第24話 北風と太陽
冒険者ギルドの一角。
アレクセイらの前に立つ男は、自らの名をスヴェンと名乗った。
「ラゾーナに降り注ぐ一条の光、≪小さな太陽≫のスヴェンとは僕のことさ!」
歌い上げるように高らかに名乗りを上げたスヴェンは、両手を広げなぜかうっとりと目を閉じている。どことなく、舞台役者のような男であった。
確かに、見目の整った男ではあるだろう。
高い鼻や切れ長の瞳、ほっそりとした顎のラインなどはいかにも女受けしそうな顔立ちだ。流れるような栗色の髪を頭の後ろで小さく束ね、仕立てのよい平服に身を包んではいる様もいかにも役者然としている。しかしながら腰に帯びた剣や顔に似合わず鍛えられた身体つきを見れば、彼もまたれっきとした冒険者なのだとわかる。
なにより、首もとにはアレクセイたちが持つものと同じ冒険者の証である銅板が揺れていた。ただし、そこに刻まれているのは半分に割られた星などではなく二つの星であった。
(…変わった男だ)
芝居がかった動きは大仰で、危険と暴力に慣れた迷宮に潜る者のそれには見えない。さりとてこの会館にいるような純朴な若者たちとも異なるようだ。
もう一度周囲を見回してみれば、遠巻きにアレクセイたちのことを眺めている冒険者たちも困惑した顔で額を寄せあっている。そんな中で我関せずといった顔でそっぽを向いているのはスヴェンの仲間らしき数名だけであった。
「スヴェン殿といったか、貴殿は先程の我々のやり取りを聞いていなかったのかね?」
アレクセイもまた困惑しつつそう問いかけた。察するに目の前の珍奇な男もアレクセイを自分達の集団に勧誘しにきたようだが、いましがたのロキールたちとの会話を聞いてはいなかったのだろうか。しかしスヴェンは「よく北の旋風の誘いを蹴ったものだ」と言って話しかけてきたのだ。となれば自分たちがどこの団体にも属する気がないことは耳に入っているはず。
アレクセイの発した疑問にスヴェンはこれまた大げさに頷くと、なにやら自信に満ちた顔で答えた。
「もちろん聞いていたさ!君みたいな人があの≪北の旋風≫なんて胡散臭い連中を相手にするわけないだろう?」
「…つまり?」
"君みたいな人が"とは、初対面のこの男が自分たちの何を知っているというのだとアレクセイは思わなくもない。だが一応話の先を促してみると、スヴェンは両手を腰にやって胸を反らし一切の迷いもなく言い放った。
「君みたいな人は我らが≪小さな太陽≫にこそふさわしいってことさ!」
スヴェンはそれだけ言うと、満足げに目を閉じた。傍らのソフィーリアが「え、それだけ?」と小さく呟く声が聞こえる。
ギルド会館には多くの人が行き交っていて、室内は大きな喧騒に包まれている。しかしアレクセイらが陣取る会館の片隅だけは、奇妙な静けさに包まれていた。そんな中でアレクセイは静かに溜息をつくことになった。
(悪人ではないようだが…変人の類か。ただいるだけで絡まれるというのは、どうにもな)
先ほどのロキールたちといい、アレクセイとしては他人との不必要な接触は避けたいところであった。無論、故郷や今は亡き我が子の消息を探すためには人前に姿をさらす必要がある。行商人のラリーやレトなどもそうだが、あれは自らの意思で関わり合いを持ったものだ。
そのような理由がなければ、不死の魔物である自分たちは迂闊に他人、それも冒険者には近づかない方がよいだろう。
アレクセイはもう一度そのことを再確認すると、ややうんざりとしながらスヴェンへと答えた。
「君の言う≪小さな太陽≫とやらがどのようなものかは知らないし、知るつもりもない。またいかなる者たちに誘われようとも、私たちがそこに加わることはないのだ」
アレクセイのような大男が低い声でそう言えば、余人にはかなりの威圧感が感じられることだろう。アレクセイとしては断固たる意志が感じられるよう、はっきりと告げたつもりであった。
しかしスヴェンは目を瞬かせると、まるで意に介していないかのように笑いのけた。
「いやいや、冗談だろう?僕らはあの連中とは違うよ?ウチは清く正しく、歴史も実績もあるクランなんだ。貴族からの覚えもいいし、この街の冒険者ギルドからも評価されてる!そこに加わって、一体なんの損があるっていうんだい?」
スヴェンはまるで理解できないな、と言わんばかりに鼻で笑った。随分と自らが所属するクランとやらに自信があるようだが、そういうことではないのだ。
そうして自慢げに自らのクランを推していた彼であったが、アレクセイらがむっつりと黙り込んでいるのを見て流石に顔色を変えた。スヴェンは慌てたように続けて言う。
「それにウチのクランマスターはあの≪白薔薇のセリーヌ≫だぞ!?剣を持って戦えばまさしく百花繚乱!数多の吟遊詩人が詠わずにはいられない南部の星だ!…まぁ、君みたいな人に彼女をどうこうできるとは思えないが、それでも美人に剣を捧げたいと思うのが男の性だろう!?」
スヴェンがどんなに力説しようとも、つい先ごろ意識を取り戻したアレクセイにはそんなことなど知りようもない。それに女性がどうこう言うならば、すでにアレクセイには愛すべき伴侶がいる。それこそ相手がどんなに美しかろうと、アレクセイが動く理由にはならないだろう。
こういった手合いとの会話は苦手だ。このようなときは無理やり会話を断ち切るに限る。アレクセイは再び溜息をつくと手を振った。
「あいにくと女性には間に合っている。これでも、結婚しているのでな」
アレクセイがそう言うと、スヴェンは誘いを断られた時以上の驚きをその顔に浮かべた。
「な、なんだと!?…ぼ、僕でもまだ独身だというのに、君のような男がか!?」
だからお前が私の何を知っているというのだ、と流石のアレクセイも少々癇に障ったが、これ以上話すことはないとばかりにだんまりを決め込んだ。
しかし、そうは黙ってはいられない人間がここにはいたのである。
何を隠そう、アレクセイの妻であるソフィーリアであった。ソフィーリアは不自然なほどに愛想のいい笑顔を浮かべると、スヴェンの前へと進み出た。アレクセイはその横顔にうすら寒いものを感じずにはいられなったが、しかし妻を止めることもできなかった。
「ご挨拶が遅れました、アレクセイの"妻"のソフィーリアですわ」
ソフィーリアはそう言うとニコニコと眼前の男を見上げた。どうやら見た目通りになかなかの女好きらしいスヴェンは、思いもよらぬソフィーリアの美しさに面食らっている様子だ。初めから視界には入っていたのだろうが、改めて意識したことでより強い驚きを受けているらしい。
「な!?君のような可憐な女性が、なぜこんな男と!?」
随分と失礼なことを口走ってくれたスヴェンであったが、ソフィーリアが見せつけるようにアレクセイの腕を取って見せると、なぜか悔し気に口元を歪めた。
「何か?」
ソフィーリアがそう言うと、心なしか周囲の温度が下がったような気がする。彼女の顔には優し気な笑みが浮かんでいるが、よくよく見てみれば細められた奥の紅い瞳は笑っていない。
それなりに長身なスヴェンと小柄なソフィーリアでは結構な身長差があるが、スヴェンは気圧されたように身を引いている。
それでもめげずにスヴェンが何かを言おうとしたところで、彼の腕を掴む者がいた。先ほどまで遠くで他人の振りをしていた、スヴェンの仲間たちであった。
「ちょっとスヴェン!アンタいい加減にしなさいよ!」
「そうだぜ色男!何事も引き際が大事だってウチの大将も言ってただろうがよ」
スヴェンと同じ冒険者であろう赤毛の女が彼の右腕を掴むと、同じクランの仲間らしい戦士風の男が反対側の腕を掴む。アレクセイたちと揉める仲間を見て、さすがに止めに来たようだ。アレクセイとしてはもう少し早く来てほしかったのだが。
女の方の冒険者はスヴェンの頭をひっぱたくと、こちらに向き直って深く頭を下げた。
「や、ほんとにウチの馬鹿が申し訳ない!この通り非礼は詫びるから、なんとか納めてくれないかな?」
「私としては別にかまわんのだが…」
アレクセイはそう答えると右腕に視線を落とした。そこには夫の腕を抱きすくめるソフィーリアの姿があった。こちらを見上げてアレクセイの視線を受け止めたソフィーリアであったが、やがて一息つくと不承不承といった風に頷いた。
「…私も少々大人げなかったかと思います。謝罪を受け入れますわ」
「いやぁ助かるよ!この阿呆はこんなんだけどさ、ウチはまっとうなクランだからさ!そこだけ訂正させといてね!」
「おい!待て!まだ僕の話は終わっていないぞ!?」
女冒険者はそう言い残して、ぺこぺこと頭を下げながらさっさとその場を後にした。スヴェンはまだ何事か喚いていたが、二人から何度も頭を小突かれて仲間に引きずられて去っていった。
そうして後に残されたのは、何とも言えない表情のエルサとアレクセイ、そして先ほどまでの騒ぎを忘れるかのように夫の腕を強く抱きすくめるソフィーリアであった。
「そりゃまたツイてへんことやな」
そう言ってカラカラと笑いながらエールを飲み干したのは、獣人の少女レトであった。
無事に登録を済ませて冒険者ギルドを出たアレクセイたちは、約束通りに商人のラリーとレトたちと合流していた。
アレクセイたちが今いるのはギルド会館からほど近い宿屋の食堂である。ラリーの紹介で部屋を取ることができた一行は、昼食と今日この後の予定の確認ということで一旦の小休止をとっていた。
まだ昼だというのに酒を飲んでいる相棒を窘めつつ、ラリーが彼女の言葉に頷いた。
「全くですね…≪小さな太陽≫はともかく≪北の旋風≫とは」
「ほう、彼らを知っているのかね?」
「私もこの街ではそこそこ長く仕事をさせてもらっていますので…」
そう言って語ったラリーによると、それら二つはこのラゾーナでもそれなりに名の通ったクランなのだという。ただし一方は名声で、もう一方は悪名においてだ。
「≪北の旋風≫というのは、はぐれ冒険者の集まりなんです」
そもそもクランというものはエルサが言っていた通り、冒険者間の相互扶助のためにある。本来は迷宮に赴く冒険者たちがより効率的に活動できるように助け合う団体なのだが、≪北の旋風≫はそういった集団からあぶれた者たちの集まりらしい。
曰く暴力的であったり、金銭的トラブルを抱えていたり、人間性に問題があったり。
クランに属せずソロで活動する冒険者も多い中、よりにもよってタチの悪いこの手の連中が寄り集まったのが≪北の旋風≫なのだという。
「一応彼らはギルドから認定を受けたれっきとした冒険者であり、公然と犯罪行為を行っているわけではありません」
本物の犯罪集団とは違う、というのが彼らの厄介なところであるらしく、いつも帝国の法に背かぬギリギリのところで悪さをしているのだという。その対象は冒険者を夢見てラゾーナにやってくる若者たちであり、まだ世事に疎い彼らをいいように使っては私腹を肥やしているらしい。
「この都市にも衛兵はいるのだろう?そのような連中を放っておくのか?」
アレクセイの疑問はもっともであったが、ラリーはお手上げとばかりに両手を上げた。
「ですから、そこが彼らの巧みなところなんです。衛兵隊には尻尾を掴ませないようにいつも動いている。それに彼らは堅気には手を出しません。狙うのはあくまで冒険者だけ…それに冒険者自体が特殊な職業ですからね。この都市ではそうでもありませんが、今でも無頼の輩である冒険者を嫌う地域もありますから」
確かに、アレクセイたちの時代でも傭兵は嫌われ者であった。
金にがめつく、常に暴力の匂いを漂わせている傭兵は善良な市民からは畏怖の対象でしかなかった。つまりは彼らを守る衛兵なりとも仲が悪いということになる。
迷宮に潜る冒険者を夢見る者たちがいる一方で、それが一般的になってなお彼らを疎ましく思う者たちもいるということだ。
「まぁアレクセイさんほどの腕があれば問題はないかと思われますが…一応気を付けておいた方がいいかもしれませんね」
そう述べるラリーの視線はエルサへと向いている。
腕利きであるアレクセイやソフィーリアであればあの程度の連中は全く問題にもならないが、いかにも低級冒険者らしく見えるエルサだと少しばかりの注意が必要だろう。
「心得ているさ。それでは、≪小さな太陽≫とやらはどうなのだ?」
「あぁ、そちらはなんの問題もないかと思いますよ。ここラゾーナで最も有名なクランのひとつですしね」
クラン≪小さな太陽≫は冒険都市ラゾーナ建設の初期の頃から続く伝統あるクランであった。こちらはさきほどの≪北の旋風≫などと違い、クラン本来の意義に正しく則った活動を主としているそうだ。特に新人冒険者の支援に力を入れており、右も左も分からないような駆け出したちにとっては大変ありがたい存在なのだという。
「私も何回か仕事をさせてもらったことがありますが、運営している幹部の方々も道理を弁えた方ばかりでしたよ。あいにくとスヴェンという方には心当たりはありませんが…」
どこの集団にもはねっ返りや問題児はいるだろう。それにそういった手合いを指導する人間も必要だ。それにあれは無礼な輩であったが、悪人の類ではないことはアレクセイにも理解できた。
「≪白薔薇のセリーヌ≫さんにもお会いしましたが、とても立派な方でした。あの方が上にいる限りあのクランは問題ないでしょう。それに、二つ名に恥じぬお美しい方でしたしね」
そう言って笑うラリーの横腹に隣に座るレトの肘がめり込むと、ラリーは勢いよくむせ込んだ。ともかく彼の言う通り特に害がないのなら、今後関わることもなさそうだ。
「ならばよいのだ…それはそうとラリー殿に伺いたいのだが、この街によい鍛冶屋はいないか?」
アレクセイはそう言って腰に吊るした剣の柄を撫でた。髑髏の意匠が施された、個人的にはあまり好みではない剣である。アレクセイはできるだけ早く、この剣の代わりを見つけたかった。
どこで手に入れたか身に覚えのないこの武器は、アレクセイがマジュラ迷宮で目を覚ました時からその手にあったものである。先の迷宮でデーモンやサテュロスとの戦いで振るったが、切っ先が鉈のように矩型となっているため突きが繰り出せず、大いに戦いにくかった。盾を構えて剣を振るうアレクセイの戦闘方法ではあまり相性がよくないのだ。
「ふむ、鍛冶屋ですか…それならばよい店がありますよ」
「助かる」
アレクセイは礼を言うと席を立った。そうとなれば話は早い方がよい。一同はラリーの紹介する鍛冶屋へと向かうことになった。




