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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第三章 一ツ星の夫婦
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第53話 スライムと老人

≪アガデゥランの大墳墓≫に住まうスライムたち。その名を掃除屋(クリーナー)スライムという。彼らは青や緑といった半透明のゼリー状の体を持ち、その多くは球状をしている。


 一般的に冒険者が相対するスライムの類というものはえてして粘液質の体を持っており、固体よりも液体の要素の方が強い。その存分に水分を含んだ体でもって獲物に絡みつき、窒息死させるのだ。そうして相手が動かなくなった後、じっくりと体内で消化していく。


 しかし、この迷宮に生息するスライムたちはそうではない。エド老人が使役するスライムたちの役割とは、その名の通り迷宮内の清掃である。塵や埃はもちろんのこと、冒険者によって倒された魔物たちの死骸や、ときには冒険者そのものの死体を食らうのである。


 ただし、彼らが生きた冒険者を襲うことはない。なぜならそれはスライムたちが初めからそのように"造られた"からだ。この≪アガドゥランの大墳墓≫はドラン王国のヴァン王の命により、ときの宮廷魔術師によって建設された。そしてその魔術師によって、スライムたちは迷宮の掃除屋としての役割を与えられたのだ。


 そしてどちらのスライムにも共通して言えることがある。

 それはおよそ"スライム"と呼ばれる魔物はみな、自我というものが存在しないのだ。「個」としての意識と言ってもいいかもしれない。スライムたちは生物を襲うにせよ襲わないにせよ、単純に魔物としての本能に従って生きているだけなのである。


「であるからして、こいつらが生きた人間を襲うことなどないはずなんじゃがな。そのうえ、おんしを捕まえてさらにそこらに捨て置くなど、尚更考えられんのぅ」


 エルサたちがここまでやって来た経緯を聞いたエド老人は、そう言って首を捻った。確かにエルサが冒険者ギルドで聞いたところでも、これまでこの迷宮のスライムが自分から冒険者を攻撃したという記録はなかったはずだ。スライムによって被害を受けた案件というのは、冒険者の方から手を出したときに限られていた。


「確かにその魔物は私を捕まえても、危害を加えるようなことはありませんでした。たぶん、ここに連れて来たかったのだと思いますけど……」


「そうは言ってものう……ワシの方は別段用事なぞありゃしやせんぞ?」


 エド老人は傍らのスライムを見下ろした。やはりその下半分は完全に消えており、いかにも人の幽霊のように足がないように見えた。

 エド老人がスライムの頭に手を置く。しかし幽霊のように見えるからといって、彼の手がその体をすり抜けるようなことはなかった。


「というかソイツはなんなのよ?ホントに只の掃除用スライムなわけ?」


「正直な話、ワシにもよくわからんのじゃ。こんな風な見た目になってしもうたんも何年か前からじゃしのう。こいつ以外はみ~んな普通じゃしな」


 このスライムの変化を最初に見た時は、大層驚いたそうだ。だがそもそも迷宮の存在自体が摩訶不思議なものである。自身がいつのまにか不死の存在になってしまったように、スライムにも似たような何かがあったのだとあまり気にしなかったのだという。


「そうですか……てっきり私はこの子が冒険者行方不明事件の犯人かと思ったんですけど」


「む?なんじゃそれは」


 エルサはいまこの迷宮で起きていること、ギルドで話題となっている冒険者行方不明事件について説明した。

 話を聞き終えたエド老人はとんでもないとばかりに首を振った。


「それはありえんの。確かにこいつは他のスライムと違って変わっておるが、それでもスライムはスライムじゃ。生きとる相手は襲わんよ。スライム遣いであるワシには分かる」


 エド老人は力強く頷いたが、さっき会ったばかりのこの老人の話を鵜呑みにする必要はない。だがエルサには、目の前の老人が嘘をついているようには見えなかった。彼の傍らにいる幽霊スライムについてもそうだ。相変わらず生物とも霊体ともつかない雰囲気を纏ってはいるが、やはり邪悪な意志などは感じない。


 エルサは職業柄、悪意の感知には慣れていた。様々な霊と触れ合う霊魂遣いは、その相手が善い霊であるのか悪い霊であるのか判断しなくてはならない。善きものであれば(しもべ)にできるし、悪霊であれば速やかに調伏しなければならないからだ。霊は己の本質を隠すことに長けているから、これができるか否かは当人の生死に関わるのである。


 冒険者行方不明事件のことはともかくとして、このスライムの目的はなんなのだろう。悪意もなく、単純な捕食目的でもない。自我などないはずの最下級の魔物が、なぜエルサたちをここまで導いたのだろうか。


「お!そういえば……」


 そうしてエルサたちが頭を捻っていると、突然エド老人が膝を打って立ち上がった。どうしたのかと問いかける間もなく、彼は壁際にある本棚のもとへ歩いていく。そしてそこから一冊の古びた本を取り出すと、持ってきたそれをエルサへと手渡した。


 かなり古い物のようだが、意外にも保存状態は良好の様だ。ページは劣化に強い羊皮紙であるし、表紙の枠の部分を覆っている金属枠もしっかりと手入れされているようだ。本にはすぐに開けないよう閉じ紐がついていた。


「あの、これは?」


「いつだったかのうぅ。こ奴が墳墓のどこからか持ってきてな。たぶん冒険者の持ち物だと思うがの、こういった類の物は普通はその場で消化されるはずなんじゃが……珍しいこともあるもんじゃと取っておいたのじゃよ。何かの手掛かりになればよいが」


「ありがとうございます」


 話を聞いた限り、無関係とは思えない。それに霊魂遣い(ソウルコンジュラー)であるエルサには分かる。この本からは僅かだが、かつての所有者の思念のようなものが感じられた。


「この本、興味があるわね!っていうかどこかで見たような……まぁいいわ!早速読んでみましょ!」


 マユが張り切った様子でそんな声を上げたとき、突然室内に重い鐘の音が響き渡った。エルサたちが驚いて音の鳴る方へ目をやると、どうやら壁に掛けてある時計から聞こえるようだ。


「おぉ、もうこんな時間か。そろそろスライムたちが帰ってくる時間じゃな。どれ、仕事をせねばなっと」


 家主が外へ出るならば、部外者である自分たちがいつまでもここにいるわけにはいかないだろう。それに何か、貴重な話を聞かせてもらった礼をせねばなるまい。

 本を読もうとしていたエルサはそう考えて腰を浮かせかけたのだが、それはエド老人によって止められた。


「いやいや、あんたはここでその本を読んどればいいよ。その代わりほれ、横の二人。ワシの仕事を手伝ってはくれんかの」


 エド老人に指さされたマユはひととき目を瞬かせると、勢いよく立ち上がっては抗議の声を上げた。


「どうしてアタシらが魔物の手伝いなんかしなきゃならないのよ!こっちは冒険者よ!?」


「やかましい娘っ子じゃのう。それに最近の若いのは敬老の精神っちゅうもんを知らんのか」


「まぁまぁマユさん。ここはひとまずお互いの立場は置いておいて、エドさんをお手伝いしましょう?」


 ソフィーリアは怒れるマユをなだめると、彼女の肩を押して外へと向かう老人の後を追った。扉を潜り抜ける際、ソフィーリアはこちらを振り向くと片目を瞑った。


 そんな風にかしましく家を出ていくマユたちを見送って、エルサは小さく息を吐いた。

 そして誰もいなくなった小屋の中を見回すと、改めてエド老人のことを考える。いまさっき会ったばかりのエルサを残して住処を後にするとは、あの老人は何を考えているのだろう。そこまで信頼を得るようなことはしていないはずだ。あるいは、自分たちを連れてきたあの幽霊スライムを信用しているのだろうか。


(そういえばお爺さんは今は魔物……なんだよね?全然そんな感じがしないからつい忘れちゃってたな)


 元は人間だという話であったが、それにしたって随分とエルサたちに好意的だ。今更の話ではあるが、なぜあそこまでこちらに協力してくれるかエルサには分からなかった。。


 よく手入れされた、しかし長い年月を隠しようもない部屋の中の風景を見てみる。こんな薄暗い迷宮の底で、物言わぬスライムたちと数百年。一体どんな心持ちであったのだろうか。


 そう思えばあの好々爺然とした態度も、寂しさゆえのものに見えてくる。

 エルサは頭を振ると、手の中の本へと集中することにした。エド老人のことはともかく、まずはこの本である。はっきりとした理由はないが、エルサは幽霊スライムとこの本が無関係ではないと確信していた。


 エルサは丁寧に本の閉じ紐をほどいた。そうして本を開くと、始めからゆっくりと読んでいった。


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