第31話 召喚
迷宮より帰還したアレクセイたちがもたらしたウォートロル出現の知らせは、ラゾーナの冒険者たちに大きな衝撃を与えることになった。
ミリア坑道は初心者向けとして知られる迷宮である。
出現する魔物はゴブリンばかりで、一度に現れる数もさほど多くはない。また上位種であるホブゴブリンやゴブリンメイジなども、迷宮の深部でしか姿を現すことはない。
そんな場所にウォートロルのような魔物が出現したとなればこれは一大事である。
圧倒的なタフネスと怪力を誇るウォートロルは、中級冒険者のパーティがようやっと倒せるか否かという魔物だ。力だけを見れば上位冒険者であっても決して油断していい相手ではない。そんな危険な魔物相手では、ラゾーナの大半を占める駆け出し冒険者たちでは束になっても敵わないだろう。
それゆえに、報告がもたらされた当初は、ウォートロルの出現そのものを信じない冒険者の方が多かった。
ミリア坑道はラゾーナ建設当時からある迷宮であり、そこに現れる魔物についてもかなりの昔から研究が行われていた。長年に渡ってゴブリンどもの住処として知られていただけに、全くレベル違いのウォートロルがそんな場所に出るはずがないと思われていたのである。
その知らせを持ってきたのが、つい最近ギルドに登録をしたばかりの半ツ星であると聞けばなおさらだ。
「ですが、≪小さな太陽≫にも被害が出ていると聞かされれば、彼らも信じざるをえないでしょうね」
アレクセイたちから話を聞いたラリーが、自らも商人仲間から聞いた話をもってそのように述べた。
今いる場所はアレクセイたちが泊っている宿に併設された酒場だ。迷宮内で助けた冒険者たちを彼女たちの仲間のもとに送り届けた一行は、昨晩と同じこの場所でラリーたちと落ち合っていた。
彼らにはアレクセイたちが目指す北部の情報を集めるよう依頼していたのだが、生憎とそちらの情報はあまり集まらなかったらしい。
ラゾーナは大都市であるが、そこに集まる商人や冒険者はもっぱら南部地方を根城にしている連中だ。経済的にも北部より南部の方が豊かであるらしく、金や商品の流れは南部の数州のみで十分完結しているらしい。
しかし北についての話があまり聞こえてこなかったのには、もうひとつ理由があるのだという。
それが、いまラゾーナ全体で話題になっているミリア坑道の魔物の異常発生であるとのことだった。
「貴方がたが助けたのはどうやらあの≪小さな太陽≫のメンバーであったようですね。彼らはここでも有数のクランのひとつですから、彼らが言う話であるなら耳を傾けるという冒険者も多い」
アレクセイとしては自分たちの意見が信用されなくとも、別段憤慨する気にはならなかった。冒険者として自分たちが新兵以下なのは間違いなく、歴史と実績がある集団の方が信頼されているというのはまったくの道理であるからだ。むしろ助けたのが彼らの仲間であってよかったとすら思う。
「やはりこれは、異常な事態なのだな? 」
「まず間違いなく。私はここでそれなりに仕事をさせてもらっていますが、ミリア坑道にウォートロルが出るなどという話はこれまで聞いたこともありません」
ラリーはそう言うと一度ジョッキに口を付け、喉を潤してからまた続けた。
「またゴブリンどもの装備が整っていたというのも気になります。奴らの中にはクロスボウを持っていたものもいたというお話ですが…買うとなるとあれはなかなか高いのですよ。なにせ複雑な構造の武器ですから」
アレクセイたちが坑道内で遭遇したゴブリンどもの話をすると、ラリーは商人らしい視点からそれらのことを指摘した。
確かにクロスボウは扱いこそ弓より簡単であるが、いざ作るとなれば決してその限りではない。板金鎧をも貫く威力は生産の難しさによって達成されているのだ。
「連中の着ていた鎧も上等なものだったな。少なくとも、ギルドで見た若者たちよりはよほどいいものを装備していたように見える」
「板金鎧なんて本来はひと財産ですからね。昔の御貴族様の中には先祖伝来の鎧を長い間着まわしていたという話もあるくらいです」
そう述べたラリーの言葉に、今度はエルサが同意する。
「それに迷宮内に生まれた魔物の武器や防具は、基本的に固定されていると聞いています。粗末な鎧を着て"湧いた"した魔物は、死ぬまでそれを使い続けるそうですから」
「迷宮の中に良い装備があったからそれに着替えた、という可能性はないのですか? 」
ソフィーリアの疑問に、エルサは首を振って答えた。
「であれば、昔から板金鎧を着込んだゴブリンや、クロスボウを武器とするゴブリンが目撃されていたはずです。迷宮の中の物は生物や非生物に限らず、繰り返し湧くものですし……それにそれらが今になって急に発生した、なんていうことも考えられません。そんな事例はこの世界にある全ての迷宮においても、聞いたことがありませんので」
「今のところ、近隣の他の迷宮で同様の事件が起きているということはないそうです」
ここ冒険都市ラゾーナの近くには、ミリア坑道以外にも三つほどの迷宮が存在する。それらもみなミリア坑道と同じように、低級の魔物が出現する初心者向けの迷宮だが、そちらで上位種が現れたという報告は上がっていないらしい。
隣で不機嫌そうに鶏肉を食らうレトを見て、ラリーが苦笑しながらそう言ったのだった。ギルドにいい思い出がない彼女が、よくも協力してくれたものだとも思う。
「となればなぜあの迷宮だけに、ということになるな」
「まったく仰る通りです。それにこれはただ強い魔物が現れるようになった、というような簡単な話ではないような気がしますね。それに、変事の際には大きな商機が転がっているものですが、この都市で儲けさせてもらっている商人としては、冒険都市のバランスを壊すような事態は歓迎できません。一刻も早い事態の解決を望みます」
そんな会話を酒場の隅でしていると、アレクセイたちの卓までやって来る者たちがいた。誰かと思えば、でっぷりと腹の突き出た、この酒場の親父である。
「アンタらにお客さんだよ」
親父はそう言うとさっさと自分の仕事場に戻っていった。彼が去った後には、なんとも所在なさげに立ち尽くす二人の少女がいた。
「む、君たちは……」
「もうお加減はよろしいのですね」
そこにいたのはアレクセイたちが迷宮で助けた、あの冒険者の少女たちであった。ライラとアイラという、双子の少女たちである。
そのうちの快活な方、短い髪を頭の後ろで束ねた少女、ライラが口を開いた。
「休んでいるとこごめん。ちょっとアンタたちに用があって来たんだ」
幼い割に、随分と生意気そうな口調の娘である。案の定もう一人の真面目そうな少女、アイラが彼女を窘めた。
「もう!ライラったら、命の恩人になんて口のきき方をするのよ!まずは助けてもらったお礼をキチンとするのが先でしょ! 」
アイラはそう言うと、アレクセイたちに向けて深く腰を折った。隣のライラも、彼女に言われて不承不承ながらに頭を下げた。
なんだかつい最近見たような光景である。アレクセイがこっそりと卓を挟んだ向かい側を見やると、レトはむすっとした顔でそっぽを向き、相棒たるラリーは笑いをこらえていた。
「迷宮では危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。あのときあなた方が来なければ、私たちの命もなかったに違いありません」
「同じ冒険者のよしみだ、気にすることはない。それにたまたま近くにいただけだしな」
アイラ顔を上げると、首を振った。
「それでも見ず知らずの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。それにウォートロルなんて危険な魔物にまで会わせてしまって……」
「それこそ君たちが気に病むことではない。あんなものが出るはずがない迷宮なのだろう?それにあれと戦えたことはいい経験になった。こちらにも利はあったさ」
生前と変わらず≪打ち砕くもの≫を使えることが分かったのは僥倖であった。もちろん相手がいなくとも試すことはできるのだが、マジュラから出てからこっち、なかなか戦技を試す機会もなかったのだ。それを実戦で、ある程度の力を持つ魔物相手に使用できたことは大いに意味のあることであった。
「それなのですが……本当にウォートロルなんて上位の魔物が現れたのですか?すみません、私はそのとき気を失っていたので……」
「なんだよ!?アタシの言うこと信じてないってのか!? 」
「そういうワケじゃないんだけど……」
ライラが相方に食ってかかると、アイラは困ったように眉をひそめた。
「ベックさんたちがゴブリンなんかにやられるもんか!アイツがやったに決まってる!だってあのときアイツの武器に血が……」
ライラはそう言うと顔を歪めて俯いた。
察するに、あのとき彼女たち以外にパーティの冒険者がいたのだろう。ウォートロルが現れたときにライラがそんなことを呟いていたし、確かにあの魔物が持っていた戦鎚は血に汚れていた。
「彼女が言ったことは本当ですわ。あのとき通路の奥から戦獣鬼が現れて、それを夫が討滅したのです」
ソフィーリアがライラの言葉を補足する。
「やはりそうなんですか……実は、貴方にお願いがあって来たんです」
納得したように頷いたアイラは、鞄から一本の巻物を取り出すとアレクセイに差し出した。
羊皮紙でできているそれは、しっかりとした革ひもで結ばれており、わざわざ赤い蝋でもって印を押されている。どうやら手紙のようであるらしい。
「これは? 」
「私たちのクラン、≪小さな太陽≫のクランマスターであるセリーヌ様からの書状です。貴方に話したいことがあるとのことです」
アレクセイが蝋を割って巻物を開くと、確かにそのようなことが書いてある。二人を助けた礼と、ウォートロルを倒した自分に改めて頼みたい事があるとの内容であった。
「手紙で呼び出しなんて、貴族みたいなやっちゃな」
楊枝をつまみながら、レトがそんなことをぼやいた。
それを聞いたライラはなぜか胸を反らして、我がことのように答えた。
「あったりまえだろ!セリーヌ様は本物のお貴族様なんだからなっ! 」
どうやら≪小さな太陽≫のセリーヌとやらは本当に貴族であるらしい。
脛に傷のある、というか人間ですらないアレクセイとしては、あまりこの国の為政者に近づきたいとは思わない。
また一方で、貴族であるならば北部についても何か知っているのではないかとも思う。貴族の情報網はラリーの商人のそれとは全く別物であるし、そうでなくとも貴族とつながりを持っておくことは決して危険なだけではないはずだ。
それに生粋の貴族ならばともかく、冒険者として活動している貴族であるならまだ話しやすい相手のはずだ。
アレクセイは手紙を持ったまま、ソフィーリアへと顔を向けた。
「あなたがよろしいならば、私はどこへでも」
妻が同意を示したので次いでエルサへと向き直ると、彼女もまた大きく頷いた。
「いい機会だと思います。それに私が考えていたことも、どうやら関係ありそうですし」
迷宮に向かう前に話していた、最近外で活動するゴブリンが増えたという話のことだろう。確かに、こうなるとそれが無関係とも思えない。
「いいだろう、呼び出しに応じよう。その旨を君たちの長に伝えてくれ」
アレクセイがそういうとアイラはホッとしたように表情を緩めた。大方その場で答えを貰ってくるように言われていたのだろう。
時間と場所は書状に書いてある。明日の昼過ぎに、≪小さな太陽≫の拠点の館で会いたいとのことだった。今日の明日とはなかなかにせっかちであるが、おそらく急ぎの話なのだろうと窺えた。
「ありがとうございます!ではまた明日に私たちがお迎えにあがります。どうぞよろしくお願いいたします」
アイラはそう言って再び丁寧に一例をするとライラを連れて帰っていった。
アレクセイは彼女たちが酒場から去るのを見てから、ラリーに声をかけた。
「というわけだ。すまんがもうしばらく北についての情報を集めておいてもらえないか? 」
「承りました。ついでにミリア坑道で今起きていることについても調べておきましょう。私も少しばかり、興味が湧いてきましたので」
「金儲けの匂いがすると顔が言ってんで。……ったく、変事は望んでへんとちゃうんかい」
ラリーがそういって慇懃に腰を折ってみせると、レトがそんな風に茶化した。ラリーは頭を下げたまま、肘でレトの横腹を突いている。
アレクセイはそんな二人の様を見て苦笑しつつ、その手の手紙に目を落としたのだった。




