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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第二章 半ツ星の夫婦
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第20話 獣を連れた商人

「改めまして、私はラリー・ハワード。こっちは連れのレトです。先ほどは本当にありがとうございました」


 ラリーと名乗った青年は自らを旅の商人だといい、獣人の少女・レトは自分の護衛だと紹介した。


 ゴブリンどもの襲撃からラリーたちを助けた、夜のことである。

 ソフィーリアの癒しの奇跡によって馬の怪我を治療した一行は、しばし進んだ後、日が暮れる前に野営を行うことにした。交易都市ラゾーナはもう目前ではあるが、あえて強行軍をする理由もない。再び小鬼たちの襲撃を受ける可能性もあるだろうが、疲労や睡眠とは無縁のアレクセイらがいれば問題ないだろう。


 胸に手を当てて頭を下げていたラリーは、隣の相棒がそっぽを向いていることに気づくと、その頭を無理やり下げさせた。その頭に狼の耳を持つレトが獣人であることを思えば、人間の商人でしかないラリーの手など簡単に跳ねのけられることだろう。しかし少女は至極嫌そうな顔をしつつ、素直にその手に従って頭を下げた。


「別にコイツらが来んくともウチ一人でなんとでもなったろうに」


「こら、レト」


 文句を垂れるレトをすかさずラリーが窘めるが、獣人の少女はアレクセイたちに向かって舌を出してみせると再びそっぽを向いてしまった。


「申し訳ありません。御覧の通り礼儀を知らぬ娘ではありますが、悪い奴ではないのです。ですから平にご容赦を…」


「いや、気にすることはない」


 アレクセイは鷹揚にそう言って手を振って見せたが、視線はレトの方へと固定されていた。この時代で初めて口を交わしたエルサ以外の人間が、よもや獣人を連れているとは。

 こうして篝火を挟んで向かい合ってても、アレクセイの警戒は緩められることはない。人よりはるかに優れた身体能力を持つ彼らを前にすれば、むしろ間合いとしては近すぎるほどだ。


 アレクセイと並んで座るソフィーリアの表情もいくぶん堅い。昼間に行った奇跡の影響はもうすっかりと消え失せたようで、蒼白であった顔色自体はもとに戻っていた。ただ彼女とて戦場で幾人もの獣人たちと矛を交えたし、彼らによって深い傷を負わされた者たちを何人も治療したことがあったはずだ。


 言葉とは裏腹に硬質な態度を崩さないアレクセイたちを見て、商人のラリーも少しばかり面食らっているようだ。するとあちらを向いて黙りこくっていたレトがぼそりと呟いた。


「ま、コイツの傷を直してくれたんは、一応礼を言っとくわ」


「お前なぁ、もう少し言い方ってもんが…」


 あきれ顔で彼女を窘めようとしていたラリーは無視して、レトはアレクセイたちの方を向くと「けどな」と続けた。


「そっちこそそんな殺気振りまいて"気にしてない"はあらへんで。さっきからここんとこがピリピリしてたまらんわ」


 レトはそう言うとうなじのあたりをガリガリと掻きむしった。そんな相棒の言葉にラリーは驚いた顔をしている。戦士ならぬこの青年にはわからぬことだろう。

 さすがに獣人というべきか、少女といえども感覚の鋭さは常人のそれではない。


 確かに彼女の言う通り、アレクセイは手こそ剣の柄にはかけてはいなかったが、いつでも抜ける心持ちでいたのだ。戦乱の時代を生き、魔王の軍勢と死闘を繰り広げた戦士たるアレクセイからすれば、獣人の前に座るとはそういうことである。


「あの、うちのレトが何か…?」


 さすがに戦とは無縁そうなこの青年も、目の前に座る黒騎士に威圧感を感じ始めたらしい。

 むしろここまで、見上げるほどの巨体とゴブリン相手に凄まじい戦いぶりを見せたアレクセイを前に、よくぞ平静でいられたものである。一見すると人のよさそうな若者であるが、よくよく考えれば獣人を連れて旅をするような商人であるのだ。害意はなさそうだが、さりとて侮っていい相手ではないだろう。


「いや…彼女自身に含むところはない。ただ昔、獣人とちょっとな…」


 アレクセイはそう言葉を濁すこととした。


 アレクセイとて、馬鹿ではない。魔王が勇者とやらに討たれてから五百年以上の時が経っているのだ。戦に敗れた彼ら獣人たちが、いまだに人間と敵対しているとは考えていない。身なりやラリーの扱いからして奴隷、という風でもないようだ。こうして目の前にいる以上、なんらかの和解はなされているのだろう。

 ただアレクセイらの感覚でいえば、ついこの間まで彼ら獣人たちと剣を交えていたのだ。そう簡単に胸襟を開くとはいくまい。


 なのでアレクセイは訳知り顔で頷く青年へと意識を向けた。


「貴殿、ラリー殿といったか…そちらはもしや北の生まれであるのかな」


 ラリーの髪色は灰をまぶしたような、くすんだ銀色であった。瞳の色は濃い蒼色であるし身体つきこそ戦士のそれではないものの、背はなかなかに高く旅人らしく引き締まっている。


「よくご存じですね。もっとも私自身は南の生まれで、向こう出身なのは父方です。それでええと…」


 如才なく答えていたラリーの言葉が淀んだのをみて、アレクセイはいまだに自分たちが名を名乗っていなかったことに気づいた。


「ああ、これは失礼をした。私はアレクセイ・ヴィキャンデルという。こっちは妻のソフィーリアで、そちらは旅の供であるエルサだ」


 アレクセイたちはここまでの間にいくつかの取り決めをなしていた。そのひとつに自分たちの身分を明かさないことがある。

 故郷であるヴォルデン王国は既になく、それゆえに亡国の騎士を名乗ったところで頭がおかしいと思われるだけだろう。そのため、アレクセイたちはさる貴族に仕えていたが暇を与えられ、夫婦揃って冒険者の職を得るために旅をしているという言い分を考え出した。エルサはその道中で出会った行先案内人という設定である。


「なんと、ご夫婦でいらっしゃいましたか。随分とお若い…失礼いたしました。しかしお綺麗な奥方だ」


 商人らしく平静を装っていたラリーであったが、ソフィーリアの容姿を褒めたところで隣の相棒から撃肘をくらっていた。


「最終的には北の方へ向かおうかと考えているのだが…旅の商人と言われたか、あちらで商いをされたことは?」


「いえ、私は主に南部の州を回っておりまして」


 出自を聞いて僅かばかり期待したアレクセイであったが、どうやら彼も北部については詳しくはないらしい。白銀の髪を持つエルサにしてもそうだが、北部人の特徴をその身に残しているからといって必ずしも北について詳しいわけではないようだ。


「アレクセイ様たちはもしやこのままラゾーナに?」


「その通りだ。それと、敬称はいらんよ。騎士の位を叙しているわけではないのでな」


 かつてはヴォルデンの筆頭騎士の一人に数えられていたアレクセイではあるが、この帝国においては一介の戦士に過ぎない。おおっぴらに騎士を名乗るのはまずかろうということで、騎士だなんだを自称するのは控えるつもりであった。


「そうですか。私も騎士と呼ばれる方々と商いの経験がありますが、そのどなたよりも貫禄がおありでいらっしゃる」


「なに、たまさか身体が大きいだけだとも」


「お身体が大きければそれだけ酒や食事も必要になりましょう。また武具に使う鉄が多い方が、我々商人としましても儲けも大きいものです。しかしながら私のお客様方は皆さま倹約家であられるので…アレクセイさんが騎士でないのが残念でなりません」


 貴き方々には言えませんが、と苦笑してみせるラリーに釣られてアレクセイも忍び笑いを漏らした。


 戦が減って平穏な日が続くようになれば、騎士とて身体を鍛える機会は自然と減るものだ。それに贅沢に衰えた身体からは威圧感や威厳というものを感じることは難しかろう。

 しかし目の前の青年はこのように述べたが、決して嫌味には聞こえない。公然と言った貴族批判も、この程度ならむしろ面白おかしいものだ。


 つい先ほどまで獣人のレト相手に気を張っていたアレクセイであったが、目の前の青年と言葉を交わしているうちに次第に考えを改めるようになっていった。当のレトの方も嫌悪というよりは面倒そうな顔をしているのみで、敵意は見られない。

 そうしているうちに話の内容は次第に自分たちが向かう街、ラゾーナについてに変わっていく。


「ほう、では貴殿らもラゾーナに?」


「ええ、南の村々で各種の薬草を仕入れてきまして。ラゾーナは冒険者の街として名高いですから、これらがいくらあっても困ることはありません」


 どうやら荷馬車に積み込まれていたのは薬草の類であったようだ。自身が怪我をしたというのに商品に手を付けようとしないあたりは、見上げた商人魂であろう。


「ということは、かの街については詳しいのかな」


「それなりには。あいにくとやんごとなき方々には面識がありませんが…まぁ、彼らには薬草の類は必要ないでしょうから」


「倹約家だものな」


 アレクセイの言葉にラリーも笑う。どうやら彼らは年に数回ラゾーナを訪れるようで、最近の街の動向にも詳しかった。エルサ自身はラゾーナのことは知っていても実際に行ったことはないそうなので、ここで行先についての情報が得られたのは僥倖であった。


 ラリーが教えてくれたところによると、交易都市ラゾーナは別名「冒険都市」と呼ばれるほど冒険者の多い街らしい。街の四方には初心者向けの低難易度の迷宮が存在し、それゆえに冒険者になるべく近在の若者たちがこぞってその街にやってくるのだという。


「そもそもラゾーナはその迷宮に向かう冒険者のために造られた街なのです。なので都市全体が冒険者のために造られていて、街の中心には領主の館ではなく冒険者ギルドの会館が置かれているくらいですから」


 一般的な都市においては街の中心部に城やその街を担当する教会などがあるものだ。中心部に行くほど外敵からは遠くなるし、誰からも分かりやすい場所というのは権力を示すには具合がいい。そういう意味では特定の組合(ギルド)が都市の中心に居座っているというのは、なかなか珍しく思えた。ラゾーナという街においては、それだけ冒険者ギルドなる組織の権力が強いのだろう。


「王都や聖都のような煌びやかで美しい街というのも素晴らしいですが、ラゾーナのような機能的な街の方が私は好きですね。まぁこれは私が商人だからというのもあるのでしょうが」


 そう語るラリーの言葉にもアレクセイは賛同できた。

 ヴォルデンの騎士は貴族ではあったが、本質的には軍人である。その例に漏れずアレクセイもまた、絢爛豪華であるよりも活気が溢れ機能的な街の方が好ましく思えた。


「なるほど、それは見るのが楽しみだ。さしあたってはラゾーナまでの同道を許してはもらえないだろうか。商人殿とはこれまであまり口をきく機会がなかったものでな。常々話を聞いてみたいと思っていたのだ。それに、再びゴブリンどもが襲ってこないとも限らんしな」


 アレクセイはそう話ながらソフィーリアたちの方に目をやってみれば、彼女らもまた頷いていた。これまで黙って話を聞いていたレトだけは反対の言葉を述べようと腰を浮かしかけたが、アレクセイは掌を突き出してそれを止めた。


「無論、君ほどの実力があれば小鬼など恐れるに足らんことなど分っている。なのでこれはラリー殿と馬を手当てした代わりだと思ってもらいたい」


 どちらの傷もその場で命に関わるようなものではなかったが、あのまま放っておけばどうなるかわからなかったのも事実である。特に商人にとって荷馬車を引く馬は命と変わらぬだろう。

 ぐぬぬと歯噛みしていたレトであったが、ラリーがそっと手を頭の上に乗せると、渋々納得したのか耳を畳んで大人しくなった。


「我々の護衛が治療費の代わりとはなんともあべこべな話ですが…やぁ、これは道中で一体どんな情報を要求されるやら怖いですね」


「なに、今更商人になろうとは思わんよ。だがなにぶん私も妻も世事に疎くてな…面白い話を期待している」




 こうしてアレクセイたちはラゾーナまでの道すがら、ラリーたちからこの時代について話を聞くこととなった。

 そして後になって思い返してみれば、ここで旅の商人ラリーと獣人レトと知己を得たのは、大いに意味のあることであった。

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