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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第一章 不死の夫婦
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第2話 デーモン

 デーモン。


 それはかつてあった光と闇の戦いにおいて、暗黒神の尖兵として光の軍勢を苦しめた魔界の戦士だという。


 竜のように突き出た顎と牙を持ち、頭部からは禍々しく曲がりくねった角が何本も突き出ている。全身は獣の様に漆黒の体毛に包まれているが、二本の足で立ちその手に大斧を握りしめる様は、あたかも人の様だ。


 竜でも獣でも人でもない。


 形容し難いこの生き物を、遥か古代の人々は悪魔(デーモン)と呼んだのだ。


「おおおおおおおおお!!」


 一気にデーモンへと近づいたアレクセイは、勢いもそのままに剣を斜め下から切り上げた。轟音唸らせ走る剣閃は、しかしデーモンの持つ斧に防がれる。


 お返しとばかりに巨大な斧にて強烈な一撃を見舞うデーモンであったが、これにはアレクセイも大盾をもって防御する。

 二メートルを超える巨漢の騎士であるアレクセイだが、自身を上回る体躯を持つデーモンの攻撃に数歩ばかり後退してしまう。


「むぅ…鎧だけの肉なき身体には慣れんな。それにこの剣、どうにも好かぬ」


 アレクセイは右手に握る剣に視線を落とした。


 そこにあるのは魔王と戦っていたときに振るっていた聖剣ではない。無骨ではあるが、どこか禍々しさを感じさせる剣である。


 分厚い片刃の刀身は、あまり手入れされていないのか切れ味はさほどでもない。重量と刃の厚みを利用して相手を叩き切るため、剣というよりも鉈に近い構造だ。

 それに切っ先が矩形になっているので刺突攻撃ができず、大盾を構え戦うアレクセイの戦闘スタイルに適しているとは言い難い。柄頭に頭蓋のような意匠があるのも好みではない。


 なぜ自分が見たこともない剣を所持しているのかは分からないが、手元にある武器で戦うしかない。かつての聖剣とは比べるべくもないが、アレクセイも一端の騎士である以上武器が劣っているからといってそれを言い訳にはできない。


「仕方がない。では少しやってみるか」


 アレクセイはそう言うとデーモンに続けざまに連撃を放つ。

 常人の戦士ならば両手で扱うほどの重量を持つ剣を片手で軽々と扱いながら、目にもとまらぬ斬撃を見舞う。しかし相手もさるもので、その全てをいなし、あるいは斧で防ぎきる。


 いにしえの巨人もかくやといった巨体を持つデーモンは、決して力だけの怪物ではない。高い知能と技量を持つ魔界の戦士である。


 デーモンはアレクセイの剣を跳ね返すと、その一瞬の隙を突いてすぐさま防御から攻撃に転じてみせた。

 今度はアレクセイが大盾でもってデーモンの攻撃を防ぐ番となる。悪魔の大斧による攻撃は一撃ごとに周囲に風を巻き起こすほどの衝撃であったが、アレクセイもまたその全てを難なく防御していく。


 一連の攻防を見れば互いの力は拮抗して見えたが、アレクセイにはまだ余裕があった。油断なく眼前の敵を睨みつつ身体の調子を確かめてみる。自身の言葉通り、身体を動かす感覚がいまいち生前と異なるのだ。

 というより「鎧が身体」という事実をアレクセイの精神がいまだ受け止め切れていないだけかもしれない。


 何度目かのデーモンの攻撃を盾で受け止めると、アレクセイは一度大きく後方へと飛びずさり距離を取る。


「それに四ツ目が相手となれば肩慣らしには丁度よいか」


 そう言うとアレクセイは剣をくるりと回し、切っ先をデーモンへと向けた。


 侮られたと分かったのか、デーモンはひと際大きく吠えると大斧を構え突進してきた。


 堕ちた神の尖兵と呼ばれるデーモンは、その目の数によって強さが異なるという。四ツ目のデーモンはその中でもとくに膂力に優れるものとされ、かつて古き神々の戦があったときには、その力でもって行く手を阻むものをことごとく粉砕したと伝えられている。


 アレクセイの眼前にまで迫ったデーモンは、その力の象徴たる大斧を振り上げる。すると斧の刃が妖しく輝きだし黒い靄を纏わせてゆく。

 力任せの一撃ではない。デーモンは自らの獲物に闇の魔力を発現させると、伝説通りアレクセイを粉砕すべく振り下ろした。禍々しい紫の軌跡を残して、死の刃がアレクセイに迫る。


「ぬんッ!」


 アレクセイはそれをあえて避けず、腰を落とし両の足を踏ん張ると大盾でもって防がんとした。


 悪魔の大斧は刃部分だけでも尋常な大きさではなく、並みの盾であれば盾どころか人の身体すら粉々に砕きかねない。さらにそこに闇の力が込められていればその威力はいかばかりか。


 デーモンの一撃がアレクセイの掲げた大盾にぶち当たり、周囲にけたたましい轟音が響き渡った。衝撃のあまり周囲の砂が巻き上げられたことからもその勢いが分かるというものだろう。


 しかし砂埃が明けたそこには微動だにせず大斧を受け止めるアレクセイと、憎々し気に四つの目を歪めるデーモンの姿があった。


「すごい…」


 アレクセイの背後で呆けたように少女が呟く声が聞こえる。


 それがアレクセイの戦士としての力量についてなのか、強烈な一撃を受けても傷一つついていない盾についてなのかはわからない。

 アレクセイはデーモンの注意が彼女に向かわぬよう悪魔の視線をその身で遮ると、さらに反撃を返すべく闘気を高めていく。


(聖竜の盾の防御力に変わりはなし。ならば己の技はどうか?)


 アレクセイの変化に気づいたデーモンはそれを阻止せんと再び斧を振り上げるが、既に遅し。寧ろ盾から斧を離したことは失策と言える。


「はぁッ!!」


 裂帛の気合と共に盾を大きく前方に押し出す。ため込んだ闘気は大きな力の奔流となって盾に流れ込み、凄まじい衝撃波としてデーモン目掛けて放たれた。


 アレクセイの得意とする戦技≪盾押し≫(パワーバッシュ)である。


 アレクセイの所属していたヴォルデン重騎士の象徴ともいえるこの技は、防御の要たる盾を転じて武器とする独特の技であり、その巨躯と重装をもって最強と謳われたかの国の騎士たちの奥義のひとつでもあった。


 複雑なことはなにもない至って単純な攻撃法ではあるが、自らの前方に大きく放射される不可視の衝撃波はかえって防ぐことが難しく、これまで人・物を問わずあらゆるものを打倒してきた。


 目の前のデーモンも咄嗟に自らの腕でもって防いだものの、衝撃を止めることはまるでできずに大きく吹き飛ばされ、その身をしたたかに外壁へと打ち付ける。巨体が石壁にめり込むほどの一撃に、デーモンは苦悶の声を上げた。


「ふむ…闘気の練り上げはかつてとさほど変わらぬか。しかも些かも消耗を感じぬとは、やはり私は不死となってしまったのか?」


≪盾押し≫は強力な戦技ではあるが、もちろんアレクセイとて無限に使えるわけではない。鍛え上げられた騎士であるアレクセイはこれを一、二回使ったところで疲れはしないが、本来は陣形を組んで使用する技であり、その真価は集団対集団の戦いにある。


 そして限りある闘気を放出する以上消耗は必ずあるものだ。しかし今のアレクセイはかつて感じていた僅かばかりの疲労すらなく、また自らの内の闘気が全く減少していないことに気が付いていた。


「ならば…こういう使い方もできるか」


 アレクセイは僅かに弾んだ声を上げると立て続けに大盾を押し出し、連続で衝撃波を繰り出してみせた。


 もはや台風、いや暴風である。


 押すだけではなく縦横無尽に振り回される大盾からは凄まじい力の奔流が放たれ続け、デーモンを激しく打ち据えたのだ。悪魔の周囲の壁や荒れ家はことごとく破壊され、その残骸すらも礫となってデーモンに襲い掛かった。


「グォォォォォ!!」


 デーモンの悲痛な叫びが辺り一帯に響き渡る。いつの間にか四つの瞳の内の二つは潰れ、斧を持たぬ左腕はあらぬ方向を向いている。そして全身のいたるところからはどす黒い血が流れていた。


「タフだな。流石は闇の末裔といったところ。しかしこれで…ッ!?」


 アレクセイが咄嗟に大盾を構えた直後、轟音とともに衝撃が彼の腕に伝わってきた。


 満身創痍であったはずのデーモンが己の斧を投げつけてきたのである。


 最期の抵抗と侮るなかれ、アレクセイの大盾によって弾かれた大斧は、廃墟とはいえ分厚い石壁を崩し、その向こうの何件もの廃屋を破壊せしめた。アレクセイの背後で轟音が響き粉塵が舞う。


 件の少女とは別の方向に飛んで行ったことを確認するとアレクセイは再びデーモンに向き直るが、そこには大口を開け喉奥に黒い炎を覗かせる悪魔の姿があった。

 アレクセイは大盾を構えなおし防御の姿勢を取るが、そこに少女の叫びが覆いかぶさる。


「いけないっ!その炎を受けては…!」


 彼女が言い終えぬうちに、デーモンの口から漆黒の炎の渦が吐き出された。黒を纏った禍々しき炎はすさまじい勢いでアレクセイに迫ると、瞬く間にその姿を包み込んでいく。アレクセイの巨躯は黒い炎の中窺い知れず、その邪炎はとどまることなく?周囲を暗く照らし続けている。


 先ほどまで追い詰められていたデーモンは残る二つの瞳に邪悪な喜びが浮かべると、勝ち誇るかのように天に向け咆哮した。


「そ、そんな…」


 いまだ幼さの残る少女の顔に絶望の影が差し、その場にへたり込んでしまう。


 デーモンの炎は魔界の炎。


 この世で最も熱いと言われる竜の炎とも異なる、魂を焼く邪悪な炎である。これを防げるのは神の力を宿し神器か、神に近づいた聖職者の祈りだけとされているのだ。尋常ならざる力を持つとはいえ只の戦士に防げるものではない。


「…デーモン相手に肩慣らしとは、さすがに驕りが過ぎたか」


 しかしそんな少女の絶望と悪魔の歓喜を打ち消すように、炎の中から落ち着いた声が聞こえると、淀みのない足取りでアレクセイが現れた。


 邪悪な炎を物ともせず歩く漆黒の甲冑を着たアレクセイの姿は、暗黒を払い現れた英雄にも、また闇より召喚されし恐怖の騎士の様にも見える。アレクセイは剣を握りしめながら穏やかに、誰にともなく呟きながら一歩一歩デーモンに近づいていく。


「対魔の加護も変わりはなし。しかし生身であれば流石に無傷とはいくまいよ。私としたことが不死の身体に浮かれたか…このようなことで不覚を取るなど、ヴォルデン騎士にあるまじきこと」


 人とは異なるありようなれど悪魔にも表情はあるもので、アレクセイが一歩近づくごとにデーモンの顔が歪んでゆく。


 反撃しようにも片腕は動かず、唯一の武器は自ら手放した。これまで数多くの人間どもを葬ってきた闇の炎でさえこの鎧の男には効果がなかった。

 デーモンは言葉を話すことはなくとも知能は高い。それ故にいかなる手段をもってしても目の前の相手を殺すことができないと理解していた。


 それでも自らの邪悪な在り様に従い、デーモンは残る腕で相手を引き裂かんと飛び出した。

 アレクセイは今度は盾を構えず、代わりに剣を正眼に構えると迫り来るデーモンを静かに見据えた。



 一閃。



 先ほどまでの豪快な盾さばきや畳みかけるような剣による連撃とはまるで異なる、速く、しかし滑らかな動きで剣を振るう。


 するとアレクセイに正面から飛び掛かったデーモンの巨体は、勢いそのままに左右に分断された。夥しい鮮血をまき散らし、二分された悪魔の身体はぐしゃりと音を立て地面に落ちる。


 アレクセイはもう一度剣を振り血糊を払うと、振り返って今しがた斬ったデーモンを見る。デーモンは恐るべき生命力を持つが、身体を半身に分かたれて生きていられるほど不死身ではない。


 アレクセイの思った通りデーモンはピクリとも動かず、禍々しい血の色をした瞳からは光が失われていく。やがて悪魔が完全に息絶えたことを確認すると、アレクセイは剣を鞘へと戻した。


(しかしデーモンとは穏やかではないな。やはり魔王めの手勢か?)


 今しがた倒した魔物の死体を前にアレクセイは思案する。


 魔神の尖兵と呼ばれるデーモンは只の魔物とは異なり、神話の時代から存在する怪物である。その由来は定かではないが、強大な軍勢を率いていた魔王ですら従えていたデーモンの数はそう多くはなかった。当然そこらに沸くような魔物でもない。


 あるいはアレクセイが不死の身体になったことと関係があるやもしれない。

 依然として判明しない状況にアレクセイが頭を悩ませていると、背後からか細い声がかけられた。


「来てくれたんですね…不死の騎士様」


 アレクセイが振り返るとそこにいたのは不安げに立ち尽くす銀髪の少女の姿があった。




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