第3話 死霊術師の少女
「ふむ、色々と聞きたいことはあるが、まずは怪我はないかね?」
恐々と話しかけてきた少女にアレクセイはそう尋ねた。デーモンとの戦いでは彼女に害が及ばぬよう戦ったつもりだが、アレクセイがこの場所に飛ばされて来るまでのことはわからない。
「え!?あ、はい。だいじょぶです。た、助けていただいてありがとうございました!」
何故か少女は驚いたように小さく跳ねると、そう言ってぺこりと頭を下げた。短く切りそろえた銀髪が揺れるのを見てアレクセイは内心で安堵する。
(銀の髪、ということは彼女は我らと同じ血を引く者ということか)
銀色の髪はアレクセイと同じ北部人のみに現れる髪色である。
アレクセイの属するヴォルデン王国は大陸北部に覇を唱える大国であり、その民の多くは金か銀の髪を持つ。加えて紫の瞳と他国の者よりもふた回りは大きい体躯を持つことから、かつて大陸全土を統一していた古代人の血を最も色濃く受け継ぐ人種であると言われている。
アレクセイ自身もヴォルデン男子に恥じぬ巨躯の持ち主であり、今はなき髪の色も銀色であった。
ただ目の前の少女の背丈はアレクセイの腹ほどしかなく、他国より「女鬼人」と揶揄されることもあるヴォルデン人女性のそれとは似つかない。
何より瞳の色が晴れた空のような蒼色だ。左目は長い前髪に隠されて窺えないが、それだけでも彼女が純血のヴォルデン人ではないことが分かる。ヴォルデンでは混血児はあまり歓迎されないが、アレクセイは別段気にしたことはない。それより何もかも不明なこの場所で祖国の存在を感じられたことが何よりもありがたかった。
「大事がなくて何よりだ。私も同胞の命を助けることができて嬉しい」
「同胞…?えと、こちらこそ本当にありがとうございました」
少女は首を傾げながらも再度頭を下げる。
なかなかに礼儀正しい娘のようだ。服装も質素ながらしっかりとした作りであるし、意外と生まれがよいのかもしれない。だとしたら何故このような廃墟でデーモンに襲われていたかが気になるのだが。
「さてまずはこの場所についてだが…いやすまない、きちんと名を名乗ってはいなかったか。私はアレクセイ・ヴィキャンデル。ヴォルデン王国四騎士の一人にしてジグムント陛下より≪竜の鱗≫を賜りし者である」
「………」
「…君の名は?」
胸に手を当てて騎士の名乗りを上げたアレクセイであったが、少女が呆けたようにこちらを眺めるばかりであったのでこちらから促す。少女は弾かれたように少し肩を揺らすと釣られたようにしゃべり始めた。
「あ、ハイ!私はエルサ・ラーソンといいま…って違います!うぅ…なんでこんなに自我があるの?やっぱり術式が不完全で…」
エルサと名乗る少女はその場に蹲ると頭を抱えてぶつぶつと呟いている。何やら挙動不審に見えるが先程までデーモンに襲われていたのだ。しばし混乱するのも仕方がない。だがこの場所についての情報を知っていそうなのがエルサしかいない以上、彼女に聞くほかない。
「心を落ち着けるのだ、エルサ君。デーモンの脅威は去った。ついてはこの場所について教えてほしいのだが…」
努めて優しく話しかけたアレクセイであったが、耳に入っていないのかエルサは勢いよく立ち上がると決然とした顔つきでアレクセイを見上げた。そして手に持つ杖を突き付け叫ぶ。
「さまよえる亡霊よ!汝の契約者たるエルサの名において今一度命ずる!我が声に従い、我が命に応じよ!さすれば至高神ソラリスの加護の元、汝の魂に永遠の安らぎを…」
高らかに彼女の口から発せられた呪文は、しかしアレクセイが全く動じることもなく、またその姿になんの変化もないことを彼女が理解していくに従って次第に尻みになっていく。遂には気まずげに頬をかくアレクセイを見て、とうとうエルサは涙目になり口を噤んでしまった。
「ふむ、何やら期待に添えず申し訳無く思うが、察するに君は私の正体を知っているということかね?」
俯いたままコクリと頷くエルサ。どうやら彼女はアレクセイの兜の下に肉の体がないことに気づいているらしい。
先程の呪文から察するに、寧ろそれを知っていて何がしかの契約を結ぼうとしていたようだ。もしアレクセイが不死の魔物と化しているとすれば、そんな魔性を従えようとするのはまともな者とは思えない。目の前の少女がそういった手合いとは考えられなかったが、アレクセイは僅かに声を低くするとエルサに尋ねてみた。
「では君は何者なのだ?なぜ我が身を従えようとする?私がここに転移したことと関係があるのか?」
アレクセイが自身に対する認識を改めたのを声色から察したのだろう。エルサは半歩下がるとしかし逃げることなく答える。
「わ、私は霊魂遣いなんです。強い不死の魔物がいると聞いて契約しようとこの迷宮に潜ったんですけど、運悪くさっきのデーモンに襲われて…」
「迷宮とな?ただの廃墟にしか見えないが…それよりも霊魂遣いというのはよもや死霊術師のことではあるまいな?」
いかに無害な少女に見えるとはいえ、エルサの言葉を聞いて流石のアレクセイも声が硬くなる。
死霊術師といえば堕ちた魔術師の典型であり魂の冒涜者の代名詞だ。アレクセイもそういった外道を何人か斬ったことがあるし、戦士の魂を汚す死霊術師は個人的にもよい感情を持ち得ない。
アレクセイの言わんとすることを感じたのか、エルサは勢いよく首を振ると慌てたように弁明する。
「ち、違います!いや違わないんですけど、霊魂遣いは冒険者ギルドや教会からも認定された正式な職業ですし!ほら、冒険者カードにもありますし!」
そういってエルサは胸元から金属の板を取り出すと勢い込んで見せてくる。確かにそこにはエルサ・ラーソンの名と、職業:霊魂遣いという表記、そしてこの者の身は冒険者ギルドと太陽教会の名の下に証だてすると書いてある。
しかしアレクセイには冒険者ギルドなど聞いたこともないし、太陽教会などという宗教組織にも覚えがない。少なくともヴォルデンで信奉されているゾーラ教が不死者を操る者を庇護しているとは聞いたことがない。
(わからんな。しかし私の存在を聞いてやってきたということは、魔王との戦いからいくばくかの時が経っているということか)
アレクセイがそう思案する間にもエルサは話を続ける。
どうやら一度はアレクセイを見つけ契約を試みたものの、術に集中している間に別の魔物に襲われ中断せざるをえなかったらしい。そうして魔物から逃げていたところに運悪くデーモンと遭遇したという。そしてもう駄目だと目を閉じ心の中で助けを求めたとき、目の前に光とともにアレクセイが現れたのだ。
「ふむ、すまないが君の従僕になるつもりはない。私には果たすべき使命があるのだ」
目の前の少女が悪人には見えないが、霊魂遣いなる彼女の手足になるつもりもない。いかなる目的があるかはしらないが、アレクセイにも王より受けた魔王討伐という使命と、何より直前までともに戦っていた妻を探し出さなければならないのだ。
「いえ!私にも譲れない使命があります!伝説の魔物であるデーモンをあんな簡単に退けた力を見た以上、是が非でもあなたを従えてみせます!」
「…悪いが君にそれだけの力があるとは思えないが」
「こ、これがあります!」
エルサは鞄から自身の頭ほどの大きさの包みを取り出すと、アレクセイに突きつけた。そして彼女が布を取り払ってみせると、なんとそれは人の頭蓋骨であった。
しかもそれは縦半分に綺麗に断ち割られている。当然躯を冒涜する行いであるし、いかにも死霊術師じみた呪物の登場に流石のアレクセイも眉根を寄せた。無論、眉などないのだが。
「エルサ君、それ以上はやめたまえ」
アレクセイは鞘から僅かに剣を引き抜いて刃を見せるとそう警告した。
たじろぐエルサは半歩ほど身を引いたが、その目は強く自分を見据え、瞳の光は決して揺れてはいない。か弱げな見た目に反してなかなかに肝が据わっている。あるいはそれだけ彼女の言う「使命」とやらが重要なのか。
エルサの決意が変わらぬのを見てアレクセイは小さく息をつくと剣から手を離した。流石に斬るのは忍びない。ならば彼女の自信の元を奪い、その身から遠ざければよい。アレクセイはエルサの掲げる髑髏へと手を伸ばした。
すると突然髑髏は紅い強烈な光を放ち、アレクセイの手を跳ねのけた。
「なんと!?」
さらに髑髏の両目が妖しく光るとそこから赤黒い煙が立ち上り、意思を持っているかのようにアレクセイを包み込むと鎖の如くその身体の動きを封じ込めた。
そしてアレクセイの周囲に不可思議な紋様が浮かび上がる。目覚めた時に見た、あの魔方陣である。
「これは"聖者の遺骸"。あらゆる不死に対して絶大な力を持つ呪物です!これで貴方の力を封じ、我がしもべとしてみせます!」
意気込むエルサの言う通り、アレクセイはどんなに力を込めようとも赤い煙の拘束を破れないことに驚愕していた。物理的な力だけではなく、何か自分の根幹の部分に訴えかける強大な力を感じる。
もしかしたらこれが彼女の言う"不死に対して強い影響力を持つ"ということなのかもしれない。よもやこんな形で自らが不死になった実感を持つことになろうとは流石のアレクセイも思わなかった。
(ぬぅ、なんという圧力!先ほどのデーモンなどとは比べ物にならん!)
つい今しがた伝説級の魔物と鍔迫り合いを演じていたが、そのときよりもよほど強力な力を前にしてアレクセイは内心で歯噛みしていた。
このまま死霊術師たる彼女の下僕となってしまえば、ソフィーリアを探すことも魔王を討つこともできなくなってしまう。そればかりかもし自らの記憶や意志が奪われるようなことになれば、それらの大切な使命をも忘れてしまうかもしれない。
生前も含めてかつてないほどの焦りを覚えていたアレクセイであったが、耐えがたい強制力の前に遂に膝を突いてしまう。
エルサは一瞬瞳を輝かせたが、しかし悲し気に眉を寄せると一歩前へ出る。
「ごめんなさい…でも私はここで引くわけにはいかないんです!犠牲にした人たちのためにも!」
エルサがそう言うと髑髏は一層輝きを増し眼窩から更なる煙が溢れ出す。いよいよもって拘束力を増した呪縛の力を受けて、アレクセイは堪えきれずに叫ぶ。
「ソフィーリアァァァァァ!!」
絶望に抗するために上げた声が虚しく天に響く。
エルサが切なそうに目を伏せる。しかし髑髏を抱える手が下ろされることはない。
「はい、あなた」
しかし次の瞬間、あまりに場違いな軽やかな声が返された。
と同時にアレクセイを封じていた赤い煙が跡形もなく消え去る。髑髏から放たれていた妖しい光もいつのまにか治まっており、あたりには静寂が満ちていた。
エルサは声もなく目を見開いて髑髏を見つめており、戒めを解かれたアレクセイもまた動けなかった。
ありえない。
だが、聞き間違うはずもない。
今のは、妻の。
「ソ、ソフィ?」
「はいあなた。私はここですよ」
思わず呟いたアレクセイの声に、再びあの声が返してくる。
するとエルサの手の中の髑髏が再び輝きだした。先ほどと同じ赤く妖しい光であったが、不思議と今度は強い力を感じない。髑髏の眼窩から煙が溢れ出し、アレクセイの前で集まりだした。
そして膝を突いたアレクセイが見上げるとそこには一人の女が立っていた。
白銀の鎧に、純白の法衣。
麗しい金の髪に、そこだけはかつてと異なる紅い瞳。そして感じる、ありえないほどの禍々しい気配。
「やっと会えましたわ、あなた」
そう言って目の前で微笑むのは、アレクセイの愛する妻、ソフィーリアであった。