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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第三章 一ツ星の夫婦
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第41話 前兆

お待たせしました。第三章の開始です。

本日6/11(月)は二つ同時の投稿となりますので、読み飛ばしのないようご注意ください。

 少女は、薄暗い石造りの通路を歩いていた。

 茶色の髪を馬の尻尾のように後ろで束ね、粗末な剣と小楯を持った冒険者である。


 今いる通路には窓らしきものはなく、壁にあるのは僅かな空気穴と頼りなさげに揺れる松明の火のみであった。


 その足取りはか細く、頼りない。それもそのはずで、少女は右の脇腹を抑え、傷口に当てた掌からはとめどなく血が溢れ出ていた。

 そして遂に壁にもたれ掛かると、そのままずるずると座り込んでしまう。


「もう、歩けないよ……」


 思わずといった風に、少女は弱音を口にしてしまった。脇腹を見やれば、この間買ったばかりの革鎧がばっさりと断ち切られてしまっている。


 傷ついた少女の名はミオという。ふた月ほど前に冒険者になったばかりの、新人であった。

 多くの新人の例に漏れずにロクな装備を揃えられなかったミオであったが、その中でも身を守る防具だけは気を使っていたつもりだった。だというのに、この防具は役目を果たしてくれなかったらしい。

 いや、あるいは果たしたからこそミオはまだこうして生きているのだろうか。


「でも、流石にこれはもうダメだよね……」


 あまりに絶望的な状況に、なんだか笑えてきてしまう。

 手当てに使えそうな包帯などが入った鞄は、どこかにやってしまった。仲間に頼ろうにも、癒しの奇跡を使える治癒者(ヒーラー)の仲間が真っ先に魔物にやられてしまったのだから始末に負えない。他の仲間たちも、これではどうしているか分からない。


「お姉ちゃん……」


 一足先に冒険者になった自らの姉のことを思い出す。


 姉は大丈夫だろうか。


 姉とは一緒のパーティで、確か魔物に襲われたときは一番先頭を歩いていたはずだ。魔物の群れは一行の後ろから現れたから、反撃する余裕は十分にあっただろう。魔物の数が思ったよりも多く乱戦になってしまったが、気の強い姉のことだ。あんな魔物たちなど蹴散らしているに違いない。


 ミオは傷の痛みに顔を顰めながら、腰のポーチから一冊の手帳を取り出した。それは冒険者になってから記し続けていた日記であった。これを買ったばっかりに、革鎧を揃える程度の予算しか残らなかったのだ。


 それでもミオは後悔などしていなかった。冒険者になってまだ日が浅かったが、自分が目にしてきたものはみな驚きに満ち溢れていた。

 美しく、荘厳で、不可思議な迷宮の数々。恐ろしくかつ奇妙でもあった魔物たち。それらミオが見て聞いてきたものは、生まれ育ったあの村にいたのでは一生体験できないようなものばかりであった。

 それらを記録したのが、この日記帳である。誰が何と言ったって、これはミオの宝物であった。これだけは肌身離さず持っていてよかった。


「それももう終わりだけどね……」


 自嘲するように呟きながら、ミオは筆をとった。インクがなくても書ける、不思議な筆だ。


 ミオは震える手で、日記につい今しがた起こったことを記していく。

 魔物の襲撃、離散した仲間、そして姉への想いを、傷の痛みを我慢しながら必死に書いていく。


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 ミオが日記に全てを書き終えると、いつのまにかすぐそばに魔物の姿があった。ぷるぷると震える青いゼリー状の球体の魔物、スライムである。


 スライムは付かず離れずの距離で、ミオの様子を窺っている。

 もちろんスライムに目玉などはないが、ミオにはこの魔物が自分のことを見ているのだとわかった。


「キミ、もしかして私が死ぬのを待ってるの?」


 姉に教えられたことを思い出す。この迷宮に住むスライムは、生き物を襲うことはないという。床や天井のゴミなどを吸収して養分とする類なのだそうだ。ということはミオが死んで、肉というゴミになるのを待っているのかもしれない。

 ミオはそのことに思い至って、恐れるよりもむしろ安堵した。


 迷宮に挑んだミオたちを襲ったのは、おぞましいゾンビの群れであったからだ。しかも風体からして迷宮由来のものではなく、冒険者が転化したものである。

 これも姉が言っていたことだが、この迷宮には呪いが掛けられているらしい。迷宮内で死したものをアンデットに変える呪いだ。

 ということはここでスライムが目の前に現れたことは、ミオにとってむしろ幸運なのではないかと思えた。


「よかった……あんな姿には、なりたくないもんね」


 段々と身体の力が抜けてくる。そういえばさっきから、傷の痛みを感じない。

 揺らぎを増しつつある視界で、スライムが少しずつこちらに近づいてくるのが見えた。自分の命の灯が消えかかっているのを相手も感じ取っているのだろう。


 とうとうミオは壁に背を預ける力すらなくなり、そのまま倒れ込んでしまう。しかし地面にぶつかる前に、ミオの身体は何か柔らかいものに沈み込んだようだった。


 ミオと硬い石畳の間に入ったのは、あのスライムであった。

 小柄な少女であるミオが両手で抱えるサイズのスライムは、クッションに丁度いい。粘液ではなく固形に近い魔物の感触は、水を詰めた布袋のようで妙に心地がいい。


「キミ、柔らかくて気持ちがいいね……このままキミに食べられるのなら、それも悪くはないかな……あ、待って、この日記だけは食べないで」


 身体とともに沈みゆく意識のなか、しかしミオはひとつだけ思い至って声を上げた。自分の短い冒険者としての生を記録した、この日記だけは消化されたくない。

 ミオは日記を掴んだ手を必死に伸ばして放ろうとしたが、すでに腕に力が入らない。真っ暗になってゆく視界の中で、自分の肘までスライムに飲み込まれているのが見えた。


「お姉……ちゃん……」


 そうして姉を呼ぶ少女の声は、青い粘液の中に消えていった。






 冒険都市ラゾーナを出たアレクセイたちは、のんびりとした街道の旅を続けていた。


 目的地である東部州の街、バルダーまではまだまだ遠い。

 その割に歩みはゆっくりとしたものであったが、そもそも目的こそあれど急いでどうこうなるわけでもない。

 アレクセイたちは五百年後の世界の様子を眺めつつ、まずは旅そのものを楽しむことにしていた。深刻になりすぎても仕方がないのだから。


 かの街を発ってから十日。

 魔物に襲われることもなく平和な旅路を享受していたのだが、しかしどうやらそれもここまでらしい。

 なぜなら、街道の先の方で何やら人が騒ぐ気配がするからだ。


「む、またぞろ揉め事かな?」


「もう、折角穏やかに旅を楽しんでいましたのに……」


 ソフィーリアも切なげに眉を寄せている。故国や息子の消息といった悩ましい不安があるからこそ、あえて平和なこの時代を楽しんでいたのだから、彼女の不満も仕方がないことだろう。


 しばし行ってみれば、そこでは冒険者と思しきパーティにひとりの冒険者が絡んでいる様子が見えた。声を上げているのは後者の方で、どうやらまだうら若い少女のようだ。何やらやかましく騒ぎ立てる少女を置いて、冒険者のパーティは素気無く先へ行ってしまう。絡まれていた方のパーティにいた僧侶らしき少女が、申し訳なさそうに頭を下げるのが見えた。


「ふんっ!もういいわよ!アンタたちみたいな薄情者には頼まないんだからっ!」


 そう言って荒い鼻息を漏らすのは、いかにも気の強そうな少女である。歳の頃はエルサよりいくらか上だろう。艶のある短めな黒髪と、猫のように大きな瞳が印象的な娘であった。

 また恰好から見て、魔術師の類に違いない。木の杖にとんがり帽子とくればいかにも魔法を使う者らしいが、太ももの半ばで大胆に切った短いスカートといい、豊かな胸を惜しげもなく晒した衣装といい、知識の守護者たる魔術師にしては随分と派手な服装といえた。


 同年代の少年ならば間違いなく夢中になりそうな容姿の持ち主であったが、生憎とアレクセイには愛する妻がいる。

 というかそれ以上にやっかいそうな雰囲気であったので、アレクセイたちは自然と彼女を迂回するかたちでその前を通り過ぎようとした。アレクセイたちには旅の目的があるのだ。余計な事に首を突っ込んでいる余裕はない。


 しかし尋常ならざる巨躯を持つアレクセイが、人目を引かないはずがない。

 案の定アレクセイたちの姿を目にした少女は、いかにも物申すことがあるといった雰囲気でずんずんと近づいてきた。


「ちよっとそこのデカいの!アンタよアンタ!何アタシを無視してくれちゃってんの!?」


 願いもむなしく、怒れる少女に捕まってしまう。

 溜息を吐きつつ、足を止めたアレクセイは少女に訊ねてみた。


「何用かな、お嬢さん。私たちは先を急ぐ旅なのだが……」


「へー、アンタ強そうね!いいじゃない、いいじゃない! ね、アタシに雇われてみない?アタシ行きたい迷宮があるのよ!」


 こちらの言葉などまったく無視した言い草である。それに少女はアレクセイの巨体を見回してはひとりで納得している。気が強い以外にも、人の話を聞かないタチでもあるらしい。


「護衛が欲しいのでしたらギルドで依頼を出せばいいんじゃないですか?」


「ダメダメ!ギルドなんて当てになるわけないじゃない!アタシは自分の目しか信用しないのよ!」


 アレクセイの脇から顔を出したエルサの提案も、あっさり却下されてしまう。


「その点アンタはなかなか強そうじゃない?おまけの二人は別にいいんだけど……ま、仲間は多いに越したことないし!」


 どうやらソフィーリアたちも勘定に入れられているらしい。というかそもそも引き受けるとは一言も言っていないのだが。

 押しの強い少女はアレクセイたちが呆れて何も言えないでいる間も、アレクセイのことをじろじろと眺めまわしている。

 と、その目がアレクセイの身体のある一点に止まったことで、少女はピタリと表情を凍らせた。


「ねぇ、アンタ……それって」


「む、これか?私の冒険者カードだが」


 彼女が見つめていたのは、アレクセイが首から掛けていた冒険者の証であった。まだ真新しい銅板には、ラゾーナで刻まれたばかりの一ツ星が輝いている。

 アレクセイがそれを掲げてやると、少女はわなわなと震えだした。

 訝しむアレクセイたちをよそに、少女は勢いよく面を上げると目を吊り上げて喚きだした。


「一ツ星なんてまるっきりの雑魚じゃないっ!しかもそれ上がりたてでしょ!?三ツ星(みつぼし)冒険者のアタシに釣り合うわけないじゃない!デカい図体して期待させんじゃないわよ!」


 どうやら彼女は、アレクセイの星が少ないことにご立腹らしい。

 そんなことを言われても、冒険者になったのはつい先日なのだから仕方がない。それに冒険者としての等級と実力は別だろう。というか彼女が格上の三ツ星冒険者というのも驚きである。三ツ星といえばラゾーナで出会った獣人の少女、レトよりも上ではないか。落ち着きない少女の様子を見れば、とてもそうは見えないのだが。


 内心でそんなことを考えていたアレクセイであったが、どうやらこの調子なら彼女は自分からアレクセイたちを解放してくれそうだ。

 会ったばかりの少女になんと言われようとアレクセイは気にしていない。後ろに立つソフィーリアも同じようだ。意外にも不満そうな顔をしていたのはエルサであったが、彼女も怒れる少女に抗議する気はないようであった。


「そうか。力及ばずすまないな……では私たちはこれで」


 これ幸いと、アレクセイたちはそそくさとその場を後にした。少女はいまだぶつくさと文句を垂れていたようだったが、特に引き留められることもなかった。


 少女の姿が見えなくなったところで、アレクセイは再び溜息をついた。


「この時代の魔術師は随分と……元気がよいのだな」


「ええ、そうですわね……」


 ソフィーリアも彼女にしては珍しく、ややうんざりするような調子でアレクセイの言葉に同意した。


 彼らはもっと物静かで、思慮深い連中だった気がするのだが。

 自分たちの知る魔術師とはだいぶ違う少女を見て、久しぶりに時の移ろいを感じたアレクセイたちであった。

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