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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第五章 三ツ星の夫婦
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第97話 歴史を探る者

「"竜狩りの六英雄"と言えば、我々歴史学者の間じゃ知れた名さ」


 エルサによって無理やり引き剥がされたモルドバが、乱れた服の裾を直しながらそう言った。

 古い歴史を調べることを生業にしている彼女らは、魔王が現れる前のことにも詳しいようだ。特に魔王軍侵攻前の"邪神竜の災い"については、かなり精力的に調べているらしい。


 今の時代には、アレクセイたちの頃の記録はほとんど残っていないと聞いている。この間のフリアエのような例もあるが、あれは子々孫々と受け継がれてきたものであり、社会一般的には全くと言っていいほど伝わってはいないのだ。個々の国々の名前などはともかく、大陸全土を火の海に変えた邪神竜の名などは伝わっていてもおかしくはない。いくら魔王の破壊の影響があったとはいえ、あれほどの大事件を忘れ去るには五百年という月日はそう長いものではないはずだ。


「そう。魔王が現れて以降の記録は、戦乱のごたごたでその多くが紛失した。とはいえそれも全てじゃない。世界を救った英雄の話などは、特にね」


 雑多に物が散らばる天幕の中で、そこだけ整然としている本棚からモルドバが抜き出したのは一冊の本である。その表紙には本の題名と、真っ黒な竜の姿が描かれている。


「これは……」


「トアマンド・ビョルグ著、『恐るべき厄災;グロズヌイ』の複本さ。原本は大昔に教会によって焚書にされているけどね。過去に起きた恐怖の出来事を風化させてはならないと思った誰かがいたんだろう」


 それはまさしく、アレクセイたちによる邪神竜退治について記されたものであった。竜がこの地に現れていくつかの国が滅び去ったこと、各国から勇者たちが選ばれて討伐に赴いたことなどが詳細に残されていたのだ。

 特にその中でもアレクセイとソフィーリアについてはよく書かれていた。書き手の名前に別段見覚えはない。だがその響きからして、もしかしたら著者はヴォルデンに近しい人物なのかもしれない。


「教会が残したいのは勇者カイトの偉業と、それにどれだけ自分たちが貢献したかということだ。そこに当時の帝国が世界を統一するための野望が重なって、古い歴史は軒並み消されることになったんだ。とはいえこれほどの災いを人々の記憶から消すのは難しい。本によっては、邪神竜は魔王の尖兵だった、なんて記載されているものもあるくらいさ」


「……あの当時でも、そのような風聞は確かにあった」


 世界の脅威が立て続けに現れたせいもある。特に魔王の出現当初などは、魔王は邪神竜によって人々が疲弊した隙を突いて現れたのではないか、というような噂もあったのである。


(面と向かって問い正したこともあったが……あ奴は明確に否定していたな)


 アレクセイ自身も、魔王と剣を交える最中に竜との関係を訊ねてみたことがある。そのときは『邪神竜は人の手に負えるものではない』ときっぱり言い切られていた。敵の言うことを信用する理由もないのだが、アレクセイはなんとなく、魔王が嘘を言っていたわけではないと考えていた。結果として軍事的に間隙を突く形になりはしたが、魔王が邪神竜を使役したという説を信じる気にはなれなかった。


「まぁこのように、君たちは魔王との戦いとも無関係ではないからね。国の名前などはともかく、かつての英雄たちの名は意外とあちこちに見られるものなのさ」


 再びモルドバが差し出してきたのは、先ほどの物と比べて随分と立派な装丁の本である。縁の部分は細かい模様が刻まれた金属で補強され、羊皮紙自体もかなり上質のものが使われているようだ。


「『ソラリスの申し子、光の英雄』、ソラリス教会大司教ケリコフ・サイモンの著だね。ま、よくある勇者カイトと教会賛美の本だよ。教会に都合のいい、あることないことを書き連ねた最低の本だけれど、当時の世情を知るにはいい教科書でもある。ほらここ、見てみなよ」


 先ほどとは違い随分と粗雑に本を開いたモルドバは、その中のある一節を指さした。そこには"誤った神々の名を借りた偽りの勇者たちは、無残にも魔王の火に焼かれた。その炎にも怯まなかったのは、御神ソラリスの加護を受けたカイトのみである"とあった。


「誤った神、ですか……」


「なるほどな」


 そこを読んだことで、アレクセイたちは当時の教会がなぜ歴史を曲げたのかを完全に理解した。教会は勇者カイトの活躍に自らの神の名を付け加えることで、それまでの信仰を亡きものにしようと考えたのだろう。ゾーラを代表するソフィーリアが敗れたことも、その一因に違いない。


 五百年前の時代に大陸で信仰されていたのは、四大宗教と呼ばれる四柱の神々である。ゾーラを始めとする火と水と風と大地の神だ。他にもいくつかの神を信ずる者たちはいたが、いずれも互いの神の存在を貶すようなことはしなかった。


 なぜなら神々は人の世に関係なく"そこにいるもの"であり、それらはみな一つの場所に住まっていると考えられていたからである。

 そう、論ずるまでもなくそう"伝えられていた"ものであった。そしてそこにソラリスなる神の名はなかった。


「炎神ゾーラとは別に、太陽を司る神もいましたが……」


「うん。そうやって他の神々と英雄たちの名を汚すことで、教会は大陸における地位を確たるものとしてきたわけだね。勇者カイトの功績は認めるし、実際にうまいやり口ではある。信仰の要を失った当時の人たちの心の隙間に、するりと入り込んだんだ。大したものだよ」


 ゾーラの信徒であり、"ゾーラの娘"と呼ばれた女を伴侶に持つアレクセイには、決して彼らのことを称賛することなどできない。ただ非難もまたできなかった。教会の狙いはどうあれ、戦に苦しむ人々の心の支えになったことは事実であるのだから。


 ソフィーリアも同じことを思っているのだろう。この場で不平不満を口にするようなことはしなかった。

 モルドバはそんなアレクセイたちを満足そうに眺めてから、机に出した本をさっさと片付けた。


「ま!神様の話は正直どうでもいいんだ。私は神学者ではないしね。大事なのは事実さ。それに私は運よくエルフから話を聞くことができたからね。ある程度のことは弁えているつもりだよ。やはり直接その目で見た者の言葉が一番さ」


 エルフ族は人間より遥かに長い寿命を持つ。故に歴史の参考人としてはうってつけなのだが、人嫌いの者が多い上に、大昔の人間との盟約により人の歴史について公言せぬよう決まり事を定めているらしい。とすれば盟約に従わないか、彼女の熱意に根負けしたエルフがいたのだろう。


「彼ら曰く、後世に伝えられるべき勇者はカイトやディーンだけじゃない。人の世の伝奇は誤りばかりだと言っていたね」


「ふむ……」


「この間の交信で君たちの姿を見て、大いに期待が膨らんだ。そしてさっき名乗られたときに、それは確信に変わったんだ。それと大きな喜びにね」


「それで?我らに頼みたいこととはなんなのだ?」


 モルドバは頷くと、あたりに散らかっている物の山を探り始めた。そうしてひとつの服の山から地図を抜き出した。そして机の上のなんやかんやを払いのけると、それを広げて見せる。


「君たちには、この近くにある迷宮、≪エンツの古城≫と呼ばれる場所を調べてほしいんだ」


「迷宮ですか……でもなぜ先輩はここに?普段は迷宮には入られませんよね?」


 エルサの疑問ももっともな話である。モルドバたち≪恍惚骸骨旅団≫の者たちは、この世界の歴史について調べていると言っていた。となれば普段は各地の遺跡や古書などをあたっていることだろう。そう考えると彼女が迷宮に興味を示す理由が気になった。


「そうだね……ところでアレクセイくん。歴史の探究者である私が、なぜ死霊術を修めているか分かるかな?」


「む?……はて、なんであろうな」


 急に話を振られたアレクセイは首を捻って考えた。騎士たる自身にとっては死霊術など門外漢である。魔術的な何かだろうかと当たりをつけていると、妻たるソフィーリアがぽつりと答えを言い当てた。


「死者から話を聞くため、でしょう?」


「ご明察!流石にアンデットを相手にする神官殿は知っていたみたいだね。そう、死霊術はもともとは戦場の死体から情報を聞き出すために発展した魔術なんだ。本来は調査のためのものであって、死者を操って戦わせたり、不死の肉体を目指したりというのは、あくまで応用に過ぎないんだよ」


 ということは、彼女は迷宮に住まう魔物の死体から何かを聞き出そうというのだろうか。だがこの世に存在する迷宮は、こことは違う別世界のものと言われている。この世界の失われた歴史を知りたいという彼女の願望とは矛盾する。それにこれまでアレクセイが見てきた魔物たちでも、言葉が通じそうな相手はいなかったように思う。


 先の亜竜たちは言うに及ばず、独自の言語を話すゴブリンも難しいだろう。そうすると相手はゾンビやスケルトンなどの人型の魔物であろうか。

 しかしそんなアレクセイの予想を読んでいたように、エルサが言葉を挟んだ。


「でも先輩、迷宮の魔物からは……」


「そう!残念ながら迷宮で生まれた魔物とは意思疎通ができないんだ。それが人語を解すかどうかは関係なくね。彼らはみな一様に人に対して強い敵意を持って生まれてくる。原因は迷宮に満ちる邪気だとか言われているけれど、詳しいことはいまだ分かっていないんだ」


「では君たちは何のために迷宮へと赴いたのだ」


 アレクセイがそう問うと、モルドバは再び一冊の本を取り出した。本棚でも、雑多な物の山からではない、厳重に施錠された箱からである。机の上に静かに置かれたその本は、ひどく古い物の様であった。


「これは?」


「大昔の、とあるドワーフの手記さ。彼はかの迷宮へと挑み、命を落とす直前に自らの弟子に託した。今日まで受け継がれてきたそれを、縁あって私が預かることになったんだ。私はそのドワーフの遺体を探しているのさ。弟子が追記した部分に寄れば、師の遺体は魔物に荒らされないところに安置したらしいから、まだ残っていることだろう」


 モルドバたちはそうして時折、迷宮内に残された古い冒険者の遺体を回収したりしているそうだ。単純な弔いの意味もあれば、迷宮の呪いで彼らが魔物化するのを防ぐ目的もある。彼女たちが異端の技を使いながら、教会の紋章を掲げているのにはそういうからくりがあったわけだ。

 もっとも彼女らの一番の狙いは、そうして死者たちから大昔の"生"の情報を聞き出すことなのだろう。


 そうして彼女は、驚くべき名前を口にしたのだ。


「そのドワーフは、"杭打ちのガネル"。竜狩りの六英雄の一人だよ」

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