第102話 三人+一匹+一骨
迷宮≪エンツの古城≫は、初期に発見されたもののひとつである。
今よりも魔法の武具が貴重であった時代。冒険者や剣を持つ者たちの多くが、上質の武器を求めてそこを訪れた。切れ味や耐久力を増加させる魔法が付与された武器は、彼らにとってときに金銀財宝より価値のあるものだったのだ。
そして彼の迷宮もまた、それに見合うほどには難易度の高い場所でもあった。
ドワーフもかくやという堅牢な石造りに、これでもかと様々な罠が張り巡らされていたのである。床から飛び出す針山に、壁や天井からは毒針が射出され冒険者たちを貫いた。城というよりちょっとした街に近い城内には、膨大な重量の鉄球石球が転がり彼らを押し潰す。そら宝だと小部屋に入れば、どこからか流れ込む水によって溺れ死に。かと思えば、いきなり床から火山の如き火炎が噴き出すことも。そうして不意を討たれて焼け死んだ冒険者も少なくなかったという。
そうしてある時、どこかの冒険者がふと思ったのである。
「あれ、ここ魔物と戦うよりしんどいんじゃね?」と。
そうして吟遊詩人によって歌われたのが、≪エンツの死にうた≫であった。悪鬼魔物と戦い、力及ばず死ぬのはよい。だが剣士さま魔法使いさま、よもや壁に潰されて死ぬために、腕を磨いたわけではないじゃろな?と。
また同じ時期に、古竜塔が安価な魔法武器の製作を実現させたのも大きかった。市に並んだエンツ古城産の武器よりも遥かに安い刀剣が、市場へと流れたのである。しかも冒険者にとって「よい」のは値段ばかりではなかった。彼の城で手に入る武器はいずれも癖の強い物が多かった。姿形もそうであるし、何がしかの呪いが掛けられていたために、そのままでは使うことができなかったのだ。
だが古竜塔の魔術師たちの研究の成果には、そんなものなどありはしない。むしろ自由度は遥かに広がっており、剣や槍でも思い思いの形状の物が手に入ったのだ。戦士にとって獲物はこだわりの強い物であるから、制限なくそれらを選べるというのは、冒険者たちから大いに喝采を受けた。
「そうしてこの迷宮に訪れる者はほとんどいなくなった……のだそうです」
巨大な城門を見上げながら、エルサはそう言葉を締めくくった。その傍らにはもちろん、アレクセイたち夫婦の姿もある。彼ら三人はモルドバの要請を受け、アレクセイたちの旧友でもあるガネルの遺骨を探しに≪エンツ古城≫へと潜っていた。
オリアスの来訪がありはしたが、当初の予定に変わりはない。エルサの特訓を終えた一行は、すぐさま迷宮へと向かう判断をしていた。もとより疲労のないアレクセイたちに不都合はない。エルサから休む必要なしと言われれば、尚更否はないことであった。
それにアレクセイの見たところ、彼女は彼女でいつも以上に気合十分な様子に見受けられたのだ。どうやら新たに習得した術のいくつかを、早速実地で試してみたいらしい。
「戦闘では相変わらずお任せすることになっちゃうかもですけど……今回は私もお役に立てると思います!」
元から色素の薄い頬を上気させてそう意気込まれれば、アレクセイとしても任せてやりたい気持ちになろうというものだ。若者がこういった時は往々にして危うさをも孕んでいるものだが、そのときは自分たちが動いてやればよい。それが年長者の務めであろう。
昨夜のうちにそういった話を妻へとしてみたところ、「まぁ、そんなお爺さんみたいなことを」とからかわれたのは、エルサには秘密の話である。
「おー、頼むよエルサー。ヘクターの仇を討っておくれー」
珍しく威勢のいい妹弟子を見て、モルドバもそんなことを言っていたものだ。そして今回の依頼の張本人である彼女は、今この場にはいなかった。夫を亡くし、幼い子を抱える彼女が迷宮へと赴くことはできなかったのだ。
もっとも当人は来たがっていたのだが、これは骨になった夫と妹弟子、そしてソフィーリアに強硬に反対されていた。
「貴方には幼い我が子を持つ、母親の自覚がないのですか!」
「そうです先輩!赤ちゃんが可哀そうです!」
「カカカッ!」
エルサもそうだが、ソフィーリアが怒るのももっともであろう。なにせ亡き息子の消息を確かめるべく、アレクセイたちは旅をしているのだ。現役で子を持つモルドバが無謀な行いに走ることに腹を立てるのは当然の話であった。スケルトンになったヘクターも、顎を鳴らして妻を諫めている。頭蓋骨ゆえに表情はないが、暗い眼下からは呆れたような視線すら感じられた。
(研究熱心なのは術師に共通のことなのだろうが、こればかりはな)
アレクセイとしても、彼女には街で控えてもらうほかないと考えていた。自分たちがいれば、生半な相手に後れを取ることなどないのだ。そう言って彼女を宥めると、「それならアドバイスだけでもさせてくれ」と、モルドバはあるものを一行に渡してきたのである。
『エルサの言う通り、今はこの迷宮も閑古鳥だからね。好きにやっちゃってよー』
間延びしたモルドバの声がその場に響き渡る。だがこの場にいるのはアレクセイとソフィーリア、そしてエルサと彼女が抱えたスライムのミューだけである。
ではなぜモルドバの声がするのかといえば、それはエルサの腰元に括りつけられた"モルドバの頭蓋骨"からであった。
「これは私の頭の骨で……あぁもちろん本物に似せて作った模造品だよ。え、どうやったかって?そりゃあ≪骸骨術師≫の秘伝だからね、教えらんないよ。ともかくこれは離れた場所にいてもその場の景色が見れたり喋れたりするものなんだ」
かつてエルサとの間で使っていた鳥の番の頭骨を使ったものでは、何かと融通が利かないらしい。またあちらは接続時間も短いため、長期のやり取りには向かないのだという。
『うんうん、ちゃんとそっちの様子も見えるね。こっちの準備も万全だからね、分からないことがあったら何でも言っておくれよ』
頭蓋骨を通して視界も利くようだ。これなら天幕にいながら共に迷宮探索ができるというものである。
「こうして見るとやはり、死霊術というのは奇天烈なものなのだな」
「慣れたと思っていましたけれど、やっぱり普通の魔法とは趣が異なるのですね」
アレクセイたちアンデットの夫婦は、しげしげとエルサの腰元を見下ろしてそんなことを呟いた。
『ふふん、まぁ魔法的な諸々は私に任せてくれ給えよ。魔物とかの、物理的な面倒は任せるからさ。肝心の罠の方は、まぁエルサがいれば大丈夫でしょ』
「ほう、エルサ君は罠避けの類もこなせるのか?」
モルドバの言葉を聞いて、アレクセイはそう視線を彼女へと移した。
「本職の方みたいに罠の解除とかは特異じゃないんですけど……罠の"察知"なら、こう見えて結構自信あるんですよ」
どちらかというと、エルサは控えめな性格の少女だ。土壇場の胆力や自らの目的にためには手段を選ばぬ度胸は大したものだが、元来こういった物言いをする娘ではない。となれば本当にそれらの仕事には自信があるのだろう。彼女は霊魂の扱いを専門とする術師だったはずだが、斥候や盗賊の真似事ができるとは驚きである。
「教会に認可されているとはいえ、普通の人から見れば≪霊魂遣い≫も悪い死霊術師と変わりませんから。一人である程度のことはできるように、父から仕込まれてはいるんです」
そういえばとアレクセイは思い出す。彼女は職業柄、あまり普通の冒険者と一党を組んではもらえないのだと言っていた覚えがある。そうであるからこそ、偏見なく接してくれたかつての仲間たちには強い思い入れがあったのだろう。
理由はともかく、できることが多いのに越したことはないのだ。これまでの迷宮ではあまり必要なかった技能だが、ここで存分に見せてもらおうというものである。
「心強いことだ。では共にこの古城へと挑み、見事ガネルを見つけてやろうではないか」
「はいっ!」
アレクセイがそう言うと、エルサもまた力強く頷き返したのであった。