第56話 姉妹たち
その姉妹が生まれたのは、帝国南部の小さな村だった。
その村の人間たちの生活は、至って平凡なものであった。男たちは畑を耕し、女たちは家を守る。子どもたちもまた、父や母を助けていた。
貧しくもなく、しかし豊かでもない。
飢えることこそないが、決して満たされることもない。だがそれでも、それなりに幸せなどこにでもある村だった。
そんな村に、その姉妹は生を受けた。
彼女たちがよその子らと少しだけ違うところがあったとするのなら、それは彼女らの両親が冒険者であったということだ。冒険者としていくつもの迷宮に潜り、そして運よく生き残って夫婦となった姉妹の両親は、母親が子を身ごもったのを機会にその村に移り住んだ。
そしてそれは決して珍しい話ではない。危険と隣り合わせの生活は、得る物も多いが失う物もまた大きい。守りたいものができたのならいつまでも続けるべきではないだろう。だから姉妹の両親は冒険者として築いた財を元手に、穏やかな生活を選んだのだ。
そして彼女ら姉妹が他の子どもたちよりひと際"刺激"を求める性質であったことも、きっと両親の血のせいだったのかもしれない。あるいは母親の方が、そもそもこの大陸の人間ではない、遥か遠くの島国から旅をしてきた女性であったことも関係しているかもしれなかった。
「いつかお母さんの故郷に行ってみたいなぁ」
母から故郷の思い出を聞くたびに、特にその血を色濃く継いでいた姉の方はしきりにそう口にしていた。
一方の妹の方はといえば、父が買ってきた絵本に夢中になっていた。それは男の子が読むような騎士物語で、高貴な身分の騎士が一介の冒険者となって世界中の迷宮を巡り、金銀財宝を見つけた騎士はやがてお城に帰ってお姫様と結ばれるというような話だった。
「かっこいい!」
「そう?騎士なんて、馬の上でふんぞり返ってるだけじゃない!」
絵本に描かれた鎧姿の若武者に瞳を輝かせる妹とは対照的に、姉の方の反応は冷ややかであった。
妹より少しだけ年上であった姉は、何度か両親と共に本物の騎士というのを目にしていたからだ。彼女が見たことのある"騎士"なる者たちは、偉そうにやってきては畑の収穫物を"税"とかいう理由で攫っていく、単なる悪者でしかなかった。
「アタシは魔法使いがいいわ!魔法が使えれば、お母さんの生まれた国にだって飛んで行けるもの!それでおじいちゃんとおばあちゃんを抱えて、びゅーんって戻ってくるのよ!」
姉はそう言うとスカートをはためかせて、両手を広げて部屋の中を走り回った。それを見た妹も、適当な木の棒を物語に出てくる剣に見たてて、姉の後に続いた。そうして彼女らの"将来の夢ごっこ"は、怒った母親が部屋にやって来るまで続いたのだった。
姉妹たちはそんな風にして、幼き頃から村の外に憧れを抱いていたのだ。
そうであるから、外界へ旅立つ手段として彼女らが「冒険者」を選んだことは、まったく不思議なことではなかった。
「アタシ、冒険者になる!」
そうしてまずは姉の方が家を出ることになった。
折しもたまたま村に訪れた魔術師が、彼女に魔法の才を見出したのである。魔法使いの学校に通って魔法を習い、戦う術を手に入れてから世界を巡る冒険者になるのだそうだ。姉の魔法の才能はなかなかのものらしく、時折送られてくる姉からの文には、すぐに学校を出て冒険者として旅に出られると書いてあった。
「私も、冒険者に!」
姉に置いていかれるわけにはいかなかった。やがて妹も冒険者を志し、家を出ることになった。
そのころには、幼い時のように騎士に憧れてなどはいなかった。大昔と違って戦争がなくなった今、騎士などというものは物語の中だけの存在になってしまったと妹は理解していた。
だからこそより現実的な手段として、"自由でかっこいい存在"である冒険者を目指そうと思ったのだ。
当然ながら、両親は反対した。
自分たちもそうであったからこそ、冒険者という職業の危険性をよく理解していたからだ。一応父からは手慰みに剣術を教えられてはいたが、なかなか背は伸びないし、妹には姉のような魔法の才能などもありはしなかった。
だがそんなことは言われなくても分かっていた。それでも妹は家を飛び出した。夢を叶えるために。
そして念願の冒険者になることは、予想以上に簡単なことであった。
長年貯め続けた小遣いをいくばくかはたくだけで、あっけなく冒険者の証が手に入ったのだ。しかも幸いなことに、それでもなお最低限の装備を揃えるだけの金が手もとに残った。
そうして同時に妹は、自らがとても幸運なことを知った。
字が読めること。剣が使えること。小柄ながらも、健康な身体であること。金を貯められるくらいには、実は村での生活が豊かであったこと。そして頼るべき先達、姉がいること。
妹が冒険者になったときにはすでに、姉もまた冒険者として道を歩み始めていた。稀有な魔法の才能を存分に生かして一端の冒険者として身を立てていた姉は、自分を追って冒険者になった妹を叱りはしなかった。むしろ暖かく迎えてくれたのだ。姉の仲間たちもまた、駆け出しである妹を歓迎してくれた。
それからは、まさに心躍る冒険の連続であった。
奇妙な植物と見たこともない動物たちが生息する深い森。地下洞窟の先に見つけた、息をのむほどに美しい地底湖。亜竜たちが飛び交う高い山のてっぺんから見えた景色。
危ないと思ったときは何度でもあった。だがそのたびに姉と仲間たちが妹を助けてくれたのだ。
姉となら、この仲間たちとならきっとどこへでも行ける。いつかお母さんの故郷の、海の向こうの国へだって。
でもその前にひと稼ぎしなくては。仲間が言うには、どうやらちょうどいい具合にお金になる迷宮があるらしい。次は一体どんな不思議なものが自分たちを待っているのだろう。
それが冒険者の姉妹、マユとミオの記録であった。
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「あなたは、ミオさんですね?」
静かに佇むスライムに向かって、エルサは問いかけた。
今の話を聞いていたかどうかは分からないが、スライムは肯定もしなかったが否定もしなかった。しかし軽戦士風の見た目といい、背格好からしてこのスライムに憑依した霊が日記の持ち主である冒険者の妹、ミオであることは明らかであった。
「ということは……」
そう言ったソフィーリアが悲し気に目を伏せる。ここまで分かればミオなる少女がどのような結末を辿ったのか、誰でも察せられることだろう。
「この日記には続きがあります。大墳墓にやって来たミオさんのパーティは、どうやらアンデットの群れに襲われてしまったようです。仲間とはぐれ、お姉さんとはぐれ、自身も致命傷を受けて迷宮の奥で孤立してしまったと」
そうして最期のときに出会ったのが、目の前のスライムであったということだ。
「ですが、それならばどうしてこのスライムだけが影響を受けたのでしょう?エドさんのお話では、この迷宮のスライムが冒険者の遺体を取り込むことは珍しいことではないはずです」
ソフィーリアの疑問はもっともだ。死者を食べた全てのスライムがその影響を受けるのならば、幽霊スライムのような事例がもっと一般的になっていることだろう。
だがエルサは彼女の疑問に対する答えは、日記の中にあった。
「それは恐らく、彼女に流れる血が関係していたのだと思います」
「血……ですか?」
エルサは頷くと、それについて記されている日記の頁を開き、ソフィーリアへと見せた。その部分を呼んだソフィーリアは「なるほど、そういうことですか」と呟きその理由を理解したようだ。
「彼女たちの母親、元冒険者であったその人は"精霊遣い"の職に就いていたようです。この手の職業に必要とされる才能は主に血筋によって決まりますから、恐らく彼女は母親からその力を受け継いでいたのでしょう。本の中では姉のような才能はない、と書かれていましたが……彼女自身最期まで気づいてはいなかったようですね」
精霊遣いはこの世界に住む人の目には見えない存在、精霊と交信することができる職業だ。それは主に火でったり水であったり風であったりするのだが、この目には見えないモノを見るチカラというのは、霊能力者のそれと非常に近しいものとされている。
霊魂遣いであるエルサ自身、精霊を操ることはできないが、その姿を捉えることはできる。ミオという少女は戦士の道を歩んだようだが、その霊媒体質はなかなかに強力なものだったのだろう。
「お話を聞く限り、彼女のお母さんはイェスタルの民のようですね。昔からあの国には霊感の強い人が多かったですから。そう考えれば、大陸風ではないお名前も納得ですわね」
「ソフィーリアさんは、イェスタル人についてお詳しいんですか?
イェスタルの民とは、このリーヴ大陸の極東にある島に住む人々のことである。黒い髪に黒い瞳を持ち、エルフほどではないが先の尖った耳を持つ長命の一族だ。彼らは独自の見た目と文化を持ち、名前の響きなどもこちらでは見られないものが多い。そして彼らの国が帝国に編入されてから随分とたつ。
だが世界にまだ多くの国があった頃の人間であるソフィーリアならば、彼らに関するエルサとは違った知識を持っているかもしれない。
「彼らの国に行った経験はありませんが、イェスタル出身の友人がいましたので」
これでスライムに憑りついた霊の正体も分かった。そして日記を読む限り、彼女が無念を抱えて死んでいったことも理解した。
エルサたちは改めて幽霊スライムと対峙する。いまや色以外はほとんど実際の人間と変わらない姿に変化した「彼女」は、じっとエルサの方を見つめている。
志半ばで倒れた人間の願いなど決まっていそうなものだが、真実は本人に聞いてみなければ分からないだろう。普通の人間に霊の言葉を聞くことは叶わないが、霊魂遣いであるエルサになら、それが可能である。
「ミオさん。私はあなたから直接、その想いを聞きたいと思います……"我は願う。彷徨える霊魂のかそけき声を伝えたまえ。彼の者の小さき嘆願を、どうか我の元へ……"」
エルサは鞄から小瓶を取り出すと、呪文を唱えながらその中身を自分と幽霊スライムとの間に振り撒いた。
するとミオの姿をとった幽霊スライムの口が動く。
「た……け……て……」
「え?」
か細く、小さな声であった。エルサが聞き返すと、幽霊スライムは初めてその顔に表情らしい表情を浮かべたのである。とても悲し気な、縋りつくような顔であった。
「たす……けて……」
幽霊スライム、いや少女ミオはエルサたちに助けを求めていた。若くして死に至り、そして今なお暗い迷宮の中を彷徨う自身の魂の安息を求めているのだろうか。
エルサは職業柄、除霊や鎮魂の術も覚えている。また高位の聖職者でもあったソフィーリアならば、呪われた魂を浄化することなど造作もないだろう。
(ううん、違う。この子は自らの解放なんて求めてない。この子は……)
必死なミオの瞳を見て、エルサは内心でその考えを否定することになった。まるで本物の人間のように真摯な瞳で訴えるミオが願っているのは、そんな単純なことではないように思えたからだ。
「ミオさん、あなたはもしかして……」
エルサがそのことを問いただそうとした、そのときである。
「ミオ……?」
背後から聞こえてきた声に、エルサは驚き振り返った。そしていつの間にか自分の傍に、守るようにしてソフィーリアがぴったりと張り付いていた。その真紅の瞳は、強い警戒心でもって眼前の相手を見つめている。
「マユさん」
そこにいたのは、信じられないものを見るような顔で立ちつくしたマユであった。
そして百年前にとっくに死んでいるはずのミオの姉は、その背に夥しいほどの悪霊を纏っていた。




