第37話 聖炎
「やれるか、ソフィーリア」
アレクセイは背後のソフィーリアへと問いかけた。眼前ではゴブリンゾンビどもがゆっくりと迫り来る。
「「もちろんですわ、あなた」」
ソフィーリアはエルサのものと混ざり合った声で答えた。
妻がエルサの身体に憑依するのは二回目だ。今の彼女の姿はエルサ本来の短い銀髪ではなく、ソフィーリアの金色が混ざった腰まである長髪である。
輝く紫の瞳といい、常と異なる姿はなんとも神秘的であった。
「しばし私が時間を稼ぐ。その間に≪退魔の奇跡≫を」
「「承りましたわ」」
退魔の奇跡を行うには時間がかかる。それまではアレクセイが敵を食い止めねばならない。
アレクセイは剣をくるりと回すと、敵陣目掛けて突っ込んだ。
「私の妻には、一歩たりとも近づけさせん!」
アレクセイが剣を振るうたびに、ゴブリンゾンビどもの四肢が飛ぶ。アレクセイはゴブリンどもの回復力を考慮し、手足を斬り飛ばすことで機動力を奪うことを選んだ。
大事なのは、あくまで時間を稼ぐことである。
アレクセイの背後で聖なる気が高まるのを相手も感じたのか、ドラゴンゾンビは大きく口を開くと緑色の煙を吐き出した。
≪猛毒の息吹≫である。死の煙はまるで竜巻のように横に渦巻きながら、ソフィーリアへと迫る。道中にいたゴブリンゾンビどもを巻き込みながら彼女へと直進するが、その進路上には大盾を構えたアレクセイの姿があった。
「させんと言っただろう」
ブレスは聖竜の盾にぶちあたると大きく左右へと分かたれた。
アレクセイの盾はただ硬いだけの盾ではない。様々な状態異常をも防ぐ、魔法の武具であるのだ。
その様子を見ていたドラゴンゾンビが憎々し気に目を細めたところで、ついにソフィーリアの奇跡の準備が完了した。彼女が憑依したエルサの身体の周囲には、いつの間にか金色に輝く炎が渦巻いている。
ソフィーリアが神の力を体現することばを唱える。
「「天に満ちるは原初の炎。激しく燃え盛るはゾーラの泉。この身を杯とし、熱き血潮を広げたまえ。不浄なるものは灰に、世の理を正すべし。我は炎より浄化の炎を見出さん」」
彼女がそう言い終えると、金色の炎が一気に部屋全体まで広がった。
ゾーラの神官戦士たるソフィーリアが神の力を借りて行う奇跡、≪聖炎≫である。その火は善なる者や無機物を焼くことなく、ただ邪悪な魔物のみを焼き尽くす。
炎を浴びたゴブリンゾンビどもは、もがき苦しみながらその身体を灰へと変えていった。同様にゾンビ化していたロキールの身体も、灰となって崩れ落ちる。
抵抗していたドラゴンゾンビも、ついに手足から真っ白な灰へと変わっていった。最期に天に向かっておぞましい咆哮を上げてから、ついに灰の山へとその身を返した。
と、ここで苦しんだのはゾンビどもだけではない。
彼らとソフィーリアの間にいたアレクセイまでも、聖炎の効果を受けていたのだ。
(不覚!この身が不死の魔物であることを忘れるとは!)
このような下らない理由で自分までも灰になってしまってはどうしようもない。聖なる炎に全身を焼かれながら、アレクセイは必死に奇跡に抵抗した。
聖竜の鎧は炎に対して絶大な耐久力を誇るが、こればかりは別らしい。炎は鎧ではなく、アレクセイの魂のみを焼いているようだ。
「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」
これまで感じたこともないような熱に包まれながら、アレクセイは必死に声を上げて耐えた。
それまでどこか陶然とした瞳で宙を見ていたソフィーリアだったが、ここでやっと夫の異常に気が付くと奇跡の発動を止めた。
炎が掻き消え、アレクセイも耐えがたい苦痛から解放される。さすがに消耗が激しく、アレクセイはこらえきれずに両膝をついてしまう。
ソフィーリアはエルサの身体から勢いよく飛び出すと、血相を変えてアレクセイへと駆け寄った。アレクセイの鎧のあちこちからはいまだに白い煙が立ち昇っている。幸いにも、灰になった部分はないようだ。
「あぁ、あなた!私はなんということを……!」
真紅の瞳から滂沱の涙を流しながら、ソフィーリアがアレクセイの身体に取り縋る。アレクセイは彼女の頬に掌を添えると、とめどなく溢れ出る涙をぬぐった。
「ソフィ……私は大丈夫だ。少々焦げはしたがな」
漆黒の鎧を纏ったアレクセイは、そう言って肩をすくめてみせる。
彼女に責はない……とは言い切れないが、こうするしか手はなかったのも事実だ。もう少しやりようがあったのかもしれないが、こればかりは自分たちがアンデッドであることを忘れた二人の責任と言えた。
「ごめんなさい!ごめんなさいあなた……!」
それでもさめざめと涙を流し続けるソフィーリアの身体を、アレクセイはその大きな腕でもって抱きしめた。
「なに、改めて君の力を実感したよ。私にこれほどの痛痒を与えるとは、全くデーモン以上だな」
アレクセイがそう冗談めかすと、顔を上げたソフィーリアも泣き笑いの表情で夫の胸をぽかりと叩いた。
「も、もう……あなたったら」
「ご無事なようで、なによりです」
エルサもいくらかふらつきながら、アレクセイたちのもとへやって来る。すると扉を開けてセリーヌたちが部屋へと飛び込んできた。
「おい!大丈夫か!……おお、これはなんと……!」
アレクセイの声を聞いて駆けこんできたらしい。彼女らはあちらこちらにうず高く積もった灰の山々を見回して感嘆の声を上げた。
未だ驚きの表情で灰を見つめる冒険者たちを置いて、セリーヌがひとりこちらへと駆け寄ってくる。
「どうやら秘術とやらは成功したようだな」
彼女の言葉はエルサへと向けられていた。対するエルサはいくらか目を彷徨わせつつ頷いている。
「あれだけのアンデッドどもを灰に変えてしまうとは大したものだが……アレクセイ殿までもがそのように消耗するとは、一体どんな恐ろしい術なのだ」
どうやらアレクセイが不死の魔物ゆえに効果を受けたなどとは考えていないらしい。だがここはこのまま勘違いしてもらった方が好都合だ。
「き、禁術ですのでっ!」
エルサが迫真の表情でそう言うと、セリーヌはなにやら神妙な顔で頷いた。
「とにかく異変の元凶は片付いた。その理由までは分からないが……ひとまずは任務終了というところだろう」
アレクセイがそう宣言してのけると、みなどこか晴れやかな顔で頷いたのだった。
冒険都市ラゾーナの太陽教会の聖堂にて、怪しく動く影があった。
それはどうやら人のようで、人影は音もなく柱の影から影へと移動すると聖堂の中を外に向けて移動していった。
途中向こうからやってきた二人の神官とすれ違ったが、彼らは影に気が付くこともなくそのまま会話していってしまう。影はついに誰にも見つかることなく教会の敷地を出ると、ラゾーナの裏道へと飛び込んだ。
時刻はもう深夜である。
今日は厚い雲のせいで月は見えず、人々はすでに深い眠りの底にいるため裏通りに人はいない。
そんな場所の暗がりで、人影は目深に被っていたフードを外した。
「久しぶりの大仕事だと思ったが……案外教会の守りも大したことねぇな」
そう呟いて鼻で笑ったのは、ハーガーという人間の男であった。
何を隠そう、ラゾーナの街で悪名高いクラン、≪北の旋風≫のクランマスターを務める男である。ハーガーはクランのマスターでありながら、闇に潜む盗賊という裏の顔を持っていた。冒険者としての位階は三ツ星であり、戦闘はあまり得意ではなかったが、盗みの腕は光るものを持っていた。
ミリア坑道で起こったというゴブリンどもの大発生は、思いのほか早く片付いたらしい。教会ではその戦いで傷ついた冒険者たちの治療が行われていたが、日暮れにはそれも終わったようであった。一仕事を終えた神官たちの隙を突いて、ハーガーは聖堂に忍び込んだのである。
(俺の腕もまだまだ鈍っちゃいねぇな)
「お頭」
ハーガーがもう一度ほくそ笑んだところで、彼の元に集まってくる者たちがいた。ハーガーと同じ、≪北の旋風≫に所属する部下たちである。
「お頭、首尾の方は?」
「おお、お前らか。俺様にかかればちょろいもんよ」
「それは重畳」
いきなり自分の背後から声がして、ハーガーは驚きながら振り返った。そこにはローブを被った怪しげな仮面をつけた男が立っている。
「あぁ、なんだアンタか。脅かすなぃ」
ハーガーは平静な顔を装いつつ内心で胸を撫で下ろした。
この男はハーガーの依頼主であった。彼に依頼されてハーガーは聖堂に忍び込んだのである。
「……それで、礼の物は?」
「ほらよ、ちゃあんとここにあるぜ?」
ハーガーは腰のポーチから包みを取り出すと、布を取り払ってそれを掲げてみせる。
彼の手の中で仄かに緑色の輝きを放っているのは、"恵みのオーブ"と呼ばれる太陽教会の秘宝のひとつであった。先日よその教会より運び込まれたこのオーブは、ただそこにあるだけで周囲の人間が使う奇跡の効力を高めるのだという。このおかげで、教会は先ほどの冒険者への治療をスムーズに行うことができたのだ。
そんなものを盗み出すのは、確かに大仕事であろう。
「おぉ、忌々しくも、噂に違わぬ神々しい光よ……よくやった。さぁ、それをこちらに渡すのだ」
「待て待て、報酬が先だ。そういう約束のはずだぜ?」
仮面の男は煩わしそうに溜息をつくと懐から革袋を取り出し、ハーガーへと投げた。ハーガーは片手で空中のそれを器用に掴みつつ、すぐさま袋の口を開けた。中には袋一杯の金貨が詰め込まれている。
ハーガーは口の端を歪めて笑うと、金貨をポーチへとしまい込んだ。
「さて、今度こそこちらの取り分を貰おうか」
「ん~、思うに教会に忍び込んでお宝を盗み出した代金がこれっぽっちってのは、割に会わないと思うんだよなぁ」
「……なに?」
その声には答えずにハーガーは腰の短剣を抜いた。同じように彼の部下たちも武器を抜いて、仮面の男をぐるりと囲む。
「どういうつもりだ?」
「いやなに、ここはもちっと特別報酬があってもいいんじゃないかってね」
ハーガーはニタニタと笑って手の中の短剣を弄ぶ。
「……全く、愚かなことだ」
「そうかい。アンタ、状況を見て物を言いな」
仮面の男は武器らしい武器も持ってはいないし、細身の身体は戦う者のそれではない。戦いよりも盗みに特化したハーガーであったが、そのくらいのことは見れば分かる。
「まこと、その通りよ」
男がそう言うと、突然ハーガーは両脇にいた自身の部下に腕を掴まれた。
「な、何すんだお前ら!?」
狼狽するハーガーにはまるで事態が把握できない。なぜ自分が部下どもに抑えられなければならないのだ。
そんな彼を低く笑いながら、仮面の男はハーガーの腕を掴む部下が被っていたローブを剥いで見せた。
「ひっ!?」
そこには白目を剥き、歯茎や皮膚の下を露出させた部下の顔があった。どう見ても、まともな人間のものではない。
「自らの仲間がアンデッドに変えられていることにも気づかぬとは、本当に愚かな男だ」
恐怖に顔を歪ませるハーガーには目もくれず、男は彼の手から恵みのオーブを取り上げた。そして思い出したかのように腰のポーチにも手を伸ばし、そこから金貨の詰まった革袋を抜き取った。
「私は使える者はなんでも使う主義でな。金はどんな時でも役に立つ。少なくとも、お主よりかはな」
「お、俺をどうするつもりだ!?」
ハーガーは拘束を解こうと必死に身を捩りながら叫んだ。部下たちを見れば自分もどうなるか知れたものではない。
しかし男はそんな彼をあざ笑うかのように言った。
「なぁに、安心せい。普通に殺してやろう。鈍重なアンデッドではロクな盗賊の技は使えないだろうからな」
男がそう言って手を振ると、アンデットになった部下たちが剣を手にハーガーを囲んだ。
「全く、貴様如きを頼らねばならんとは、我ながら情けないことだ。こうも早く小鬼どもが蹴散らされるなど、所詮は小鬼であったか……しかも保険にかけておいた≪不死化の陣≫まで消されるとはな。冒険者どもも馬鹿にはできんか」
そうして男の合図で、ハーガーの部下たちが一斉に彼の身体に剣を突き立てた。
「だがまぁ、終わりよければ万事良しか。お主にも金貨の一枚くらいはやっても……」
男はそこまで言って言葉を切った。剣を引き抜かれたハーガーは目を見開いて血だまりに倒れている。すでに事切れていることは明白であった。
「ふむ、やはり止めた。冥土の土産など、お主には過ぎたものだ」
再び低く笑いながら男が指を鳴らすと、ハーガーの部下たちの身体が装備もろとも塵となった。やがてそれらは夜風に吹かれて散り散りとなって消えてしまった。
「さて、では次へと行くとするかな」
男のそんな呟きは、彼の姿と共に闇夜へと消えていった。




