第21話 冒険都市ラゾーナ
「見えてきましたよ、あれが交易都市ラゾーナです」
荷馬車の上からラリーがそう声を上げた。
緩やかな丘を越えたアレクセイたちの眼前には、草原地帯に悠然と佇む巨大な市壁が広がっていた。まだ距離があるのではっきりとしたことは分からないが、ここから見えても幅は数十キロ、市壁の高さは優に十五メートルはありそうだ。
戦時でもなければ城を構えているわけでもないラゾーナの市壁の防備は過剰にも思えたが、ラリーによればこれは周囲を迷宮に囲まれているためでもあるらしい。
「万が一迷宮から魔物が溢れたときのための備えであるそうですよ」
「そのようなことが起こりうるのか?」
「私は商人であって冒険者ではないので、詳しくは…ないからこそ"万が一"なのではないですか?」
そう言ってラリーは肩をすくめた。
アレクセイもまた首を振って疑問を一旦しまいこむと、ラゾーナに向けて足を進めた。
一行の中で歩いているのはアレクセイのみで、あとは全員荷馬車の上だ。巨体で、かつ重厚な全身鎧を纏っているアレクセイでは馬車に乗ることは躊躇われた。ラリーには別に構わないと言われたが、分厚い金属の塔の盾>を背負っていることもあってアレクセイはこれを断った。一歩が大きいアレクセイの足ならば、ゆっくりと進む荷馬車に遅れることもない。
「しかし流石に交易都市というだけあるな。人が多い」
アレクセイがそう言って辺りを見回すと、そこには自分たちと同じようにラゾーナに向かう冒険者風の者たちが歩いていた。
先ほどの丘を越えて市壁が見えるようになってから、道行く人の数がぐっと増えたようだ。ラリーと同じような荷馬車に乗った商人や作物を背負って歩く農民の姿も見られたが、何より目に付くのは思い思いに武装した若者たちであった。
革鎧に身を包んだ戦士風の少年や杖をつきローブをたなびかせた魔術師の少女。短剣を腰に帯びた身軽そうな軽装の男から、こん棒らしき木の棒を持っただけの見るからに農村生まれな少年まで。彼らはみな一様に希望に目を輝かせながらラゾーナへと向かっている。
「ご存じかとは思いますが、ラゾーナの周囲には初心者向けといわれる四つの迷宮があります。なので、必然的に冒険者を志す若者が集まってくるわけです。アレクセイさんたちもあの街で冒険者として登録をするのでしょう?」
「ああ、そのつもりだ」
アレクセイはラリーの言葉に頷きながら、昨晩のエルサの話を思い出していた。
冒険者としてギルドに登録するには、名前や出身といった基本的な情報の他に、とあるものを提出する必要があるのだという。
「それが、自分自身の血液です」
エルサはそう言って鞄から赤い液体に満たされた小瓶を取り出して、アレクセイらの前に置いた。
ラリーとレトが寝入った後のことである。
そんな彼らから隠れるように血の入った瓶を囲んで額を突き合わせるアレクセイたちの様は、いかにも怪しい密談の如き様相であった。小さくなった焚火の火に照らされながら、エルサは囁くように説明を続けた。
「ギルドに提出された血は、もしものときの本人確認に利用されるんです」
驚くべきことに、この時代では魔道具を使えば血液からそれが誰のものか調べることができるのだという。そしてそれは、血を用いなければ身元を判別できない状態であるということだ。
「なるほど。確かに魔物によっては遺体が残らぬこともあるだろうな」
「つまりエルサさんは、これを私たちのものとしてギルドに納めるつもりなのですね?」
不死である二人において、見た目はさほど問題ではない。闇霊とは思えぬほど生き生きとした少女の姿をしたソフィーリアはもちろんのこと、アレクセイにしても重装備の戦士と言い張ることはできよう。顔を見せろと言われれば、余人には見せられぬ傷があるとでも言えばなんとかなるように思えた。
しかし血となるとそうはいかない。肉を持たぬアレクセイたちにそれは流れていないからだ。
「このようなもの、よく持っていたな」
アレクセイが感心したように言うと、エルサは僅かに苦笑してそれに答えた。
「まぁ、その…死霊術の中には血を用いたものも多いですから。一応、備えとして」
「念のために聞いておくのですが、これは死者を冒涜するようなものではないのでしょう?」
ソフィーリアが静かに問いかけると、エルサは当然とばかりに大きく頷いた。
「もちろんです!これは亡くなった本人から、善意で提供されたものですから!」
「そうですか、ならばよいのです…ありがたく使わせていただきますね」
ソフィーリアはそう言うと小瓶に向けて頭を下げた。
どこの誰かは知らぬが、そのおかげでアレクセイたちはこの時代に身の証を手に入れることができるのだ。アレクセイもまた胸中で血の持ち主に感謝を述べておいた。
そうしてアレクセイとソフィーリアはエルサから冒険者になるための"いろは"を学んだのである。
「でしたらまずは街の中心にある冒険者ギルドに向かうとよいでしょう」
ラリーの言葉でアレクセイは回想から意識を引き戻された。アレクセイは歩を進めながら頭を彼の方へともたげると、ラリーは御者台の隣で居眠りをしていた相棒を肘で突いていたところだった。どおりで朝からここまで静かだったわけだ。
「登録はそこでなければできませんし、買い物をするにしても登録後の方が何かと融通が利いて便利ですよ」
商人であるラリーの助言は、胸に留めておいたほうがよいだろう。アレクセイは彼の言葉に「なるほどな」と答えておく。
そうこうしているうちにますますラゾーナの街に近づいてきた。遠目に見るよりも街の市壁は大きく、巨漢を誇るアレクセイにしても巨大に感じる。それに近づいてみると市壁の分厚さもかなりのものなようで、アレクセイは思わずいち騎士としてこれを見てしまう。
(これはなかなかに落とし甲斐のある街だな)
アレクセイが壁を見上げながらそんなことを考えていると、いつのまにかすぐそばには荷馬車から降りたソフィーリアが立っていた。
「何を考えているかあててみましょうか?あなた」
彼女はそう言うとくすくすと忍び笑いを漏らした。
「分かるか?」
「もちろんですわ。ヴォルデンの戦士からすれば市壁などというものは、中にあっては守り方を、外にあっては攻め方を考えるものですから。それにあなたがそのようにうきうきとされているときは、だいたい戦について考えているときですもの」
どうやら彼女にはアレクセイの考えていることなどお見通しらしい。流石はソフィーリアだとアレクセイは感嘆するが、しかし自分が心を弾ませるのは戦についてばかりではない。愛する女性について考えているときこそ、最も心が豊かになるというものだ。
無論恥ずかしいのでそんなことはおくびにも出さなかったアレクセイであるが、二人の話を聞いていたラリーが荷馬車の上から話に入ってきた。
「流石は奥方ですね。そのような分厚い兜越しでもご主人の考えがわかるとは」
「それが夫婦というものですわ」
「お熱いことで結構なやな」
それまでずっと黙っていたレトがそのように冷やかしたが、御者台に座るラリーに頭をはたかれていた。別に彼女が何を言おうと、アレクセイが妻を深く愛していることは事実なので自分としては特に何も思わない。
それにそう言うレトの方こそラゾーナまでの道中、ずっとラリーの傍を離れようとしなかった。途中から居眠りこそしていたものの、獣人たる彼女ならそれはさして問題にはならないだろう。素性の知れぬアレクセイたちを警戒してのことだとは思うが、しかしその様はあたかも主人の傍を離れようとしない犬に似ていた。
ここまでの彼女のあり様を見ていれば、それこそ相棒たるラリーを傷づけない限りレトは全くの無害に思えた。それはかつての獣人の姿を知るアレクセイからすれば、信じがたいことではある。
やがてアレクセイたちは市壁にぽっかりと空いた大きな門の前までやってきた。ラゾーナの周囲にはなかなかの深さを持つ堀が作られており、そこにまた巨大な跳ね橋がかけられている。ラリー曰く夜間や有事の際はこれを上げて門を閉ざすのだそうだ。
巨大な門の下では衛兵が通行人を止めて身元を確認しているようだ。合わせて税をとっているのかと思っていたのだが、これもまたラリーによると驚くべきことに通行税というものが存在しないらしい。
「ラゾーナは新米冒険者のための街ですからね。農村から出てきたばかりの若者や駆け出しの冒険者からいちいち金を巻き上げていたら、それこそ都市から人がいなくなってしまいます。我々商人からも税を取らないのですから、全くいいところですよ」
もっとも中ではみな平等に税を払う必要がありますがね、とは同じくラリーの弁である。これだけ立派な市壁を維持するには莫大な金が必要になるのだろうが、通行税を取らないということはそれだけ他の部分で補えているということだろう。冒険者は儲かると以前エルサが言っていたので、あるいはそのあたりだろうか。
都市に入るための列に並んでいたアレクセイたちであったが、その進みは早かった。門兵は最低限の確認のみを行っているらしく、人相の確認すら大雑把に思えた。これだけの都市ならば治安の維持も一苦労であろうに、そのようなことでいいのだろうか。
もっとも門を出入りする人の数は、アレクセイの知るいずれの街よりも多い気がする。それはかつてのヴォルデンの王都であったドランボルグにも劣らないほどだ。
「私たちは荷がありますのでいくらか時間がかかるかと思います。なのでお三方は先に行ってください」
アレクセイたちの隣、荷馬車の列に並んでいたラリーがそう声を上げた。
「よいのか?」
「もちろんです。お互いの用事を済ませてから落ち合うこととしましょう。そうですね…ギルド前の広場で待っていてくださいますか?その後で合流しましょう。それに、昨日のお礼に一杯奢らせてください」
「うむ、通ってよし!…次の者!」
門兵に呼ばれたので、アレクセイは手を振ってラリーたちに答えておく。
やがてアレクセイが前に進み出ると、手元の木板に何かを書きつけていた門兵は顔を上げ、目の前に立つ巨影に目を瞬かせた。
「な、名前と用向きを」
「アレクセイだ。冒険者とやらになりにきた」
「なに?こ、これからか?」
「そうだが?」
門兵はいかにも歴戦の戦士というアレクセイの前に随分と気圧されていたようだが、その後は特に問題もなくあっさりと通された。あるいは威圧感のあるアレクセイなど、さっさと通したかっただけなのかもしれないが。
それはソフィーリアも同じで、既に冒険者の証を持っているエルサなども問題なく門を通過できた。霊魂遣い《ソウルコンジュラー》という職業に関しては若干眉根を寄せていたようだが、後がつっかえていることもあり咎められることもなく通された。
振り返ってみてみれば、ラリーの方は自分で言っていたように少し時間がかかるようだ。ここは大人しく、先に冒険者ギルドとやらに向かった方がよいだろう。
「冒険者ギルドの会館とやらは、確か街の中心部にあるのだったか」
「そうですね。それにしても…なんて大きな街なのでしょう」
門を抜けたアレクセイたちの前には、溢れかえるような大勢の人々と、熱気あふれる賑やかな街並みが広がっていた。
喧騒賑やかなこの都市こそ、アレクセイたちが冒険者として最初の一歩を踏み出すことになった場所、冒険都市ラゾーナであった。




