第5話 脅迫
「う~ん…」
「気が付いたかね、エルサ君」
ソフィーリアの瘴気にやられたエルサが目を覚ましたのはあれから半刻が過ぎてからであった。
酷くうなされてはいたようだが、幸いにして命に別状はない。彼女にはまだ聞きたいことが数多くあるのだ。
「目が覚めたばかりで悪いが、これからのことを話そうと思う」
「…はい」
落ち着いた口調で話すアレクセイに、彼女もまた静かに頷いた。
エルサが気を失っている間にアレクセイはソフィーリアと今後のことについて話し合っていた。
詳細は分からないが、どうやら自分たちの故郷は滅びてもうすでにないらしい。そして自分たちが討つはずであった魔王もすでになく、となれば気にかかるのは遠い昔に命を落としたであろう息子、ウィリアムのことだけだ。
たとえもう会うことは叶わなくとも、戦いに巻き込まれたか、あるいは天寿を全うしたかだけでも知りたかった。となればまずは故郷の痕跡を探さねばならない。
自分たちがいつまでこのまま不死の身でいられるかは分からないが、とにかく五百年後のこの時代の情報を集めるほかないのだ。
「我々は祖国ヴォルデンの情報を集めたい考えている。君が知っているこの時代のことをすべて教えてほしい」
「………」
エルサは俯き答えない。彼女にも逡巡があるのだろう。
先ほどは強い決意を秘めた顔で「自分には使命がある」と言っていた。このまま言われるがままに全てを話せばそのままアレクセイたちが行ってしまうと思っているに違いない。事実、アレクセイたちはエルサを助けることはできない。自分たちに残された時間が不死の魔物らしく永遠なのか、あるいはいつかこの呪いが解けてしまうかわからないからだ。
「…だいます」
「なに?」
「手伝います!」
エルサは勢いよく顔を上げると立ち上がるなりそう言い放った。
「アレクセイ…さんたちのこと、お手伝いします!私が知っているこの時代のこと、全部お教えしますから!ですからどうか、私にも力を貸してください!」
続けざまにそう言って頭を下げるエルサを見て、アレクセイとソフィーリアは顔を見合わせた。
彼女の言い分は十分予想がつくものだった。
確かにこの時代の協力者がいるに越したことはないが、それは別に彼女でなくてもよいのだ。彼女の言う使命が何かわからぬ上に、おそらくそう易々と果たせるものでもないだろう。同胞の血を引くエルサを助けてやりたい気持ちはあるのだが、今は亡き息子のことを想えばアレクセイたちにとってそれ以上のことはない。
依然として下げられたままのエルサの頭を見ながら、ソフィーリアが申し訳なさげに答えた。
「ごめんなさい、エルサさん。私たちは自分たちの子どもがどうなったか知りたいの。どうしても、ね。だから…」
「密告します!」
「え?」
ソフィーリアの言葉を遮ったのはエルサの放った物騒な言葉だった。上げられたエルサの顔は怯えていて、しかし瞳だけは強い決意に燃えている。
「私のことを手伝ってくれないのなら、お、お二人のことを教会に密告します!伝説のデーモンを倒すほどの、き、凶悪な不死の魔物がいるって」
「エルサ君…」
この答えは予想していなかった。思わず呆れたように呟いてしまったアレクセイを見てエルサは続ける。
「き、きっと大勢の教会騎士が討滅しにやってきます!お二人がどんなに強くても…むしろそうだからこそ教会は決して諦めないと思います!そうなったら…お、お子さん探しなんてできませんよ!」
震える声で言うエルサはどうやら本気のようだ。規模はわからぬがその教会とやらも決して小さくはあるまい。
アレクセイとて自らの腕に自信はあるが、天下無双などとうぬぼれる気はさらさらない。ましてやいち宗教組織を相手取って斬った張ったの大立ち回りをするなど馬鹿げている。それくらいならばいっそ…
「ここで君を斬れば、その心配もあるまい?」
鞘から四分の一ほど剣を抜くと、刃を見せて凄んで見せる。先ほどとは違い、今度は本気だ。
彼女の言う通り追われる身となれば情報収集など不可能になるだろう。それにこの廃墟なら彼女の死体も見つからない。死霊術師とはいえ同胞の、それもこのような少女を斬るなど本意ではないが、我が子のためとなれば仕方がない。
それにアレクセイが剣に誓ったのはヴォルデンの民を守ることだ。血を引いているだろうとはいえ、五百年の時を経て祖国の名すら覚えていない目の前の少女を助ける義理など本来はないのだ。
しかしエルサは泣き笑いのような表情を浮かべると、かなり引きつった笑顔で一歩も引くことなくこう言った。
「わ、私を殺したって無駄です!私は霊魂遣いですよ?死後の自分の魂だって操れるんです!そ、そういう術があるんですから!」
「…む」
アレクセイは剣の柄に手をかけたまま傍らのソフィーリアに目をやった。彼女は困ったように首を振る。
死霊術師ならぬ五百年前の騎士と神官戦士である二人には、エルサの言うことが真実であるかどうかを確かめる術はない。自らの魂を操るなど存在するなら間違いなく高位の術であろうし、そんなものが見た目十四、五の少女に扱えるとは思えない。しかしまた彼女はエルサの頭蓋骨を操って一度はアレクセイを従えんとしたのだ。それに五百年も時が経てば魔術がどのように進化しているかもわからない。
(なんとも、見た目に反して豪気な娘だ)
アレクセイたちの生きていた時代は戦乱激しい時代である。騎士だろうが聖職者だろうが、殺し殺されは当たり前のことであったし、自らの大切なものを守るためには生半可な慈悲などかけていられない時代であった。だから多少の後味の悪さはあれ、堂々と自分たちを脅して見せたエルサを切って捨てることにためらいはない。
あるいは闇霊たるソフィーリアならば、死後のエルサの魂すらも滅することもできるかもしれない。だがそこまですればいかに息子の安否を確かめるためとはいえもはや人のすることではない。それは完全に魔物の所業だ。
しばらく悩んだのち、アレクセイは大きく息を吐くと剣の柄から手を離した。斬っても斬らなくても禍根は残る。となればせめて人間らしい方を選びたい。
「…まずは君の使命を話してみなさい。我々にもできることとできないことがある」
「…あなた」
ソフィーリアがアレクセイを見る。その目にごく僅かだが非難の意が込められているのをアレクセイは敢えて無視した。
民を守り、戦士を導く神官戦士の長といってもやはり母親なのだ。彼女には人の道を踏み外す覚悟もあったのだろう。だがアレクセイは愛する妻をそんな闇に引きずり込むことはできなかった。
エルサはアレクセイの言葉を聞いて一瞬呆けた後、この機を逃すまいと一気に喋り始めた。
「あぇ?、あぁ!はい!…えと、私には、というか私の一族には倒さなければならない魔物がいるんです」
エルサが語った魔物の名は白の王フィアド。
難攻不落の≪迷宮≫「霧の都レズラヘム」の主にして亡者たちの王。そして今日まで生き残っている魔王軍最後の生き残り。
「魔王軍の生き残りだと?彼奴らは勇者とやらに滅ぼされたのではないのか?」
「はい、魔王自身は勇者様によって滅ぼされました。そして魔王が率いていた魔の軍勢もほとんどが壊滅したそうです。ですが迷宮へ逃れた一団がいた…それが白の王フィアドなんです」
「その勇者とやらは、討伐軍は派遣されなかったのか?」
「魔王を討伐した直後はどの国の軍隊も疲弊が激しく、国土もまた荒れていたそうです。そのため軍を送ることもできず…それに勇者様も魔王との戦いで深い傷を負い、容易には動くことができなかったと聞きます。それにフィアドもまた迷宮から出てくることはありませんでした。"我が迷宮に触れるべからず。さもなくば死の軍勢が霧の都より溢れ出すであろう"…フィアドが残した言葉です」
五百年経ったいまも魔王の手勢が生き残っていると聞いて、アレクセイは頭を悩ませることになった。
もし彼女の言葉が真実なら、魔王を討つべしとの王命を受けたアレクセイは騎士としてその使命を果たさねばならない。それと並行してウィリアムの血筋を探すことは、この時代の人間の協力なくしては難しいだろう。
アレクセイが腕を組んで考えていると、ソフィーリアが首をかしげながらでエルサに訊ねた。
「あの、先ほどから話に出てくる≪迷宮≫とはなんでしょう?私たちの時代にはそのようなものはありませんでしたが」
「えっと、それはですね…」
エルサの語ったところによると、迷宮というのはある種の異空間のようなものらしい。魔王が死に際に生み出したというそれは、アレクセイたちが生きていたリーヴ大陸とは別の次元に存在しているものだという。様々な魔物が闊歩するそこは古代の遺跡であったり、森であったりまた洞窟であったりする。迷宮への入り口はこの大陸のいたるところに存在し、魔物の素材や希少な鉱物、植物などを求めて冒険者と呼ばれる賞金稼ぎたちが日夜そこに潜っているそうだ。アレクセイたちが今いるこの廃墟もまたそういった迷宮のひとつである。
「ふむ、その迷宮の一つにフィアドなる魔物がいるわけか。そやつの居場所はわかっているのかね?」
「はい。この大陸の極北にフィアドのいる迷宮"霧の都"があります」
「北か………」
「…あなた」
再び考え込むアレクセイの腕にソフィーリアが触れる。
彼女の言わんとすることはわかる。
フィアドの迷宮が極北にあるというのなら、それはアレクセイたちの祖国ヴォルデンの方角と一致する。霧の都に向かうということは自分たちの故郷に向かうということになるだろう。ウィリアムの痕跡が必ずしもそこにあるとは限らないが、かつてヴォルデンがあった地に魔王の手先が居座っていることもまた我慢がならない。
どういうわけか、アレクセイたちの目的とエルサの使命とやらは一致しているようだ。
アレクセイはソフィーリアを見下ろしその真紅の瞳を見つめた。しばし見つめ合った後、彼女は小さく頷いた。どうやら互いに腹は決まったようだ。
「エルサ君、どうやら我々の進む道は重なっているようだ。王に剣を捧げた身として君のしもべになることはできないが、代わりに臣民を守る騎士として君の盾となろう。そしてこの時代の導き手として我らを導いてほしい」
アレクセイの言葉を聞いてもしばらく呆然と立ち尽くしていたエルサであったが、やがてその意味を理解したのか顔を喜びに染めると涙を貯めながら頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!」
「礼にはまだ早い。互いに目的を達したときにもう一度聞こう」
「それまでよろしくお願いしますね、エルサさん」
ソフィーリアもまた穏やかに微笑んでいる。
先ほどまでは物騒な覚悟を決めていたようだが、なんとか落ち着いたようでアレクセイは安堵した。夫婦そろって不死の魔物と化してしまったし、その理由や五百年後の情勢など分らぬことも数多い。だが当面の目標も定まったし、こうやって旅の道案内も得た。ともかくできること、必要なことをひとつずつこなしていくだけだ。
アレクセイはエルサと妻の様子を見ながらそう思ったのだった。