第36話 ゾンビフィーバー
「ぬぅん!」
矢の如く駆けだしたアレクセイは、ドラゴンゾンビの額目掛けて剣を突き出した。長剣の刃は生前と同じように、腐った黒竜の頭蓋骨をかち割る。
「……む!?」
普通であれば、致命の一撃である。
しかしドラゴンゾンビは意に介した様子もなく頭を振ると、アレクセイの巨体を吹き飛ばした。
アレクセイもまた態勢を崩すこともなく、軽やかに着地する。
「これは……」
「「屍竜……どうして黒竜がアンデッドに」」
ネッドの目を借りて事態を見守るエルサにも理由はわからない様子だ。
「エルサさん、あれを!」
ソフィーリアがドラゴンゾンビを指さし叫んだ。
そこには屍の竜を中心に、地面に怪しげな紋様が浮かび上がっていた。その大きさは巨大な竜よりなお大きく、迷宮主の部屋として広い空間を持つこの部屋の半分ほどにもなる。
地の底から昇ってくるようなおぞましい声で、屍竜が吠える。すると地面に刻まれた紋様が妖しく光りだし、なんとそこらで倒れていたゴブリンどもが立ち上がり始めたのである。
「馬鹿な……ゴブリンまでゾンビ化するというのか!」
セリーヌの言うように、ゴブリンたちもまた動く死体と化しているようだ。白目を剥き、傷跡もそのままに千切れかけた手足を引きずって歩く様は確かにゾンビであった。
「おいおいおい、ウォートロルもかよっ!」
例にもれず起き上がったウォートロルの死体を見て、スヴェンが呻く。どうやら、ドラゴンゾンビを中心に広がったあの紋様に触れた死体はゾンビとなるらしい。あの竜の最も傍にあった死体、すなわちロキールもまたゾンビとなって動いているからだ。
「「あのドラゴンゾンビが不死化の原因のようです。死んだ後に発動するよう、なんらかの術が施されていたのかもしれません」」
「この先では今も多くの冒険者がゴブリンと戦っている。だからそこにはゴブリンどもの死体がわんさかあるのだ」
苦々し気な表情のセリーヌの言葉を聞いて、アレクセイも内心で唸る。ここであれを止めなければ、非常に厄介なことになるだろう。
「となれば是が非でもここで討つほかあるまい」
「そうだな。普通のゴブリンならともかく、面倒なゾンビともなれば新米冒険者には荷が重い」
「兵を寄こす件はどうなっている?」
「……私がここにいる時点で察してくれ」
どうやら領主との交渉はうまくいかなかったようだ。どのみち戦のないこの時代の兵士たちでは、ゴブリンゾンビにうまく対処できるとは思えない。
「それにしてもこの数は……神官を連れてくるべきだったか」
セリーヌが言うように、駆け付けた彼女たちの中には聖職者らしき者はいなかった。アンデッドばかりのこの場に奇跡を扱える人間がいないことは不運であった。
もっともアレクセイの傍らにいるソフィーリアは高位の聖女であるのだが、闇霊と化した今はあまりその意味はない。それに治癒の奇跡と比べて≪退魔≫の奇跡は扱う法力の大きさが違う。いかにこれが神の試練だからといって、ソフィーリアには厳しいことだろう。
「さて、どうす……」
「「皆さんっ!耳を塞いでくださいっ!」」
アレクセイが思案しようとした刹那、エルサが切羽詰まった声を上げた。
と同時に部屋中にドラゴンゾンビの咆哮が木霊する。今度のものは先ほどとは違い、身体の芯を揺さぶるようなものだった。
聞く者の魂を凍てつかせる、≪恐怖の咆哮≫である。大気を震わせる屍の竜の鳴き声は、対する冒険者たちの勇気と対抗心を打ち砕いた。
「ひぃぃぃぃぃっ!」
スヴェンなどは悲鳴を上げている。股間の辺りが濡れているように見えるのは気のせいだろうか。他の冒険者たちもみな凍り付いたような表情で屍の竜を見つめている。
流石と言うべきかセリーヌだけは心を強くもって耐えたようだが、剣を持つ腕が震えていることに気づくと、もう片方の手でそれを抑え込んだ。
「私の耳飾りには状態異常を防ぐ魔法がかかっているのだがな……しかしあれほどの咆哮を受けても平然としているとは、アレクセイ殿たちは大したものだ」
不死の魔物であるため、アレクセイとソフィーリアには屍竜の叫びも効果がない。
「なに、この鎧のおかげだとも。それよりそのままではまずかろう。今、私が直そう」
「なに?」
セリーヌの疑問には返さずに、アレクセイは恐怖に立ちすくむ冒険者たちの方に向き直った。そして手に持つ大盾を三度、地面に打ち付けた。その場が揺れるほどの轟音が響き、冒険者たちの目をアレクセイに向けさせる。
そしてアレクセイは剣を頭上に掲げると、大音声で叫んだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」
びりびりと空気が震えるほどの大声に、ゾンビの軍団ですらその足を止めた。冒険者たちはみな弾かれたように耳を抑え、スヴェンなどは抗議の声を上げている。
「うるせぇ!って……あれ?動けるぞ?」
「なんと……もしや今のは古き戦士が使ったという≪勇気の叫び≫というものか?」
アレクセイは喉を抑えながら頷いた。肉体がないので声が枯れるということもなかろうが、久しぶりにこれをやったのでなんだが喉が痛む気がする。
「戦士の叫びは恐怖を遠ざけ勇気を呼び起こす。さぁ、これで竜の咆哮に怯える必要はあるまい。ここが正念場だ、我らで死者どもを食い止めるぞ」
そう言うや否やアレクセイはドラゴンゾンビ目掛けて駆け出した。あの竜の相手は自分でなければ務まらないだろう。
(それに黒竜のそのような姿、見るに偲びん)
一度倒したからこそ、引導を渡すのはアレクセイの役目だ。
「やれやれ、なんとも豪快な御仁だ……スヴェン、お前は戻って神官たちを集めてくれ。それまではなんとか持ちこたえてみせる」
「そんな!俺だって戦えますよ!?」
「スヴェン」
セリーヌにそう名を呼ばれスヴェンは悔しそうに俯くと、背を向けて走り出した。
「さて、私たちだけでどこまでやれるか……」
セリーヌら他の冒険者もまたゴブリンゾンビどもと戦いを始めた。
数はこちらの方が圧倒的に少ないが、みなそれなりの手練れのようだ。今はなんとか互角に戦えている。
特に際立っているのはやはりセリーヌで、彼女はウォートロルゾンビを次々と仕留めてみせた。
彼女は手に持つ刺剣に雷光を纏うと、目にも止まらぬ突きを繰り出した。剣閃とともに稲妻が走り、ウォートロルの身体を貫く。
「魔法剣士、というものでしょうか?」
そんなセリーヌの活躍を横目に見つつ、ソフィーリアが槍を振るう。彼女が舞うと周りにいたホブゴブリン・ゾンビの手足が宙を舞った。
「そのようだな」
アレクセイもまた妻の声に答えながらドラゴンゾンビの尻尾を斬り飛ばした。しかしアンデッドである相手は痛痒を感じた様子もなく、アレクセイを噛み砕かんと牙を剥く。
それを盾でもって跳ねのけながら、アレクセイは考えた。
(やはり退魔の奇跡がないとだめか)
アレクセイはここまで数え切れないほどの手傷をドラゴンゾンビに負わせたのだが、いつのまにかそれらの傷が塞がってしまっていた。今しがた分断した竜の尾も、いつの間にか本体にくっ付いて元通りになってしまっている。
どうやらただの動く死体ではなさそうだ。となると奇跡によって浄化してしまうのが一番有効に思える。
「ソフィーリア、退魔の奇跡は使えそうもないのか?」
「今の私では、少しばかり難しいかもしれません。ですがいざとなれば、この身に変えてでも……」
「それはダメだ」
アレクセイはきっぱりとそう告げた。
こんなところで彼女の身を犠牲になどできようはずもない。まだ何も成し遂げてはいないのだ。何か他に方法はないだろうか。
「再生できぬよう細かく刻んでしまえばどうとでもなるかもしれないが……」
恐らくそれまで他の冒険者たちがもつまい。まだ誰も死んではいなかったが、手傷を負う者の姿が目立ってきている。しぶとく再生するゾンビどもに徐々に押され始めたようだ。セリーヌにも疲れが見え始めたのか、動きに先ほどまでの精彩がない。
ドラゴンゾンビと戦いながら頭を悩ませていたアレクセイであったが、ふとネッドがいないことに気が付いた。
「そういえばネッドは、エルサ君はどうした?」
「確かに、先ほどから姿が見えませんね」
乱戦が続く広間の中を見回してみても、あの半透明の狼の姿がない。不死については彼女が一番知識を持っているので、この状況を打破するいい知恵を持っているかと思ったのだが。
すると広間の入り口から突然エルサ本人が現れた。さらに驚くべきことに、彼女は霊体ならぬ狼に背負われている。そしてそれは、なんと獣化したレトであった。
エルサはゾンビたちと戦う冒険者に向けて、あらん限りの声で叫んだ。
「皆さんっ!この部屋から退避してくださいっ!これから浄化の秘術を執り行いますっ!」
「何!?もうスヴェンが神官たちを連れてきたのか!?」
セリーヌの声にエルサは首を振って再び叫び返した。
「いいえ!わ、私は霊魂遣いです!これから死霊術の秘術でゾンビたちを消し去ります!ですから早く部屋を出てください!」
それを聞いた冒険者たちはみな困惑しつつもゾンビたちから距離をとると、部屋の入り口目指して走り始めた。
「秘術とは、どうやってこ奴らを消そうというのだ?」
「そ、それは言えません。禁忌に触れますから……でも今回は非常事態ですのでっ!」
エルサにそう返されたセリーヌは一瞬逡巡したようだが、このまま戦っても埒が明かないと判断したのか、目の前のウォートロルを一突きして倒すと踵を返した。
「……あなた、もしやと思いますが」
「そうであれるなら君が必要だろう。ここは私が食い止めるから、エルサ君の元へ急げ」
ソフィーリアは頷くとエルサの元へ駆け出した。
アレクセイたちの予想が正しければ、エルサはアンデットを消し去るような秘術など使えないはずだ。となれば、彼女がわざわざ危険を犯してここまでやってきたのは、その肉体が必要であったからに違いない。
("憑依"か……できれば使いたくはなかったが、こうなれば致し方あるまい)
エルサの狙いはおそらく、ソフィーリアとの憑依合体だ。
廃墟都市マジュラでそうしたように、今回も自分の身体を使ってソフィーリアが奇跡を使えるようにするつもりなのだろう。肉の身体を通してならば、ソフィーリアは神の奇跡を行使できるからだ。
しかしその影響は予測ができない。現に前回の憑依の影響で、成人女性であるはずのソフィーリアの霊体が、エルサと同年代の少女のものになってしまった。今回は何も起きないとは限らない。
「エルサさん」
広間の入り口まで戻ったソフィーリアは、彼女と目を合わせて頷いた。それを見たエルサも小さく頷き返すと、集まった冒険者たちに部屋を出るよう促した。当然彼らからは反発の声が上がる。
「見ることも許さないというのはどういうことだ!?」
「い、一族に伝わる禁忌ですのでっ!レトさん、いいので扉を閉めて、貴方も出てください!」
エルサにそう言われたレトは目を見開いた。どういう経緯かは分からないが、エルサを背負ってきたレトはそのまま戦う気満々でいたらしい。その場にいる誰よりも強く抗議する。
「なんでや!ここまできて荷運びだけで終われるかいな!久しぶりに迷宮に来てんねんで!」
「レトさん、お願いですからここは私たちに任せてくださいまし」
ぷんすか文句を言っていたレトは、至近距離からソフィーリアの紅い瞳に見つめられて息をのんだようだった。いまだぶちぶちと文句を言いつつ、迷宮主の間の扉を閉めている。
「何かあれば声を上げるのだ。そのときはすぐに助けに飛び込む」
そう言って心配げに見つめるセリーヌの顔を最後に、扉は閉じられた。
部屋の中にはエルサとソフィーリア、そして大量のゾンビに囲まれたアレクセイだけが残った。ゾンビどもは逃げた冒険者たちではなく、部屋の中央に残ったアレクセイに狙いを変えたようだ。
「あの人が死体如きに敗れるはずもありませんが……エルサさん、急ぎましょう」
「はいっ!……ど、どうぞ!」
エルサがぎゅっと強く目を閉じると、ソフィーリアはその身体を優しく抱きしめた。一瞬驚きに肩をすくめたエルサであったが、次の瞬間にはその身体にソフィーリアの身体が吸い込まれていった。そうするとエルサの身体から神々しい光が溢れ始める。
「おお……」
大量のゾンビを相手に剣を振るうアレクセイも、視界の端で捉えたその光の美しさに思わず感嘆の声を漏らした。
腰まで伸びた金銀の髪をなびかせながら、エルサは瞑っていた目を開いた。そこにはやはり、ヴォルデン人のみが持つ紫の瞳がある。
「「不浄なる者たちよ、覚悟なさい……」」
両手を広げたエルサ=ソフィーリアを、天から降り注いだ光が明るく照らしていた。




