第26話 ラゾーナの夜
「いやぁ、まさかあれほどの品であったとは、全く驚きでした」
そう言ってラリーはエールを飲み干し、アレクセイが背負う大盾へと目をやった。
時刻は夜。
鍛冶屋マクロイフの髭を後にしたアレクセイたちは、商業地区に乱立する酒場のひとつに腰を落ち着けていた。ラリーたちをゴブリンから助けた礼と、アレクセイたちの冒険者としての門出を祝ってという名目である。
大通りに面した酒場の屋外スペースに座った一同は、ラリーの驕りにて思い思いの品を頼んでいた。ただし当然のことながら不死の魔物であるアレクセイとソフィーリアは飲み食いなどできないので、卓の上に並んでいる品のほとんどはラリーとレトが頼んだものである。こういう場では遠慮がちなエルサも、申し訳程度につまみを頼んでいるだけであった。
自分たちの正体を知らぬ彼らの手前、何も頼まないのはかえって怪しかろうということでアレクセイらの前には一応エールの入ったジョッキが並べられている。ただその中身は一滴も減ってはおらず、ソフィーリアなどは先ほどからどうやって誤魔化したものかと、エールとのにらめっこを続けている次第である。
「なに、流石は鍛冶屋というところだな。この盾の質を見抜くとはな」
マクロイフの髭にて無事に剣を手に入れたアレクセイたちは、、それ以上鍛冶屋に留まる理由もなかったので速やかに工房を離れるつもりであった。
そこに待ったをかけたのが、工房の親方であるバモスであった。その顔はなぜ今まで気がつかなんだとばかりに悔し気に歪められ、その目はアレクセイの背負う大盾に釘付けになっていたのである。
「あんた、その盾を見せてはくれんか」
バモスがそう頼み込んできたことは、彼がいっぱしの鍛冶職人であれば仕方のないことだろう。
しばし逡巡したアレクセイであったが、この男に見せても特に問題はないだろうと判断し彼の頼みに頷いたのである。
大盾を渡されたバモスは…といってもその重量ゆえに持つことなどできないため地面に置かれたものをであるが、熟練の職人は食い入るようにアレクセイの盾へと顔を近づけていた。
「こ、こいつをどこで手に入れたのだ?やはり剣と同じように出所はわからんのか?」
盾へと顔を向けたまま、バモスはアレクセイへと問いかけた。彼の横では下働きであるリント少年もまた熱心に大盾を見ている。後から聞いたところによると、今はまだ鍛冶職人見習いですらないこの少年はやはり未来の弟子候補らしい。
ともかく、自身の相棒たる"聖竜の大盾"を見つめる二人の背中に向けてアレクセイは言葉を放った。
「いや、その盾と私の鎧は古い鉱人の遺跡から見つかったものだ。それを故あって私がもらい受けることになったのだ」
もちろん譲り受けたというのは嘘である。しかし、鉱人の遺跡から見つかったというのは本当のことであった。
アレクセイが纏う聖竜の鎧一式は、アレクセイがかつて"邪神竜狩り"の旅にて大陸全土を周ったときに手に入れたものである。神の眷属たる神竜と戦うための武具があるということで遺跡を訪れたアレクセイたちは、紆余曲折を経てこれらを見つけるに至ったのだ。
以来、邪神竜を討ち滅ぼした後もアレクセイと共にあり自身の力となってくれていた。
「なるほどドワーフの…それもかなり古いものもようだな。見たこともないような金属であるし、いや、これは合金なのか?」
バモスの言葉にアレクセイはほほうと感嘆した。確かに聖竜の鎧は特殊な合金によって作られている。
そのことをアレクセイに教えてくれたのはかつての仲間の鉱人であり、彼は非常に優れた鍛冶師でもあった。当時、大陸で最高の職人であったと言ってもよい。
そんな彼が評したのはこれらの鎧が当時で既に伝説上の存在となっていた≪上鉱人≫の作であること、邪神竜と同じ神の眷属である聖竜の鱗と神代の時代の金属の合金であるということだった。
「私の古い友人も同じことを言っていた。そしてそれは現代の鍛冶技術ではもはや再現できないだろうということも」
そう言っていた彼の悔し気な表情を、アレクセイは今も鮮明に思い出すことができる。
彼と最後に会ったのは、魔王との戦が始まる直前のことであった。自分もこれくらいの鉄を討てるようになるのだと盛大に笑っていたこともよく覚えている。ただの鉱人であった彼も五百年の時を経た現在ではすでに生きてはいないだろうが、彼は夢を成し遂げることができただろうか。
そんな古い記憶に浸っていたアレクセイは、大盾を眺めるのをやめてこちらへと近づいてくるバモスによって回想から引き戻された。熟練の職人は盾を見ていたのと同じやや血走った眼でアレクセイの鎧を眺めまわしている。アレクセイも武人の端くれとしてその気持ちは分からないでもないが、その勢いに若干ではあるが引いてしまう。
「悪いが鎧は脱ぐことはできぬぞ?一応、あまり余人に肌を見せたくはないのでな」
アレクセイがそう言うとバモスははっとしたように鎧から顔を離し、こちらを見上げた。
バモスとて壮年の、長い間冒険者向けに武具を造ってきた職人である。年頃の乙女などではなく歴戦の武人であろうアレクセイが鎧を脱ぎたくない理由など、すぐに思い至ることだろう。ばつが悪そうに頭を掻いた後、先ほどよりも幾分正気に見える瞳でもって謝辞を示した。
「全く、鍛冶屋の悪い癖だな」
「なに、腕のよい証拠であろう。かえってこの剣にも信頼が置けるというものだ」
アレクセイがそう言って鞘を叩くと、バモスは大笑いしたのだった。
こうしてアレクセイの鎧が、非常に堅牢な防御力を持つ特別な鎧であることがラリーたちの知るところになったわけなのだが、彼もまた最初に会った時からアレクセイの装備が上等なものであることは見抜いていたらしい。
「これでも冒険者の方向けの商いをしていますからね」
そう言いつつラリーは苦笑を隠すようにエールのジョッキに口を付けた。それでも本職ではない以上、詳しい材質などはわからなかったらしい。
そうであるから、アレクセイたちが高位冒険者どころかギルドに登録すらしていないことに大層驚いたのだという。
「全く、半ツ星には勿体ないくらいやで」
ラリーの隣に座るレトが、鶏の肉に牙を突き立てながらそんなことを言う。
言葉の内容はいくぶん厭味ったらしいが、アレクセイは別段なんとも思わない。お互いの最初の印象が悪かったせいか見誤っていたのだが、彼女はもともと皮肉屋というか、あまり素直でない性格のようだ。それでもラリーとのやり取りを見ていれば、以前彼が言っていたように性根が悪いわけではないのだろう。
アレクセイはこの時点で、少なくともレトに対しては獣人がどうこう言うつもりはなかった。今は、あのころとは違うのだ。
「貴方が二ツ星だと仰るなら、私たちもすぐに位階を上げられそうですね」
ただしアレクセイの愛する妻はそうともいかないようだ。自身の横に座るソフィーリアはお行儀のよい笑みを浮かべてはいるが、その声の質はなかなかに冷ややかであった。
一方のレトは反射的に腰を浮かせかけたようだが、相方に窘められ大人しく席に収まった。
「ソフィーリア」
少々大人げない彼女の言葉をアレクセイはたしなめた。
ここまで彼女を見てきて思ったのだが、マジュラ迷宮で再開した後のソフィーリアは以前よりも嫉妬深い…というか感情の振れ幅が大きくなっているような気がする。もともと彼女はこのようなあからさまな嫌味を返すような人間ではないし、気が強いにしてもそれらは自身の敵に向くことがほとんどで、身内や知り合いに対してこのような顔を見せる女性ではなかった。
あるいはこれもまた闇霊化の影響であろうか。
「…いえ、申し訳ありませんレトさん。少しお酒に酔ってしまっていたようです」
「…ん、まぁええわ」
ソフィーリアも自覚はあるのだろう。彼女がすぐに謝罪すると、レトもまたそっぽを向きつつそう言ったのだった。
「それにしてもレト…殿も冒険者であったとは驚きだ。しかも二ツ星とはな」
席の空気を変えるべく、アレクセイはそんな話題を投げかけた。
つい今しがた知ったことなのだが、獣人であるレトもまた冒険者カードを所持しているようで、そのランクはいっぱしの冒険者である二ツ星であった。ラリーからは護衛であると聞かされていたレトだが、そもそも護衛の仕事というのは冒険者ないし兵士でなければ受けられぬものだという。
もちろん二人の関係は只の護衛と依頼主ではないのだろうが、それでも対外的にレトのことを自身の護衛と説明する以上、冒険者の資格は必要不可欠なのだそうだ。
「しかしレト…殿でも二ツ星とは、冒険者という職業で星を増やすのは存外に難しいのだな」
アレクセイはレトの実力を正しく知っているわけでもないが、先日の小鬼との戦闘を見た感想からいえば並みの人間の戦士よりも遥かに強く思えた。それは獣人という種族の特性を鑑みれば当然のことかもしれないが、それでも彼女が駆け出し冒険者より少し上程度とは大変な驚きであった。
しかしどうやらそれには理由があるらしい。
なぜならアレクセイがそう疑問を口にしたところ、レトが苦虫を噛み潰したような表情をし、隣のラリーがなぜか笑いをこらえていたからである。
「いえ失礼。実は彼女は私と知り合う前にギルドの昇格試験を受けていたようなんですよ。どうやらそこで面接官の方に手を上げてしまったようで…」
ラリーの語ったところによると、レトはもともと将来有望な若手冒険者だったらしい。獣人であるためずば抜けた身体能力を持ち、迷宮に潜る才覚もあったそうだ。その上若くて器量もよいとなればギルドの覚えが良いのも納得だろう。
だがそのことに目を付けた厄介なギルド職員がいた。大変な好事家であったらしいその人物はレトの逆鱗に触れるようなことを口にし、めでたく鉄拳制裁を食らうこととなった。当然レトにはギルドから処分が下ったが、理由が理由なだけに冒険者資格の剥奪までには至らなかったのだという。
「なんや冒険者続けんのもアホらしなってもうてな。そんなときにこのボンクラが一人でフラフラしとったんや。んで、しゃーなしにウチが付き合うてやることになったっちゅうわけや」
「なるほどな」
酒のせいかはてまた別の理由か、レトは頬を赤く染めながらそんなことをのたまっている。
まったく微笑ましいかぎりであるが、ふとアレクセイが横を見てみればソフィーリアもそんなレトの姿を見て笑みを浮かべている。その笑顔はどうやら先ほどのものと違ってしっかりと温かみを感じさせるものであった。
(意外に、この二人は話せば気が合うのではないかな?)
アレクセイがそんなことを考えていたら、向かいのラリーが「そういえば」と話を振ってきた。
「お三方はこの後はどうなさるんです?登録をされたのですからこの近くの迷宮に潜りに?それともやはり北へ?」
アレクセイはさきほどから大人しくしているエルサへと目をやった。アレクセイの視線を受けたエルサは、口に入れていた酒のつまみを慌てて飲み込んでから答えた。
「んんっ!えっと、そうですね。まずはこの都市の近くの迷宮へ潜ろうかと思います。北に向かうにも路銀が必要ですし、もう少し迷宮探索にも慣れておきたいところですから」
対外的な説明においても実質的にも、エルサはアレクセイたちの行先案内人である。
いまだ現代社会に不慣れな自分たちでは分からないことが数多くあるし、金庫番として財布を預かっているのも彼女だ。もちろんこの後に相談は必要だろうが、彼女の意見がアレクセイたちの行動の指針になることは間違いない。
「そうですか。となるとやはり定番の≪ポリン平原≫ですか?それとも薬草狙いで≪マリエルの森≫?」
「まだはっきりと決めているわけではないんですが…≪ミリア坑道≫に行こうかと思っています」
「ほぅ…ゴブリンの巣にですか」
ラリーの反応からしてミリア坑道なる|迷宮≪ダンジョン≫にはゴブリンが巣くっているらしい。
金稼ぎのためにいずこかの迷宮に潜るのだろうなとは思っていたが、すでに場所まで決めているとはアレクセイも思わなかった。別段どこでもかまわないのだが、何か理由でもあるのだろうか。
アレクセイがそのことについて訊ねてみると、エルサは顎に手を当ててこう言ったのだった。
「…少し、気になることがあるんです」




