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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第五章 三ツ星の夫婦
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第105話 失敗を越えて

「未熟ッ!!」


 アレクセイはそう叫ぶと、拳を地に打ち付けた。頑丈な籠手が石造りの床を砕き割り、轟音が室内に響き渡る。天井から砂埃が落ちるのを見て、ソフィーリアが眉を顰めて夫を諫めた。


「あなた。いい加減気を静めてくださいまし」


「……すまぬ」


 あぐらをかいて座りこんでいたアレクセイは、今しがたの自らの態度を顧みて素直に首を垂れた。失敗を悔やみそれでさらに他者に迷惑をかけるなど、まさしく未熟である。続けてアレクセイは背後にいるエルサに、振り返りはせずに同じように謝罪した。


「君にも悪いことをしたな、エルサ君」


「いえ!別に気にしてませんから!」


 そう答える彼女の方からは、同時に衣擦れの音が聞こえてくる。汚れてしまった彼女の装束を着替えるために、アレクセイたちは古城内の一室に腰を落ち着けていた。この部屋にも当然のように魔物たちがいたが、今は怒れるアレクセイによって斬り伏せられ、その残骸が部屋の隅に掃き寄せられていた。

 骸骨剣士たちの詰め所か、はたまた古城を管理するための用務室なのかは分からないが、幸いなことに室内に水場もあった。からくりによって水が湧き出る仕組みになっているのは、流石は罠だらけの城というところだろう。


 そしてなぜそのような事態になってしまったかといえば、それは彼女が迷宮の罠の被害を受けてしまったからであった。廊下を進んでいた一行の頭上から、突如として大量の汚物が流れ落ちてきたのである。天井がぱかりと割れ、そこから流れ出た臭気を放つ諸々をエルサは頭から被ってしまったのだ。幸い怪我などはなかったが、もちろん気持ちのいいものではない。また、毒や何がしかの病気を貰っても困る。なのでアレクセイたちは少しでも安全そうな部屋を見つけ、そこに逃げ込んだのである。


 そして罠が発動したのは、アレクセイがスイッチを踏み抜いてしまったからなのだ。当然ながら、アレクセイは己の迂闊な行いを大いに悔いていた。先ほどのの床への券打は、それゆえのものであった。


 気の優しいエルサは問題ないと笑顔で言っていたが、アレクセイにはとてもそのようには思えなかった。たまさか殺意の低い罠であったからよかったものの、本来は生死に直結するものが大半なのだ。嫌な思いをする程度の内容だったことは、むしろ幸運に過ぎるというものである。


「罠の威力に緩急をつけるのも、それらを効果的に見せるための仕掛けだと聞いたことがありますし……その類のものだったのかもしれませんね」


 塗れた髪を拭きながらエルサが歩いてくる。すでにその身体には清潔な服を纏っていた。当然ながら迷宮へ潜るのに替えの服を持ってきているわけもないので、いつもの裾の長いローブ姿である。穢れを落とす中位の奇跡である"浄化"をソフィーリアが使えたことは、彼女にとって僥倖であったことだろう。ただ奇跡を使ったからといって、精神的に感じた汚れまで拭えるわけではない。年頃の少女が髪や身体を洗いたがったのは当然であった。


「確かに、人はいつまでも気を張り続けられるわけではありませんものね。そういう意味では衣服が汚れるだけの罠というのも、相手を不快にさせるだけではなく、注意を逸らし集中力を切らせる意図があるのやもしれませんね」


 ソフィーリアが感じ入ったように頷いている。あるいはあの罠に驚いた冒険者が声を上げれば、それが迷宮内の魔物たちを集めることにもなるだろう。要は鳴子だ。ただ殺すための罠ばかりではないというところを見ると、この城の建築者はなかなかに嫌らしい性格をしていると言っていいだろう。


「そういえばこの城の由縁などは分かっていないのでしょうか?これほど立派で巨大な城は、私たちの時代でも知られてはいませんでした。そうするとここもやはり、別世界の?」


 ソフィーリアが問いかけたのは椅子の上に置かれた一個の頭蓋骨、つまりその向こうにいるモルドバである。


『さてどうだろう。この城の装飾や魔物たちの装備のデザインは中々に独特だろう?私たちがこれまで調べたこの大陸の歴史においても、ここに見られるような様式の国は見つかっていないんだ。国が滅びても、文化というものはそう簡単に消えたりはしない。必ずどこかしら類似する点があるものさ。だがそれすら見られないというのなら、確かに"こことは違う世界"のものというのも頷けるね」


「確かに。そもそも城とは本来防御用の拠点であるのだ。内に入られぬよう、外敵の襲撃に備えてな。だがそこにこれほどまでの罠を仕掛けるなど、我々の常識からはかけ離れている」


 異世界がどうのなどはアレクセイには分からないが、武人としての見地からならば断言できることはある。

 この城は明らかに敵が中に入ることを前提に造られているのだ。外から眺めた時に気づいたことだが、エンツの古城の外壁は強固ではあるが、弓兵などが歩くための回廊が存在しなかった。そのため城壁に必ずある凸凹型の狭間、射手が身を隠し矢を射かけるための胸壁もない。文字通りの巨大な壁であり、あれは敵の侵攻を防ぐのではなく、内に入った相手を逃がさないためのもののようにアレクセイには思えた。


 そして極めつけは無数の罠群である。城とは戦闘のための拠点であるのと同時に兵士たちの生活の拠点でもあるから、そこにそれらを仕掛けるなどそもそもがありえない。名前こそ"城"かもしれないが、それこそ本来の意味の"迷宮(ダンジョン)"に相応しい構成であった。


「私たちは数え切れないほどの戦場を経験しましたが、こういった城塞は初めてですから……慣れていないのは仕方がありませんよ、あなた」


「……そうだな。己がなんでもできると思うのは、傲慢というものだ。私もまだまだだな」


「ふふっ」


 妻から慰められ頭を掻くを巨漢の騎士見て、エルサが小さく笑みを零した。アレクセイが兜をそちらに回してみれば、彼女は慌てたように手を振った。


「ご、ごめんなさい!馬鹿にしたつもりでは!」


「いや、別に構わんのだがな」


 アレクセイがドジを踏んだのは事実である。それで被害を被ったのは彼女であるのだから、笑おうが貶そうが自由であろう。エルサは手を後ろに組むと、少し言いづらそうに口を開いた。


「……少し、意外に思ったんです。アレクセイさんでも、ああして失敗することもあるんだなって」


「それは、そうだろう」


 失態を犯したことのない人間など、この世には存在しない。いかな英雄、勇者であれ、幼い時があり未熟なときがあるのだ。そして時間と経験を重ねてもその割合が減るだけで、生きている限り失敗の影は常に付きまとう。

 アレクセイにとってもそれは同様で、こんな身体になった原因こそその結果であるのだから。


(そうとも。私は未熟であったのだ)


 アレクセイは生前、二十八年の時を積み上げた。数多くの戦場に身を投じ、数え切れぬほどの相手を打倒すことで、"英雄"と呼ばれるようになった。だがそれで手に入ったのは戦いに勝つ力、言ってしまえば人を殺す術だけとも言える。だがそれでも魔王には届かなかった。強さを極める道でさえも、その先は途方もなく長いのである。それ以外の道も同時に辿れると思うのは、あまりに傲慢な考えであろう。


 それに人の生が五十年かそこらならば、アレクセイはようやっと半分を過ぎたあたりなのだ。世の全てに通じているなどと達観するにはあまりに若い。そして英雄の二十八年と農民の二十八年に、どれほどの違いがあるだろうか。老人から見れば、どちらも若輩にしか見えないだろう。


 つまるところ、アレクセイにはまだまだ知るべき学ぶべき事柄が数多く残されているのだ。無骨な騎士が巧妙な罠を見抜けなかったというのも、仕方のないこととも言える。

 アレクセイは死してなおアンデットの身体になり、また罠を受けたエルサにも怪我はなかった。ならばこれから知ればよいのである。


 実際のところ小難しい理屈は抜きにして、アレクセイが細々とした事が苦手なのは事実ではあるのだが。


(もっとも、それは言えぬがな)


 伴侶たるソフィーリアも分かっていてそれは言わないでいてくれているのだろう。アレクセイとて意地というか、張りたい見得というものもある。こういったことを考える時点でまだまだ精進が足らぬ証なのだろうが、それはそれだ。

 アレクセイがそんなことを考えていると、頭骨の向こうのモルドバから助け船が出た。


『まぁでも、前衛に全ておんぶにだっこってのはどうなんだろうね、エルサ?』


 からかうような調子のモルドバに、エルサは気分を害した風もなく頷いた。


「確かにそうですね。先輩から頂いた地図も役に立たない区域に入ってきましたし、そろそろ私の出番かもしれません」


「まぁ。エルサさんは罠避けの経験があるのですか?」


 珍しく力強く言うエルサに、ソフィーリアがそう尋ねる。彼女はいっとき一人で冒険者をしていたこともあったというから、その時に斥候の技術を覚えたのだろうか。

 アレクセイたちの感心したような視線を受けて、しかし彼女は恥ずかしそうに首を振った。


「ま、まぁ正確には私じゃなくて、これから()ぶコにやってもらうんですけど」


「ふむ、それはどういう……」


「はい!アイちゃんを召喚します!」



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