第95話 骨のいる街
「このような往来に、骸骨だと!?」
眼前に立ち尽くすアンデットを前に、アレクセイは剣の柄に手をかけた。
時刻はまだ昼前。それも小さいとはいえ街の真ん前である。衛兵が市壁の上に上がろうものなら間違いなく見えてしまうような距離であるのだ。そんな場所にスケルトンが現れるなど、尋常なことではない。その背に人の子を背負っていては尚更だ。夫に続いてソフィーリアも槍を顕現させて、すぐさま臨戦態勢を整えていた。
すると件のスケルトンは驚くべき行動に出た。慌てた風もなくアレクセイたちの方を向いたそれは、背負った赤子を指さしたあとに、その指を自らの口の前で立ててみせたのである。
「む……」
それを受けたアレクセイは、抜きかけた剣の動きを止めた。確かによくよく見てみれば、骸骨の背負い袋に収まる赤子は、すやすやと寝息を立てていたのである。またスケルトンの手には、寝かしつけるためと思われる玩具のような物もあった。
「人さらい……という風でもないようですね」
ソフィーリアも拍子を抜かれたように槍を下ろしている。彼女の言うように、どこかの民家の寝所から奪ったようには見えない。背負っているのがスケルトンでなければ、まるでよくある子守りの最中に見えた。
するとそのとき、街の方からやって来る者がいた。どうやら農夫か何かのようだ。男は赤子を連れたスケルトンを見ると一瞬ぎょっとした表情を浮かべたが、すぐに平静を取り戻すとなんでもないようにその横を通り過ぎていく。その際に被っていた帽子を上げると、なんとスケルトンもまた軽く会釈をして返していた。
そうして、呆気に取られていた自分たちの横を通り過ぎようとした男を、アレクセイは引き留めた。
「少し、待たれよ」
「ひえっ!?な、なんだアンタ!?」
男はスケルトンのときよりよほど驚いた様子で、アレクセイの巨体を見上げている。
「其方に訪ねたいのだが、あれは、なんなのだ?」
アレクセイがそのように言うと、農夫は合点がいったように頷いた。
「あ、ああアンタ、旅の人かい。ありゃあ向こうの街に居付いている旅人の一団の奴だよ。俺も最初に見たときはぶったまげたが……あれは教会の御方が面倒を見てる骨っころらしいからな。そう悪さもできんだろ」
「何?教会だと」
農夫曰く、教会の紋章を掲げた集団がいま街に滞在しているらしい。確かに眼前のスケルトンは教会の紋章が入ったローブを纏っていた。いま市壁の向こうには、似たような動く骸骨がたくさんいるのだという。気味悪がる人間もいなくはないが、教会の手前特に抗議などもないようだ。農夫はそれだけ言うと、足早に去っていった。
しかし神の信徒たる教会がアンデットを使役するなど、一体どういうことだろうか。アレクセイが首を捻っていると、思い出したようにエルサが呟いた。
「あ、もしかしてモル先輩のところの?」
「む?エルサ君、それはどういう……」
そうしてアレクセイが問いかけようとすると、例のスケルトンがゆっくりとこちらへ近づいてきたのである。
それを見て再び警戒を強めるものの、どうにもアレクセイには違和感がしてならなかった。まず魔物特有の邪気のようなものが感じられないのだ。また同時に敵意も見られない。見た目以外は、まるで普通の人間であるかのような雰囲気であった。
するとこちらの前までやって来たスケルトンは、アレクセイではなくエルサの前で立ち止まった。その腰に剣が吊られているのが見えたが、やはりそれを使おうとするような気配は見られない。
骸骨はまるで友人に挨拶をするように片手を上げた。次いでカタカタと顎を鳴らす。まるで本当に話しかけるような素振りなのだが、当然ながら声帯があるはずもないので声はない。
だが、それだけでエルサは何かに感づいたらしい。
「も、もしかしてヘクターさんですか!?」
「カカカカカ」
驚くエルサを見て、まるで正解と言わんばかりにスケルトンは骨を鳴らしている。そしてその名にはアレクセイも聞き覚えがあった。というか昨夜聞いたばかりであるのだ。
「それは……君の姉弟子の、死んだという夫の名ではないのか?」
まさかと思うが、同時にアレクセイは彼女の職業を思い出した。
死霊術師。
人外の術法にて、死者を操る生と死の探究者。そんなモルドバであれば、亡くした伴侶を生ける骨として復活させることも可能なのかもしれない。
「これは、なんとも……」
アレクセイが自身の伴侶の姿を見れば、彼女はなんと言えばよいのか分からないというような顔をしていた。聖職者であるソフィーリアからすれば、簡単に許せるようなことではないだろう。だが今は自分たちもそのアンデットなのだから、他人にあれこれ言えるような状況でもないのだ。少なくとも明確な悪意でもない限りは、神の名のもとに滅することなどできるはずもなかった。
そんなアレクセイたちの戸惑いなど露知らず、ヘクターらしきスケルトンは踵を返して歩き始めた。そして一度振り返ると親指、の骨を街の方へ立ててまた骨を鳴らした。どうやら付いて来るよう言いたいらしい。
「まぁ、行くしかなかろうな」
「え、ええ。もとよりそのための寄り道なのですものね」
そうして夫婦とエルサ一行は、スケルトンの先導のもと街へと入った。その際も衛兵の横を通ったのだが、特に呼び止められるわけでもない。ただなんとなく、彼らも敢えてスケルトンの存在を無視しているようではあった。
赤子を背負ったスケルトンは、ずいずいと街の中心部へと歩みを進めていく。そうして進む間にも、街のあちこちに他のスケルトンがいるのが目に入ってきた。それらはいずれも教会の紋章が入った衣服を纏っており、買い物や荷運びなどをしているらしかった。
「これがこの街のいつもの風景、ということはないだろうな」
街の人々もなんでもないように振舞ってはいるが、骨たちと接するときはどこなく身体が引けているように感じられた。商店が立ち並ぶ通りでありながら人がまばらなのも、この街があまり大きくはないことだけが理由ではないだろう。
アレクセイたちとは異なり、もうすっかり平静を取り戻したエルサが説明する。
「そういえば言っていませんでしたね。モル先輩たちはスケルトンを使役して旅をしているんです。私と同じで、教会から認可を受けた死霊術師なんですよ。行く先々で変な目で見られるって、よく零してました」
その言葉でアレクセイは思い出した。過去にエルサは、自らの職は太陽教会から認められたものだと言っていた。死者を操るというのは、普通であれば許されざることなのだ。今更ではあるがともずれば恐怖と迫害の対象となる者たちを、教会が許しているということが驚きであった。
「エルサさんは死者の魂の安息を願ったり、逆にその技を使って悪霊を祓ったりするのでしょう?そうであればまだ理解が及びますが……死者の骨を動かして使役するなど、その、よく認可が下りたものですね」
言葉を選びながらそう言うソフィーリアは苦笑いだ。自分自身のことはあるにしても、職業的に納得がいかないのは仕方のないことだろう。あまり信心深い方ではないアレクセイとて、感心できるような状況ではないのだ。やはり骨が墓ならぬところにいるというのは、どうにも収まりが悪く感じられた。
「まぁ太陽教会も推奨しているわけではないんですけどね。あくまでもやっていいことの枠組みを決めて、そこから逸脱しない限りは罰することもしない、という感じですね」
「ふむ。道を踏む外した場合はどうなるのだ?」
そもそも普通の魔術ではなく死霊術を学ぼうという輩なのだ。霊魂遣いの家系であるエルサはともかくとして、その他の場合を想像すれば、あまり規則に従順な印象は持てない。
「当然、教会から調査の人間が遣わされます。退魔官とか異端審問官とか……程度によっては教会騎士とかも来るかもしれませんね」
「ほう、この時代の教会も武力組織を持っているのか」
やはりそうかとアレクセイは頷いた。
教会とは、決して祈りと癒しのためだけの機関ではない。人の世の秩序と密接に関係している教会は、いつの時代であっても暴力を孕んでいるのだ。神官戦士であるソフィーリアを見ても分かるように、その戦闘力の高さは一般的な軍隊に引けを取らない。また神の奇跡を使うため、魔物やアンデットに対してはそれら以上の対抗力を持つものだ。
「我々としても、衛兵よりもそちらを意識した方がいいかもしれんな」
「ええ。この時代の宗教というのも気にはなりますが……できるだけ近寄らないようにした方がよさそうですね」
もっともそれらの部隊が配属されているのは大都市ばかりであり、ここのような普通の街には教会と司祭がいるのみらしい。
そんなことを話しつつ、一行はスケルトンに続いて街を進んでいく。やがて街の一角にある開けた地区へとたどり着いた。そこには大きな天幕が張られており、何体もの骸骨がそこに出入りしていた。
アレクセイたちがそちらに近づいていくと、ちょうど女が一人出てくるところに出くわした。昨夜も見た、ぼさぼさの髪をした眼鏡の女である。
「ふわ~~……んおっ!?」
特大のあくびをかました女、モルドバはアレクセイたちの存在に気づくと、ローブの裾を翻して駆け寄ってきた。
「エルサ!我が妹弟子よ~~!よく来てくれた~~!」
そうしてエルサを固く抱擁する。モルドバの胸に顔を埋めたエルサが苦しそうにその腕を叩くと、ようやっと解放した。
「ぷはっ!もう、モル先輩ってば、こんな街中で、やめてくださいよ」
「いーのいーの。どうせこのあたりにはうちの骨しかいないんだから。それより、うちの旦那と会ったんだね」
そう述べるモルドバの横に、ここまで案内してくれたスケルトンが並び立つ。やはりこの骸骨は、死んだという彼女の伴侶であるらしい。
「先輩、これってどういう……」
「まぁまぁ。それより、そっちがエルサのアンデットだね?」
「エルサ君に従属しているわけではないが……私はアレクセイ。こっちは妻のソフィーリアだ。詳しい話を聞かせてもらおうか」
いくぶん硬い口調に臆することもなく、モルドバはアレクセイたちの姿を上下して眺めている。そして頷くと、天幕の入り口を開いてアレクセイたちを招き入れた。
「もちろんだとも。ようこそ、≪恍惚骸骨旅団≫のテントへ」