第15話 帝国
本日4/24(火)より、第二章開始です。
帝国。
それはこの広大なリーヴ大陸を治める、人間たちによる統治国家である。
正式な名はそのまま≪リーヴ帝国≫という。
神代の時代から続く大陸の呼び名をそのまま国の名前とするのは、単に人間たちが不遜なだけではなく、この大地に人間が治める国がこの帝国以外にないからであった。
言い伝えによれば、帝国の前身は大陸南部にあった小さな王国であったらしい。
かの国は魔王の出現から勇者による討滅までの間に荒れ果てていた大陸の人々をまとめ上げ、時の王は僅か一代にて大陸統一を成し遂げたのである。
それは遥か昔、大陸全土を支配下に置いていた古代人たち以来の偉業であった。その功績の背景には、魔王を討った勇者の協力があったとも言われている。
かくして救世の英雄を味方につけた王は初代皇帝に名を変え、森人や鉱人といった亜人種を除くリーヴ大陸に住まう全ての人間たちの頂点に立ったのである。
エルサの口から語られたこの国の生い立ちは、戦乱の世において王のもとに剣を振るっていたアレクセイに大きな衝撃を与えていた。
あの時代を生きた王、そして武人たちの多くがその偉業を夢見ていたのだ。アレクセイが騎士となったのは力なき民を守るためであったが、同時に敬愛する王のためでもあった。自らが命を落とし、祖国もまた滅びたことを知った今となってはうたかたの夢ではあるが、それでも剣に生きたものとして動揺せずにはいられなかった。
隣で話を聞くソフィーリアもまた驚きの表情を浮かべてはいたが、それも一瞬のことですぐに冷静さを取り戻していた。
(これが騎士と神官の違いか…いや、男と女の違いか?)
アレクセイは内心でそんなことを考えながら、この時代のことを説明するエルサの言葉に集中することにした。
マジュラ迷宮を脱したアレクセイたちは交易都市ラゾーナに向かっていた。
迷宮を発ってまだ三日であり、寺院があるあの断崖はすでに見えない。
馬もない徒歩での移動では一日で稼げる距離などたかが知れているが、そこは疲れを知らぬ不死の身だ。夜の間は唯一の生身であるエルサをアレクセイがおぶって絶えず移動していたし、霊であるソフィーリアも同様に疲労とは無縁だ。
エルサ曰く、闇霊はその気になれば空中浮遊はおろか瞬間移動すら可能らしいが、あいにく今の彼女にはまだ叶わない。
こうまでしてアレクセイたちが強行軍を続けるのは、ひとえにマジュラ迷宮にいた兵士たちを警戒してのことだ。
ソフィーリアの念力によって失神させはしたものの、大した力は使っていないためいつ目を覚ますとも限らない。アレクセイが心中で思ったようにこれを一夜の幻か何かだと思ってくれればよいが、仮にも迷宮に詰める兵士たちにそれは期待できないだろう。寺院には馬もいたし、おそらく遠からず近隣の街あたりに連絡をいれるはずだ。
馬を拝借する案もあったのだが、残念ながらアレクセイの巨体では並みの馬に乗ることはできなかった。
"騎士"とはそもそも"騎して戦う戦士"の意であるが、精鋭かつ巨漢揃いのヴォルデン重騎士団に所属するアレクセイに限っては、それは当てはまらない。また、そのことを恥じる気持ちは一片たりともない。
さりとて一度くらいは爽快に馬を乗りこなしてみたいものだ、と密かに思っているアレクセイであった。
ともかく、昼夜を問わぬ行軍によりある程度迷宮からの距離を稼いだ一行は、夜を越すための野営の準備を行っていた。
ここまで人目を避けるように小道を歩いていたアレクセイたちは、ここにきて河沿いの大きな街道に出ることにした。
そうしてしばらく進んだのち、河の近くに岩に囲まれた手ごろな場所を見つけるとそこで夜を明かすことに決めたのである。距離を稼いだとはいえこの辺りはなだらかな平野が続いているので、遠くからでも焚火の明かりが見えることだろう。できるだけ用心するに越したことはない。
すでにとっぷりと日は暮れ、空には昔と同じ二つの月が浮かんでいる。
食事を必要とするのもエルサ一人であるので、準備も片付けも大した時間はかからない。なのでそうして空いた時間を利用して、アレクセイたちはエルサからこの時代の常識を学ぶことにした。
「…そうして帝国は皇帝陛下が治める直轄領と、四十八人の総督が治める州領地に分かれることになったのです」
人差し指を立てながら説明するエルサが語るところによると、自分たちがいるのはその中のひとつであるビロバ州というところらしい。ラゾーナはその中でも州の都に次ぐ大きな街で、近在の街の中で情報を集めるのならまずはそこだそうだ。
「この大陸をひとつの国が治めているなんて驚きですけれど、地方で反乱などが起こったりはしないのですか?こうも広いと、皇帝の目も届かないでしょう?」
ソフィーリアの疑問はもっともな話で、為政者の頭をいつも悩ませるのはいつだって侵略の手段ではなく統治し続ける方法だ。領土を広げれば管理が難しくなるのは道理であり、それが原因で大陸統一を目前にしながら夢破れた国も多い。
ヴォルデン王国は長い年月をかけて北部統一を果たし、アレクセイが仕えたジグムント一世の治世下で最大の繁栄をみた。しかしそれは国民となったのが人種や文化が似通った北部人同士であったからなのも事実であり、人間の中だけでも多種多様な民族・宗教を抱える大陸全土が対象となれば、その困難さは推して知るべしだろう。
生き方・考え方が異なれば自然と不満は溜まるもので、それが為政者の目の届かぬ辺境であればなおさらである。内なる鬱憤が武器をもっての行動に代わるのに、そう時間はかからないだろう。
ソフィーリアの言葉の後に大きく頷くことでアレクセイが妻の疑問に同意して見せると、なぜかエルサは得意げな顔で立てていた指を振った。
「そこで出てくるのが人の英知、ずばり≪念話珠≫です!」
聞きなれない単語に夫婦揃って首を傾げていると、エルサが張り切って説明を始める。
驚くべきことにそれは、魔法を使って遠くの人間と、まるで相手がそこにいるかのように会話できる道具らしい。しかも魔法の道具でありながら魔術の心得のない人間にも使うことができるという。
時間と距離に囚われない情報伝達など、その有用性は政治・軍事に限らず日常生活の場にいたるまで計り知れない。騎士でありヴォルデンの軍人であるアレクセイは、迷宮の存在と同じくらいの衝撃を受けていた。
「なるほどな…それではあちこちに皇帝の目や耳があるのと同じことだ」
アレクセイは帝国の統治の秘訣を知って得心がいった。無論それだけで地方の反乱を防ぐことはできないだろうが、中央権力の維持は格段に楽になることだろう。
「でしょう?もちろん私たち冒険者もその恩恵に預かることは多いです!流石は"古竜塔・三大発明のひとつ"といわれるだけありますよね」
「なに、≪古竜塔≫だと?」
エルサが何気なく言ったその名前にアレクセイは強く反応することになった。次いでソフィーリアの方を見てみれば帝国や≪念話珠≫のときよりもよほど驚いているように見える。
「古竜塔って、あの魔術師たちのですか?」
「?…そうですよ?」
妻の問いにエルサもまた不思議そうに首を傾げている。
≪古竜塔≫はアレクセイたちの時代にも存在した、多くの魔術師たちが集まる地であった。魔術師たちの総本山と言い換えてもよいだろう。そこでは魔術そのものについてはもちろんのこと、ありとあらゆる学問が魔術的な側面から研究されていたのである。
剣と鋼の教えをよしとするヴォルデンにおいて魔術師は怪しげなものとされ忌避されていたが、アレクセイ自身には個人的に親交を結んだ幾人かの魔術師もいた。
「そうですか…古竜塔が、まだあるのですね」
ほんの少しだけ悲し気な表情で顔を俯かせたソフィーリアもそれは同様である。なにせ彼女の弟、アレクセイの義弟もまたその魔術師の一人であったからだ。となればそこに彼の記録が残っている可能性は高い。なにせ古竜塔の別名は"知識の塔"であり、そこに所属した人間の名は記録し保管されているはずである。
「ソフィーリア…」
アレクセイが優しく声を掛けると、顔を上げた彼女は少しばかり笑って首を振った。
「機会があれば行ってみたいとは思いますけど…今の私たちはこんな身体ですから。あまり敏い人間には近づかない方がいいかもしれません」
彼女の言う通り、自我を保ちながら不死の魔物となったアレクセイたちは、学問の徒である魔術師たちからすればこの上ない研究対象であろう。ただでさえ手ごわい魔術師が徒党を組めばいかなアレクセイとてどうなるかはわからない。なにかいい手立てが見つからない限りは、ソフィーリアの言う通り接触はしない方がいいだろう。
「そっか…≪古竜塔≫はアレクセイさんたちの時代もあったんですね」
「あぁ。騎士である私には縁遠い存在とはいえ、かつてと変わらぬ名前が聞けるのは嬉しいものだな。他には…」
「そういえば、森人や鉱人の方たちはどうしているのでしょう?まさか彼らまで滅んだわけではないですよね?」
妻の言葉でアレクセイもかつての仲間たちのことを思い出していた。魔王が現れるよりも前、"邪神竜狩り"の旅を共にした友人たちだ。国も種族も異なる友であった彼らはどうしているのだろうか。人間である自分たちと違って彼らは遥かに長い寿命を有していたから、あるいはこの時代でもまだ生きているかもしれない。
「そうだ。レイリスやガネルらはどうしているのだろう。エルサ君、彼らの名に聞き覚えはないか?」
アレクセイとソフィーリアは期待を込めてエルサの答えを待ったが、彼女は申し訳なさそうに首を振った。
「すみません、心当たりは…。でもエルフもドワーフの方もたくさん生きていますよ!冒険者として活躍している人も多いです!」
彼女の答えにアレクセイたちは僅かな落胆を感じつつ、それでも種として滅びたわけではないということに安堵した。また人間ともうまくやれているようだ。帝国が大陸全土を統一したというものだから、あるいは魔王ではなく人間によって滅ぼされていてもあかしくはないと思ったからだ。
そこまで言うとエルサは何かを思い出したかのようにコホンとひとつ咳払いすると、急に居住まいを正した。そして再びピンと指を立ててアレクセイらに告げた。
「そこでお二人に提案があるのですが…アレクセイさんたちには、冒険者になってもらおうと思います!」