第119話 震える骨
「来るぞォ!!」
迷宮主との戦いは、そう叫ぶガネルの警句から始まった。
アレクセイたちの眼前に迫った竜巨人蜘蛛が、手に持つ骨のこん棒を振り上げたのだ。巨大な骨の塊が、大上段から振り下ろされる。
たかが骨と馬鹿にしてはならない。古の時代には、人は動物や人の骨を武器にして戦ってきたのだ。魔術的に強化された骨であれば、その攻撃は鋼の武器に劣るものではない。当たればただでは済まないであろうことは、誰の目にも明白であった。
だがそれを真っ向から受けようとする者がいる。他ならぬアレクセイである。腰を落とし、大盾を携えての完全防御の構えだ。
「ぬぅん!」
「おいテメェ!!言った傍から馬鹿正直に受ける奴があるか!!」
ガネルのが鳴り声を聞き流しつつ、アレクセイは全身に力を集中させる。するとその身体を覆うように、半透明のヴェールが顕現した。この時代にて覚えた、≪強固な身体≫のスキルである。そうして盾に纏わせた闘気の壁に、巨大な骨塊が激突する。
その衝撃を表すように、迷宮の最上階に凄まじい轟音が響き渡った。びりびりと大気が震える様が、遠く見守るエルサたちにも伝わるほどだ。
だが無論のこと、鉄壁の防御力を誇るアレクセイがこの程度の攻撃で倒れるはずがない。裂帛の気合の声を上げると、大盾で骨のこん棒を跳ね返した。
「ぬんッ!!……ハァッ!!」
アレクセイのシールドバッシュによって、竜巨人蜘蛛は態勢を崩してたたらを踏んだ。そしてその隙を、古き戦友であるガネルが見逃すはずもない。ドワーフの戦士は大きく跳び上がると一気に敵に肉薄し、手にした戦鎚を振りぬいた。
「どりゃああああああああ!!」
ガネルの怪力によってぶん回された鉄塊が、迷宮主の骨を打ち砕いた。古の魔術によって強化されていようと関係ない。かつて神竜の鱗をも粉砕した彼の前には、生半な防御力などないに等しかった。
ただ相手もさるもので、僅かに半身をずらすことで、自らの首がへし折られることは回避していた。肩の骨を砕かれ、迷宮主の右腕が地に落ちる。
「はぁッ!!」
そしてアレクセイもまた、そんな友の活躍をただ見ているだけではないのだ。赤く熱を帯びた炭の剣、その刃に闘気を込めると一気に解き放った。かつて戦乱の時代、名のある多くのヴォルデン戦士が用いた戦技≪闘気の斬撃≫である。生前とは違い高熱を帯びた飛ぶ斬撃は、今度は迷宮主の左腕を切り落とした。
戦闘開始から、ほんのわずかな間である。だというのに、この迷宮の主は瞬く間に両の腕を失っていた。かつて英雄と呼ばれた戦士二人を前には、たとえ巨大であろうとも、異形の骨の魔物など敵ではなかった。
「ガァァァァァァッ!!」
両腕を落とされた竜巨人蜘蛛が、大きくその顎を開く。その奥にちらちらと火花が見える。何をしようとしているかは明白であり、そしてその大口が開く先はガネルであった。アレクセイはそれを見ると、すぐさま友の前に滑り込み大盾を構えた。その直後に、骨と化した竜の口から凄まじい炎の息吹が噴き出される。
熱波が迷宮の石畳と聖竜の大盾に浴びせられた。石の床が黒く焦げるほどの熱量だが、アレクセイの掲げる大盾は炎に対して絶大な耐性を持つのだ。神竜の息吹すら防ぎきるこの防具に、古竜の炎がいかほどの効果があろうか。
「ガネルッ!!」
「おうっ!!」
アレクセイの声に、友たるガネルが応える。ガネルは背にしたバリスタを構えると、防御の姿勢を取るアレクセイの横からそれを突き出した。そして間髪入れずに引き金を引く。槍と見紛う特大の矢が、高速で射出される。空を裂いて飛ぶバリスタの矢は、魔物の炎すら貫いて相手の首に直撃した。
骨の魔物に、弓矢は効きづらい。だがそれは通常の大きさに限った場合の話だ。バリスタとは一般に攻城兵器であり、ガネル特製の武器の威力はそれを遥かに上回るのだ。頑強な鏃は、ものの見事に骨竜の首の骨を打ち砕いた。支えを失った竜の頭が地に落ちる。それと同時に魔物の身体もまたバラバラになってしまった。
「……やったか?」
「さぁて、どうかいな」
竜骨の眼窩から赤い光が消えても、アレクセイが残心を緩めることはない。いかにアレクセイたちの強さが規格外とはいえ、迷宮の主としてはあまりに弱すぎるのだ。そう考えているのはガネルも同様のようであり、彼もまたバリスタに矢を装填すると、油断なく相手を見据えている。
そしてその懸念は当たっていたようだ。地面に散っていた骨たちがぶるぶると震えたかと思うと、ふわりと浮き上がったのである。そして何事も無かったかのように、再び組み上がっていく。
「やはり再生するか!」
ただそれを座して見ているアレクセイではない。地を蹴って走り寄ると、復活を防ぐために斬撃を放った。だがその一撃は飛来する骨のこん棒によって防がれてしまう。
「むっ!」
そうしてアレクセイが一度引いた隙に、骨の魔物は再生を果たしていた。ただその姿は先のものとは違う。蜘蛛の如く八本あった足は二本足となり、余った骨は腕へと変わっていた。六本の腕で骨のこん棒を構え、竜の頭は憎々し気にアレクセイたちを見据えている。
「ほぅ、骨の組み換えとは器用なことだな。だがいくら腕を増やしたとて、我らには勝てぬぞ!」
「ガァァァッァッ!!」
そうして始まったのは、激しい剣戟の打ち合いであった。アレクセイの炭の剣と、六つの骨のこん棒が激しくぶつかり合う。六腕を縦横無尽に振り回す相手に対し、アレクセイは一振りの剣と盾とで立ち向かった。繰り出される六連撃を捌き、受け流し、打ち払う。そうして合間に裂帛の斬撃を叩き込むのだ。手数では負けていても、歴戦の剣士たるアレクセイが、術理なき攻撃に後れを取ることはなかった。打ち合いが長引くほどに、迷宮主の腕が一本ずつ切り落とされていく。
「ま、多けりゃいいってもんじゃねぇわな」
「ガネル、あなたも見ていないで、あの人を手伝ってくださいな!」
のんびりとぼやくガネルに、エルサの守りに付いているソフィーリアから檄が飛ぶ。
「おお、こええこええ。そんじゃ、娘っ子どもにかっけぇとこ見せてやっかな」
そう言ってガネルが取り出したのは、特大の砲弾であった。先端が流線形を描くそれは、彼が「弾丸」と呼ぶ特別製のものだ。ガネルが大鎚の柄を弄ると、鎚の後端がぱっくりと開かれた。いかなる仕組みかは分からないが、これこそ機構士ガネル謹製のからくりと言えよう。彼はそこに、人の腕ほどの直径を持つ弾丸をはめ込んだ。
「おっしゃあ!!アレクセイよ、そのまま抑えてろよ!!」
蒸気を上げる大鎚を構えて、ガネルがひた走る。竜骨巨人は炎の息吹をもってそれを阻まんとするが、アレクセイがそうはさせない。相手の攻撃の間を縫って跳び上がると、盾でもってその下顎をしたたかに打ち据えた。炎は逃げる先を失い、魔物の口内で弾けることとなった。
「これで、終わりよォ!!」
高らかに飛び上がったガネルが、迷宮主の目掛けて大鎚を振り下ろした。蒸気を上げる鉄塊が、交差させ防御の姿勢をとった骨のこん棒に激突する。
「そんなモンで、防げるかいっ!!」
ガネルが手元の機構を操作する。すると爆音を上げて大鎚が爆ぜたのだ。
『おおっ!あれが書に伝えられし"ガネルのからくり鎚"の力か!!』
遠くでモルドバが驚嘆する声が聞こえる。彼女の言った通り、ガネルが自ら造り上げた大鎚は、その独自のからくりによって爆発的な力を生み出すものだ。それは尋常ならざる衝撃となって、迷宮主の身体を駆け巡った。
「グォォォォォッ!!」
竜と巨人の骨から生まれた魔物の絶叫が、迷宮の天高くまで響き渡る。アンデットである迷宮主に、痛覚などあろうはずもない。それでも声を上げねばならぬほどの衝撃であるのだ。
「ほ、こんなモンよ」
そう言ってガネルはどすんと着地する。するとそれを合図にしたかのように、迷宮主の身体が粉々に砕け散ってしまった。魔物の額に嵌められていた赤き宝珠もまた、きらきらと光を反射しながら地へと落ちる。いかなる素材によってできているのか、先の衝撃を受けても砕けなかったようだ。アレクセイはそんな宝を拾い上げる。
「これが絶大な蘇生の力を持つという、赤き宝珠か。これが我らの手にあれば、もう迷宮主が蘇ることもあるまい」
「んだな。ま、俺らが揃えばこんなモンよな」
恐らくはこれが魔物の核なのだろう。力の源さえなければ、再び骨が組み上がることもない。何度でも立ち上がる敵というのは、往々にして種があるものだ。
「さて、目的のものも手に入れた。後は早々にここを去るだけ……む!?」
その時である。
突如として、何処かから光る鎖のようなものが飛来してきたのだ。金色に輝くそれは、明らかに普通のものではない。アレクセイとガネルとソフィーリア、三人に向けて都合三本の正体不明の鎖が伸びてくる。
「なんじゃあこりゃあ!?」
ガネルが気味悪そうに、手にした大鎚で鎖を振り払わんとした。すると光る鎖はまるで蛇のようにうねり、するするとガネルの身体に巻き付いてしまう。
「あでっ!?あででででで!!なんだなんだ、体があちぃぞ!?」
「ガネル!!……むぅッ!!」
アレクセイもまた、光る鎖に囚われてしまう。盾で弾いたつもりであったが、やはり鎖は意思を持っているかのようにアレクセイの鎧を絡めとってしまったのだ。そしてガネルの言うように、焼け付くような熱が鎖から感じられ、不思議と身体に力が入らなくなってしまう。
(この感覚は前にも味わったことがある。あれはソフィーリアが起こした≪聖炎≫の奇跡を浴びたときの……ッ!!)
つまりは、聖なる力ということだろう。瞬間移動によって咄嗟に鎖を避けたソフィーリアであったが、背後から伸びてきたもう一本の鎖によって動きを封じられてしまう。優れた戦士でもある彼女が、後ろから接近してくる鎖の存在に気づかないはずがない。
「ソフィーリアさん!!」
「油断しました……まるで気配など感じなかったのですが」
苦し気に顔を歪めながら、ソフィーリアが言う。そう思ったのはアレクセイも同じだ。アレクセイたち三人が揃ってこの攻撃を避けられなかったのには、何か理由があるはずだ。
「おーいてて。一体どこの誰だ、こんなことしやがるクソ野郎は!!」
そしてそう叫ぶガネルに、応える声が聞こえてきた。
「いやねドワーフは。アンデットになっても品性が感じられなくて」
『そうか、キミか……』
モルドバが喘ぐように呟く。そうして階下から昇ってきたのは、一体いつぶりであろう。太陽教会の僧服を纏った女、オリアスであった。