第11話 蘇生の儀
「当座の目的は果たした。これからの動きを確認しておきたい」
領主の間で段差に腰かけたアレクセイは眼前のエルサにそう言った。左隣には愛おし気に自身の腕を抱きかかえたソフィーリアが座っている。
真の力を取り戻してから、彼女はこうしてエルサの目を憚ることもなく夫の身体に身を寄せている。もちろんアレクセイとしても愛する妻と触れ合えることは望外の喜びなのだが、多少の羞恥心は感じるというものだ。
先ほどは感極まって彼女と口づけまでしたが、ヴォルデン男子として本来はそういった行為をおおっぴらに行うべきではないという認識はある。それに関してはソフィーリアも同じはずで、むしろ聖職者である妻は自分よりもよほど貞淑であったはずなのだが、今はそんなことはなかったかのようにアレクセイから離れようとしない。曰く"今だけは"だそうだ。また事情を知っているエルサのことも身内扱いらしい。
「え、えと、ソフィーリアさんが力を取り戻したことですし…その、できれば蘇生の奇跡を仲間に施してやってほしいと思います」
ソフィーリアの方をチラチラと伺いながらエルサはそう言う。魔物や自分たち相手には豪気なところを見せる彼女であるが、こういったことには年齢以上に羞恥を覚えるらしい。先ほどよりはいくぶんマシになったものの、その頬は依然として赤い。
「うむ。妻が物体に干渉する術を教える代わりにという約束であったな。経緯はどうあれ妻と私の目的は達せられたのだから、こちらも約束を果たそうと思う」
そう言ってソフィーリアの肩を叩くと、彼女は愛おし気に伏せていた瞳を開けて凛とした表情に戻ると、エルサに向けて頷いた。ただしその腕はいまだアレクセイの腕にしっかと回されているままだが。
「もちろんですわ。こうして望みが叶い、力が戻った以上必ずやお仲間を蘇生して差し上げましょう」
力強くそう答えたソフィーリアに、エルサはお願いします、と言って深く頭を下げた。
「となればまずはデーモンと戦ったあの場所まで戻らねばなるまい。仲間の遺体が鼠に食われでもしていたらことだ」
アレクセイの言葉を聞いてエルサが顔を青くすると、夫を見上げたソフィーリアがその腕をペシリと叩く。
「あなた」
「いや、すまない」
「い、いいんです!大丈夫ですから!それより、早く行きましょう」
エルサの号令に従ってアレクセイたちは腰を上げた。そこでようやっとソフィーリアも夫の腕を離した。
そうして領主のから出た一行であったが、移動している間もソフィーリアが再びアレクセイの腕をとる、などということはなかった。迷宮主を倒したとはいえ迷宮全体から魔物が消えたわけではない。迷宮主はあくまで迷宮の最奥に鎮座しているだけであって、必ずしも迷宮の魔物全てを統率しているわけではないのだ。マジュラの場合は迷宮主が"伯爵"であるから少なくとも屋敷内の亡者騎士たちは指揮下に置いているのだろうが、そもそも知能がどれほど残っているのかも怪しい廃墟街の亡者たちを完全に操っているわけではない。
だからアレクセイたちは最初に出会った場所に戻るまでに四回の亡者たちの襲撃を退けることとなった。
「ふむ、やはり念力などという怪しげな力を使っているよりも、そうやって槍を振るっている方が君らしいよ」
「そうですか?」
答えながらも軽やかに戦うソフィーリアの姿は、演舞に似て美しい。
物体に干渉する力を取り戻したことで本来の戦い方をも取り戻したソフィーリアは、今はこうして亡者相手に愛槍を振るっている。奇跡用の触媒を兼ねた彼女の槍は"錫杖槍"と呼ばれるもので、ゾーラ教の神官戦士ならば誰もが下賜される武器だ。斬撃・刺突に適するよう長めに作られた穂先の根元には四個の円環が通されており、ソフィーリアが槍を振るうたびにシャンシャンと小気味よい音を立てる。その様があたかも神事のときの舞に似て、ゾーラの神官戦士の女性は他国より"舞姫"あるいは"戦乙女"と呼ばれていた。
ソフィーリアが槍を振るえば高らかな音とともに次々と亡者たちの首が飛ぶ。ヴォルデン人である彼女の身長は襲い掛かる亡者たちのどれよりも高く、しなやかな手足によって繰り出される槍の一撃は相手を全く近寄らせることもなかった。
戦闘を終えた一行はほどなくエルサたちの仲間の遺体を安置している廃屋のもとにたどり着いた。
「エルサ君はここにいた方がよいのではないか?」
アレクセイは顔色悪く廃屋の扉を見つめるエルサにそう声を掛けた。死者と近しい死霊術師とはいえ、無残な仲間の遺体を見せるには忍びない。蘇生の奇跡はさして時間のかかるものではないから、ここで待っていてもよいはずだ。
そう考え提案したアレクセイであったが、エルサは首を振ると決然とした顔でアレクセイを見上げた。
「いえ、行きます。少しでも早く生き返った彼らを見たいですから」
エルサはそう言うと率先して扉に手をかけて中に入っていく。顔を見合わせたアレクセイたちもそのあとに続いた。廃屋の中では出ていくときと変わらない姿でエルサの仲間たちが横たえられている、どうやら鼠やら蟲やらに齧られてはいないようだ。もっともこの迷宮にその類のものがいるかどうかはわからないのだが。
「して、蘇生した後はこの家全体に結界を張って彼らを置いていく、ということでよいな?」
アレクセイは念を押すようにエルサに言った。彼らを無事に蘇生させたとして、アレクセイたちの旅につき合わせることはできない。エルサ曰く事情を話したら自分たちも付いていくと言いそう、とのことだからなおさらだ。事情を知る者は少ない方がいいし、アレクセイが守る対象も少ない方がいい。
「はい。私はそれで構いません。もとより…そのつもりでしたから」
寂しげな顔でエルサはそう呟いた。
もともとソフィーリアの遺骨の力によってアレクセイを従えた後は、単身エルサだけで北に向かうつもりであったらしい。自分の使命につき合わせるのは悪いから、と。それでも命だけは助けたいというくらいなのだから、エルサは彼らのことが好きなのだろう。
アレクセイもソフィーリアも戦乱の時代に生まれた以上決して博愛主義者とは言えないが、それでも関わった相手が大事に想う命くらいは助けたい。ソフィーリアは俯くエルサの肩に手を置いて微笑んだ。
「安心なさってエルサさん。以前は竜の息吹によって灰と化した兵士を蘇生したこともあります。ですから、大丈夫ですわ」
なんとも変わった励まし方であるが、それを聞いたエルサは一度頭を下げると後ろへと下がった。
代わりに錫杖槍を携えたソフィーリアが前に出る。この場面で騎士たるアレクセイの出番はない。大人しくエルサと共に妻の後姿を眺めることにした。
「では、始めます」
アレクセイたちを下がらせたソフィーリアは槍をかざすと祝詞を唱え始めた。
奇跡とは天に満ちる神の力をその身に卸すことによって超常の技を可能とする秘儀である。それが癒しの技であれ攻撃の技であれ、基本的な原理は変わらない。なので術者によって異なるのはどれほどの量の力をその身に卸すことができるかということだ。その点でいえばソフィーリアの力は歴代の神官戦士長の中でも群を抜いている。神の力を受ける巨大な器を持つからこそより高度な蘇生が可能なのだ。
(む、ゾーラの力をその身に卸す?…闇霊たるソフィーリアの身体にか!?)
妻の姿を見守っていたアレクセイがその事実に気づくのと、彼女に異変が起こったのは同時であった。
「あぁっ!」
「ソフィーリア!」
燃えるように煌く光に包まれていたソフィーリアはうめき声をあげるとその場に蹲ってしまう。
「大丈夫かソフィーリア!」
「ごめんなさい、失念していました。この身は既に肉の身体ではないのですよね…」
苦し気に喘ぎながらも笑うソフィーリアに、アレクセイは迂闊な自分を呪った。闇霊と化したソフィーリアが奇跡を行使するということは即ち霊が自ら浄化されるようなものではないか。これでは蘇生の秘儀など自殺にも等しい。
「すまんエルサ君。どうやら君の仲間を蘇らせることはできないようだ」
「そんな…」
アレクセイの言葉に打ちひしがれるエルサであったが、そんな彼女を見たソフィーリアは、しばし悩んだ後に決然とした顔で立ち上がった。
「…まだ方法はありますわ、あなた」
「ソフィーリア?」
戸惑うアレクセイをよそにソフィーリアはエルサのもとへと歩み寄ると、いまだ蹲ったままの彼女の前にしゃがみ込んだ。そして柔らかく微笑んでエルサへと話しかける。
「エルサさん、貴方の身体を貸してはもらえませんか?」
「え!?」
妻の提案に流石のアレクセイも目を剥く。だが同時に彼女の思惑に理解が及ぶとソフィーリアのある意味柔軟な発想に舌を巻いた。無論、目も舌もないのだが。
「闇霊たるこの身体に神の力が毒となるのなら、あなたの身体に卸せばいいのです。ほら、祈祷師と呼ばれる人たちにはあるでしょう?身体に霊を憑依させその力を引き出す業が」
彼女が言うのは俗に降霊術と呼ばれるもので、特殊な修行を修めた聖職者や土着信仰の占い師などが用いる術法だ。難度が高く本来は術者に高い技量が求められるものだが、霊であるソフィーリアが自らの意思でエルサの身体に入り込み、またその持ち主であるエルサがそれを許すのなら、決して不可能なことではない。そうすれば生身の聖職者が神聖魔法を使うのと同じように蘇生の魔法が使えるかもしれない。
「だが確実とは言えん。危険すぎる」
「危険は承知ですわ、あなた。それにこれは贖罪なのです」
ソフィーリアは、彼女にしては珍しいことに後悔するような声音で言った。
「贖罪?」
「ええ、彼女の…エルサさんの魂を滅してでもあの子の消息を探りたいと思ってしまったことに…」
ソフィーリアの告白にアレクセイは言葉がなかった。
彼女が言っているのはエルサが自分たちのことを教会に密告すると脅したときのことだろう。エルサはたとえ死んで魂になってでも教会に告げ口すると言った。アレクセイの剣ではエルサの霊を斬ることができなくとも、同じ霊体であるソフィーリアならばエルサの魂を消滅させることができたはずだ。だが天の国に向かうはずの魂を滅ぼすなど、神に仕える神官として、いや人として許されることではない。
「…本当に、できるんでしょうか」
「断言はできません。ですが試してみる価値はあります」
考え込むエルサをソフィーリアはじっと見つめている。そして彼女らの出す決断にアレクセイは口を挟むことはできない。それにこうなった妻は存外に頑固なのだ。
やがてエルサは強い意志を宿した瞳でソフィーリアを見返して頷いた。それを見たソフィーリアはエルサを安心させるように、優しく微笑んだのだった。




