第98話 杭打ちガネル
≪杭打ちガネル≫は、アレクセイと共に邪神竜と戦った古い仲間であった。
ドワーフ族であるガネルは、種族譲りの頑強さを持つ屈強な戦士であった。また彼らの多くがそうであるように、ガネルも優れた鍛冶師としての腕前を持ち合わせていた。二つ名の由来となった巨大な戦鎚も彼自身の御手製である。特殊な機構が組み込まれたその武器は、あの邪神竜の鱗すら貫いたものだ。
そんな戦士として申し分ない力量を持つガネルであったが、アレクセイたち夫婦にとっては個人としても縁の深い相手で会った。
元来ヴォルデン王国とドワーフ族は友好関係にあった。それは剣と鋼の教えを良しとする、無骨な気質によるところが大きい。アレクセイ自身も豪放な性格の彼とは馬が合ったし、酒と戦を愛するところなどもとても気に入っていた。ゾーラの神官戦士であるソフィーリアも、ガネルとは仲良くやっていたように思う。
彼はもともと、同じドワーフよりも他種族の方が気が合うという変わり者であった。偏屈な者の多い彼らの中でも、少々浮いた存在だったとも聞いている。先進的な"からくり"を愛するところや、巨大な鈍器を振り回すという、種族特性以上の怪力を持っていたこともその原因だったのだろう。
だがアレクセイたちは、そんな彼のみが持つ力に何度も助けられた。気が合い、ともに死線を潜り抜けたアレクセイたちが友となるのに理由はなかった。あの旅が終わった後も彼は故郷の仲間たちのところには帰らず、客分としてしばらくヴォルデンに留まっていたものだ。魔王襲来の際はドワーフの軍を連れてくると言って、北を離れていたはずである。
「結局彼には会えず仕舞いだったが……迷宮で果てていたとはな……」
「ガネル……」
アレクセイは夜空を見上げながら嘆息した。力なく呟いたソフィーリアも、彼の冥福を祈るかのように目を閉じている。
死霊術師のモルドバと出会った、その日の夜のことである。日中に様々な驚きに見舞われたアレクセイたちは、彼女の勧めもあり恍惚骸骨旅団のテントに宿泊していた。この場にいるのは今はソフィーリアだけであり、エルサはモルドバに呼ばれて席を外していた。
「乱世の時代でしたから、いつでも覚悟はしていました。けれどこうして友の死を聞かされると、やはり悲しいものですね」
「だが迷宮に赴いたということは、魔王との戦いを生き抜いたということだ。そんなガネルであっても、迷宮には勝てなかったというのか……」
殺しても死なないような、強靭さが取り得の男であったのだが。アレクセイは俄かには信じられないことであった。そして昼間聞いた話に思いを馳せた。
あのときモルドバが差し出した手記には、ガネルが迷宮に挑むまでの日々のことが綴られていた。アレクセイたちが死んだこと。人とエルフ・ドワーフたちの連合軍が魔王の軍勢に大敗を喫したこと。混沌の数十年ののち、勇者なる者が魔王を打倒したこと。そして、この世界に迷宮が現れたこと。
大雑把であったガネルの性格故に、あまり仔細は書かれてはいない。ほとんどはそのときあった事実が淡々と記されているのみである。だから彼がどのような心持ちであったかまでは分からない。だが迷宮に入る直前に書かれたところには、"古き友たちのために"とあった。
「ガネルは……何を求めて迷宮へと入ったのだろうか」
「それは分からない。≪エンツの古城≫は初期の頃に見つかった迷宮だけれど、めぼしい何かがあるわけじゃないんだ。むしろ"不味い"部類と言ってもいいだろうね」
モルドバはそう言うと荷物の奥から一本の剣を取り出してきた。随分と大ぶりで刃が婉曲している、所謂ファルシオンと呼ばれる種類の曲剣であった。両手で抱えるようにして持ってきたそれを、どすんと音を立てて机の上に置いた。
「ふぅ。これはエンツ古城に出没する魔物が持っている武器でね。そいつ自体は、まぁ三ツ星冒険者なら倒せるかなという相手なんだが、如何せん数が多いんだ。それにこれ以外は目立った戦利品は得られない」
「ふむ……速さを得意とするこの手の武器にしては、随分と重いな。それに、刃に魔法の力が込められているのか?」
曲剣を手に取ったアレクセイは、そう感想を漏らした。普段から超重量の大盾を扱うアレクセイには問題にもならないが、これらを好む人の軽戦士には扱いきれぬ重さだろう。それに魔法の剣なのは結構なことだが、なんだかあまり良くない力をも感じるのだ。邪気や闇の力といったもので、純粋に切れ味を増すような類の物とは思えない。骸骨の紋様が施された刀身や柄頭の意匠も、いかにもといった風である。
「その通り、この武器にはある種の"呪い"がかけられていてね。聖職者に解呪してもらわないと、なかなか扱いにくいものらしいんだ」
苦労して手に入れた武器にさらに高い金を支払って呪いを解く。その上使いにくいとくれば、労力に見合うかは難しところだ。
またそもそも、≪エンツの古城≫自体が、非常に厄介な迷宮なのだという。
「あそこは別名"斥候殺し"と呼ばれるほどに、罠が多い場所でね。それが不人気に拍車をかけているってワケさ。お宝もない。敵も多い。おまけに冒険者殺しのからくり三昧とくれば、まぁ彼らの足が遠のくのも道理というものだよ」
「来るのは君たちのような奇特な人間ばかりということか」
「ははは、そういうこと。ヘクターもあれで一応四ツ星冒険者だったんだけどね。迷宮の罠にはまってあの通りというわけさ」
また≪エンツの古城≫には書物の類も少なからず眠っているらしい。魔導書や魔法の巻物といった類ではないため大した値にはならないが、それらを欲しがる好事家も稀にいるという。
「それも君たちか」
「そのとおりさ。もっともそれらは共通語で書かれているわけではないから、翻訳には専門的な知識が必要となる。最近の古竜塔は迷宮研究には消極的だから、やっぱり私たちみたいなのが主な買い手だね」
モルドバたちはそうやって世界中を巡り、過去の断片を集めているのだという。教会の加護を得、ときに彼らの目を盗みながら、古い時代のことを研究しているのだ。
「それで……実際どうなのだろう?ヘクターの代わりに、迷宮に潜ってくれるのかな?」
モルドバはそう言うと笑顔を潜め、遠慮がちにこちらを見上げてくる。不安げな表情のいくらかはわざとだろうが、ほとんどは彼女の嘘偽らざる気持ちだろう。人生の伴侶を失くすほどの探究なのだ。飄飄としているように見えて、なんとしてもガネルの遺骨を見つけたいと考えているに違いない。
そしてアレクセイの答えもまた、とうに決まっているのだ。傍らのソフィーリアに目をやれば、彼女もまた強い意志を感じさせる瞳で夫を見上げていた。エルサも同意するように、何度も頷いている。
「かつての友を荼毘に付すことにもなるならば、是非もない。必ずや彼を見つけてみせよう」
力強く言い切ったアレクセイの言葉に、モルドバは歓喜の笑みを浮かべた。その目の端に光るものが見えたのも、気のせいではないだろう。
「そうか!いやぁ、よかった!ありがとう、アレクセイくん!ソフィーリアくん!もちろん、エルサもね!」
モルドバは一人ずつ手を取ると、ありったけの感謝の意を込めるかのようにぶんぶんと振った。実体のないソフィーリアにも抱擁しかねない勢いであった。
そんな中、ふと思いついたようにエルサがぽつりと言った。
「そのドワーフさんの遺骨を探すのに異論はないんですけど、あの、先輩?昔のお話を聞きたいのなら、アレクセイさんたちに直接伺ってもよいのでは?」
「いいところに気が付いたねエルサぁ!」
妹弟子の言葉に、軽く小躍りしていたモルドバが振り返った。そして再びアレクセイたちの方へと詰め寄ってくる。心なしか、その目の瞳孔が開いている気がする。
「私もあなた方の正体を聞いたときにね、『あれ、もしかしてヘクターたちまるっきり無駄死にだったんじゃね?』とか思ったんだけどね!≪杭打ちガネル≫は終戦まで生き残ってるわけだから、そっちの方が聞き出せる情報量は多いはずさ!それに彼は人間より遥かに長生きのドワーフなわけだから、竜狩り以前の話もきっと聞けるだろうとも!」
だから無駄じゃない、無駄じゃないんだと騒ぐモルドバを、アレクセイたち三人は何とか落ち着かせたものである。平気そうに見えて、あれでなかなかに夫の死はこらえていたようだ。最後には本人も冷静さを取り戻してこちらに詫びていた。
とりあえず仔細はまた明日にということで、宿を借りる運びとなったわけである。
「エルサ君の伝手で、ガネルと巡り合う、か。めぐり合わせとはおもしろいものだな」
「ええ、本当に」
テントの覗き窓から月を見上げてアレクセイは呟いた。その隣にはソフィーリアが、夫の身体に身を寄せていた。
そうして二人は、五百年前と変わらぬ天に浮かぶそれをいつまでも眺め続けたのである。