第10話 復活
領主の間は謁見の間であり、入り口から一番遠いところに領主のものであろう椅子がある。
迷宮主である"名も無き伯爵"も、魔物に転ずる以前はここに座って来客を迎えていたに違いない。かつての栄華も虚しく椅子はくたびれ、その主もまたぼろ雑巾のようにその脇に転がっている。そんな主無き椅子の奥に扉があり、そこに領主の財宝が眠っているという。
多くの冒険者たちが待ち望む、≪財宝探し≫の時間であった。
もっともアレクセイらの目的はそれではない。ソフィーリアのもう半分の頭骨を取り戻すべく、エルサに従って財宝の間に足を踏み入れた。財宝の間といっても部屋の中に金貨が山のように溢れている、などということはない。古びたタペストリーや絵画に壺など、劣化し過ぎてもやは価値を見出すことができないガラクタが大半だ。そんな中にいかにも宝箱、といった風体の金属箱がある。
「これが本来迷宮主を倒した者が得る宝ですね」
エルサはそう言うとうんしょと重たげに宝箱の蓋を開けた。中には青い宝石が埋め込まれた首飾りが入っており、部屋の中にある他の財宝と異なり経年劣化している様子はない。
「これは?」
「たぶん…なんらかの効果を持った"魔導具"の類だと思います。≪鑑定≫のスキルがないと詳しくはわかりませんが…」
「ん?スキルとはなんだね?」
聞きなれない言葉にアレクセイがそう問いかけたが、エルサは首を振るとまた後で説明すると言った。確かに五百年後のあれやこれやをいちいち聞いていてはキリがない。今は迷宮の中であるし、今の時代のことはもっと落ち着いたところでゆっくりと教えを乞うべきだろう。
エルサは首飾りを懐にしまうと立ち上がり、部屋の隅の方へと歩いていく。部屋自体の広さはさほどでもなく、そのほとんどが古びた小道具に埋もれているためやけに手狭に感じる。巨漢のアレクセイがいるからなおさらだ。
エルサは隅にあったガラクタたちを脇に避けると壁に触れて何かを探しているようだ。そして僅かな隙間を見つけると短剣を抜いてそこに差し込んでいく。そうやらそこだけ壁紙が剥がせるようになっているらしい。彼女が丁寧に壁紙を剥がし終えると、そこには一抱え程の空間があった。エルサはその中に手を突っ込み中に隠されていたものをゆっくりと取り出した。
「これが…」
ソフィーリアが息をのむ気配が伝わる。エルサが古びた布を丁寧に捲ると、そこには真っ二つに割れた人の頭蓋骨があった。不死たるアレクセイにはその骨から強い力を感じることができる。間違いなく、これこそが分かたれたソフィーリアの頭の骨であろう。
「無事に見つかってなによりだ。しかし聞きたいのだが、これらをどうやってもとに戻すというのだね?」
アレクセイの疑問はもっともな話で、生きた人間の骨と死んだ人間の骨は違う。前者は適切な処置を施して放っておけば繋がるものだが、死者のものはそうはいかないだろう。アレクセイは詳しくはないが、何か特別な方法が必要なはずだ。それは賢者や魔術師の技で、あるいは墓守であれば知っているやもしれないが。
「もちろん修復の方法は一族に伝えられています。ただここでは手狭なので表に出ましょう」
彼女の言う通り領主の間に戻ったアレクセイたちはエルサの動きを見守ることにした。彼女はまず鞄から何かの紋様が描かれた布を領主の椅子の上に広げると、そこに先ほど手に入れた頭骨を置いた。さらに鞄からもう半分のソフィーリアの頭蓋骨を取り出してその横に並べた。そして正方形の布の角に小石や液体が入った小瓶などを置いていく。
「ソフィーリアさんの骨は物理的な力で割られたわけではないんです。ご先祖様が術を用いて分割しました。ですからそれをもとに戻すのもまた術によるんです」
これもまた死霊術のひとつですね、とエルサは自嘲的に笑った。これらの行いが決してよいものだとは思ってはいないのだろう。しかしアレクセイはいまさら彼女が死霊術を執り行うことに対してとやかく言う気はない。自分自身が不死の身であることもそうだし、彼女自身が敬意を持って死者にあたるのなら、それはそれでよいのではないかと考えるようになった。
少なくとも当の本人は嫌悪感などは感じていないようで、むしろ好奇心をその瞳に輝かせている。神に仕える神官がそれでいいのかと思わないではないのだが、もともとゾーラ教は死者に対してはとやかく言ったりはしない。火の神を奉る一派らしく生者の生き方、命の燃やし方について厳しいだけだ。
「私たちとしてもソフィーリアの力が戻ることが最優先だ。その方法をいまさら問いはしないさ」
アレクセイが頷きながらそう言うと、エルサはほっとしたように小さく笑った。そして表情を改めると椅子の上に乗せられた骨へと視線を移す。
「では早速術を執り行いますね」
エルサはそう言うと杖を骨の方へと突きつけながら目を閉じた。精神を集中させているのだろう、彼女の気配がより研ぎ澄まされ、凛としたものへと変化していくのを感じる。
アレクセイは不死になってから魔力や精神、人の気配といったものに敏感になったような気がしていた。生前も剣士として相手の気配や動向を読む術は磨いていたつもりだが、当時よりも感覚が鋭敏になったようだ。アレクセイ自身に目玉や耳といったものはないのだから、不死とは本来はこういった手段で相手を認知しているのかもしれない。
そんなことをアレクセイが考えているとエルサの口から"力あることば"が紡がれ始めた。
「万物を司る至高神ソラリスよ、御身の力を借り受けて我は奇跡をここに成さん。火と風と土と水、さらには汝の内に秘めたる生と死の理をもって、これをあるべき姿へ戻したたまえ]
どこからか微かな風が巻き起こり、エルサのローブの裾をふわりと揺らした。さらに仄かに光る玉までが現れ彼女の周囲を舞いだした。
それが霊魂かなにかであると気が付いたアレクセイであったが、目の前の光景はおぞましい死霊術というよりも神秘的な神事か何かに見えた。死者の魂を操るのは悪なる死霊術師だけではない。古い時代の巫女と呼ばれる者たちもまた死者の声と力を借りて奇跡を成していたのだ。アレクセイは自身の幼いころに家族からそのような話を聞いたことを思い出していた。
やがてエルサがふわりと左手を突き出すと、それに従うように霊魂たちがその先にあるソフィーリアの頭骨へと向かっていく。
「おぉ…」
目の前の光景を見たアレクセイは思わずそう声を漏らしてしまった。頭蓋骨の周囲に集まった光る玉たちによって、半分に分かたれた骨が互いにカタカタと動いては近づいていくからだ。やがて左右の骨がつなぎ合わされると、霊魂たちが光の筋となって隙間を埋めるように寄り集まって行く。そうして一瞬眩く輝いたかと思うと、あとにはピタリと元通りになった人の骨だけが残されていた。
「…っふぅ。なんとか無事に終わりました」
そう言うエルサの顔には汗が滲んでいる。彼女は一度袖で額を拭うと頭蓋骨に近づいてそれを丁寧に両手で持ち上げた。
「古の聖女よ、貴方の御身をお返しします。どうかお受け取りください」
振り返ったエルサはそう言って首を垂れると、捧げるように手に持つ骨を差し出した。アレクセイはそこでようやっと妻の方を見やって、その変化に声を張った。
「おぉ!、ソフィーリア!身体が!」
これまで半透明であったソフィーリアの身体がしっかりと見えるようになっている。艶やかな髪も、仄かに朱に染まった真っ白な肌も、まるで生きているかのようだ。瞳の色は本来の紫ではなく真紅のままだが、それ以外は自身の記憶にある妻の姿と変わらない。
驚くアレクセイとは対照的に、ソフィーリアはとても落ち着いた表情でエルサから自らの頭蓋骨を受け取った。骨は彼女の手を通り抜けることなく両の掌の上に収まっている。
「…何か、自分の中に欠けていた何かが戻ってきたような気がします。やっとあるべき自分に戻ったような…」
ソフィーリアは満ち足りた、あるいは懐かしむような瞳で自身の頭骨を見つめながらそう言った。アレクセイはそんな妻の姿を見ながらエルサに問いかける。
「エルサ君、これはどういうことだろう。物に触れることが叶わなかった妻が今は自身の骨を手にしている。これは骨が本来は自分自身の一部だからであろうか?」
「その可能性はあります。でもソフィーリアさんの本来の霊格ならさして気にせずとも物質に干渉できたはずなんです。≪闇霊≫ともなれば最高クラスの霊体ですから…。だから物に触れなかった原因は、やっぱり依り代である頭の骨が半分しかなかったからなのかもしれませんね。骨、特に頭骨ともなればその霊的な重要性は大きいですし」
詳しいことはアレクセイには分からないが、これなら物に触れる練習などしなくともソフィーリアはかつてのように戦えるかもしれない。むしろ物に触れられる恩恵は戦闘よりも日常にこそ多くあるはずだ。人に紛れて暮らすのなら、不死たる自分たちの正体を隠す意味でも必須であろう。
アレクセイがそのようなことを考えていると、ふと何かに思いついたようなソフィーリアがこちらに向けて手を伸ばしてきた。そうしてたおやかな指先が自身の鎧に触れたのを見て、ソフィーリアはもちろんアレクセイも驚いた。
「触れます…あなたに触れられますわ」
「おぉ…ソフィーリア!」
感嘆の声を上げたアレクセイが胸甲に添えられた妻の手を見下ろしていると、ソフィーリアは左手に抱えていた自身の頭蓋骨を再びエルサへと手渡した。
「え?え?」
「少しの間持っていてくださいな」
呆気に取られて目を白黒させているエルサには目もくれず、ソフィーリアはやけに潤んだ瞳でアレクセイの方へと向き直った。
「ソ、ソフィーリア?」
「あなた、どうか受け止めてくださいませ」
言うが早いが、ソフィーリアはアレクセイの胸目掛け法衣をはばたかせながら飛び込んできた。
彼女の身体はアレクセイの鎧を通り抜けることもなく、反射的に手を伸ばした夫の腕の中にすっぽりと収まっている。分厚い鎧越しだというのになぜか妻の身体の温かさを感じて、感極まったアレクセイはソフィーリアの背に回した腕に込めた力を強くした。彼女もまた白銀の鎧に身を包んでいるというのに、そこから感じる温もりはまるで彼女の肌に直に触れているかのようだ。
ソフィーリアもまた冷たいはずの鎧に頬を寄せ、表情を緩めている。伏せられた瞳から一筋の涙がこぼれ堕ちる。アレクセイはそこに手を伸ばして涙のあとを拭き取ろうとする。無骨なガントレットに包まれたアレクセイの指先が妻の頬を押し上げた。慣れ親しんだ柔らかな妻の肌の感触さえ籠手ごしに感じられたことに、アレクセイは驚きを禁じ得ない。
「これは…」
腕の中の妻の頭越しにエルサへと問いかけると、顔を真っ赤にした彼女は視線を逸らしながら言った。
「ち、力の弱い霊でも、見たいもの、触れたいものには干渉できるといいます。それにアレクセイさんも鎧に魂が宿った不死ですから、見方を変えれば鎧そのものが魂、つまり霊の肉体と同一だとも考えられますので…」
つまりは鎧が傷つけばそこに宿ったアレクセイ自身の魂も傷つくということだろうか。そんなことを一瞬考えたアレクセイであったが、顔を上げた妻の視線に考えを断ち切られることになった。そしてソフィーリアは誰に確認するでもなくこう言う。
「見たいもの、触れたいものなら干渉できるのですね…?」
そしてエルサがそれに答えるよりも早くアレクセイの兜の後ろに腕を回すと、背を伸ばして夫の頭に顔を寄せた。
「ソフィー…!?」
アレクセイが何か言おうとする前に、彼女の唇が自分の唇に重ねられた。鎧のみの身体であるというのに、確かに口づけされているという感触があるのだ。事実ソフィーリアの顔はアレクセイの兜の前面にめり込んでいる。あたかもその奥にあるアレクセイ自身の唇に押し付けられるように、だ。
どのくらいそうしていたのだろう。ソフィーリアは顔を話すと間近にある夫の顔、兜に空いた僅かなスリットの奥を見つめて言った。
「あは…お髭が少しチクチクします。また、あなたのお顔に触れられるなんて…」
笑いながらそう言う妻の頬に再び涙が流れるのを見て、アレクセイはその身体をいっそう強く抱きしめるのだった。