭に立って階段を降りていく。階段自体はさして長いわけでもなく、すぐに階下の大広間へと到着する。
いよいよ戦闘である。先制の一撃を与えるべく飛び出したアレクセイであったが、その先の光景を見てすぐに足を止めることになった。後に続いてきたアネッサたちも、すぐに追いつくと拍子抜けしたように動きを止めた。
「いないねぇ」
カインのぼやくような声が大広間に響く。
アレクセイたちが勢い込んでやってきたそこには、ゴーレムはおろか魔物一匹の姿もなかったのである。それまでと同じような石造りの広い空間が、ガランと広がっているだけであった。
「もしかしたら上で襲ってきた連中が、本来はここに詰めていたゴーレムなのかもしれないね」
アネッサが気勢を削がれたような顔で頬を掻く。
「かもな。だがここに留まる必要はなさそうだ。各々、武器はしまうなよ?」
アレクセイは抜き放った剣の切っ先で前方を指し示す。そこには重そうな鉄製の大扉があり、それが僅かに開け放たれていたからだ。人が通れそうな、ちょうど女子供が一人通れるくらいの隙間である。
「どうやら我々は一足遅かったようだな。中で争う気配もする。このまま加勢するぞ」
アレクセイはそう言うやいなや駆け出した。後の二人も慌てて続く。
そうしてアレクセイたちは、迷宮主の間へと飛び込んだのである。




