第19話 狼の少女
すみません、昨日はオバロ最新刊を読んでいて
更新をすっかり忘れてしまいました。
五百ページは読みごたえがありすぎる…。
というわけで19話です。
獣人。
それはかつて魔王に率いられこの世界に現れた、獣の如き者どもであった。
様々な獣の特徴を色濃く残した彼らは、人間よりも遥かに強靭な身体能力をもって大陸の人間たちを大いに苦しめた。
熊に狼、獅子に虎。ときには天を往く鳥まで。
ある者は全身を獣の如き毛に覆われ、ある者は獣そのままの頭部を持っていた。まさしく野獣の咆哮を上げて襲い掛かってきた獣人たちによって、多くのアレクセイの仲間が命を落とし、アレクセイもまた数多くの獣人たちを屠った。
姿かたちは違えど、黒き肌を持った魔族や暗黒の森の闇森人>らと同じように、彼らは魔王に忠誠を誓っていたのだ。
自然界では強者こそ全てである。
それゆえにかつての獣人たちは魔王を絶対の強者と認め付き従っていた。
(その獣人がなぜ、こんなところに)
驚愕の思いで見つめるアレクセイの視線の先には、うっとおしそうに長い髪を払う、獣の耳を生やした少女の姿があった。毛並みや三角形にピンと張った形から見て、おそらく狼のものであろう。亜麻色の髪と同じ色の毛に覆われた耳は、実際の狼よろしく頭頂部のあたりから生えている。
ただ、顔立ちは年頃の人間の少女となんら変わることはない。アレクセイの記憶ではここまで人間のような特徴を残していた獣人はいなかったはずだ。それに本来の人間の耳があるであろう顔の側面は、長い髪の毛によって隠され見ることはできない。服装もごく一般的な布のシャツに動きやすそうなズボンを履いており、尻のあたりから耳と同じような狼の尻尾が覗いている以外は、普通の村娘となんら変わらないように見えた。
「アンタ、いつまで見てんねん」
アレクセイの視線を跳ねのけるように不機嫌な声でそう言うと、獣人らしき少女は顔を背けた。
彼女の話す共通語も、聞いたことのない訛りである。かつて世界中を回ったことのあるアレクセイにも聞き覚えのないものであった。当時の獣人も人となんら変わりなく言葉を喋ることができたが、このような訛りはなかったはずだ。
「まぁええわ、話はこいつら片付けてからにしよか」
少女は鼻を鳴らすと、首から下げていた小さな革袋から何かを取り出した。光を受けて鈍く輝くそれは、どうやら小さな魔結晶のようであった。
少女がその手に摘まんだ魔結晶を指の力だけで割ってみせると、突如として彼女の身体に変化が起こった。
ざわざわと虫が走るような音がしたかと思うと、彼女の身体から亜麻色の毛が生え始め、首や手を覆ったのである。毛はまるで這うように首から顔まで到達すると、少女の顔をも埋め尽くしてしまった。
少女は俯いていた顔を上げると、天に向かって勇ましく雄たけびをあげた。
「アオォォォォン!!」
突き出た鼻に、垣間見える牙。
どこから見ても狼のそれにしか見えないその威容は、アレクセイの知る、まごうことなき獣人の姿そのものであった。
二本の足で立つ狼へと変貌した少女は、驚き固まるアレクセイを無視して同じように動けずにいたゴブリンへと飛び掛かった。哀れなゴブリンは跨っていた魔狼ともども、少女のするどい爪によって切り裂かれた。
ここで正気に返ったゴブリンたちは身をひるがえして逃走を図ろうとしたのだが、少女は黄金の瞳でもって彼らを見据え、鋭くひと吠えしてみせた。すると小鬼どもを乗せていた魔狼たちはみなすくみ上り、その足を止めてしまったのである。ゴブリンたちは必死に魔狼を急かすのだが、狼たちの目は強力な上位者の方に固定されたままであった。
「アンタらには悪いが、容赦はせぇへんで」
少女の口からくぐもった声でそう言葉が発せられると、意味がわかったわけではなかろうが魔狼たちヤケクソのように一斉に少女へと襲い掛かった。そうして飛び掛かってくる魔狼たちを少女は苦も無く切り裂いていく。そうすると乗っていたゴブリンたちもまた次々に地面へと叩きつけられることとなった。
そうして這う這うの体で逃げ出そうとした一体のゴブリンを、アレクセイは大盾で上から叩き潰した。背後の獣人少女を振り返りながら走っていたゴブリンには、自分がどうやって殺されたのかすらわからなかったことだろう。
我を失った魔狼たちは少女の爪と牙によって引き裂かれ、逃げ出そうとしたゴブリンどももアレクセイによってことごとく倒されていった。しかしどれほど弱くとも、逃げ足だけは早いのが小鬼である。
運のいい幾匹かのゴブリンどもが、虐殺の場から逃げ出すことに成功したのだ。当然アレクセイは追いかけるべく一歩を踏み出したのだが、彼らの向かう先に小さな人影を見てその足を止めた。
ゴブリンどもの行く先に待ち構えていたのは、槍を手に持ち佇むソフィーリアであった。
目の前の人間の娘ならば、背後にいる怪物たちよりもたやすいと考えたのだろう。必死の形相でひた走っていた小鬼どもはいやらしい笑みをその顔に浮かべると、手に手に獲物を振り回し彼女に殺到した。
三体のゴブリンがソフィーリア目掛け飛び掛かった、その刹那。
自然体で立ち尽くしていたソフィーリアが目にもとまらぬ速さで槍を翻してみせると、ゴブリンどもの首と身体が切り離された。飛び掛かった勢いもそのままに、ゴブリンたちの身体は血しぶきを上げて大地へと転がる。
すると後ろから仲間の末路を見ることになった一体のゴブリンが、慌ててソフィーリアから逃れるように街道脇の草むらへと飛び込んだ。
「ネッド!」
高らかに響いたエルサの掛け声のあとに、半透明の狼がどこからか現れるとゴブリンを追って草むらへと飛び込んでいく。すると背の高い草むらが揺れた後、その向こうから悲痛な小鬼の悲鳴が上がることとなった。
馬車の周囲にいたゴブリンどもを全滅させたアレクセイは、そんな妻たちの姿を眺めていた。とりあえずこれで、荷馬車を追っていたゴブリンたちは全て片付けたはずである。
目の前の獣人少女に視線を戻してみれば、彼女の姿はいつの間にかもとの人のそれへと変化している。ただ人間にはありえない一対の獣の耳だけが、相変わらず彼女の頭の上で存在感を示していた。
「君は…」
そんな少女に警戒しつつ声をかけようとしたアレクセイであったが、少女ははっと思い出したかのように馬車の方を振り向くと足早にそちらへと駆け出した。
「ラリー!」
少女が駆け寄ったのは、御者らしき青年である。農民には見えない。戦士という身体つきでもないし、どことなく世慣れしていそうな雰囲気から見て商人か何かだろう。落ちた際に痛めたのか、ラリーと呼ばれた青年は右腕を抑えていた。出血もしているようで服の右腕部分は赤く染まっており、少女が心配げにその腕に触れると苦痛に顔を歪めた。命に関わる傷ではなかろうが、荒事にはあまり慣れていない様子からして、さぞ痛いに違いない。
「めっちゃ血出とるやん!はやく止血せんと!」
「俺は大丈夫だ、レト。それより奴らにやられた馬の具合を見ないと…」
獣人の少女の名はレトというらしい。少女は青年の言葉を無視して彼の袖を破くと、自身のシャツの裾を引き裂いて包帯代わりに怪我した部分へ巻き付けた。たちまち布は血を吸って真っ赤になる。
「馬なんかどうでもええて!えぇと傷薬は…アカン、こないだ使うたばっかや!」
その様子を見ていたアレクセイの傍には、いつの間にかソフィーリアが立っていた。そして同じように二人の姿を見ていた彼女は、アレクセイが止める間もなく獣人の少女、レトに声を掛けた。
「あの、もし…」
「うるさい!アンタらの相手は後や!あ~、この辺にちょうどええ薬草なんかあったか!?」
レトはソフィーリアの方を見ることなく、喚きながら忙しなく髪を掻きむしっている。そんな様を見てもソフィーリアは怯むことなくもう一度声をかけた。
「あの!もし!」
「さっきからうっさいねん!こっちは見ての通り忙しいんや!!」
とうとうレトは苛立たし気にこちらを振り向いた。ソフィーリアは相手の怒気を孕んだ瞳をまっすぐに見据えながら、しかし穏やかに微笑んで言った。
「貴方がよろしければ、その方の傷を治して差し上げます。私はこう見えても聖職者ですので、癒しの奇跡を修めていますから」
「ソフィーリア!?」
彼女の提案にアレクセイは驚きの声を上げることとなった。闇霊である彼女は神の奇跡を使うことはできないはずだ。そのためにマジュラ迷宮ではエルサの身体に憑依することになり、その結果として少女の姿へと変化してしまったからである。
だというのに再び奇跡の行使を提案するとはどういうことだろう。またエルサの身体を使うつもりであろうか。アレクセイとしては見ず知らずの、それも獣人相手にそこまでしてみせる義理はないように思えた。蘇生の秘儀と癒しの奇跡を比べようもないが、それでも何が起こるかわからないエルサへの憑依を、易々と認めるわけにはいかない。
「ホンマか!?」
しかし彼女にそう提案されたレトは、先ほどまでとは変わって顔を輝かせるとソフィーリアの方に身を乗り出した。金色の瞳には苛立ちではなく期待の色が込められている。
そうして今度もまたアレクセイが止める間もなく、ソフィーリアはレトに向かって頷いてしまった。
「ええ。いくらかの出血と…骨折もしているようですが、これならば私にも治せますわ」
荷馬車に寄りかかるように地面に座っていたラリーの脇に、自身も膝を突いて傷の具合を見る。そうして怪我の程度を判断したソフィーリアは、当の二人に向かって微笑んでみせた。
「ほなら頼むわ、嬢ちゃん!コイツの腕を治してやってくれ!」
「お、おい!俺は別にこのくらい…あ痛てて!」
勝手に進む事態に抗議の声をあげようとしていたラリーの耳をレトが摘まんで捻る。そうして青年の言葉が途切れたのを見計らうかのように、ソフィーリアは癒しの祈りを口にし始めた。
「天に満ちるは原初の炎。激しく燃え盛るゾーラの泉。この身を杯とし癒しの奇跡を傷つき者へと与え賜え。我は炎より命の灯を見出さん」
「うわっ!?」
「なんや!?」
ソフィーリアがラリーの腕に手を翳し祈りの言葉を紡ぐと、傷口から一瞬小さな炎が立ち上った。蝋燭が消える前に一瞬強く燃えるのと似た炎の出現に、二人は揃って驚きの声を上げる。
「おまっ…!一体何して!」
「…痛くない」
いまにもソフィーリアに食いつこうかという剣幕であったレトの声は、驚きに満ちたラリーの言葉に半ばで止められることとなった。
「全く痛くないぞ、レト!」
それを証明してみせるかのようにラリーは立ち上がると腕をブンブンと振ってみせた。骨が折れているならば、このようにはいくまい。
その様子を呆然と見ていたレトはラリーの笑顔に釣られたように笑うと、照れ隠しのつもりなのか彼の腹に拳を突き入れた。たちまちラリーの顔が苦悶に歪む。
「おまっ…!治ったばかりだというのに…」
「心配させたアンタが悪いねん!このドアホ!」
かつての敵たる獣人の娘が、人の男と仲睦まじくしている様をなんとも言えぬ心持ちで眺めていたアレクセイだったのだが、ふと傍らのソフィーリアの顔を見てぎょっとした。彼女もまた常と同じように朗らかに微笑んでいたのだが、明らかにその顔色は青く、霊体であるはずの額にはうっすらと汗までかいていたからだ。
「ソフィーリア、やはり…!」
「大丈夫ですから、心配なさらないで、あなた」
彼女はそう述べると心配するアレクセイを置いて、快気に沸くラリーとレトの前へと進み出た。
「あの、よろしければそちらのお馬さんにも癒しの奇跡をかけたいのですが…」
「よろしいのですか?私が言うのもなんですが、その、顔色があまり」
レトと騒がしく言い合いをしていたラリーは、そう提案するソフィーリアの顔色を見て取ると、さっと態度を改めてそう返した。
「大丈夫ですわ。それよりも…」
こうしてアレクセイたちは、この時代で目覚めてから初めてのエルサ以外の存在、商人ラリーと獣人レトと出会ったのだった。




