第93話 喋る女
妻が、浮かれている。
ソフィーリアの姿を見ながら、アレクセイは内心でそうため息を零した。いま彼女は焚火を挟んだ向かい側、朽ちた倒木を椅子代わりにそこに腰かけている。そして楽し気なその顔は夫ではなく、隣に座るエルサへと向けられていた。
「そうなんですか……それで、髭が……」
死霊術師の少女はそう言いながら、ちらちらとこちらの方へと視線を向けてくる。先ほどからその頬はうっすらと色づいており、そこには使命を胸に迷宮へと挑む果敢な冒険者の色はない。いわゆる、他人の色恋沙汰に興味津々な、思春期の少女のそれというやつであろう。
それもそのはずで、妻は先ほどからずっと、夫婦のあれこれを彼女に語り聞かせていたのだ。とはいえ死してなおソフィーリアは聖女である。品性を欠くような話題こそ口にはしないが、代わりに聞いているこちらまで気恥ずかしくなるような思い出を語って聞かせたのだ。
最初は黙って好きにさせていたアレクセイであったが、途中からやんわりと止めに入り、しかしやけにご機嫌な彼女が止まる気配を見せないのを知ると、さっさと諦めることにした。
聖女とて女性である。世の女性が話し好きなのは、今も昔も変わらぬことであった。
(そしてそこに男が入れぬのも同じことか)
なので、アレクセイは大人しく火の番に徹することにした。暑さ寒さは関係ないアンデットの身体であるが、生身のエルサのためにも灯りとぬくもりは必要であろう。
文字通り鎧の置物のようにじっとして、ときたま火に枯れ木を足してやる。聞こえてくるのは赤裸々な少女たちのお喋りだ。≪さまよう鎧≫には押さえる耳もなければ眠りにつくこともできぬ。流石のアレクセイも、今夜ばかりは人外の己が身を悔やむばかりであった。
ただし、こうして妻が浮足立っているのも分からないではなかった。
なにせここまで全く掴めなかったウィリアムの情報が手に入ったのだ。愛する我が子の消息が分かったのだから、母たるソフィーリアが喜ぶのは道理であろう。あれから五百年の月日が過ぎているので、当然ながら生きて出会えるわけもない。だが故郷と共に滅びたわけではないと知れただけでも、アレクセイたちにとっては十分であった。
(とはいえそれでエルサ君に色恋話をするというのは、どうなのだ?)
アレクセイとしては、そのように思わざるを得なかった。幼いウィリアムの聡明さや可愛らしさを説くのなら分かるのだが、本人を前にして夫婦ののろけ話をするのはいかがなものか。
(まぁソフィーリアはこれで、意外とお喋りな性格だからな)
清廉な容貌に騙されがちだが、ソフィーリアは決して清楚なだけの女性ではない。脳筋国家ヴォルデンの民らしい直情さと明るく社交的な性格は、彼女を見た目以上に華やかな女性に見せていた。
また"聖女"と聞くと人は清貧、従順、貞潔といった印象を受けがちだが、彼女はあまりそこに当てはまるような女性ではない。騎士と共に戦場に赴く神官戦士ということもあり、実際のソフィーリアはそれらよりもっと俗っぽい性格であると言えた。無論そうと知っているのは、夫であるアレクセイや家族、親しい友人に限られるのだが。
アレクセイ自身があまり雄弁な性質ではないので、そういった部分でも気が合うのだろう。かつて共に旅をした仲間のドワーフもそうであるし、親しかった同僚の騎士らも明るい性格の者が多かった。
(例外的にガトーなどは、互いに石のように黙りこくっていても、不思議と不快ではなかったのだがな)
"竜狩り"の英雄の一人、東の国よりやってきた凄腕の剣士の顔を思い浮かべ、アレクセイは懐かしい気持ちに浸っていた。ついこの間まで、彼と似た剣術を操る女剣士のクレアと行動を共にしていたこともあり、アレクセイは古い友について記憶を巡らせることにした。
(そういえばあ奴は、剣の腕を磨くムシャ修行のためにこの地に来たと言っていたな。この時代であれば、さぞ剣の振るい甲斐があるだろうに)
あの頃は戦乱の時代であり、剣を振るうとなれば必然的にその刃は人に向かうことが多かった。それを良い悪いと決めるような時代ではなかったのだが、それでも魔物を斬る方がまだしもマシなことだろう。
少なくともそれで悲しむ者はおらず、むしろ金にも人のためにもなるならなおさらだ。世界に冒険者が溢れるというのも納得である。
人々を苦しめた魔王が解放した≪迷宮≫が人の世を繁栄させるなど、大した皮肉であろう。
(彼らは、どのような末路を辿ったのであろうな)
アレクセイとしては、息子の去就と同じくらい、友人たちのその後が気になっていた。彼らは共に神竜へと立ち向かった戦友であり、竜を討った後にも交友は続いていた。
≪竜斬りのサムライ≫、ガトー。
遥か西方の異国であるイェスタルからやって来た剣士。卓越した剣椀と、物静かだが時に真理を突くその言葉には随分と助けられた。
≪杭打ち≫のガネル。
ヴォルデンと縁の深いドワーフ族の戦士のこの男は、一行のムードメーカーとしてともすれば深刻になりがちな旅路を盛り上げてくれた。熟達の機構士でもあり、聖竜の鎧を手に入れるための冒険ではその技術が存分に発揮されたものだ。
≪青い森の王子≫、レイリス。
エルフ族の命を受けて旅に加わったこの青年は、当初は他の仲間との衝突が絶えなかった。だがその高潔な精神と内に秘めた熱い心を知れば、彼のことを高慢な長命種と嫌う者はいなくなった。
≪賢者≫オウルマン。
この魔術師の老人のことを、アレクセイは心の底から尊敬している。魔術の腕は当然として、国も人種もバラバラな自分たちをまとめ上げてくれたその度量こそ、まさしく二つ名にふさわしいものと言えるだろう。
≪最後の巨人≫、ベル・ゲル。
かつて四大神に仕えていたという天の国の住人の子孫にして、その最後の生き残り。アレクセイをして「巨大な」と言わしめる彼は、誰よりも力強くそして優しい男であった。旅の後は自分たちの故国ヴォルデンに客分として身を寄せていたが、彼もまた国と共に滅びてしまったのだろうか。
彼ら五人にアレクセイとソフィーリアの二人を合わせた七人は、当時の人々から≪竜殺しの七英雄≫と呼ばれていた。あの旅にはもっと多くの者たちが参加したのだが、最後に生き残ったのはこの七人のみであったのだ。
それゆえに、魔王が現れた時もその討伐は自分たちに任された。だがアレクセイたちは敗れた。その死を知った彼らは何を思ったのだろうか。
(みなよき友人たちであった。仇を討とうとした者もいたかもしれん)
だが彼らが魔王を倒したとは聞いてはいない。あれを滅ぼしたのは勇者カイトなる新しい英雄であり、彼が現れるまで人々は苦渋の時代を過ごしたと聞く。ガトーらが健在であればその必要もなかったはずだ。となればその末路はあまり明るいものとは思えない。
(エルサ君に聞いても、詳しいことは分からないと言っていたしな)
恐らく、それは真実であろう。歴史というのは、本来ただの平民が知っているような事柄ではない。家族に口伝で伝えられる限定的なものならまだしも、一般的な過去の出来事を知る術などそうそうないのだ。
エルサは歳の割に博識な少女だが、それは冒険者としての常識や霊魂遣いの専門知識であり、五百年前の出来事を詳しく知っているわけではなかった。
魔王登場以前の国がことごとく滅びたこともあり、今の時代では歴史というものはなおさら希少なものとなっているようだ。でなければ、アレクセイたちももう少し楽に情報を集めることができただろう。
「……そうですよね、あなた?」
「んん、すまぬ。聞いていなかった」
不意にソフィーリアから声を掛けられて、アレクセイは我に返った。自身が昔の出来事に思いを馳せている間にも、少女たちの話は随分と盛り上がっていたらしい。
「もうっ!いま結婚式のときの話をしていましたのに!」
「あぁ……あれは今でも忘れられないな。飲み比べで、君が並み居る騎士連中を下したんだったよな」
「もうっ!そういう話はしないでくださいな!」
ヴォルデンでは式の後の披露宴は夜通し行われるのが通例だ。必然多くの酒と食事が供されるのだが、そこで行われた飲み比べで勝利したのは、なんと新婦のソフィーリアであったのだ。
家族以外は親しい友人のみが招かれる場であるため、必然的にそこには屈強な騎士たちばかりが集まることになる。崩折れる男たちの中でただ一人仁王立ちする花嫁の姿は、しばらくの間語り草となったものである。
「そ、それはすごいですね」
「興に乗ってしまって、つい……」
「なぁに、あれを見てかえって惚れ直したというものよ」
「へぇ!それは是非この目で見てみたかったねぇ!」
するといきなり、見知らぬ声が割り込んできた。気づけばいつの間にかエルサの隣に、見知らぬ女が腰掛けていたのである。眼鏡をかけた、年若い女である。
アレクセイは咄嗟に剣の柄に手をかけた。エルサを挟んだソフィーリアも驚きの表情で槍を手にしている。ここまで接近されながら二人して気が付かないなど、ただごとではない。だが女はおどけた表情で手を振った。
「いやいや、私は怪しい者じゃあないよ」
「モル先輩っ!?……もう、びっくりさせないでくださいよ!」
警戒する様子のないエルサを見て、アレクセイは剣から手を離した。どうやら彼女の知り合いであるらしい。女はふにゃふにゃとした表情をしながらエルサを見、次いでアレクセイたちの姿を見比べた。
「いやぁ久しぶりだねぇ、エルサ……で、いきなりで悪いんだけど、その人たちが例のアンデットかい?」
「あ、はい。そうですけど……あの、先輩?」
訝しがるエルサをよそに、モル先輩と呼ばれた女はこう言ったのである。
「丁度良かった!頼むよエルサ~。先輩を助けておくれ~~」