第111話 大鎚の戦士
それは変わった鎧を纏った戦士であった。
この迷宮に現れる骸骨剣士が着ている軽鎧とは、随分と趣が異なるものであった。全身を一分の隙も無く包むそれらは丸みを帯びていて、まるで手足を筒にはめ込んだような有様だ。胴体部分もずんぐりとしていて、見るからに重量がありそうである。甲冑に詳しいアレクセイをしても見たことのない様式だが、左右から二本の角が突き出た兜だけは覚えがある。あれはヴォルデンなどの北方戦士に見られる装飾だ。
そして鎧より目を引くのは、両手に握られた二つの武器であった。
一つは不思議な形をした大筒である。クロスボウのように握り手と引き金が付いているのを見るに、何かを射出するものなのだろう。恐らくは先ほど飛んできた杭のようなものは、ここから撃ち出されたものに違いない。だがそこに、弦のようなものは見当たらない。
アレクセイは昔、"石火矢"と呼ばれる武器を持つ連中と戦ったことがあった。火薬とかいう薬石を用いて鉄の玉を撃ち出す奇怪な武器だが、あるいはその類かもしれない。その証拠に、大筒の先端の穴からは微かに煙が上がっていた。
(それにあの大鎚、あれは厄介かもしれん)
アレクセイをして警戒させるのは、相手が肩に担いでいる大きな戦鎚であった。先端に突起が見られないので、戦鎚というより釘や杭を打つ金鎚の類に思える。ただ鎚の部分が異様に大きいため、あれで打つのはそれらではないだろう。それこそ人の頭など、簡単にぺちゃんこになるに違いない。
(冒険者……ではないな)
アレクセイは脳裏に浮かんだその可能性を一考し、即却下した。これまで地上で見てきた彼らとは明らかに風情が違う。また≪エンツの古城≫は彼らに人気のない迷宮だ。ここまで他の冒険者のグループに出会ってもいないし、またその気配もなかった。すると残る線はひとつしかない。
「魔物か」
「おそらくは。微かにアンデットらしき気配を感じますわ」
ソフィーリアの言葉に従い、アレクセイもアンデットとしての"目"で相手を見てみる。すると確かに、不浄の者特有の気配を感じることができた。自分たちと同じ、"死なず"の匂いだ。ということはあの鎧の下にあるのは骨の身体だろう。この城の骸骨剣士には奇怪な姿をした者もいるから、あるいはその類かもしれない。
アレクセイたちがそう話している間に、鎚の戦士は左手の大筒を持ち上げた。それが傍らのソフィーリアに向いていることに気づいたアレクセイは、咄嗟に盾を掲げて妻の前に立ちふさがった。
その刹那、爆音を轟かせて大筒から杭が発射された。空気を裂いて飛来したそれが聖竜の大盾に直撃する。
「ぬぅッ!」
両の足で踏ん張り、アレクセイは衝撃に耐えた。無防備な状態で喰らえば、巨漢の騎士を吹き飛ばすほどの威力であるのだ。盾が撃ち抜かれるほどではないが、デーモンの一撃に劣るものではない。
「あなた、なにも庇い建てしてくださらなくても」
「いや、よく見ろ。その杭には銀が含まれている」
足元に転がった変形した杭を見て、ソフィーリアが息を飲んだ。撃ち出された杭は銀色に輝いている。純銀製ではないだろうが、アンデットであるアレクセイたちならばそこから不快な"匂い"を感じ取ることができた。銀は退魔の力を持つ金属として名高いので、通常の物理攻撃を受け付けない闇霊にも効果がある。鎧を肉体とするアレクセイだからこそ、先ほどの一撃にも耐えられたのだ。純粋な霊体には特に有効であろう。
「む、来るぞッ!」
大筒の攻撃が通じないのを見た相手は、それを投げ捨てると大鎚を手に地を駆けた。重そうな見た目に反して、俊敏な動きである。アレクセイは腰を落とし、相手の攻撃を防御する構えだ。強者を前にしたときは後の先を取るのがアレクセイの戦いである。少なくとも目の前の敵は、それに値する相手であろう。
鎚の戦士は大きく跳び上がると、落下の勢いに合わせて大鎚を振り下ろした。その動きもまた早い。アレクセイが掲げる大盾に金属製の大鎚が激突し、凄まじい反響音が通路に響き渡る。
「ぐッ!!」
先ほどの飛ぶ杭とは比べ程もない衝撃にアレクセイは唸る。盾を通して伝わるその振動が、甲冑の身体を震わせる。想像以上の威力である。盾はともかく甲冑でもってまともに喰らえば、聖竜の鎧であっても影響がありそうなほどであった。
(これほどとは……っ!!)
アレクセイは腰に喝を入れなおすと盾でもって相手を吹き飛ばした。撥ね退けられた鎚の戦士は空中でくるくると回転してバランスを取りつつ、危なげもなく着地した。しかしその背後から、瞬間移動にて回り込んだソフィーリアが迫る。彼女はそのまま跳び上がって相手の頭上を取ると、その首を落とすべく槍を振るった。目にも止まらぬ速さで振り下ろされた刃は、しかし相手の鎧に阻まれ弾かれてしまう。
「なっ!?」
眼を見開くソフィーリアをよそに、鎚の戦士は振り返りざまに大鎚をぶん回した。上体を逸らすことで間一髪でそれを回避したソフィーリアは、床を転がりながら相手と距離を取る。
その顔に一筋の汗が垂れているのを見て、アレクセイは改めて相手の強さを再認識した。恐らくはあの鎚にも銀が含まれているのだろう。また彼女の槍を弾くあたり、敵の鎧の防御力も相当なものだ。ソフィーリアは専門の前衛職ではないが、一流の槍使いではある。その獲物も教会に伝わる業物であり、生半可な鎧で防げるものではない。
「ならば、これならどうだ!」
アレクセイは大きく踏み込むと盾でもって相手を打った。尋常ならざる攻撃力と防御力を持つ相手ではあるが、その体躯は随分と小さい。エルサと同程度であり、アレクセイと比べれば大人と子供以上の対格差がある。そこにアレクセイの膂力が加われば、相手を容易く吹き飛ばすことだろう。
だが鎚の戦士は戦技ならぬ盾押しを躱すと、アレクセイの脇に潜り込んだ。小柄な身体を生かした見事な身のこなしである。しかしその動きもまたアレクセイの予想通りだった。動きを読んで相手の頭目掛け、渾身の突きを放つ。火中の炭の如く赤熱した刃が相手の角飾りを斬り飛ばした。
「グゥッ!?」
敵の兜の奥から驚くような吐息が漏れる。この迷宮に来て初めて魔物の声を聞いた気がする。現れるのは全て骨の魔物ばかりであり、彼らは斃れるときまで声なく死んでいくからだ。
頭蓋を貫くつもりで剣を振るったアレクセイであったが、先の一撃はあえなく躱されてしまった。ならば当たるまで斬るまでである。アレクセイは絶え間なく斬撃を放ち、相手に攻撃させない方法をとった。あの大鎚は強力だが、武器の性質上振りが大きい。距離を詰めて攻めの隙を与えなければ、痛痒を貰う心配はない。
アレクセイの連続攻撃に鎚の戦士は防戦一方であった。だがこれまでの相手を考えれば、それができるだけでも相当なことだろう。それはデーモンや多頭竜にも叶わぬことだ。それができるのも、相手が大鎚でもって炭の斬撃を防いでいるだ。鎧以上にあの武器は頑丈であるらしい。
そんな中、不意に相手が膝を曲げて屈みこんだ。そこ目掛けてアレクセイは大上段から斬り下ろす。大鎚ごと叩き切るつもりの、渾身の一撃だ。しかし鎚の戦士は地を蹴って跳び上がることでそれを回避した。そしてその勢いのまま、黒騎士の腹目掛けて頭突きをかましたのである。
聖竜の鎧を肉体とするアレクセイにとって、それは痛痒にはなり得ない。だが一瞬の隙を生むのには十分である。鎚の戦士はその間にアレクセイから距離を取ると、すぐさま反撃に転じた。
「ヌォォォォォ!!」
「むぅん!!」
横薙ぎの大鎚と、突き出された聖竜の大盾が激突する。薄暗い場内を照らすほどの火花が散って、次いで轟音が響き渡った。
(素の膂力は相手の方が上か。ならば≪打ち砕く者≫込みならばどうかな?)
アレクセイが全身に闘気を漲らせる。だが戦技を使うのはその伴侶の方が早かった。槍の穂先に≪聖炎≫を纏わせた彼女が、一足先に鎚の戦士の背後に迫ったのである。しかし相手もさるもので、すぐさまその接近に気づくと彼女を叩き潰さんと大鎚を振り下ろした。
ソフィーリアの美しい顔が潰されてしまうという間際で、彼女の姿が掻き消えた。そうして鎚の戦士の頭上で再び姿を現した彼女は、天井を蹴って直上から煌く刃を突きこんだ。
「ヌガァッ!!」
残念ながら致命の一撃にはならなかった。聖なる炎で白熱した槍は、相手を串刺しにするには至らなかったが、その攻撃によって兜に亀裂を生じさせることに成功した。そしてソフィーリアの攻撃はそこでは終わらない。兜のひび割れ目掛けて、槍の石突を叩き込む。
「はっ!」
名槍なれば、業物なのは穂先のみにあらず。ヴォルデンでのみ産出される特殊な鉱物によって造られた石突が、遂に鎚の戦士の兜を割砕いた。その下にあった相手の面相を見て、アレクセイは納得したように頷いた。
「やはり、アンデットであったか」
そこにあったのは、虚ろな眼窩を覗かせた頭蓋骨であった。他の骸骨剣士らと同じように、この城を守る兵士なのだろうか。
(それにしては強すぎる)
手ごたえとしてはこの時代に蘇ってからは一番だ。
(しかしあのスケルトン、どこかで……)
アレクセイ以上の腕力に、弾を撃ち出す特殊な機構の武器。下手をすれば聖竜の鎧にすら傷を付けかねない、強力な大鎚。加えて人間の頭蓋骨にしては少々大きいあの頭。アレクセイの脳裏に"よもや"という考えが過ぎる。
その間もソフィーリアは鎚の戦士と攻防を繰り広げていた。兜が破壊されたいま、ソフィーリアは相手の頭部を盛んに狙っている。対する鎚の戦士はそうはさせるかと守勢にまわっていた。だが神速を誇る槍の連撃を前にその防御は徐々に綻びを生みつつあった。
相手も焦りが出てきたのだろう、鎚の戦士は骨の顎を動かすと忌々し気に言い放ったのである。
「ええいアンデット風情め!俺の兜を壊しよってからに!イルトールの髭に懸けて、貴様らを許さんぞ!」
その言葉に、アレクセイは遂に相手の正体に思い至った。だが警句を上げる前にソフィーリアが地を蹴ってしまう。鎚の戦士がその苛立ちをぶつけるかのように、大鎚を振り上げたのだ。そしてそこに生じた隙を歴戦の神官戦士は見逃さなかった。彼女はこれまでの中で最も速い身のこなしで肉薄すると、槍の切っ先を突き込んだのである。
「止めろソフィーリア!!そ奴はガネルだ!!」
「えっ!?」
「なんだとっ!?」
アレクセイの言葉に二人が驚きの声を上げる。だが放たれた槍は止まらず、"杭打ちのガネル"と呼ばれたドワーフの首を跳ね飛ばしたのである。