第115話 再会の盃
お久しぶりです。
数か月ぶりの投稿となりました。
遅くなってしまい申し訳ありません。
今後もよろしくお願い致します。
「それは……どういうことであろうか?」
衝撃から立ち直ったアレクセイは、恐る恐るそう尋ねてみる。
ガネルは先ほど、ソフィーリアの死体から指輪を奪ったと言っていた。アレクセイたちが死んだのは魔王軍との戦場においてである。となれば彼はそこまで赴いたのであろうか。あるいは冒涜的なことだが、ソフィーリアの墓を暴いたとでもいうのであろうか。
だがガネルは、そんなアレクセイの不安を払拭するかのようにカラカラと笑って答えた。
「あぁ?違う違う!んなことするわけあんめぇ!教会に祀られてる、こいつの手から抜き取ったのよ!」
「……詳しく聞かせてもらえますか?」
ソフィーリアも神妙な顔で話を促した。そうしてそれからガネルに聞かされた話は、実に驚くべきものであった。
「お前らは北のあの地で死んだ。それはいいな?そんでお前らに何があったか、俺は詳しくは知らん。直接この目で見たわけじゃあねぇからな」
ガネルは顎の骨を人撫でしてから、話を続けた。
「だが人間どもがあの地に赴いたとき、そこにはもう、ほとんどまともな死体は残っておらんかったそうだ。あったのは灰、灰、灰よ。味方だけじゃねぇ、魔族どもの死体だってロクになかったって話だ」
アレクセイたちは魔王が放った黒い炎によって敗れた。だが今の肉体でもある聖竜の甲冑は、本来であれば邪神竜のブレスにすら耐えうる代物だ。そんな純白の鎧を黒く焼け焦げさせるほどの炎なのである。配下の騎士たちや神官戦士たちではひとたまりもなかったことだろう。
彼らとて決して弱兵ではない。その装備もあの当時であれば非常に強力なものばかりであったはずだが、あの暗い火はそんなものなど超越していた。
(灰しか残らぬというのも、むべなるかな)
そうしてアレクセイがかつての部下たちの死を悼んでいる間にも、ガネルの話は続く。
「だがそんな荒れ果てた戦場跡に、一つだけ残ったものがあった。それが、お前さんだ」
ガネルはそう言うと太い人差し指を、かつてはそうであった骨の指をソフィーリアへと差し向けた。
「私が?」
「ああ。何もかもが焼け焦げた地で、お前さんは一人石になってかがみ込んでいたらしい」
調査隊が発見したのは、石像と化したソフィーリアの姿であった。彼女は膝を突き手を組んで、まるで神に祈るかのように蹲っていたのだという。そしてその腕に一振りの聖剣を掻き抱いていた。彼らはそんな彼女を回収し、自分たちの教会へと持ち帰ったのだ。
「ちょっと待て。それはつまり、この世界のどこかに妻の身体があるということか?」
「そういえばいつだったか、エルサさんが言っていましたね。ご先祖様がいずこかの聖堂から、私の頭を持ち出したと……それはつまり?」
一同の視線がエルサへと集まる。そもそもソフィーリアは、彼女が持っていた頭蓋骨を触媒にして顕現したのである。その話は出会った当初に聞いていたが、これまであまり触れることがなかった。それ以外にも驚嘆することは数多くあったし、また繊細な話題なだけに、敢えて避けていた節があったのも確かではある。
だがガネルの語った話は、息子ウィルの消息に匹敵するほどに重大な情報であった。
「ああ。俺の知っている限り、ソフィーリアの身体は聖都の大聖堂に祀られていたはずだ。それがゾーラの聖堂なら、俺もこんなことはしなかったんだがな。今人間どもの間で信仰されてんのは……太陽教会だったか?あの連中、あろうことか異教の聖女を自分たちのとこの教徒として祀り上げやがったんだ」
憤懣致し方ないというように、ガネルは地に拳を打ち付けた。それにはアレクセイも同意する。
話によると、かつて"ゾーラの娘"として知られていたソフィーリアは、今は"聖剣の乙女"として太陽教会の聖女として列せられているらしい。ソフィーリアという個人の名は失われ、今は名もなき聖女として、人々の信仰の対象になっているのだという。
”聖剣”というのは、恐らくアレクセイが生前に持っていた剣のことだろう。邪神竜グロズヌイを倒した武器であり、アレクセイたちが竜殺しの旅の中で聖竜の鎧と共に見つけたものだ。アレクセイにとっても当然ながら思い入れの強い剣である。それもまた今は太陽教会に奉納されているらしい。
『"聖剣の乙女"ならば私も知っているよ。というかこの世界で知らぬ者はいないだろうさ。何せ過去二人の勇者と関わりのある”生きた石像”だからね』
ガネルの話をモルドバが補足する。"乙女"はその腕に聖剣を掻き抱き、決してそれを放そうとはしないのだという。だが世界に危機が訪れたとき、世を救う者にだけその戒めを解いて剣を与えるのだ。伝説に詠われる勇者たちはそうして剣を手にし、世界を襲う困難を打ち払ってきた。
『まさかその乙女がソフィーリアくんだったとはね。しかしエルサ、そんな大事な話を、どうして今まで彼らに黙っていたんだい?』
「わ、私はてっきり、ご先祖様は宝物庫か何かから盗んできたのかと。まさかあの"乙女様"が、ソフィーリアさんだなんて思いもしていなくてっ!!」
「落ち着いてください、エルサさん。私は別に、そのことで貴方を責めようなどとは思いませんわ」
慌てて弁解するエルサを宥めるように、ソフィーリアがその肩に手を回した。エルサが知っていて隠していたとはアレクセイも思わない。彼女はその詳しい由来を知らず、ただ先祖の悲願だけを受け継いできたのだろう。
「しかしガネル。ということはあなたは、その聖堂まで赴き、石と化した私を目にしたのですね」
「あぁ。ほんとはお前さんごと運び出して、どこかに墓でも建てて埋めてやろうかと思ってたんだがな。それはできないと、拒否されちまったよ。お前さんにな。だから指輪だけ貰って、ずらかることにしたワケさ」
ソフィーリアに聞けば、そのような記憶はないのだという。どうやら石像となった彼女の身体は、その本人の魂とは関わりのないところで動いているようだ
そしてガネルがこの迷宮の事を知ったのは、それからすぐのことだそうだ。
「ま、別にやることもなかったしな。焦って墓なんざ拵えなくて正解だったぜ。骨も入ってねぇ地面の下なんざより、当人の指の方がよっぽど収まりがいいだろうよ」
「……そうであったか」
なんにせよ、ガネルのおかげでソフィーリアは元の姿に戻ることができたのだ。アレクセイとしては彼の行いに感謝でもって応えるほかはない。もとより彼女の姿云々に関わらず、大切な指輪が返ってきたこと自体が、夫婦にとってはとても嬉しかった。
「何はともあれ、ソイツを渡せてよかったぜ……っと、丁度いい。そういやいい酒があんだ。お前らの墓石にでもかけてやろうと持ってたんだが、この際開けちまおう」
やはりまだ照れ臭いのだろう。ガネルはそう言って席を立った。そうして先ほどのずた袋から酒瓶と盃を抱えて戻ってくる。
「ガネルよ、我々はそのようなものなど飲めぬ身体なのだぞ?」
「かっー!相変わらず浪漫の分からねぇ奴だなオメェはよ!こういうのは雰囲気なんだよ、雰囲気」
アレクセイの言葉をそんな持論で撥ね退けると、ガネルはさっさと杯をアレクセイらの前に並べていく。そうしてそこに注がれたのは、なんとも薫る琥珀色の液体である。ガネルお手製の蒸留酒だ。
ドワーフ族は鍛冶と同じくらい酒を愛する種族である。異端であった彼もその例には漏れておらず、何くれと理由をつけてはよく酒を飲んでいたものだ。夫婦そろって酒好きであったアレクセイたちも、そうしてよく酒席を共にしていた。
当時のことを思い出すと、アレクセイの心には様々な思いが去就する。ドワーフに限らず、酒は戦人には欠かせないものだ。戦に勝った夜の酒は、何よりの美酒である。また敗北の悔しさや仲間を失った悲しみは、酒によって慰めることもできる。喉を通る熱さが、それらをみな洗い流してくれるからだ。
酒の味とは思い出の味なのだと、アレクセイは思っている。以前そのことを妻に話したら、意外に詩的なことを言うと感心されたものだ。この酒もきっと、思い出となるだろう。アンデットの身で、たとえ舌も喉がなくとも、アレクセイにはそう思えた。
(ミューに頼めば、"飲む"という体裁を保つことはできるが……)
アレクセイがそちらへと視線を移す。スライムのミューを一行に加えてからは、食事の際はアレクセイの鎧の中に仕込むようにしていた。そうすると料理等を食べているように見せかけることができるからである。些細なことだが、人前で正体を露見しないためには重要な事であった。
だが件のスライムは、アレクセイの視線を受けるとぷるりと身を震わせるのみで、そこから動こうとはしなかった。普段ならば、食事の空気を感じてすぐに寄ってくるはずである。
しかしミューはまるで拒否するかのように身を振ると、さっさとエルサの脇に退いてしまった。どうやらこの場は自分が出る幕ではないと、理解しているようなそぶりであった。
「フフッ……気を遣われてしまったかな」
アレクセイは小さく笑うと盃を手に取った。スライムとて情緒を理解しているならば、自分がそうしない理由もあるまい。たとえ鎧の中が酒でダダ濡れになろうとも、この場は友と一緒に盃を交わすべきであろう。
「おっし、お前ら。杯は持ったな?」
「ええ」
アレクセイの横では、ソフィーリアも酒杯を手に微笑んでいた。そうしてアレクセイたち三人は、盃を掲げる。
「ほいじゃあ、俺たちの再会を祝して!」
「古い友人たちに、哀悼を込めて」
「この奇妙な巡り合わせを生んでくださった神々に、感謝を捧げて」
「「「そしてこれからも我らに、火と鉄の加護あらんことを」」」
そう唱えてから、アレクセイは兜の隙間から酒を流し込んだ。≪さまよう鎧≫故に、喉も胃もありはしない。なので盃から離れた酒は留まることなく流れ落ち、迷宮の床を濡らすのみである。それはソフィーリアも同じであり、座り込んだ彼女の腰元に水たまりを作っている。それを見たガネルが下品な笑い声を上げた。
「へへ、お前ら。そうしていると、まるで漏らしてるみてぇだな!」
「もうっ!」
「何を阿呆な事を言っているのだ。初めから分かっていたことだろうに。それに漏らしているのはお前も同じだぞ?」
ガネルが品のない冗談を言うところは、死んでも変わってはいないらしい。なのでアレクセイも昔のように、呆れた声でもってそう返してやった。最初の一杯を一息で呷ったガネルは、盃に新たな酒を注ぐと顎骨を濡らしながら頷いた。
「ああ、そうだなぁ……いい歳した大人が、何を漏らしてやがんだって話だぜ……」
そう答えるガネルの声は、意外にも弱弱しく小さいものだった。アレクセイたちが訝しんでいると、彼は顔を伏せ、手の中で揺れる酒を見つめているようだった。
「だがよォ……またこうやって、三人で酒が飲めるなんてなぁ……俺ぁ嬉しくってなぁ」
絞り出すようなその声は、僅かに震えを含んでいる。
アレクセイは無言で友の肩を叩くと、盃に残っていた酒を一気に飲み干した。やはりガネルの酒は兜の中を素通りして、鎧の隙間から漏れ出るのみだ。だがそれでもアレクセイは彼の手から酒瓶を奪うと、自らの杯を再び琥珀色の液体で満たした。
それを見たソフィーリアも、実体なき喉を鳴らして酒杯を空けた。そうして差し出された彼女の盃に、アレクセイは黙って二杯目を注いでやった。
そうしてアレクセイたちはガネルの酒瓶が空になるまで、飲めぬ酒を飲み続けたのだった。