第29話 ゴブリンパーティー
「なぁ、エルサ君。これはいくらなんでも少々数が多すぎるのではないか? 」
波のように押し寄せるゴブリンどもを斬り捌きながら、アレクセイは淡々と背後の少女へと尋ねた。
あれからミリア坑道の奥へと歩みを進めたアレクセイたちは、すぐさま別のゴブリンたちによる襲撃を受けていた。
今度は暗闇からの奇襲などではない、数に任せた正面からの力押しである。
「わ、私にも、何がなんだかわかりませんっ! 」
彼女は遮二無二そう叫ぶと、呼び出していた霊狼のネッドに指示を出す。
主の命を受けた半透明の狼は素早く駆け出して飛び上がると、アレクセイの背を蹴ってその頭上を飛び越した。軽やかに着地したネッドはゴブリンどもの間を器用に掻い潜ると、弓を構えていた一体の首元に噛みついた。そしてその喉元を食いちぎった後は、滑るように地を走って再び主の元まで帰ってくる。
エルサに従う大狼の霊魂は、そうやって何体ものゴブリンを屠っていた。ときに壁や天井まで使って立体的に通路を飛び回る妙技は、ただの狼には決してマネすることなどきないだろう。
(全く、大した狼だ)
アレクセイが心中でネッドを称えている間にも、手に手に物騒な獲物を構えたゴブリンが五体ほど、一斉にアレクセイ目掛けて飛び掛かってくる。
たとえ他の仲間がやられようとも、自分の武器をアレクセイの身体に突き立てられればそれでよいという、ゴブリンらしい浅ましい考えが透けて見えるような特攻だ。
だがそれは並みの戦士が相手の場合の話だろう。
アレクセイが長剣を横薙ぎに振ると、真っ二つに両断されたゴブリンどもの身体がゴミクズのように宙を舞った。
身体が大きければ、それだけ攻撃範囲が広がるのは道理である。ましてやマクロイフの剣のような大剣とも呼ぶべき長さを持つ剣を振るえば、その一撃は文字通り巨人の一撃となる。
「この迷宮はよいな。道が広くて戦いやすい」
アレクセイたちが進んでいるのはあの大通路から外れた小道である。
小道といっても大人の男数人が横一列に並んで戦えるほどの道幅を持つが、アレクセイほどの巨体であればかえってこれくらいの通路幅の方が適当である。
初めて目にした迷宮である廃墟都市マジュラの通路では、度々道の狭さに難儀させられることがあった。あのときは突きが繰り出せない鉈剣であったからなおさらだ。ここであれば、アレクセイも気兼ねなく剣を振るえるというものだ。
「む、大物か? 」
そうしてまた何体かのゴブリンどもを斬り倒していると、小鬼どもを掻きわけながらひと際大きいゴブリンが姿を現した。
「あれは、ホブゴブリンです!」
それを見たエルサがそう叫んで注意を促した。
確かに、ここまで戦ってきたゴブリンどもとは何もかもが違う。
まず身に纏っている装備だ。魔石提燈の灯りを受けて鈍く光っているのは、金属製の板金鎧だ。動きが制限されるのを嫌ったのか装備しているのは胴の部分のみであるが、その防御力はギルド会館で見たどの冒険者のものより高そうであった。
またその手に握られているのは巨大なこん棒である。
たかが木の棒と侮ることなかれ、なんと先端部分からこん棒の中ほどにいたるまでに釘らしきものが無数に打ち込まれているのだ。しかもご丁寧に、殺傷能力を高めるために釘頭の部分を鋭利に切り出してまでいる。あんなものを叩きつけられれば、たとえ盾で防いだとしても盾ごと腕をぶち折られるだろう。
そんな重装備に身を包んだホブゴブリンが十体ほどである。彼らのうちある者は同胞を殺された恨みに表情を歪ませ、またある者は余裕を示すかのようにニタニタと笑っている。
ここまで蹂躙される一方であったほかのゴブリンたちも、頼もしい援軍の到着に歓喜に沸いている。気が早いものなどはもう勝った気でいるのか、アレクセイの後ろのソフィーリアやエルサを見て舌なめずりをしていた。
「ふむ、私たちの時代の小鬼よりも大きいな」
しかしアレクセイは、そんな強敵の登場にも微塵も動揺する様子を見せなかった。自分に迫る魔物を見て、冷静に記憶の中のゴブリンたちと比べてみる余裕すらある。
事実、背の低い成人男性ほどの背丈であった昔のゴブリンよりも、これらはいくらか大きいようだ。目算にして百八十センチほどか。人間にしてみればまぁ大きいかな、という程度である。無論、人の子供ほどの背丈しかない普通のゴブリンどもからしてみれば、まさしく巨漢のように見えることだろう。
戦闘を歩くホブゴブリンの一体が、勢いよくこん棒を振り上げると力任せに上から叩きつけてくる。
(さて、膂力のほどはいかほどかな)
他のホブゴブリンたちが加勢してくる様子もなかったので、アレクセイはひとまずこの攻撃を受けてみることにした。
唸りを上げて振り下ろされたこん棒は、轟音を響かせてアレクセイの構える大盾へとぶち当たった。
「きゃっ!? 」
広いとはいえ、地下の通路のことである。
音が反響したためかそれとも思いのほか大きな音が鳴ったからか、エルサが驚きの声を上げた。
「ふむ……」
アレクセイの微塵も揺るがぬ様子を見てホブゴブリンは頭に血が昇ったのか、繰り返しこん棒を叩きつけてくる。
聖竜の大盾はアレクセイの巨体を覆い隠すほどに巨大であるので、おのずと魔物の攻撃は全て盾へと吸い込まれていく。下手をすれば常人の身体を叩き潰すほどの猛攻は、しかし欠片もアレクセイの身体を揺らすことはなかった。
なんとなれば、衝撃を受け続けている大盾ですら全く動いていない。
聳え立つ漆黒の大盾に攻撃を続けるホブゴブリンのさまは、あたかも壁を殴り続けているかのようでむしろ滑稽にさえ見えた。
息を切らせ攻撃の手を止めたホブゴブリンが、信じられないようなものを見る目で大きく後ずさった。後ろに控える他のホブたちも、周りの小鬼たちと同様に動揺しきった顔をしている。
「もう、終わりでよいのか? 」
大盾の背後から顔を覗かせたアレクセイが、おののく小鬼たちに向けて静かにそう訊ねた。
「では、次は私の手番だ」
そう宣言したアレクセイの姿が、一瞬掻き消えた。
背後にいたエルサには、まさしくそうとしか映らなかったであろう瞬足の一歩だ。
瞬く間にホブゴブリンへと近づいたアレクセイは、驚愕の表情を浮かべたその顔面へ切っ先を突き入れた。アレクセイの長剣はホブゴブリンの頭蓋骨と延髄を容易く貫通し、向こう側へと抜けている。
アレクセイが剣を引き抜くと、弛緩したホブゴブリンの身体がその場に崩れ落ちた。小鬼だけならずホブゴブリンたちの顔も、恐怖に凍り付いた。
「貴様たちの力はよくわかった。私にとって脅威にはなり得ぬが、若者たちには危険な存在であろう。となれば、逃がすわけにはいくまいよ」
アレクセイはそんなことを呟くと、いまだ顔を引きつらせていたホブゴブリンたちの群れに飛び込んだ。
そこからはもう、これまでと変わらぬ蹂躙である。
ホブゴブリンどもの中でもとりわけ屈強そうな一体が、脳天から真っ二つに左右に断ち切られた様を見て、彼らはいよいよ恐慌状態に陥った。
アレクセイにしてみれば、ホブであろうと普通の小鬼と変わらない。
むしろ身長差が縮まったぶん戦いやすいくらいだ。肝心の魔物の力も、先に戦ったデーモンやサテュロスの強さを考えれば比較にもならない。
ただそれでもここまでアレクセイが目にしてきたラゾーナの少年少女たち相手に考えれば、恐るべき脅威であることは疑いようがないだろう。
迷宮の魔物はたとえ倒したとしてもまた湧き出てくるものだと聞いているが、ここで討っておくことに意味がないことはないはずだ。
「ぬぅん! 」
アレクセイの横薙ぎによって、三体のホブゴブリンの身体が板金鎧ごと上下に分断される。大きく横に振りきられた刀身は、その勢いのあまりの強さに衝撃波によって左右の石壁に傷跡を刻んでみせた。
ホブも小鬼も関係なしになす術もなくやられていく様を見て、エルサは「もしかしたら」と口を開いた。
「仮定の話ですが、ひょっとしたらアレクセイさんには≪恐慌≫の力があるのかもしれません」
「エルサさん、それは一体どのようなものなのでしょう? 」
ソフィーリアが訊ねると、エルサは不死の魔物が持つ力について話始めた。
≪恐慌≫とは上位の魔物が持つ、相手の精神に異常をもたらす能力である。対象の恐怖を呼び起こし、肉体や精神の活動を阻害するというものだ。魔物の中でも特に"生命"に対して強い執着を持つ不死の魔物に見られる能力で、他にも上位のドラゴン種の咆哮にも同様の力があるとされている。
「≪恐慌≫の効果を受けたものは戦意を喪失し、逃げることさえできなくなるとされています。私も実際に見たのは初めてなんですが……」
こうして話している間にもゴブリンたちはその数を減らしている。ホブゴブリンの最後の一体が、震える手で構えたこん棒ごとその首を刎ねられていた。
「思い返してみればマジュラ迷宮にいたデーモンもサテュロスも、最期にはアレクセイさんに圧倒されていた気がします」
それは単に目の前の相手には勝てぬと悟ったゆえの恐怖かもしれなかったが、ここまで戦ってきた魔物のいずれもがアレクセイの≪恐慌≫の効果を受けていたのかもしれない。
例外は廃墟都市にいた亡者たちであるが、自我が崩壊し感情が消え去った魔物に効果がないのは当然のことだろう。
「それはまた、なんとも強力な力ですね」
「え、そうですか? 」
エルサは不思議そうに首を傾げた。確かに厄介な力ではあるが、それだけで相手に危害を与えられるようなものではない。
「ええ。戦場において最も強大な敵とは、己の内より生じる恐怖ですから」
「まったくソフィーリアの言う通りだ」
残った小鬼をまとめて斬り払ったアレクセイは、後ろを振り向いて妻の言葉に同意した。
「あら、聞いていらしたのですか? 」
「ああ。いち戦士としては、余計な能力だと感じるがな」
勢いよく剣を振ると、刃にこびりついていた血が石畳へと飛び散った。
楚々として駆け寄ってきたソフィーリアが、どこから取り出したのか手拭いで兜に付いた小鬼の血を拭き取ってくれる。
アレクセイは彼女のされるがままになりながら、先ほどの妻の言葉を補足した。
「恐怖は剣を鈍らせ、勝てる戦いも勝てなくする。それは味方に伝搬し、やがては巨大な戦況すらひっくり返すのだ」
アレクセイの知る戦乱の歴史の中にも、そうやって勝ち戦を落としては凋落していった国や将が少なからずいる。
それは無二の豪傑として知れていたアレクセイですら同じなのだ。アレクセイが最後に恐怖を感じたのは、あの蘇った魔王と対峙したときである。
「じゃあ余計な力だというのは? 」
エルサがこちらを見上げてそう問いかけると、アレクセイは当然とばかりに答えた。
「それではつまらないではないか」
「……はぁ」
思いのほか反応の薄いエルサの表情に、ソフィーリアが「仕方のないことですよ」と言ってアレクセイの手をとった。
「エルサさんはヴォルデンの戦士ではないのですから。それに、その力はあまり使わない方がよい気がします。私のときと同じように闇の瘴気が強くなってしまうかもしれませんから」
「君の言う通りだな……"戦いを楽しめ、だが騒乱を望むことなかれ。殺しに耽るは魂の冒涜と心得よ"だな」
アレクセイが口にしたのは騎士と戦士の国ヴォルデンに伝わる古い教えだ。
数多くの強者を輩出したヴォルデンの歴史においても、戦いに心酔するあまり心を失くし"狂戦士"となった者の逸話は少なくない。強大な力を持つ者ほど、戦の火に魅入られないよう気を引き締めなければならないのだ。
「さて……この話の流れで言うのもなんだが、もう十分小鬼は殺したと思う。任務とやらで言われている数には達しているはずなので、ここらで引き上げてはどうだろう」
アレクセイたちは別にこの迷宮に本気で攻略に来ているわけではない。財宝のひとつでも見つかれば御の字だと考えていたが、ここに散らばっている小鬼どもの死体から魔石を回収するだけでもそれなりの金額にはなるだろう。なにせ倒した数そのものが多く、そこにはホブゴブリンも混じっているからだ。
エルサも同じ考えであったらしく、散乱する死体の山に顔色を変えるわけでもなく、満足げに頷いた。
「そうですね!これだけあればしばらくは路銀に困ることはなさそうですし、新手が来ないうちに早速採取しちゃいましょう! 」
弾んだ声でそう言うと、エルサは意気揚々とゴブリンの死体の前に跪いた。
(私よりも、この娘の方が狂戦士に近いのではないか? )
アレクセイはそんな彼女の姿を見て内心でそんな風に苦笑いをこぼした。
しかし次の瞬間には、突如坑道内に響き渡った悲鳴に気を取り直すことになった。
「……今のは」
「あちらの方からですわ! 」
今聞こえたのは、確かに若い女の悲鳴であった。
胸の中に嫌なものを感じつつ、アレクセイは声のした方へ駆け出した。




