第110 骨玉ごろごろ
通路の向こうから転がってきたものを見て、アレクセイは驚嘆した。
それはまさしく"骨玉"と呼ぶに相応しい見てくれであった。肋骨に胸骨に大腿骨、無論頭蓋骨も。部位を問わず様々な骨が寄り集まり、球体となって地を駆けているのである。
そして何より、その大きさが尋常ではなかった。ざっと見ても直径七、八メートルはあろうかという巨大さなのだ。この大きさを形作るのに、一体如何ほどの人骨が用いられたのだろうか。
「引くぞッ!!」
などとアレクセイが考えたのも一瞬のことである。その異様を認識するとすぐさま剣を収め、盾を仕舞い直すと踵を返して走りだした。その際エルサを捕まえて小脇に抱え込む。あれから逃げるのに、少女の足では心もとないと判断したからだ。
「うわぁ、アレすごいね、おじちゃん!」
いつの間にかアレクセイの肩の上に乗っていたアイが、興奮したように後ろを振り返っている。霊体である彼女やソフィーリアであれば、あれに潰されることはないだろう。
だが≪さまよう鎧≫たるアレクセイは別だ。あれほど大きい骨玉の質量を考えれば、聖竜の鎧を肉体とするアレクセイであっても油断はできなかった。
この鎧の防御力は絶大だ。かつて神竜の牙や爪をもってしても傷つけることは適わなかった甲冑である。だが彼の竜が巨大な足でもって踏みつけていれば、どうなっていたかは分からない。竜牙の鋭さには対抗できても、単純な質量相手では話が違うのである。
鎧を己が肉体とするアレクセイが、今更その強度を試すような真似をできるはずがなかった。
「どうされますかあなた。ここまではしばらく一本道だったと記憶していますが」
隣を走る伴侶の言う通り、ここまでは長い直線が続いていた。横に逃げられるような小部屋などもなかったはずである。
今から思えば、従来のものより広い通路はあれを転がすためのものだったのだろう。脇に逃げ場を用意していないのも同様だ。石床に不審な跡などはなかったが、そもそもこの迷宮は冒険者が訪れなくなって久しい場所だ。時が経つにつれて迷宮の自浄作用によって、それらも消えてしまったのかと思われた。
「むぅ……一度大きく後退して、あれが過ぎるのを待つしかあるまい」
そう言うアレクセイの言葉には無念さがにじみ出ていた。一行はモルドバから借り受けた地図よって、ここまで順調にかなり迷宮を踏破できていた。自身の懸念であった迷宮の仕掛けも、エルサの新たな術によって問題なくなっている。ここまで来ておきながら道を引き返さねばならないというのは、なんとも悔しい話である。
「だがこのままでは、脇道に至るまでに追いつかれそうだな」
アレクセイも巨体の割に瞬足だが、このままではあの骨玉に追いつかれてしまうだろう。走って逃げきれぬ程度には、今いる一本道は長かった。それらも計算しての罠だとすれば、実に恐ろしい設計の城である。
アレクセイは抱えていたエルサをソフィーリアへと預けると、盾を構えて振り向いた。肉体に瞬時に闘気を漲らせ、骨玉の到来に備える。
そうして地響きを立てて転がってきた相手に、渾身の≪盾押し≫を叩き込んだ。
「ぬぅん!」
漆黒の大盾から凄まじい闘気の奔流が放出される。廃墟都市マジュラでデーモン相手に使用した時以上の力だ。地を削りながら猛烈な勢いで突き進んだ≪盾押し≫は、同じく砂煙を巻き上げて迫り来る骨玉にぶち当たった。玉を構成する骨やら何やらが弾け飛ぶ。
黒騎士の本気の一撃によって、骨の塊は完全にその動きを止めた。
だが破壊には至っていない。かつてオリハルコンで造られたゴーレムすら貫いた戦技を受けてなお健在とは、実に驚くべきことである。魔法によって強化された骨とオリハルコンとでは、強度自体は後者の方が上であろう。
だが密集したことでより強固さが増したということだ。アレクセイとて山を崩すことはできないのだ。
ただ慣性の法則を考えれば、相当な質量を持つ骨玉を止められただけでも人間技ではないだろう。もっとも今は、人間ではないのだが。
「それであなた、この後は?」
骨玉は静止したが、その大きさは通路目一杯である。ソフィーリアたち霊体や小柄なエルサならば脇の隙間から通れるだろうが、巨漢であるアレクセイではそうもいかないだろう。
「このまま押し返す!」
アレクセイは再び盾に力を込めるとそれを解き放った。≪盾押し≫の奔流がもう一度骨玉に直撃する。それが動力となって、巨大な障害は通路の向こうへと転がっていった。
「これを繰り返して、進むほかあるまい」
「ええ……」
エルサが少しばかり引いている通り、なんとも脳筋に過ぎる対応である。だがここでできる最善手でもあろう。仮に大玉が来ない道に引き返しても、他に迂回路があるわけでもない。
結局はこの広い通路を通る他なく、そのときにまたあれが転がってこないという保証もない。それならば毎回骨玉を押し返しながら進むのが、一番効率の良い踏破方法であるのだ。
アレクセイという規格外の冒険者を抱える一行ならではのやり方であった。
骨玉が戻ってこない内にと、アレクセイたちは前へと進んだ。その際にもアイの光体による索敵も欠かさない。罠は先の玉転がしだけではないのだ。そちらにばかり気を取られ落とし穴やらにかかっては本末転倒である。
しばらくは罠も魔物も現れなかったが、やがてまたあの地響きが聞こえてきた。どこかで折り返してきたのか、骨玉が再び近づいてきたようである。
それに合わせてアレクセイはまた構えを取る。そうして戦技によって骨玉を跳ね返しては、戻ってくるまでに少しずつ進んでいくのである。あの異様な大玉が来るたびに身体を緊張させていたエルサも、三度目以降は「またか」と顔を顰めるだけになっていった。
ソフィーリアなどはもはや我関せずといった具合にアイへと話しかけている。どうやらかの亡霊少女と親交を深めるのに忙しいようだ。
(妻よ、それは少し寂しいぞ)
などとアレクセイが思っていると、やおらソフィーリアが振り返った。そうして、てててと傍まで近づいてくるとふわりと浮き上がって兜に顔を寄せてくる。そしてアレクセイにのみ聞こえる声で、このようなことを言ってくるのだ。
「もう、あなた。そんな顔をしないでくださいまし。私はちゃあんと、あなたの働きを見ていますよ」
「むぅ……」
「あれを退けることはあなたにしか適わぬのですから、もう少しお願いいたしますね」
などと言われて可愛らしく片目を瞑られては、是非もない。
個々人ができることをこなすというのが、パーティにおける冒険者の動きだとエルサからも教えられている。罠を見つけるのがアイで、それを知らせるのがエルサだ。そして骨玉を跳ね返すのがアレクセイで、その夫のやる気を滾らせるのが妻たるソフィーリアの役目というわけだ。
戦さ場においても、神官戦士の長たる彼女は味方を鼓舞していた。
奇跡を用いずとも仲間の士気を上げられるのも、彼女が聖女たる所以であろう。もっとも今のは夫にのみ効くやり方だろうが。
体よく妻にのせられたアレクセイは、その後も威勢よく骨玉を跳ね返していった。気力が消耗しないアンデットならではの進み方だ。生前であればここまで戦技を連発などできはすまい。
骨玉の方も≪盾押し≫によって少しずつその身を削られていったが、やはり完全に壊すまでには至っていない。どれほどの数の骨をどのような方法で寄せ集めているのかは分からないが、やはり尋常ではない物量と質量であろう。
「それこそガネルの"大杭"があれば容易く打ち壊せたかもしれないな」
この迷宮に来た経緯を考えると、アレクセイなどはそのようなことを考えずにはいられなかった。
"杭打ち"のガネルは凄まじい怪力と強力な仕掛け武器を振るう、ドワーフの戦士である。あの剛力であれば迫り来る骨玉を受け止めることすらできたことだろう。また大岩を簡単に砕いてしまうガネルの特別な戦鎚なら、あれを粉々にすることも可能であったはずだ。
「まぁ、ないものをねだったところで仕方がないか」
「そうですわね。早く彼の遺骨を見つけて、弔ってやりたいところです」
ソフィーリアがそっとアレクセイの手を取った。
ガネルを弔う前に、モルドバが死霊術で彼の魂を一時的に呼び戻す計画だ。歴史の真実を彼から聞くのがその目的だが、ゾーラ教的には決して良いこととは言えない。
だがそれを今更問いただしたところで仕方のないことだ。それに僅かな間でもかつての友と言葉が交わせるならば、やはり嬉しいことなのだ。ガネルと友誼を結んでいたのは、何もアレクセイだけではないのだから。
そうして骨玉を根気よく撥ね退けながら進んでいくと、やがて広い通路の脇に小道が続いているのを見つけた。どうやらあれが行く道のようだ。
折しも向こうから骨玉が転がってくるところである。できればあれを破壊できるまで削りきりたかったが、これ以上時間を浪費することもないだろう。アレクセイたちは足を速めるとぎりぎりのところで横道へと滑り込んだ。
「ふぅ……なんとか間に合いましたね」
「ええ。ここからはまた地道に罠を避けながら進むことになるでしょうから、アイちゃんとエルサさんの御力を借りることに……あなたっ!!」
ソフィーリアが警句を発した直後、何かがアレクセイの背中の大盾へとぶち当たった。巨漢の黒騎士の身体が、凄まじい衝撃によって広い通路へと弾き飛ばされてしまう。
ちょうど目の前を転がり去った骨玉の行方を見ていたところである。壊しきれなかったせいで恨みがましく見ていたからであろうか、完全に不意をうたれた格好になってしまった。
「不覚をとったが大事はない。だがこれは……?」
聖竜の大盾に直撃し地面へと落ちたものを見て、アレクセイは小さく唸った。それは一抱えもある、巨大なバリスタの矢であった。だが太さが尋常ではない。見ようによっては"杭"のようにも思えるつくりだ。
そしてそのことを深く考える前に、何かが急接近してくる気配を感じてアレクセイは剣を抜いた。ソフィーリアもまた槍を手に、杭の飛んできた闇の向こうを睨んでいる。
そして暗がりから現れたのは、奇妙ないで立ちの戦士であった。