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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第二章 半ツ星の夫婦
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第18話 襲撃者

 エルサから不死についての講義を受けた、次の日のことである。


 交易都市ラゾーナを目指し旅を続けていたアレクセイたちは、ラゾーナへの街道と並んで流れる河の傍で小休止をとっていた。無論のこと不死であるアレクセイとソフィーリアには休憩など必要ないのだが、生者であるエルサのためであると同時にソフィーリアが強く希望したからでもあった。


「随分とご機嫌だな、ソフィーリア?」


 地面に胡坐をかいて座るアレクセイは、自身の後ろで鼻唄を歌う妻にそう声をかけた。ソフィーリアの身体はエルサへの憑依の影響により少女のそれへと変化してしまった。そのためアレクセイが地面に腰を下ろすことでようやっと背丈が揃うのだ。

 アレクセイの背後に笑顔で立つソフィーリアの手には、手ずから河の水で絞った布巾が握られている。物体への干渉方法を習得したソフィーリアは、エルサに詰め寄ると手ごろな布はないかと要求したのだ。そうしてそれを河の水に浸し、特訓の成果とばかりに絞ってみせた。


「もちろんですわ、あなた♪一刻も早くお体を拭いて差し上げたかったんです」


 彼女はそう言うと手にした布巾を使ってアレクセイの身体、すなわち甲冑を拭っていく。

 現在はアレクセイの肉体と化した聖竜の鎧は、マジュラ迷宮における度重なる戦闘で汚れに汚れていた。砂埃などはともかく、斬りまくった亡者どもの返り血など、よくよく目を凝らしてみれば確かに薄汚れている。


 相手の返り血を浴びないように剣を振るうのも剣士の技のひとつであり、アレクセイもまたある程度は意識してそれをこなしている。ただ元来身体の大きなヴォルデンの戦士たちではそれら全てを避けることは難しく、またヴォルデンには戦で流れた血は不浄なものではないという考えもある。古えの北部の戦士にいたってはむしろ好んで血を被ったとも聞いている。


 但しそれはあくまで戦士としてのアレクセイの考えであって、決して身綺麗にしなくてよいというわけではない。

 鎧が黒く焼けてしまったことも相まって、さして目立たないだろうとアレクセイが思っていたら、布巾を手にしたソフィーリアに詰め寄られたのだ。


「仮にも陛下より≪竜の鱗≫(ドラゴンスケイル)を賜わった騎士が、それではいけません」


 口ではアレクセイのことを叱りつつ、妻の顔はあくまで楽し気だ。神に仕える戦士でありながら立派な貴族の淑女であるソフィーリアは、見た目の美しさと相応にして綺麗好きであった。

 エルサ曰く明日にはラゾーナに着くだろうとのことなので、その前に少しでも鎧を清めておきたいというのが彼女の言い分である。


「それを持ち出されると弱いな、ソフィーリアよ。相分かった。存分にやってくれ」


「はい♪」


 肉の身体はすでになく、冷たい金属鎧では感覚などないだろうに、なぜかアレクセイは背中を拭く妻の手から心地よさを感じていた。そういえばアレクセイたち夫婦もかつてはこうやって互いの身体を流していたものだ。


 四騎士と呼ばれる一軍の長であったアレクセイと神官戦士の長であったソフィーリアは、普段は王に仕えるために王都にある館にて暮らしていた。それでもときたま実家のあるヴォルデン領に帰っては、夫婦水入らずで湯浴みに興じていたのだ。寒さの厳しいヴォルデンではあったが、意外にも温泉の名地が多く、その民は王から平民にいたるまで風呂好きとしても有名だった。


 戦で存分に血を浴び、炎神ゾーラの加護を受けた湯にてそれを洗い流す。


 そうやって血を大地へと返すことで、戦いの神でもあるゾーラへの感謝とするのである。


「はは、こうしているとヴォルデンにいた頃を思い出すな」


「はい…って、もう!エルサさんもいるというのに、恥ずかしいことを言わないでくださいな」


 前を向くアレクセイには見えないが、妻の顔は赤くなっていることだろう。そう言ったソフィーリアは手にした布巾でアレクセイの肩をペチンとはたく。マジュラ迷宮ではそちらから散々抱き着いてきた挙句、エルサの前で口づけまで披露してみせたというのに、まったく理不尽なことだ。アレクセイは笑いながら背後の妻に手を振って謝った。


 いかにも清楚げな見た目に反してけっこう感情豊かなソフィーリアであるが、元来は貴族の女性らしく相応の貞淑さを備えている。彼女の愛情表現が爆発するのはアレクセイと二人きりのときなのだが、あの時は闇霊として覚醒したばかりであったし感情も揺れていたのだろう。

 あるいはエルサと多少知己を深めたからこそ、かつての夫婦生活を知られるのが恥ずかしいのかもしれないが。


 幸いなことに、エルサは二人から少し離れたところで食事の後片付けをしていたから、今の話を聞かれた心配はなさそうである。


 かつての生活を思い出し懐かしさに浸っていたアレクセイは、再びソフィーリアが布巾で肩を叩いたことで意識を呼び戻された。


「なんだ、まだ恥ずかしがっているのか?」


「いえ、あなた、あそこを」


 彼女がアレクセイの肩越しに指さした方に目を凝らせば、遠くから荷馬車らしき影がこちらに向かってくるのが見えた。


「ほう、人か。街道に出てからようやっとこの時代の人間に出会えたか」


「ですが、何かに追われているようですよ?」


 妻の言葉を聞いたアレクセイは立ち上がると、手を兜の前に翳して荷馬車の影を注視してみた。確かに荷馬車が街道を走るにしては速度が早いし、その後ろ、少し距離を離したところに複数の影も見える。そこに光を受けて煌く刃物らしき影を見て、アレクセイもあの馬車が追手から逃げているのだと判断することができた。


「どうされたんですか?」


 木皿を布で拭きながら、寄ってきたエルサが訊ねた。


「荷馬車だ。どうやら追われているらしいが…」


「え!?」


 エルサはぎょっとすると自身も手を額に翳して影の方に目を凝らした。戦士ならぬ人であるエルサの目には影の詳細を捕らえることは難しかろう。まだかなりの距離があるし、アレクセイにもまだ詳しい様子はわからない。


「事情が分からぬうちは下手に手出しはできんだろうな…」


「それは、そうですけど」


 ただでさえアレクセイたちはワケありなのだ。自分から面倒に首を突っ込むことは避けた方がよい。


「ですがどうやら追っているのはゴブリンのようですね。それに荷馬車には御者と…子供かしら?小柄な人影が見えますわ」


「ふむ。となれば迷うことはあるまい」


 魔物相手、なおかつかつての魔王軍の残滓であろうゴブリン相手であれば選択の余地はない。ヴォルデン騎士として、魔なる者は斬り捨てるのみだ。


 アレクセイは川辺の岩に立てかけていた剣と盾を拾うと颯爽と駆け出した。ゴブリン相手であれば塔の盾>(タワーシールド)は必要なかろうが、油断は禁物だとこの間戒めたばかりだ。それにこの巨大な金属盾を抱えていても、アレクセイの足が鈍ることなどない。


 ゴブリンどもはどうやら魔狼(ワーグ)の背に乗っているらしい。アレクセイが荷馬車目掛けてひた走る中、荷馬車の横に一騎が追いつくと、その背に乗ったゴブリンが手にした短剣で馬の横腹を斬りつけた。

 刃渡りが短かったのと不安定な態勢から繰り出されたおかげで、刃が馬を深く傷つけた様子はなかった。しかし突然の攻撃に驚いた馬は大きく態勢を崩し、走る勢いそのままに荷馬車ごと横転してしまった。


「いかん!」


 荷馬車が倒れた衝撃で乗っていた御者と子供が投げ出されてしまう。地面に打ち付けられた御者の若い男は苦悶に身を捩っているが、しかし子供の方は打ち所が悪かったのか、地に伏せったままピクリとも動かない。頭までフードを被っているせいで顔は分からないが、僅かに起伏のある身体の線からして少女かもしれない。


 荷馬車の周囲を囲ったゴブリンたちはひた走るアレクセイに気づいた様子はまだなく、ニヤニヤと笑いながら御者と少女を見つめている。そのうちの一騎が前に進み出て、魔狼の背から一体のゴブリンが下りてくる。馬を斬りつけたあのゴブリンである。


 その手に握られた短剣の刃が鈍く光るのを見て、アレクセイは一気に足を速めた。猛烈に加速したアレクセイの巨体は周囲を囲むゴブリンたちを軽々と飛び越えた。


「ゴブッ!?」


 唖然とする彼らを無視してアレクセイは短剣を握るゴブリン目掛け、落下の勢いもそのままに塔の盾>(タワーシールド)を叩きつけた。

 数十キロにも及ぶ巨大な金属の塊が、重力とアレクセイの膂力を合わせてぶち当てられたのだ。

 哀れなゴブリンはまるで潰れた果実のように地面に赤い華を咲かせることになった。


「…お前たち小鬼に、覚悟は問わんよ」


 もうもうと立ち上る砂煙の中、アレクセイがゆっくりと身を起こす。右手には抜きはなたれた剣が握られ、左手の大盾は下端部を赤く染めている。そしてその下には肉塊と化したゴブリン。

 周囲を取り巻く小鬼たちには、さぞかし目の前の巨大な黒騎士が恐ろしく映ったことだろう。

 アレクセイはゴブリンたちを眺めまわして、静かに言った。


「鏖殺だ」


 ゴブリンは勇気とは真逆にいる魔物であるが、それでも魔狼の腹を蹴って飛び掛かった最初の一体は、ゴブリンにしては見上げた根性の持ち主であったのかもしれない。

 もっとも、手斧を振り上げ飛び掛かったそのゴブリンは、乗っていた魔狼もろとも真っ二つに切り裂かれたのだが。

 いかな残虐で知られるゴブリンであっても、生き物が縦に両断される様など見たことがないに違いない。

 仲間だったモノが音を立てて地面に落ちたのを見て、彼らは震えあがった。


「逃がさんぞ?」


 アレクセイがゴブリンどもを皆殺しにすべく、一歩を踏み出そうとしたそのときである。


「このアホンダラァッ!人の作戦ぶち壊しおってからに!なにしてくれんねん!」


 憤怒が込められつつもまだ幼さの残る甲高い声がその場に響き渡り、アレクセイは気勢が削がれたように背後を振り返った。

 そこには、倒れ伏していたはずの少女が肩を怒らせて立っていた。怒りのあまり、フード越しの頭から湯気すら見えてきそうな勢いであった。少女はほっそりとした指でアレクセイの方を指さすと、なにやらわめき始めた。


「そこの鎧のデカいの!アンタやアンタ!せっっっかくウチがやられた振りして小鬼どもをおびき寄せたゆうのに、上から降ってきおって!やかましいのなんのって、おかげで耳いかれるかと思たわ!」


 不思議な訛りで話す少女はアレクセイに向かって文句をぶちまけ始めた。どうやら倒れていたのはゴブリンどもをおびき寄せるための演技であったようだ。だがおびき寄せてからどうするつもりであったのだろう。少女は腰に護身用らしき短剣を帯びているのみで、他に武器らしい武器も持っていない。風体からして魔術師には見えないし、その身体のほっそりした線を見るように、戦士として身体を鍛えているようにも見えなかった。


 アレクセイがなんとも返せずにいると少女はなおも文句を垂れ続けていたが、その背後から一体のゴブリンが忍び寄っていた。そして短剣を構えたゴブリンが少女の背目掛けて飛び掛かかる。


「む!後ろだ!」


「わかっとるわ」


 ゴブリンの短剣が少女の身体に突き立てられる直前、身をひるがえした彼女は刃を避けるとなんとゴブリンの顔を鷲掴みにした。そしてゴブリンの手首を掴むと、短剣の動きをも封じてしまう。

 少女の背丈は小鬼よりは高かったので、その手に掴まれたゴブリンの身体は自然と宙に浮くことになる。ゴブリンはジタバタと暴れてその手を逃れようとするが、まるで鋼で出来ているかのように少女の腕はビクともしなかった。


「暴れんなや、暴れんなや…今ラクにしたる」


 少女はそう言うとゴブリンの頭を掴む腕を捻った。そうしてあろうことか小鬼の首をへし折ったのだった。


「なんと、君は…」


 驚嘆するアレクセイの方を振り返り、少女は頭に被っていたフードを外した。


「じ、獣人だと!?」


 驚くべきことに、亜麻色の髪を持つ少女の頭部には、狼の如き耳が生えていたのだった。

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