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闇の根

「目覚めたか、ボルドよ」


 地鳴りのような低い声を受けて、ボルドはゆっくりと瞼を開いた。そうして金色の瞳を動かしてみれば、自らの脇に立つ二人の人物が視界に映った。どうやら自分は祭壇か何かの上に寝かされているらしく、周囲には僅かな燭台があるのみで、そのほかは闇に包まれている。


「あに、うえ……」


 一人は己の兄であるリカルドであった。濃紺の肌と銀の髪を持つその男は、厳めしい顔つきを普段以上に顰めてこちらを見下ろしていた。


 もう一人は妙齢の女である。黒髪黒目と僅かに先の尖った耳を見れば、彼女が東方のイシュタル人であることが分かる。ボルドにとっても見知った相手ではあったが、さりとて心を許したくなるような女でもなかった。

 そんな女が己の胸を弄っていることに気づいて、ボルドは思わず総毛だった。振り払おうとするのだが、不思議と身体が動かない。拘束されているというわけではなく、尋常ではない倦怠感で身体が動越せないのだ。


 助けを求めるようにリカルドへと目をやると、兄はつまらなそうに鼻を鳴らして言った。


「ヨド殿が傷を診ている内は、しばらくは大人しくしておくことだ」


「き、きず……?」


 どうやらうまく動かせないのは身体だけではなく、舌もであるようだ。自分で思うように言葉を紡ぐことができない。なのでボルドは兄が言うように、しばらくの間己の身体をこの気に入らない女に任せることになった。

 幸いなことに、ヨドによる触診はさして時間がかかることはなかった。ひとしきりボルドの身体を検めると、彼女は最後に額に手を当てて熱がないことを確かめてからそれらを終えた。


「蘇生による後遺症は特になさそうですわね。身体のだるさは蘇った者全てに見られる兆候ですから、あまり気にせずともよいでしょう」


 ヨドは慈愛に満ちた表情を浮かべてそう言った。だが意思の読みにくい細目と、ねっとりと耳奥にこびり付くような声色は、ボルドの嫌悪感を助長させるだけであった。だがそれ以上に彼女は気になる言葉を言っていた。


「そ、そせい……?」


「そうだ……お前は一度死んだのだ。ボルドよ」


 そう答えたのはリカルドである。そんな兄が己の横に目をやっていることに気づいて、ボルドは苦心して首を動かすと彼の視線の先を追ってみた。するとそこには綺麗なほどに四つに分断された、紫の甲冑が置かれていた。


(そうか……俺はあの黒騎士に殺されたのか)


 それによってボルド、紫の騎士と呼ばれた男は、これまでの記憶をすべて思い返すことができた。≪ヴァート湿原≫へ神竜の鱗の奪還任務へと赴いていたボルドは、そこで冒険者である謎の黒甲冑の大男と出会い、敗れたのである。


豪魔の鎧(ディアブロアーマー)≫はたとえ装着者の心臓が貫かれたとしても、その傷を治癒して戦い続けることを可能にするという脅威の呪物である。鎧本体も多少の傷や穴であれば自己修復してしまうような代物だが、そんな鎧をもってしてもボルドの命を永らえることは適わなかったらしい。ああまで見事にかち割られては、鎧そのものも最早使い物にはならないだろう。


 となればやはり、兄が言ったように自分は蘇生の奇跡によって蘇ったということなのだろう。だがそれほど高度な奇跡を使える者が周囲にいただろうか。そんなボルドの内心の疑問に答えたのはヨドであった。


「我らが"巫女"様が、御力を貸してくださったのです。あれほどの奇跡はわたくしであっても不可能……蘇生の儀など久方ぶりに見ましたが、やはり巫女様は素晴らしい御方であると再認識することができました。感謝いたしますわ、ボルド様」


 白装束の袖で口元を隠しながら、冗談めかした風にヨドが笑う。その言にもボルドは苛立ちを禁じ得なかったが、身体が動かぬ以上は睨みつける以外にできることはなかった。


「ただし、巫女様の御力をもってしても、千々に砕けたり損壊が激しかったりすれば、直すこともかないません。今回はまるでけぇきのように綺麗に四等分されておりましたので……あら失礼。とにかく、今後は十分にお気をつけくださるよう、僭越ながら忠告させていただきますわ」


「協力に感謝する、ヨド殿。愚弟なれど、任を仕損じた者に慈悲をかけてくだされた巫女殿にも、そうお伝え願いたい」


「いえいえ、わたくしなどにそのようなお言葉は恐れ多いこと……それにわたくしどもは悲願を同じくした同志ではありませんか。遠慮などなさらずともよいのですよ」


「……いたみいる」


 僅かに顎を引いて感謝を示すリカルドを満足そうに眺めてから、ヨドは闇の奥へと引き上げていった。やがて兄弟二人きりになると、ボルドはようやっとまともに動くようになった口で詫びた。


「兄上、申し訳ございません……」


「全くだ。≪教団≫の連中にいらぬ借りを作ってしまったわ」


 眉根を寄せ、苦り切った声でそう言うリカルドにボルドは返す言葉がない。

 自身の所属する≪軍≫と≪教団≫は協力関係にあるが、その力関係は微妙なバランスで成り立っているのだ。≪盟主様≫の執り成しで敵対こそしていないが、ボルド個人としては彼らに対して友好な心情など持ち合わせてはいなかった。≪軍≫の長たるリカルドにしても、合理的判断から手を結んでいるに過ぎないはずだ。そもそもが魔族であるボルドたちと、人間である≪教団≫の連中とが手を取り合うことなど、本来はあり得ないのである。


「貴重な≪果実≫を無駄にしたあげく、≪豪魔の鎧≫をも破壊されるとはな。更には我らの目的まで知られるとは、なんたる失態よ」


 冒険者共の食事に混ぜ込んだ≪魔界の果実≫は、彼らをデーモンの兵へと変化させた。だがこれは魔族の血と共に体内に取り込むことで効果を発揮する代物であり、その血の主が死ねば悪魔どももまた塵へと返ってしまうのだ。ボルドが死したということは、あのデーモンたちも消えてしまったに違いない。


 だが伯爵の話を盗み聞いたというあの女騎士は死んだはずだ。レックスから致命傷と思しき傷を受けていたし、よほど高位の治癒術をかけねば助かるまい。

 ボルドがそのようにリカルドへと告げると、兄はそんな弟の甘い認識を一蹴した。


「その女はいまだ生きているぞ。それどころか豪気にもかの街で宿屋などをやっておる」


「ならば今一度その首を……」


「今更そのようなことに、何の意味があるというのかッ!その女は王都からやって来た貴族共のもとに招かれたらしい。となれば我らの計画は奴らに筒抜けということだ。そんな状況で女一人にかかずらっていられるほど、我らは暇ではない」


 奴等に知られた"魔王の復活"という目的が、別にボルドたちの最終目的というわけではない。そういった意味では計画の全貌が知られたというわけではないのだ。だがこちらの存在を知られた以上、これまでよりも動きにくくなることに変わりはない。

 なのでボルドの犯した失態としては、鱗を手に入れられなかったことよりもそちらの方が大きいと言えた。


「誠に、申し訳ありませ……」


 ボルドが苦渋に満ちた顔で俯いてそう言うと、リカルドは不機嫌そうに息を吐いて弟の肩に手を乗せた。


「もうよい。愚かなれど、お前は我が弟。ゆくゆくは多くを率いらねばならん身であるのだ。今しばらくは休むがよい」


 そうしてリカルドもまたその場を去ろうと踵を返した。が、その前に足を止めると、首だけ振り向いて尋ねてきた。


「そういえばお前を殺したのは、冒険者であったのだな?」


「……は」


「フンッ!人の戦士も存外に馬鹿にはできぬか……」


 リカルドは口の端に笑みを浮かべてそう言うと去っていった。後に残されたボルドは兄が消えた暗闇をじっと見つめながら、己を殺した相手のことを考えていた。


(まさかこの俺が手も足も出ないとは……あのような人間に、いや、あれは人間なのか)


 ボルドは魔族の騎士として恥じることのない実力を持っていると自負している。己をこの世で最強などとうぬぼれたことはないが、それでも尋常な一対一で人間などに後れをとるとは考えていなかった。だがあのとき対峙した相手は、これまで剣を交えた誰よりも強かったのは事実だ。恐らくは≪軍≫の長である兄リカルドよりも上手であろう。


 またひ弱な人間にしては規格外の巨体、感じられた凄まじい剣気を思い起こせば、人ではないと考えた方が自然なほどであった。


「いいだろう。次に会った時は、いかなる手を使ってでも殺してくれよう」


 そうしてボルドはあの屈辱を忘れぬよう、己が胸中にあの黒騎士の姿を焼きつけたのであった。

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