第96話 骨の夫婦
死霊術師の集団である≪恍惚骸骨旅団≫は、失われた過去の歴史を調べる学者集団であった。
五百年前の魔王との戦いにより、地上にあったほとんどの国が滅び去った。その際に犠牲になったのは、何も民草や兵士たちだけではない。城塞や家々は言うに及ばず、貴重な資料が納められた教会や魔術師たちの建物も焼失したのだ。それゆえに現代では、魔王侵攻以前の記録がほとんど残されてはいなかった。モルドバたちの一団は、そうした過去の記録を調査し記録するのが目的であった。
「もともとは私の母が団長をしていたんだけどね。母が引退してからは、今は私が彼らを率いているんだよ」
モルドバは団のことを説明しながら、一行を天幕の中へと案内した。彼女らは多数のアンデットを従僕として使役している。ゆえに街の宿屋に泊まることは避け、いつもこうして自前の拠点を構えているのだという。
アレクセイたちが招かれたそこは団長である彼女専用のものであった。あちこちに羊皮紙の束や用途の知れない道具の数々が散乱しており、どことなくだらしのないモルドバの見た目通りの印象を与えていた。
もっとも専用と言っても、彼女一人が暮らしているわけではない。アレクセイたちの後ろを付いてくるスケルトン、彼女の夫であるヘクターとの夫婦の居室でもあるらしい。やはりあれは、死んだというモルドバの伴侶であったのだ。
「まさか、自らの夫を死霊術で復活させるとはな」
想像はついていたが、やはりそれが事実だと分かるとなんとも言えない気持ちになる。
神の奇跡である≪蘇生≫で蘇らせるのとはわけが違う。生前と同じ姿に復活させるそれとは違い、生ける屍はそもそもが自然の形ではない。そもそも人知の及ばぬ領域である命のあり方を、人の手のみによって歪める技であるのだ。もとより魔術嫌いのヴォルデンで生まれ育ったアレクセイらにしてみれば、決して気持ちのいい話ではなかった。
そんなアレクセイたちの言葉を聞いて、モルドバは困ったように頬を掻いた。
「う~ん、私が復活させたとも言えるし、そうではないとも言えるんだよね」
「!!……もしかして先輩、あの術をヘクターさんに?」
何かに気づいたらしいエルサが尋ねると、モルドバはしたりとばかりに頷いた。
「そう、≪魂縛の術≫さ」
それは供物と引き換えに対象の命をこの世に繋ぎ止めるという、いわば"死"を封じる術であった。
「大昔の死霊術師が、余命いくばくの恋人のために生み出したものなんだけどね。もとより魂の扱いというのは難しいんだ。神の力を使う聖職者にだってそうそうできることじゃない。いわんや人の手だけで成そうと思えば、うまくいかないのが道理というものだよ。そのとき出来上がったのも、無残に腐った動く死体だったそうだからね」
モルドバが用いた術は、それをより簡略化したものなのだという。
「そもそも全部が全部を思い通りにしようとするのが間違いなんだ。ヘクターの魂を向こうに送らないことだけを目標にすればいい。とすれば肉体の再生なんて最低限でいいのさ」
ゆえに彼女は、伴侶を動く骸骨として復活させた。それは彼女が、死霊術師の中でも≪骸骨術師≫としての術を磨いてきたゆえの選択でもあった。
「それでも死霊術を使うというのは……」
「やはり、いい気はしないかい?力のある聖職者様の霊とお見受けするけど、貴方だって≪蘇生の術≫を使うのではないかな?」
顔を伏せたソフィーリアに、モルドバは特に気にした風でもなく問いかけた。そうしてヘクターから赤子を受け取った。いろいろな驚きがあってすっかり忘れていたが、この骸骨は赤ん坊を背負っていたのだ。いろいろと五月蠅かっただろうに、赤子はいまだにすやすやと寝息を立てている。ここまで来れば、その子が誰の子供であるかは言わずとも分かるだろう。
「モル先輩、赤ちゃん生まれたんですね」
「そういやエルサには言っていなかったねぇ。そうさ、私とヘクターの子だよ。この子がいなければ私たちもここまでしなかったんだけどねぇ……あぁそうそう。この術は私が勝手にやったわけじゃなくて、旦那が死ぬ前からの約束だったんだよね」
我が子を腕に抱きながら、モルドバはぽつぽつと語り始める。
「この子が生まれてからかな、夫婦で話し合ったんだ。どちらかが先に死んでしまったら、相手をスケルトンとして蘇らせようって。普通の人間じゃあ難しいけれど、幸い私たちは普段から骸骨を連れているからね。一体増えたところで、教会に目を付けられる心配もない。片親で辛い思いをさせるより、自然の摂理を捻じ曲げてでも両親が揃っている状態を選んだんだ」
死が二人を分かつまで。
そんなことなど関係ないと、彼女たちは死んでからも共にあることを選択したのである。その考えは、奇しくも今のアレクセイたちにも共感できるものではあった。
「そういえば先ほど代償が必要と言っていたが、何を捧げたというのだ?」
アレクセイはそれを聞いておかねばならなかった。理解できるとはいえ、それ如何によって話は違ってくる。それが他者の命などであれば、当然許されることではないだろう。
僅かに緊張を孕んだアレクセイたちなど気にした風もなく、しかしモルドバはその問いにあっさりと答えた。
「ああそれはね、私の身体だよ」
「は?」
思わぬ答えに、アレクセイは失礼を承知で彼女の身体を眺めた。だぶっとしたローブを羽織ってはいるが、特に不自然な点は見受けられない。四肢は間違いなく本人のものであるし、目や耳を欠損している風でもない。アレクセイたちが彼女の言葉に首を捻っていると、またも彼女は驚くべきことを言いだしたのである。
「ああ、術で捧げた部位はね。私の"子宮"なのさ」
「っ!!」
これにはアレクセイも絶句した。同じ女であるソフィーリアなどは、その比ではないだろう。モルドバは自らの下腹部を擦りながら、やはり何でもないように言った。
「人体で最も霊的に価値のあるのが心臓で、次いで有用なのが脳と子宮なんだよ。特に子供を宿す子宮は生命を象徴してもいるからね。死霊術のための供物としては申し分ないのさ」
あとは死んだヘクターの肉体そのものも捧げたらしい。スケルトンとして蘇るのであれば、骨以外は必要ないからだという。
「私にはこの子がいるし、ヘクター以外に夫を持つつもりはないからね。私には不要なものなのさ」
どこか飄飄とした雰囲気のモルドバであるが、そこだけは強い意志を感じさせる瞳でそう言い切った。
(生前であれば否定していたところだが……こうなって分かることも、あるのだな)
彼女の言葉を聞いて、アレクセイはそれ以上追及することを止めた。気安げな口調で衝撃の発言を続けるモルドバであるが、彼女とてふざけているわけではないのだ。その全てに信念があり、理由がある。ならばこれ以上、部外者が口を挟むこともないだろう。
ソフィーリアも同じ境地に至ったようで、彼女は切なそうな瞳でモルドバたちを見、静かにアレクセイの手をとった。その視線はずっと赤子を抱いたモルドバに注がれているが、アレクセイには彼女の心情が痛いほど分かるというものだった。
「さて、私のことはこのくらいでいいかな?」
「うむ。とりあえず其方たち夫婦のことについては理解できたように思う。文句もない」
「そうか……では……」
モルドバはそう言うと顔を伏せ、赤子を丁寧にヘクターへと渡した。そして勢いよく面を上げると、その瞳には輝くばかりの興味の光が瞬いていた。さらに弾かれたようにアレクセイへと飛びつくと、止める間もなく鎧のあちこちを触り始めた。
「お、おい」
「いやぁ、もう辛抱できないよ!なにせ見たこともない形式の鎧を纏ったアンデットが目の前にいるんだもの!我ながらよく我慢できたというものさ!相当古い物のようだけど、これはヴォルデンの物じゃないよね?これはあれかい、あの竜狩りの旅で手に入れたものなのかな!?」
今しがたの神妙な態度はどこへやら。いかにも研究者然とした顔でアレクセイの身体を検めるモルドバに、赤ん坊の母親の面影はない。夫のヘクターも慣れたもののようで、暴走する妻を無視して子供を手に別室へと下がっていった。
アレクセイはエルサへと助けを求めたが、やはりこの変貌ぶりはいつものことらしい。諦めたような顔つきで謝るように手を合わせている。
これは落ち着くまでいいようにされておくかと思いかけたアレクセイであったが、ふと彼女の言った言葉を思い出してその肩に手をかけた。
「待て。其方、いまヴォルデンと言ったか?」
「ん?ああ言ったとも。"竜狩り"のアレクセイくんに、"白竜の聖女"ソフィーリアくん。古の英雄にナマで会えるなんて、感激だね」
モルドバはそう言ってニヤリと笑うと、得意げに眼鏡を押し上げたのだった。