第51話 噂の主
そこにいたのは、まぎれもなくスキル教官のアネッサであった。筋肉質ながらもスラリとした長身と、赤獅子とも言うべき赤髪はまだ記憶に新しい。
迷宮に潜る新人の様子を見にきたと彼女は答えたが、冒険者ギルドの教官にはそのような仕事も含まれるのだろうか。
アレクセイの疑問が顔に、というか雰囲気に出ていたのであろう。アネッサはたははと笑いながら手を振った。
「いや別に仕事ってわけじゃないんだけどね。アンタたちも聞いてるだろ?この迷宮で若い冒険者が行方不明になってるってさ。だからちょいと心配になってね。ま、ちょっとした見回りってわけさ」
そういえばギルドの受付がそのようなことを言っていた気がする。アレクセイはアネッサの話を聞いて得心がいった。確かアネッサは教官になる前は四ツ星の冒険者だったと言っていたはずだ。であればこの辺りのゾンビやスケルトンなどは相手になるまい。
アレクセイが頷いていると、アネッサは足元からゴーレムの破片を拾い上げた。破片といっても、ひと抱えはある分厚い金属板である。
「うわっ!重っ!」
口ではそんなことを言いつつ、アネッサの顔は重量をものとも感じていないように見える。
片手でゴーレムの亡骸を弄びながら、アネッサが言う。
「こいつは"霊廟の守護者"つってこの迷宮でも特別厄介な敵なんだよ。普通なら四ツ星の冒険者が徒党を組んでやっと戦えるかって奴なんだ。こいつをこんな風に倒せる一ツ星がいたっていうのは、ホントに驚きだね」
「この迷宮は私のような駆け出し向けと聞いていたのだが…話とは随分と違うようだな」
この迷宮は一ツ星から二ツ星の冒険者向けの稼ぎ場だと聞いていた。そしてもしスキル講習の場にいた冒険者たちが実際にこのゴーレムと合間見えたならば、確実に命はなかったことだろう。
実のところ、アレクセイがかつて戦ったことのある多くの魔物たちと比べれば、先のゴーレムの強さはそれほどのものではない。敢えて言うならば、防御力のみが秀でていただけである。
だがほとんどの冒険者にとっては、強敵と言っても差し支えのない相手であったことは確かだ。アネッサの言うように、ある程度の実力を持った者が複数であたるのが正解なのだろう。
ということは、四ツ星であったというアネッサでも手に余る相手だということだ。
「いかに教官殿とはいえ、此奴のような敵がうろつくような場所では些か危険なのではなかろうか」
アレクセイがそう言うと、アネッサは気まずげに頭を掻いた。
「あ〜、ま、まぁね。ただこいつらは普段ならもっと下の階層にいる奴らなんだよ。それこそ迷宮主の間の真ん前とかね。だからこんな階層に現れるなんておかしいなとは思ってたんだ」
「ふむ…」
これは異変、と言ってもいいのだろうか。
迷宮に関する知識の浅いアレクセイではなんとも判断がつかないことだ。が、マジュラやミリア坑道のこともある。あまりここに長居すべきではないのかもしれない。
「ともかく見ての通り乙女らは無事だ。またこうしてゴーレムも退けた。教官殿が心配することはないだろう」
アレクセイはエルサたちは示してアネッサにそう告げた。冒険者行方不明事件の理由はわからないが、自分やソフィーリアがいる限りエルサたちに危害が及ぶことはないだろう。
「そこんとこはあたしも心配しちゃいないよ。けどまー、折角こうして会えたんだ。あたしもアンタたちに着いていってもいいかねぇ?」
「それは私が決めることではないな」
「ん?僕かい?」
アネッサの申し出に、アレクセイは視線をカインへと移すことでこれを受けるか否かを促した。
「僕らはいま噂になってる幽霊スライムを探していてね。あっちこっちウロウロするつもりなんだけど、それでもよければどーぞどーぞ」
護衛が増える分にはカインは構わないらしい。二人が互いの自己紹介をしているのを見ていると、傍からアレクセイの手を引く者があった。妻であるソフィーリアである。
「ん?どうしたソフィーリア」
「あの、あなた...あそこにいるのは、その幽霊スライムではありませんか?」
「なんだって!?」
彼女の言葉に、アネッサと言葉を交わしていたカインが勢い良く振り向いた。血走って見開いた両の目を見れば、これまでのどこか飄々とした雰囲気とは異なる狂気じみた気配が感じられる。
アレクセイもまた妻が指差す方向を凝視した。
そこには、霊廟の壁に空いた大穴があった。
これは先ほどアレクセイが放った衝撃波によるものである。盾から放たれた闘気の塊の威力は、堅牢なゴーレムを貫通し、迷宮の壁を大きく穿つほどであったのだ。
そしてその大穴の淵に、一匹のスライムが佇んでいたのである。
「幽霊スライムとは、よく言ったものだな」
感心するように、アレクセイはそう零した。
そこにいた魔物の姿は、まさしく幽霊と呼ぶに相応しいものだった。
ぷるぷると震える青い半透明の体は、間違いなくスライムそのものだろう。しかしその下半身、と言ってよいかは分からないが、その球体の下半分が透けていたのである。
透明、という意味ではない。
それは一般的な霊体よろしく、人の幽霊で言う足の部分がこの世に存在しないという意味であった。
不可思議なスライムは何をするでもなく、その場に立ち尽くしていた。
スライムに目玉などはないが、アレクセイにはこちらを見つめているように見えた。
「お、おぉ……まさか本当に、スライムの霊体なのか?」
わなわなと震えながら、カインが慎重にスライムへと近づいていく。
しかしそれを押し留めたのはアネッサであった。
「ええい、離したまえ!私の研究を邪魔しないでくれ!」
「迂闊に近づくのは危険だって言ってんだ!アレは冒険者行方不明事件の犯人かもしれないんだよ!?」
一ツ星の魔術師と四ツ星の戦士では身体能力の差は歴然だ。しかし血走った目でもがくカインは、抑えるアネッサごと少しずつ前進していた。
「忘れていたが、魔術師とは本来こういう生き物であったな。探求の徒といえば聞こえはいいが……それにしてもエルサ君。あれは本当に幽霊なのであろうか?」
久しぶりに見る魔術師の研究欲の強さにアレクセイは呆れつつ、傍のエルサに尋ねてみた。
アンデットの身とはいえ、自分やソフィーリアはまだ不死者としては新米である。霊に関することならば、霊魂遣いであるエルサの出番であろう。
そう問いかけられたエルサはしかし、どこか判然としない表情で首を傾げた。
「それが不思議なんです。確かに霊体の気配はかんじるんですけど、同時に生者のようにも見えて…」
エルサの言葉に、一進一退の攻防を繰り広げていたカインとアネッサが同時に振り向いた。
「それじゃ、あれはスライムの幽霊ではないと言うのかい?」
「うぅん、すみません、よく分からないんです。とりあえず敵意は感じませんから、邪悪なものではないとは思いますけど」
もともとこの迷宮に住まうスライムは人を襲わないと聞いていたから、それ自体は不思議なことではない。
とするとなぜこのタイミングで姿を現したのかが分からない。迷宮の掃除屋というからには、アレクセイたちが蹴散らしたゾンビたちの残骸を食いに来たのだろうか。
「確かに、悪い気配は感じませんね」
身を寄せてきたソフィーリアが、アレクセイの耳元で囁く。
「君もそう見るか。となればあれは一体……」
「よし、ちょっと私が聞いてみます!」
そう言うとエルサは怖れる様子もなくスライムへと近づいていった。アネッサが声を上げようとするのを、アレクセイが手を上げて押し止めた。
やがてエルサはスライムから数歩ほど離れたところで足を止めた。その間も、件のスライムはぷるぷると震えているだけである。
「こんにちは。私はエルサです。私たちに何か御用ですか?」
まるで隣人と話すときのような気安さである。しかしその自然体な姿勢こそ、彼女が霊魂の専門家である証左であろう。
(そういえば、彼女がそれらしい仕事をするのは初めて見るな)
アンデットであるアレクセイを従属させようとしたり、霊狼であるネッドを操って戦う姿は見てきたが、エルサが正面から霊と向き合う姿を見るのは初めてであった。
なんとなく感じ入るアレクセイをよそに、エルサはスライムに対し言葉を投げかけ続けていた。
「私たちに何か伝えたいことがあるのですか?見せたいものがあるのですか?それとも、連れて行きたい場所が?私は霊魂遣いです。きっと貴方の力になれるはずです」
エルサが優しく声をかけようとも、スライムはそのゼリー状の体表を震わせるだけだ。少なくともアレクセイには、そこにおよそ知性というものを感じることはできない。
そう感じていたのはカインも同じであったようで、アネッサの手を振りほどくとずかずかとスライムへと歩み寄っていく。
「もしコレが真にスライムの霊体であるのなら、人語を理解するとは思えないね」
カインはそう言うと鞄から硝子瓶を取り出した。そしてそれを掲げてニヤリと笑った。アレクセイの記憶にある、魔術師らしい笑みである。
「ま、それはこれからじっくりと調べてみようじゃないか!」
カインは高らかにそう叫ぶと、瓶の蓋を開けてその口をスライムへと突き出した。どうやらあれはスライムを捕らえることのできる魔道具か何からしい。
しかしその効果が発揮されることはなかった。瓶を持つカインの腕に、エルサが組みついたからである。
「ちょ、ちょっと待ってください!いきなり乱暴なのはダメです!!」
「うぬぅ、だから離したまえ!どうしてみんな私の研究の邪魔をするのだ!?というか君らはこのために私に雇われたのだろう!?」
カインが非力なのか、思いのほかエルサの力が強いのか、二人の力は拮抗しているようだ。
二人がそうやって揉み合っている間に、ついにスライムに変化が見られた。その表面から、ゆっくりと腕のようなものが伸びてきたのである。
それに気がつかなかったわけではない。しっかりと視界の端に捉えてはいた。だが、完全にアレクセイの油断であった。
「エルサさんっ!!」
ソフィーリアの鋭い声が迷宮に響く。
アレクセイが動き出したその時には、すでにスライムの腕がエルサの胴に巻き付いていた。下等な魔物とは思えぬ、素早い動きである。
「いかん!!」
瞬く間に距離を詰めたアレクセイが腕を伸ばす。しかし間一髪のところで、その手は空を切ってしまう。
そしてあろうことか、スライムは捕まえたエルサごと壁の大穴へと飛び込んでしまったのである。
どうやら壁の向こうは上下に続く空洞であったらしく、エルサは驚愕の表情のままに下へと消えていった。
「ぬかったか!」
アレクセイは珍しく苛立たしげに石壁を叩いた。
敵意が感じられなかった、エルサらの方に気を取られていた、スライムを軽んじていた、理由はいくらでも挙げられた。
だがこのような醜態を晒すとは!
(ええい!油断や慢心はいかんと、あれほど気をつけていたというのに!)
アレクセイは内心で自らに毒づいたが、過ぎたことを言っても仕方がない。素早く思考を切り替えると、自分もエルサらの後を追うべく大穴の淵に手をかけた。
が、ここで巨体が邪魔をして通ることができないのだ。
舌打ちを堪えつつ穴を広げようと腕に力を込めた時、その手にほっそりとした手がかけられた。
「ソフィーリア」
「ここは私にお任せを、あなた」
「……すまん」
柔らかく微笑む妻の瞳をしばし見つめたあと、アレクセイはそう言った。ソフィーリアは力強く頷くと、迷うことなく大穴へと飛び込んだ。
そして彼女が消えた穴を見下ろすアレクセイの脇から、今度はマユが頭を覗かせた。
「む?」
「アタシも付いてくわよ、一応ね」
そしてアレクセイが止まる間も無く、その身を深淵へと滑り込ませてしまった。
「……五百年の月日で、私の騎士の魂も錆びついたか?愚か者め」
三人の少女たちが消えた穴を見下ろしながら、アレクセイは小さく呟いた。
するとその肩を遠慮がちに叩く者がいた。なんとなく事態について行けてない感のあった、アネッサである。
「あ〜、悪いんだけど、あたしらにお客さんみたいだよ」
アレクセイが振り向くと、そこにはおびただしいまでのアンデットの群れが迫っていた。しかもその奥には、先程倒したばかりの玉ねぎゴーレムの姿もある。
「これ以上の失態はあってはならんぞ、アレクセイ」
アレクセイはそう自らを強く戒めると、アネッサらと共に剣を構えたのであった。




