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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第一章 不死の夫婦
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第4話 亡霊聖女

「本当に君なのか、ソフィーリア」


「はい、あなたのソフィーリアですよ」


 確かにそこにいるのはまぎれもなくアレクセイの妻、ソフィーリアであった。顔も体も声も、アレクセイの記憶にある妻の姿そのままである。但し、それら彼女の全てが半透明であり、うっすらと向こう側の景色を映してはいたが。


 唯一異なるのは瞳の色がヴォルデン人特有の紫ではなく真紅に染まっていることだけだ。


 しかし一体なぜ彼女がエルサの持つ髑髏から現れたのか。それに強大な闇の魔物特有の、この邪悪な気は一体。


 わけもわからぬアレクセイであったが、穏やかに微笑む彼女を見て心に暖かいものが満ちるのを感じていた。鎧だけの肉なき不死の身となり果ててしまったが、妻を想うこの気持ちはかつてとなんら変わっていないことにアレクセイは安堵した。


 立ち上がると妻の身を抱きしめようと腕を伸ばしたアレクセイであったが、しかし驚くべきことにその手は彼女の身体をすり抜けてしまう。さらに彼女の頬に触れようと伸ばした手もソフィーリアの顔をすり抜け空を掴む。


「な!?これは!?」

「…あなたと同じですわ」


 眉を寄せ瞳を伏せるソフィーリア。


 そんな彼女の姿を見て、アレクセイは互いに触れられぬとわかっていても妻の身を抱きしめずにはいられなかった。ソフィーリアもまたアレクセイの胸甲に頬を寄せた。


 自身の身体は冷たい鎧と化し、彼女にも触れることはできないが、アレクセイはソフィーリアの身体の温もりを確かに覚えている。理由も事態もわからないままだが、かたちだけとはいえこうして愛する妻の身体を抱くことができることをアレクセイは神に感謝した。


 どれくらいそうしていただろう。アレクセイは触ることが出来ぬ妻を抱きしめていた腕を緩めると、彼女を見下ろして穏やかな声で尋ねた。


「これは一体どういうことなのだろう?君は何か知っているのかい、ソフィーリア」


「………死んでしまったんです。あなたも、私も」


 夫の顔を見上げたソフィーリアは、悲し気な表情で語り始めた。


「あのときのことをあなたがどこまで覚えているのかはわかりませんが、蘇った魔王の放った炎によって私たちは命を落としたんです。忘れることなんてできない…黒い炎に焼かれたあなたの身体が灰となって崩れ去るあのときの光景を」


「…ソフィーリア」


 アレクセイは涙をこらえるように目を伏せた妻の頬に手を当てた。触れることはできなくとも自身を気遣うアレクセイの心が伝わったのだろう。ソフィーリアは頬に添えられたアレクセイの籠手に手を重ねると夫の顔を見上げて微笑み、話を続けた。


「壁となって私を守ってくれていたあなたが倒れ、私自身も火に焼かれようとしていました。最初はそれでもいいと思っていたんです。あなたと同じところへ行けるのなら、と。でも私は思い出しました。私には、私たちには守らなくてはならないものがあるって」


「………ウィルか」


 ソフィーリアは頷いた。


 ウィリアムはアレクセイとソフィーリアの息子であった。魔王との戦いの数年前に生まれたウィリアムは、父親と同じ銀の髪と母親似のたおやかな顔立ちを持った子供であった。アレクセイとソフィーリアはまだ幼い子を家人に託し、魔王討伐の遠征へと出たのだ。自分たちが敗れたのだとするなら、王都に残してきた我が子がどうなったのだろう。


「だから私はゾーラに祈りました。どうかあの子をお守りくださいと。そうして神の御力がこの身に流れてくるのを感じたところで私の記憶は終わっています」


「では君も魔王によって殺され、しかしその直前に何かの奇跡が起こったということか?しかし君の姿、それにその瞳…この気配は…」


「おそらく亡霊(レイス)…でしょう」


 ソフィーリアは困惑したように両腕でその身を抱きしめた。≪亡霊≫(レイス)もまたさまよう鎧と同じ不死の魔物だ。ただし物理的な存在ではなく死者の魂が我を忘れ魔物化したもので、いまのソフィーリアのように通常は触れることができない。ただ彼女は自我を失ってはいないし、この世に未練を残して死んだ霊が稀になるという"地縛霊"にしては闇の気配が強すぎる。


 あるいは霊体の魔物の最上位とされる≪闇霊≫(ダークレイス)かもしれない。そのあたりの細かい違いは戦士であるアレクセイには分からないし、聖職者とはいえ戦司祭としての技を修めてきたソフィーリアにも判別はつかないだろう。どちらにしてもアレクセイもソフィーリアも現在は神の定めた理とは正反対の存在だということだ。


「ソフィーリア、私をここに呼んだのは君なのか?君の声が頭の中に聞こえて、それに応えたら光に包まれここに飛ばされてきたのだ」


 エルサはデーモンに襲われ心の中で助けを求めたら自分が現れたのだと言った。彼女が自らの意思でアレクセイを呼んだのではないのなら、それは恐らくソフィーリアによるものだろう。


 ソフィーリアはゾーラ教の神官戦士の長であり、戦士としてだけでなく聖職者としても高い力を有していた。彼女が転移魔法を使えるとは聞いていないが、神の奇跡は魔法以上に不可能を可能にする技だ。"ゾーラの娘"と称されることもあったソフィーリアならばそういった奇跡を起こすことも不可能ではないだろう。


 アレクセイの考えた通り、ソフィーリアは夫の言葉に頷くと微笑んだ。


「あなたも聞いたでしょう?彼女が行った死霊術の契約は不完全だった。でもそのおかげであなたは意識を取り戻し、私はあなたの存在を見つけることができたんです。あなたと彼女の間のつながりは不安定だったけれど、私とあなたは夫婦ですもの。エルフが精霊を呼び出すように、そこに足りなかった力を少しばかり貸しただけですわ」


 ソフィーリアの言葉を聞いてアレクセイは得心がいった。


 魔術による召喚のことはわからないが、エルフと精霊については知っている。普通これらの契約は両者に強いつながりがなければ成立しない。アレクセイはエルサの従者になることに同意したわけではないが、ソフィーリアとは魂から強く結ばれていると自負している。彼女に呼ばれればどこへなりとも行くだろう。転送の時にまるで不快に感じなかったのもあるいはそのためかもしれない。


「む?…ということはもしやあれは君の頭なのか?」


 アレクセイが指さしたのはエルサが持つ縦半分の頭蓋骨であった。エルサは先ほどから所在なさげに少し離れたところでに立ち尽くしており、アレクセイたちが再会を喜び抱き合っていた時も呆気にとられた顔でその様子を眺めていた。


 ソフィーリアが命を落としその霊体が髑髏から現れたということは、つまりはそういうことに他ならない。


「…エルサ君、なぜ君が彼女の頭を持っている。もしや君はソフィーリアの躯を汚したというのか?」


 はからずも声に怒気が籠る。

 死者の躯を操り呪術に用いるなどあってはならぬ冒涜だ。それが愛する妻のものとなればなおさらである。さらにそれを半分に分かつとは何事か。


 アレクセイに気圧されたエルサは顔を青くすると勢いよく後ずさった。


「ち、違います!これは私のご先祖様が太陽教の教会から盗み出したもので、もちろんそれは悪いことなんですけど、でもそれは理由があってのことで決して私欲のためなどでは…」


 涙目になってしどろもどろに弁解するエルサであったが、アレクセイは彼女の言った言葉に耳を奪われていた。


「祖先、だと?それは一体どのくらい前の話なのだ?」


「えと、お祖父さんのお祖父さんの話なので…百年と少し前のことかと」


 エルサの答えを聞いてアレクセイは愕然とした。いくらかの時が経っているのではと思っていたがよもやそれほどの時が過ぎていようとは。


 時の経過に衝撃を受けたのはまたソフィーリアも同じようで、彼女は口をおさえるとその場に膝を折ってしまった。エルサの言う通りあれから百年の時が過ぎているのなら、魔王との戦いの結果がどうであれもはやウィリアムは生きてはいまい。にわかには信じがたい話ではあったが、しかし目の前の少女が嘘をついているようには見えなかった。


 アレクセイは自身もしゃがみ込むと肩を震わせる妻に身を寄せた。落ち込むソフィーリアに声を掛けようとしたアレクセイであったが、しかし妻のただならぬ様子に身を引くこととなった。


「ソフィーリア…?」


 問いかけるアレクセイの声に反応はなく、顔を覗き込んでみれば紅い瞳の焦点が合っていない。気が付けばいつのまにか彼女の身体から赤い霧が立ち上っている。


 そして感じる邪悪な気配。


 最初に彼女に再会したときよりも遥かに濃密になった闇の瘴気のせいか、彼女がへたり込んでいる周囲の地面に生えていた雑草がたちまち枯れていく。


「ソフィーリアッ!気をしっかり持てッ!」


「……ッ!」


 妻の尋常ではない姿を見てアレクセイは大きく声を上げた。触れられるなら肩を掴んで揺らしたことだろう。ソフィーリアも今度は夫の声が届いたのか、ぶれていた瞳は色を取り戻し、彼女が気を引き締めると同時にあの闇の気配も掻き消えていた。


「ごめんなさい、あなた…」


「いいんだソフィーリア。おそらく魔物化の影響だろう…負の感情が強いほど霊としての力も増すと聞く。辛いだろうが…気をしっかり持つのだ。私もここにいるのだから」


 そう言うアレクセイもまた自身が魔物化の影響を強く受けていることを実感していた。我が子がもうすでにこの世にいないということを知ったというのに、驚きこそすれソフィーリアほどの悲しみが湧いてこないのだ。父親と母親という違いはあるだろうが、アレクセイはこうも感情が動かないほど薄情な人間ではない。


 しばしアレクセイの顔を見つめていたソフィーリアであったが、夫の内心にも気が付いたのであろう。ひとつ頷くと気丈な顔に戻り立ち上がった。


「取り乱してすまなかったエルサ君。ひとまず君が妻の頭を持っていた件は置いておこう。百年前の話と言ったが、それでは魔王はいまどうなっているのだ?祖国は、ヴォルデンはどうなっているのだ?」


 先ほどのソフィーリアの瘴気の影響だろう青い顔で二人のやりとりを見ていたエルサであったが、アレクセイの質問を聞いてしばし逡巡してからおずおずと答えた。


「ヴォルデンという国のことは…すみません私も聞いたことがありません」


 エルサの言葉を聞いてソフィーリアの顔が再び歪む。


 ヴォルデンはリーヴ大陸において三大強国に数えられた大国だ。大陸北部一帯を支配し、かの"邪神竜"が暴れまわった際にもアレクセイらの活躍によって広くその名を知られることになったのだ。ましてやヴォルデン人特有の銀の髪を受け継ぐ目の前の少女がヴォルデンの名を知らぬはずがない。だとすれば彼女が知りえぬほど前にヴォルデンは滅びたということになる。


 しかしあれほど権勢を誇った祖国が百年足らずで歴史の闇に埋もれるだろうか?この大陸には歴史の生き証人たる長命のエルフ族とているだろうに名前すら残らぬとは。


 しかしアレクセイの疑念は次に発せられたエルサの言葉によって打ち消されることになった。


「で、でも魔王なら知っています!五百年前に光の勇者様に倒された魔王ロキアのことですよね。この世界の誰もが知っている昔話ですから」



 五百年前。



 エルサの話に流石のアレクセイも言葉を失った。五百年前に魔王が討たれたということは、少なくともアレクセイが魔王と戦ってからそれ以上の時間が経っているということになる。祖国ヴォルデンがいつ滅びたのかは分からないが、それだけの時が移ろったのならばヴォルデンの名が世から消えていてもおかしくはない。


 あるいはアレクセイらの子であるウィリアムの血が絶えていたとしても不思議ではないのだ。

 そこまで思い至ったアレクセイであったが、突如として自身の脇から発せられた尋常ならざる瘴気に身をすくめた。


「ソ、ソフィ!落ち着け、落ち着くのだ!」


 アレクセイと同じ結論に至ったのかは定かではないが、またしてもソフィーリアはうつろな目で宙を見つめ、全身からはあの赤い霧が立ち昇っていた。先ほどよりもなお強い瘴気に、肉の身体のないアレクセイであっても総毛立つ思いであった。


 そこでアレクセイはハッと気が付くと後ろにいるエルサを振り返った。アレクセイですらおののくこれほどの瘴気、生身の人間であるエルサに有害でないはずがない。

 案の定そこには目を回し、これまでで最も酷い顔で倒れるエルサの姿があった。

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