第30話 救出
アレクセイたちが向かった先にいたのは、ゴブリンどもに囲まれた二人の少女であった。
冒険者らしからぬ、随分と幼い容姿の少女たちである。
少女たちは魔物たちによって壁へと追い詰められ、必死の抵抗を試みている。
少女の一人は負傷しているのか、腕から血を流しながら壁へともたれかかっていた。残るもう一方の少女が必死に剣を振ってゴブリンをけん制していたが、その切っ先は恐怖に震えており、仲間を守ろうとするにはあまりに頼りない。
ゴブリンたちは警戒しているというよりも少女の哀れなさまを見て楽しんでいるのか、その顔には邪悪な笑みが浮かんでいる。
やがてそれにも飽いたのか、ついに一体のゴブリンによって少女の持つ剣が明後日の方向へ弾き飛ばされてしまった。
「ああっ! 」
少女が飛ばされた武器を目で追いかけたその刹那、ついに一体のゴブリンが彼女に飛びかかった。
「いやぁっ!離せっ!このっ! 」
子ども並みの力とはいえ、少女を抑えるには三体もいれば十分である。
必死の形相で暴れていた少女の身体は、いともたやすく組み伏せられてしまう。傷つき動くこともできなかったもう一方の少女も同様で、波のように押し寄せたゴブリンどもに埋もれてしまう。
「やだぁっ!アイラあぁぁぁ!! 」
少女の悲痛な叫びが、坑道の中に反響する。
疾風の如く疾走していたアレクセイが駆けつけたのは、そのときであった。
「ハァアァァァッッ!! 」
ゴブリンの群れに飛び込んだアレクセイは、これまでにないほどの気合でもって剣を振るった。
たった一振りの攻撃ながら、さながらそれは暴風の如き一撃であった。
アレクセイが本気で振るったマクロイフの剣は、夥しい数のゴブリンどもを肉塊へと変え、少女の身から引き剥がした。
あまりに唐突に自身への圧力が消し飛んだことで、少女はそれまでの恐怖すら忘れたかのように呆気にとられた表情で巨漢の騎士を見上げている。ゴブリンどもの汚らしい返り血が彼女の身を染めたが、それすら意に介さず驚きに囚われている。
さらに続けざまに、もう一方の少女を組み伏せるゴブリンの山に剣を突き込んだ。
裂帛の気合でもって繰り出された剣戟は、衝撃波となって小鬼どもをあますことなく吹き飛ばした。
魔物たちの手足がバラバラとなって飛び散ったが、一番下にいた少女だけは突風に髪を揺らされるだけであった。
「す、すごい……って見てる場合じゃありませんでした!ネッド! 」
その様子を一瞬呆けた顔で眺めていたエルサであったが、状況を思い出すとあらかじめ呼び出していた霊狼に指示を飛ばした。
大狼の霊体であるネッドは彼女の掛け声に矢のように飛び出すと、瞬く間に少女たちの前までやってきた。
「ひっ!?お、オオカミ!? 」
突然現れた半透明の狼に少女は顔を引きつらせる。ネッドはそんな彼女に構わずに、倒れ伏す少女の方に向き直った。
「あ!?こ、こらアイラに近づくなっ!……ってや!?ちょっと何すんのよ!? 」
ネッドの体高は一メートル以上、体長は二メートルにも及ぶ。そんな大狼と成人にすら至ってはいないのではないかという小さな少女とでは、力の差は歴然だ。
ネッドは血を流したまま動かない少女の身体の下に頭を潜り込ませると、やすやすとその身体を背負ってしまう。次いでぎゃあぎゃあと喚く少女の首根っこを咥えると、霊狼は一目散にその場を離れた。
アレクセイはそれらを横目に見つつ、寄せては返す波のように迫りくるゴブリンどもを斬りまくっていた。
(騎士たる私の前で、よくもあのような乙女らに狼藉を働いたものだ)
アレクセイは久方ぶりに、いや、不死の魔物となってからは初めてかもしれない憤怒の思いに駆られていた。
「私はッ!子どもが害されるのを見るのが、一番嫌いなのだ! 」
珍しく怒りの声を上げて振るわれた剛剣が、ゴブリンどもを五体まとめて両断する。
アレクセイは自身が述べた通り、無辜の子どもが傷つくことを非常に嫌悪していた。
別にそれはアレクセイが特別慈悲深いからではない。むしろヴォルデンの騎士であり軍人として、自分や仲間に武器を向けた相手に対してはたとえ少年少女であろうと容赦はしない。
それはあの戦乱の時代を生きた戦士にとっては全く普通のことであるからだ。
しかしそうでさえなければ、アレクセイは幼いものが傷つくのを黙って見ているような性分ではない。
その理由は、己が子を持つ親になったからに他ならなかった。
そしてそれは、彼の妻もまた同じである。
「はッ!」
ソフィーリアが槍をひと薙ぎすると、いくつものゴブリンどもの首が宙を舞った。
少女たちが小鬼に囲まれていたのは、ちょっとした広場のような空間である。ところどころに朽ち果てた椅子や机が砕けているのを見るに、あるいはかつて採掘をしていたドワーフたちの休憩所のような場所だったのかもしれない。
それまでの坑道と同じように壁には魔石提燈が掛けられており、次々と奥から湧いてくるゴブリンたちを怪しく照らしていた。
さすがにこれだけ空間があると、鬼神の如きアレクセイを迂回したゴブリンどもがソフィーリアたちのもとにもやってくる。そのことごとくを、彼女は愛槍でもって払いのけていた。
背後に控えるエルサと少女の二人のもとへは、一匹たりとも近づけさせない構えである。
「確かにこれは、あのひとが怒りを感じるのもわかる気がしますね」
ソフィーリアは背後の少女の姿を見て、アレクセイと同じような心持ちに至ったようだ。
少女たちは見たところ、十二、三歳に見える。
冒険者としてギルドに登録ができるようになるのは十五で成人を迎えてからだと聞いていたが、彼女たちの姿は明らかにその規定より幼く見えた。その顔は思わぬ助けに対する驚きと、いまだ安全とは言えぬ状況への恐怖に揺れている。
二人とも軽装の革鎧を着込んではいるが、その質は見るからに頼りなさげだ。その証拠にいまだ意識のない方の少女の鎧は、胸元からバッサリと切り裂かれている。そこから流れ出る血の量から見て、容体はあまりよくはなさそうだ。このままではあの少女は少しまずいかもしれない。
急を要すると悟ったソフィーリアは、すかさず前で戦う夫に向けて叫んだ。
「あなた!私が治癒を行う必要がありそうです!少し頑張っていただけますか!? 」
「心得たッ! 」
妻の言葉を聞いたアレクセイは、全身に気力を漲らせた。それは比喩表現などではなく、実際にアレクセイの巨体から揺らめくオーラのようなものが立ち上ったのである。
(≪打ち砕く者≫……この身体になってからは初めて使う戦技だが、いけるようだな)
その技はヴォルデン重騎士団に古くから伝わる奥義のひとつであった。一時的に筋力、瞬発力、持久力を増大させ、また気力による強固な障壁を己の身体に張ることで、いかなる攻撃をも受け付けなくなるという絶技である。
強大な軍事力を誇っていたヴォルデン騎士団においても、重騎士団が最強と呼ばれる所以となったのがこの技であった。
「ここからは一歩も通さぬ」
大盾と大剣を構え、大気を歪ませて立つアレクセイの威圧感たるやそれは凄まじいものであった。
不意に飛び掛かってきたホブゴブリン、それも先の通路で遭遇したものよりも上等な装備を着込んだ一体が、アレクセイの一撃によって消し飛んだ。
文字通り、剣のひと振りによって粉々に"打ち砕かれた"のである。剣で斬るでもなく、その剣風によって防具ごとその身を砕かれたのだ。
ゴブリンどもはみな、何が起きたのかも分からぬといった顔で呆然としている。
「さぁ、行くぞ! 」
丈夫な石畳を砕いて走り出したアレクセイは、次々とゴブリンを殲滅していった。≪恐慌≫の能力によって恐怖を感じる間もない、圧倒的なまでの戦いであった。
瞬きする間にゴブリンどもはその数を減らし、部屋中が小鬼たちの血で赤く染まったそのとき、不意にアレクセイの動きが止まった。
「……アレクセイさん? 」
「そ、そんな…みんな……」
遥か後方で見守っていたエルサが訝しな声を上げたそのとき、少女の一人が暗がりの向こうを見て絶望的な声を上げた。
広場の向こう、迷宮の奥へと続く通路の闇から巨大な影が現れたのだ。
「……ほう、戦獣鬼か」
≪打ち砕く者≫の影響か、低く底冷えするような声を上げてアレクセイもそちらを見やった。
そこにいたのは、アレクセイですら見上げるほどの巨体を持った、恐ろし気な魔物であった。身体の大きさだけならば、あのデーモンにも匹敵するサイズであった。薄青い不気味な色の肌に、巨木のように太い手足。鋭い乱杭歯が生える口から紫煙を履きながら、充血した瞳でアレクセイを見下ろしている。凶悪な顔面と同じように厳めしい戦鎚を両手で持ち、全身をこれまた頑丈そうな鎧に身を包んでいた。
ウォートロルもまた、かつてアレクセイ自身が何度も相対した魔物である。並みの人間では束になっても勝てぬほどのタフネスさを持ち、膂力に限って言えばあのデーモンにすら匹敵する。
そんな魔物の獲物がべったりと血に濡れているのを見て、アレクセイは低く唸った。
「貴様……」
目の前の怪物を見て少女が先ほど呟いた言葉を聞けば、その意味は言わずとも知れるだろう。ウォートロルはそんな幼い娘をあざ笑うかのように、口角を釣り上げた。
それを見たアレクセイは、弾かれたように魔物目掛けて飛び出した。
「そんな!いくら強くたってあんなのに勝てるわけ…」
「アレクセイさんが、"あんなの"に負けるはずありません」
思わずといった様子で声を上げた少女に、エルサがそう言葉を返した。いまだ戦闘中であるのでいくらか緊張気味であるが、その顔はアレクセイの敗北など全く信じていない表情である。
先ほどは初めて見るアレクセイの"怒り"に随分と驚いていたエルサであったが、落ち着きを取り戻した今はアレクセイの強さを思い出した様子であった。
「ぬんッ! 」
あっという間にウォートロルの眼前まで接近したアレクセイが、目にもとまらぬ一撃を放った。アレクセイの振るう剛剣は、咄嗟に防御に上げられた戦鎚ごと、ウォートロルの右腕を切断する。
血しぶきを上げる己の腕を見て、ようやく相手も事態を悟ったようだ。
しかしウォートロルが咆哮を上げる前に、アレクセイは手に持つ大盾を魔物の顔面に叩きつけた。
「消し飛べ」
アレクセイがそう呟いた刹那、聖竜の大盾が一瞬光を放ったかと思うと、猛烈な勢いの衝撃波がそこから放たれた。廃墟都市マジュラでデーモン相手に使って見せた戦技、≪盾強打≫である。
伝説の魔物であるデーモンの肉体ですら滅茶苦茶に痛めつけた、アレクセイの大技である。力の奔流の直撃を至近距離で受けたウォートロルの身体は、千々にちぎれ飛んでは部屋の壁に赤い模様を描くことになった。
ウォートロルに武器を振らせることすらない、完封である。
目の前の光景に唖然として声もない少女は当然として、さっきあれほど自信満々にアレクセイの勝利を語ってみせたエルサですら、驚きに目を見開いていた。
「すごい人だとは思っていましたけど……ここまでとは」
「でしょう?あの人は、とても強いのですよ」
ぽつりとこぼした呟きに答える声がして、エルサは後ろを振り返った。そこにはまたも額に汗をかき顔色を真っ青にしたソフィーリアと、仰向けに寝かせられながらも穏やかに息をする少女の姿があった。
「なんとか治癒の奇跡が間に合いました。もうお仲間は大丈夫ですよ」
いまだ苦し気な顔でソフィーリアはもう一人の少女にそう言うと、エルサの方に紅い瞳を向けた。いや、その視線はエルサの頭の上、いつのまにかすぐ後ろまで戻ってきていたアレクセイへと向けられている。
「もうよろしいのですか、あなた」
「ああ、今度こそここらが潮時だ。撤退しよう」
自分たち以外動く者のいなくなった広場を見回しつつ、アレクセイは彼女たちに迷宮を出るよう促した。もとよりここに長居する必要はないのだ。負傷者もいることだし、いつまでもこの場に留まっていることは危険である。
アレクセイたちは救助した二人の冒険者の少女を連れて、ミリア坑道を引き返したのだった。




