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退魔官の調査記録-1

「なんとも辛気臭い迷宮なのだな」


 廃墟都市マジュラの街中を歩きながら、退魔官のマリアは吐き捨てるようにそう言った。

 魔物という存在そのものを嫌悪している彼女からすれば、その温床である迷宮などというものは須らくその対象であった。それでも未知の景色に対する興味というものはありもするのだが、如何せんここは陰気に過ぎた。


 なにせ建物はみな古びて朽ち果てたものばかりなのである。そして現れるのも干物のように萎びた亡者ばかりであるのだから、強者との戦いを楽しむこともできやしない。半人半獣の悪魔ですら一刀両断するマリアからすれば、雑魚以外の何物でもないのだ。


 不機嫌さを隠そうともしない女退魔官に、一行を先導するギルドの職員は先ほどからずっと及び腰だ。そもそもこんな田舎の人間が、聖都から派遣された退魔官を目にすることも稀なのだろう。そんな中、申し訳なさそうに身を縮こませる職員に代わってひと際陽気な声を上げる者がいた。


「いやぁ、拙僧もここまで寂れた迷宮を見るのは初めてですなぁ!冒険者たちに人気がないというのも納得でしょうな!」


 マリアより頭二つは背の高い大男である。壮年ではあるが、がっしりとした体つきと下あごに残る傷跡を見れば、男が歴戦の強者(つわもの)であることが見て取れるだろう。だが今はその厳めしい顔の相好を崩して、楽し気に周囲を見回している。


「その割には随分楽しそうだな?ダヴォス」


 マリアは僅かに苛立ちを含めた声で背後の大男を振り返った。だが男はそんなことを気にした風でもなく、肩にかけた槍斧(ハルバード)の柄を叩いた。


「いやなに、久方ぶりの迷宮ですからな。魔物相手にこいつをぶん回していた頃を思い出したのですよ」


「フン!そういえば貴様は元冒険者だったか」


「いかにも。現役時代は星は三つまでしか昇れませんでしたが、腕はそれ以上であったと自負しておりますぞ」


 ダヴォスは退魔官であるマリアとは別口から派遣された人物である。それでも太陽教会に所属する聖職者であることに変わりはないのだが、見てくれや言動からはとてもそうは見えない。

 冒険者という職自体を忌避しているマリアからすれば、あまり好ましい経歴ではない。またいかにも荒くれ出身らしい大雑把で粗野な振る舞いも、教会の人間としてふさわしいものではないだろう。そう言った部分が、教会に絶対の忠誠を誓っているマリアには癇に障るのである。


(それでも此度の聖務はアルフレート様直々の命令なのだ。そのためならば己の心情などいくらでも抑えてみせよう)


 マリアは金髪の上司の姿を思い浮かべ、つい緩みそうになる口元を慌てて隠した。幸いなことにダヴォスも先導のギルド職員も、それに気づいた様子はない。それはもう一人の同行者も同じであった。


「お前も随分興味深げだな、マルク。よもや冒険者になってみたいなどというわけではあるまいな?」


 マリアの硬質な声にびくりと首を竦ませつつも、小柄な少年は周囲の様子を観察するのを止める様子はない。


「ま、まさか!でも僕も”聖書庫”の人間ですからね。学術的な興味はありますよ」


 マルクもまたダヴォスと同じように、教会内の別組織から送られてきた人間である。その顔に掛けられた大きな丸眼鏡と大事そうに抱えている分厚い本を見れば、彼が教会の知識階級の出身であることがわかるだろう。


 聖書庫は太陽教会が持つあらゆる知識・記録を管理する機関である。また森羅万象のあらゆる事象を研究する者たちでもある。そういう意味では、魔術師たちの"古竜塔"と似たような組織であると言えた。


(こんな軟弱そうな男が現場任務など、本当に務まるのだろうか?)


 マリアとしてはそこのところが気になる部分である。いかにも屈強といったダヴォスならば、魔物相手にも十分な戦力になってくれることだろう。だがいかにも脆弱の徒といったこの少年は、先ほどから亡者程度の魔物にもいちいち怯んでいるのだ。

 マリアにはそんないかにも弱々し気な態度も気に入らなかった。そのくせそこらの魔物などより遥かに強い自分に対しては、意外にも怯える様子はない。それがまた彼女には面白くはなかった。


 そんなマリアの心象など知る由もなく、マルクは目を輝かせてマジュラの建物を観察している。


「それにしてもこれらはいつの時代のものなんでしょう?迷宮独自の物は経年劣化しないと聞いていますから、正確な時代は分かりませんよね……それにこの建築様式は見たことがありません。どうやら貧困層の家々のようですが、どこの国のものなんでしょうね」


「魔物の家など知ったことではない。いいから黙って付いて来い。亡者共に襲われても助けてはやらんぞ」


「ああっ!待ってくださいよ~」


 やがてマリアたち三人は職員の案内によって、ひと際開けた場所へと到着した。そこでは家々が無残にも粉々に破壊されており、何者かが争った跡であることは明白であった。

 そしてその中心地には大きくて黒い何かの死骸が、武装したギルドの職員たちによって囲まれていた。遠目から見ても分かるが、あれが件のデーモンの死体であろう。マリアたちはあれを調査するために、聖都からここまで派遣されてきたのだ。


「あれか」


 マリアはダヴォスとマルクを連れてそちらに近づいていく。するとその場には、ツンと鼻を突くような異臭が立ち込めていた。ある意味ではなじみ深い、肉の腐った匂いである。見れば職員たちはみな口元に布を巻いている。


 マリアはそれを見てひとつ舌打ちをすると、ここまで先導してくれたギルド職員に詰め寄った。


「おい、防腐か冷凍の魔法をかけてはいないのか?」


「は、はい。ここにはそれらの魔法を使えるものがおりませんので……それ以外のできうる限りの防腐処理は施したのですが……」


「チッ」


 怯えたように答える職員は放っておいて、マリアは死体の方へと近づいた。その前では早速マルクが跪いて、何やら荷物を弄っている。


「やはりデーモンか」


「でしょうなぁ。拙僧もここまでデカい奴を見たのは初めてですが、死んでもなお邪悪な気配を感じますな」


 腐敗が進んでいるため分かりにくいが、どうやらデーモンは身体を縦に両断されているようだ。なんとなくだが、マリアにはそれが魔法などによるものではなく、人の手によるものに思えた。


「……一撃か」


「うむうむ。馬鹿デカい剣か、スキルによるものか。なんにしても、尋常な技ではなさそうですな」


「ダヴォスさんの言う通り、剣か斧による仕業でしょうね」


 手袋を赤黒く染めながらそんなことを言うのはマルクである。マリアたちが顔を顰めることなどお構いなしに、少年は手にした物を見せてきた。そこには液体が入った何本かの小瓶があり、そこにはそれぞれ魔物の物と思わしき肉片が沈められていた。液体はみな透明だが、その内のひとつは赤銅色に染まっている。


「これは肉片に付着した物を調べるための薬液なんです。そして色が変わっているこれ、これはアスモデ鉱が付いていることを示す反応です」


「むぅ、マルクよ。ということは……」


「なんなのだ?」


 "アスモデ鉱"とは何なのか、それを知らぬのはどうやらマリアだけらしい。するとマルクに代わってダヴォスが説明を始めた。


「隊長殿。"アスモデ鉱"というのは、主に魔界の武器に使われているものなのです。つまりは魔族、闇森人(ダークエルフ)半人半獣(サテュロス)、そしてデーモン。それらが振るう武器の多くは、アスモデ鉱でできているとされておるのです」


「ということは、こいつは仲間割れで殺されたというのか?」


「それはなんとも。冒険者の中には、倒した相手の武器をそのまま自らの獲物にする者もおりますからなぁ。とはいえ闇の者たちの武器を使いたがる輩というのも、そう多くはいますまい」


 ではなぜなのかと考えてみたが、マリアはすぐに考えることを止めた。現時点で分からないことをあれこれ考えても仕方がない。それに元来、頭脳労働は不得意分野なのである。


 すると先ほどの職員が気まずげに話しかけてきた。何やらデーモンの死体とは別に、もうひとつ見せたいものがあるらしい。その者に付いていくと、案内されたのはなんの変哲もない民家であった。


「これがなんなのだ?見たところ普通の家ではないか」


 僅かに苛立ちを込めた声でマリアがそう言うと、職員が何かを言いかけた。が、その前に声を上げたのはマルクである。


「す、すごい!こんな結界、初めて見ましたよ!」


「なに、結界だと?」


 不用心にも家に飛び込んだマルクを追って、マリアたちも中へと入ってみる。するとそこに尋常ではない聖気が漂っているのが感じられた。奇跡には明るくないマリアであるが、どうやらこれは魔物払いの結界であるらしい。それだけではなく、こうして屋内にいるだけでも身体に力が漲ってくる気がする。


(それに暖炉もないというのに、なんだか温かいな)


 それなりに重装なマリアであっても、暑いと感じる程ではない。まるで誰かに包まれているような心地よさであるが、それゆえにマリアにはその不自然さが不快でもあった。


 話を聞くと、この家はデーモンの死体を見つけたときに偶然発見されたものらしい。マジュラはそれなりに歴史ある迷宮であるが、これまでこのようなものが見つかったという記録はないそうだ。

 そしてマルクの興奮具合を見るに、人の手による結界としても相当に高位な聖職者が張ったものであるらしい。


「少なくとも僕には、逆立ちしたってこんな結界作れませんよ!正直な話、大聖堂の司教様たちにだってできるとは思えませんね!」


「市井の冒険聖職者でも無理でしょうな。少なくとも拙僧の知る僧侶じゃあ、こんな代物を張るのは無理でしょうや」


 それから三人は手分けして民家を調べてみた。術者がいなくとも効果を発揮し続けるものならば、そのための触媒か証があるはずだとマルクが主張したためでる。するとその言葉通り、家のあちこちに見たこともない紋様が刻まれているのを発見することができた。


「これはずっと昔の、異教の民が用いた紋章ですね」


「太陽神ならぬ、異教の神を崇める連中か」


 マリアは意図せずして苦々しい顔になってしまう。退魔官の仕事の中で、異教徒の連中と刃を交えることもあったからだ。正教徒である己からすれば到底容認できない者たちであった。


「とりあえずこれらは模写しておきましょう。デーモンと関係あるかは分かりませんが、もしかしたらあれを倒した人物が張ったのかもしれませんしね」


「魔族の武器を使うような輩が聖なる結界を張ったというのか?……フンッ!異教徒の連中はやはり度し難いな」


「まだ異教徒かどうかは分かりませんよ……」


 口答えするマルクの方をひと睨みしてから、マリアは家の外へと出た。


「全く、ここにいると胸が悪くなる」


 それからマリアたちはもう一度デーモンについて調べてみたが、確かなことは何も分からなかった。いかなる目的をもってこの迷宮に現れたのか、死体だけではなんとも言えないだろう。デーモンのような伝説級の魔物が、このような辺鄙な迷宮に用があるとは思えないのだが。


「それで隊長殿、これから如何しますかな?」


 顎を擦りながらそう言うダヴォスに、マリアは一束の紙を突き付けた。


「これは……この迷宮の入退出記録ですか」


「ああ。職員から提出されたものだ。直近でここに訪れた一党(パーティ)は僅か五組のみ。よほどここは人気がないと見える」


 だが冒険者の聴取を行うには手間が省けてかえって好都合だ。いずれも低級の者ばかりなので、彼らの内の誰かがデーモンを倒したとは思えない。またもし遭遇していれば確実に命がないはずなので、姿を見たものもいないだろう。だがそれだけで話を聞かない理由にはならない。


「となれば向かうべきは交易都市ラゾーナですな。この辺りで一番冒険者が集まるのはあそこですし、情報に関してもそうでしょう」


「よし。ならばかの街へと向かうぞ」


 ダヴォスにマルクを呼び戻すように命じると、マリアは腰に吊るした剣の柄に触れた。


(待っていてください、アルフレート様。必ずや悪魔どもの企みを暴き、朗報を持って帰ります)


 そうしてマリアは灰色のマジュラの空を見上げて、遠方の上司へと想いを馳せたのであった。

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