第13話 代償
「こんなことが…」
冷静さを取り戻したソフィーリアが自身の身体を見下ろして呟いた。
蘇生の秘儀を終えてエルサの身体から抜け出してきたソフィーリアの身体は、それまでとは異なる少女の姿に変化していた。年の頃は十四、五というところだろう。並みの男よりも高みにあった身長は大きく縮んで、小柄なエルサとそう変わらない。
大人の艶やかさと母の慈愛を兼ね備えた美貌は年相応の少女の可愛らしいものへと変化している。ただ、長く美しい金髪と女性らしさを強調する上下の膨らみはあまり変わらない。
ヴォルデンの女性は若いころから発育が良いとされているから、特別おかしいわけではないのだが。
「あ、あなた…?」
驚きのあまり声も出ないアレクセイを、心配そうにソフィーリアが見上げる。その目線もアレクセイが知るものよりだいぶ低い位置から送られている。
もちろんアレクセイとて妻の変化に対する驚きからはだいぶ立ち直りつつあった。だが彼はそれとは全く別のところで衝撃を受けていたのだ。アレクセイは声もなくその場に膝を突くと訝し気な妻の頬に手を当てた。そして重々しく呟く。
「なんと…可憐な…」
「んな!?」
思わず声を上げたのはエルサだ。ソフィーリアはといえば夫の言葉に頬を染め、身を捩らせている。その様はいかにも嬉しさと気恥ずかしさに身もだえる、恋する年頃の娘のようだ。
「な、何を言っているんですかアレクセイさん!しっかりしてください!」
エルサの叱咤にアレクセイも我を取り戻す。頭を振って立ち上がると自分の迂闊さ、というか阿呆さに思わず目を覆ってしまった。
「す、すまないエルサ君。こんな事態は想定していなかったものでな」
アレクセイがソフィーリアと出会ったのは結婚前、ともに"邪神竜狩り"の旅に出た頃になる。その時彼女は十八で、すでに高い背丈と発達した大人の女性の体つきをしていた。ヴォルデンの女性の身長は幼いころは多民族の女性とそう変わることはなく、成人と認められる十六を境に急激に伸びていく。
当時の国の識者たちが言うところによると、まず子を産むための器官が成熟してから戦士として相応しい身体が出来上がっていくからだという。
ともかくアレクセイは戦女神の如く美しいソフィーリアは知っていても、エルフの妖精姫もかくやという可憐すぎる彼女の姿は見たことがないのだ。
数奇な運命に見舞われたアレクセイたちであったが、このことだけは天の神に感謝せずにはいられなかった。
「それで!みんなはどうなったんですか!?」
「え、ええ。彼らは中に。大丈夫、蘇生は成功しましたよ」
開け放たれた扉の向こうをソフィーリア指さすと、エルサは勢いよく駆け出した。そこで仲間の少女の体をかき抱きそこに温もりが蘇ったことを確かめると、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ出した。
その様子を見たアレクセイは扉をそっと閉めると、妻のもとに身を寄せた。
「ソフィーリア、本当にご苦労であったな」
「いえ、いくらかは賭けでしたがうまくいってなによりです。もっとも代償はありましたが…」
アレクセイは改めて妻の姿を見下ろした。以前よりもだいぶ下にあるソフィーリアの身体は、年齢が幼くなってしまった以外には別段変化は見られない。やはり瞳も紅いままであり、闇霊特有の強い魔物の気配も感じられる。
「しかしこれは一体どういうことだろう」
「おそらくは、ですが…」
ソフィーリアが少しずつ語るところによると、いまの状態はソフィーリアとエルサの魂が強く同調し過ぎたからだという。もともとソフィーリアとエルサでは魂の強さが違う。それは術師としての才覚の違いであり経てきた経験の差でもある。
過ぎた力は身を亡ぼすというように、本来肉体と魂は同じ歩みを辿って成長するものだ。エルサの身体はソフィーリアの魂を受け入れるにはまだ弱かった。それゆえソフィーリアは自らの魂の格をエルサの身体に合わせたのだという。
「そんなことがありえるのだろうか?」
「熟練の降霊術師や、あるいは私がもっと霊体として経験を積んでいれば違っていたのかもしれません。ですがあなた、心配はなさらないで。魂の格を合わせたといっても本来の力がなくなったわけではありません。時間が経てば、あるいは私が霊体としてもっと力をつければきっと元の姿に戻れますわ」
そう言ってソフィーリアは微笑んだ。たとえ身体は縮もうとも、彼女の柔らかな笑顔は変わらない。アレクセイがそのことに気づくと、彼の胸中の不安は瞬く間に掻き消えた。
(やはり君は素晴らしい女性だな、ソフィ)
今度は声に出すことなく心の中だけで呟く。
そうしてしばしソフィーリアと微笑み合っていたアレクセイであったが、ふとあることを思いつくと妻に言った。
「む、そうだソフィーリア。すまないが少しばかりこの場を任せてもよいか?」
「かまいませんが、どうされたのですか?」
「なに、少し思いついてな。半刻程で戻る」
そう彼女に言い残してアレクセイはこの場を後にした。
やがて野暮用を済ませたアレクセイが戻ると、廃屋の前に佇むソフィーリアとエルサの姿が見えた。エルサの方はまだ目の周りが赤いが、だいぶ気持ちが落ち着いたのだろう、朗らかな笑顔でソフィーリアと何事かを話している様子であった。
「すまん、待たせたな」
「おかえりなさい、あなた…それは?」
そう問うソフィーリアの視線は、アレクセイが背に担いでいる布包みに向けられている。
「なに、僅かばかりの餞別だ。エルサ君、中に入るぞ」
アレクセイはそう言うと扉をくぐり廃屋の中へと進んでいく。結界の影響で全身が焼け付くように熱いが、慣れてしまえばどうということはない。後ろからは慌てたようにエルサが続いてくる。
アレクセイは彼女の仲間たちが寝かされている寝室へと足を踏み入れると、ここまで運んできた荷物を床へと下ろした。金属同士がぶつかり合う鈍い音が部屋に響く。
「アレクセイさん、これって…」
「うむ、亡者どもから集めてきた武具一式だ。この先無手では辛かろう」
アレクセイが布を取り払うと、そこには古びた鎧や剣などがあった。その視線はベッドに横たえられたエルサの仲間、その中の少年へと向けられている。
ソフィーリアの奇跡によって命を取り戻した彼らであるが、露出の多い少女以外は破損や焼失で身の回りのものが失われてしまっている。エルサから聞いた話によると特にこの少年は戦士であるそうだから、最低限の武器や防具がなければ立ち行かないだろう。
そのことに思い至ったアレクセイは一度領主の館まで戻り、亡者騎士たちの装備を剥いできたのだ。魔物とはいえ死体の身ぐるみを剥ぐなどおよそ騎士らしからぬ振る舞いだが、まぁここで戦場の掟を持ち出すというのもおかしな話であろう。
アレクセイのものと比べると粗末な装備であるが、少なくとも自分の時代ではこれらを店で買おうと思えば決して安くはないはずだ。特に亡者の鎧は丈夫な板金鎧であったから、この少年が扱うにはやや重いかもしれない。それでも、そのまま使い続けるにせよ売って金に変えるにせよ物があった方がよいだろう。
「彼らにはなんの義理もないが、まぁ君の仲間だ。これくらいは、な」
「…ありがとうございます」
そう言ったエルサはアレクセイに頭を下げると、自身も鞄から革袋と羊皮紙の巻物を取り出しベッド脇の机に置いた。置くときに金物の音がしたので、おそらく中身は貨幣かなにかだろう。とすると一緒に置いたのは手紙か。
「怖い思いをさせてしまったお詫びと、ここまで私に付き合ってくれたお礼です」
エルサは誰にともなくそう言うと、寂しげな瞳で仲間たちを一瞥して裾を翻した。
「さ、もう出ましょう?アレクセイさんもお辛いでしょうから」
そう言ってそそくさと外へ出てしまう。
(辛いのはどちらか…とはいえ律義な娘だ)
金輪際顔を合わせることがないというのに、彼女の行いは丁寧に過ぎた。それだけ彼らには世話になったのだろうと思う。
使命のために死をも恐れない死霊術師の顔と、仲間を想う年相応の少女の顔。
そのどちらも持つのがエルサという少女なのだろう。アレクセイは柄にもなく少女の繊細な心に感じ入りつつ彼女の後を追った。
「さて、ではさっさとこの迷宮とやらから出るとしようか」
「あなた、そのことについてエルサさんが問題があると」
結界の張られた廃屋を背にアレクセイが声を上げると、そう言ってソフィーリアがエルサを見た。
彼女の語ったところによると、迷宮の入り口にはそれぞれ外側と内側に冒険者ギルドの職員や兵士が詰めており、迷宮に出入りする人間の確認を行っているそうだ。
魔物の温床でありながら資源の宝庫である迷宮の重要性は高い。そのため国の支援を受けた冒険者ギルドによって管理されているのだという。
「そういえばこの迷宮に冒険者が来たのは久しぶりだという話であったな」
「そうなんです。それなのにお二人がいると、その…」
「確かに、怪しまれますね」
魔物であるアレクセイやソフィーリアは、詳しく調べられれば正体がバレる可能性が高い。冒険者でない以上身の証が立てられず、そうなれば兜を取って顔を見せろと言われるのは道理だ。見かけ上は普通の少女に見えるソフィーリアはともかく、鎧の身体であるアレクセイが言い逃れることは不可能に近い。それにアレクセイは自らがあまり"口が巧くない"自覚もある。
「…となると強行突破しかあるまい。おそらく詰めている兵士とやらもそう多くはないのだろう?殺さずにしてもたやすいはずだ」
アレクセイが武闘派のヴォルデン人らしくそう提案すると、慌ててエルサが止めに入った。
「待ってください!そんなことをすれば間違いなく手配されちゃいます!特にアレクセイさんみたいな目立つ人はそうそういませんから、それこそ人に紛れてのお子さん探しなんかできなくなっちゃいますよ!」
「そうですわ、あなた。短慮はおやめくださいませ。私にいい考えがあります」
そう言ったソフィーリアは自身たっぷりといった様子で人差し指を立てると、可愛らしくウインクしてみせた。その笑顔はアレクセイの見慣れたたおやかな妻の顔とは違い、年相応…むしろそれ以上に無邪気なものに見える。
アレクセイは妻の新たな表情に見惚れる一方で、脳裏に何か嫌な予感が走るのを感じていた。