盗賊少女の憂鬱・下
遅くなりました。
時刻は夕方。
とある宿屋の一室、そのベッドの上で動く影があった。
「じ、自分でてきるからいいっての!」
「ほら、じっとしていてくださいな」
そこでは上裸のアーサーと頬を上気させたロゼッタが向き合っていた。アーサーはベッドに腰掛けており、向かいに跪いたロゼッタの手は、相手の胸のあたりを優しく撫で回していた。
もちろん、二人は何かいやらしいことをしているわけではない。昼のスキル修練で身体中に打ち身をつくったアーサーに、ロゼッタが手ずから軟膏を塗っているだけである。そんな様子を、ベラは昼間と同じようにじっとりとした眼で眺めていた。
(わざわざお嬢様のロゼッタがそんなことしなくてもいいのに……)
やっぱり、なんとなくベラにはその光景が面白くない。彼らの姿をすぐ隣のベッドから眺めながら、ベラは幼馴染へと口を開いた。
「あんた子供じゃないんだから、そんくらい自分でやりなさいよねー」
「だから、俺は自分でできるってさっきから言ってんだろ!?なのにコイツがさぁ」
「いえ、そういうわけにはまいりませんわ」
きっぱりとした口調でそう言って、ベラは顔を上げた。
防御スキルである≪強固な身体≫の練習をしていた彼らであったのだが、興がのってきたロゼッタがつい拳に力が入ってしまい、思いのほか強力なパンチをお見舞いしてしまったのである。
ロゼッタの拳打は本気を出せば岩をも砕く威力なので、それでも全力ではないだろう。だがスキルなしで受ければタダでは済まされない破壊力なのは確かである。それを思えば、薬を塗って済む程度の怪我で収まったのは、アーサーの修練が実を結んでいる証拠と言えた。
「ってかあんた、なんで防御スキルの修行ばっかやってんの?まさか、ロゼに殴られるのがクセになったとか言うんじゃないでしょうね?」
世の中にはそういう趣向の人間がいることを、ベラは村を出てから初めて知った。農家の娘でいたら一生知ることのできない知識である。ただしベラからすれば、「キモい」の一言で終わる知識ではあるのだが。よもや幼馴染がそんな斜め上の性癖に目覚めたとは思いたくない。
もちろんアーサーは顔を赤くして否定したので、まぁ杞憂ではあるのだろう。ではなぜかと問えば、彼は口をもにょもにょさせて言葉を濁したのであった。
「まぁなんでもいいけどさ……というかクロエ、あんたはさっきから何をやってんのよ?」
ベラが頭を掻きながらそちらを振り返ると、そこにはテーブルの上に何かを広げて作業するクロエの姿があった。
昼間ベラたちがギルドの修練場にいたときも、彼女は一人でどこかに赴いていたのだ。どうやら買い出しに市場の方へ行っていたらしい。物欲の少ないクロエにしては珍しい行動であった。
「見ての通り、粘土を捏ねてる」
「はぁ?粘土?」
「……ん」
ベラが聞き返すと、クロエは今しがた作っていたものを突き出してきた。いかにも自信満々の彼女には悪いが、ベラにはそれが不細工な泥人形かなにかにしか見えなかった。彼女の最も年下の弟でも、もう少しマシなものを作るだろう残念な出来である。
「あー……それって、魔法の道具か何か?」
「そう。ゴーレムを作ってる」
ゴーレムは魔法の力によって動く魔術師たちのしもべである。迷宮で襲い掛かってくる定番の魔物だが、そこに挑む魔術師たちが操ることでも有名だ。粘土や石、あるいは金属でできたものが一般的だが、クロエがそれらの術を使えるとは知らなかった。というか以前聞いた時は、そっち方向の魔術はあまり興味がないとか言っていた気がするのだが。
「興味があるかと言われたら、やっぱりないと答えざるをえない。私の専門の魔術体系じゃないし、研究分野でもないから」
「じゃあなんで今更そんなもの作ってるのよ?」
当然の疑問としてベラがそう問いかけると、クロエはベラの顔を見、次いでアーサーの方に視線を移してから手元の泥人形を見下ろした。そしてロゼッタらには聞こえないような小さな声で言った。
「……必要だと思ったから。前に、あんなことがあったわけだし」
「あんなこと?……あ」
少し考えてから、ベラは彼女が言わんとすることに気が付いた。
クロエが言っているのは、廃墟都市マジュラでのことであった。エルサの目当ての黒騎士のアンデットを探す途中で不幸にもデーモンに出会い、全滅してしまったときのことを言っているのだろう。
最初に死んだのはアーサーだった。女たちを逃がすべく前衛の役目を果たそうとして、デーモンの大斧に叩き潰されたのだ。
そして次に死んだのはベラだ。あのときのことは今でもはっきりと思い出せる。幼馴染の無残な姿を見て、頭が真っ白になったベラはデーモンへと突撃した。当然振るわれた短剣が悪魔に届くことはなく、ベラ自身も身体を真っ二つに分断されて死んだのである。あのときの感覚は忘れようとしても忘れられるものではない。
(そっか……クロエはそれを見てたんだもんね)
後から聞いた話では、彼女もまたデーモンの黒い炎に焼き殺されたらしい。だがそれは力が及ばないと分かっていながら、クロエが魔物に挑んだ故だという。こう見えて頭のいい彼女なら、そんなことは分かっていたはずだ。
それでも仲間の仇とばかりにデーモンに挑んだのだという話を聞いて、ベラは人知れずクロエを見直したものである。
「壁役のゴーレムがいれば、強敵に会った時に逃げられるようになる。少なくとも、可能性は上がる」
自分たちでは敵わない魔物に遭遇した時、誰かを犠牲にしなければならないような状況というのはどうしても存在する。そのときその場に残るのは前衛の役目とされていた。装備的にも打たれ強く、スキルによる時間稼ぎが可能だからというのがその理由だ。逆に斥候のベラなどは、冒険者の中でも生存率が高いとされていた。
「クロエ……」
「私たちが生きてこうしてここにいられるのは、本当に奇跡だと思う。でもそれを当然のことだと思うのは間違ってる気がした」
こうして平和にしていると忘れそうになるが、ベラたちは一度死んでいるのである。そして普通は、そこから生き返ったりはしない。蘇生の術は非常に高度な奇跡であり、星が一つ二つの冒険者が望んで得られるようなものではないのだ。
(あ、そっか……だからアーサーは……)
そこで唐突に、ベラの中でいろいろなものが繋がった気がした。
ベラはこっそりと、アーサーの方を盗み見やる。相変わらず彼は顔を赤くしてロゼッタの成すがままにされていたが、ベラはそこに幼馴染の少年の心の内に潜む想いを見出していた。
(アーサーは、みんなを守りたくて、防御のスキルを練習してるんだ)
もちろん、彼が本当にそう考えているかは分からない。だがベラはアーサーがそのように考えているのだと、疑ってはいなかった。
村にいた頃から、この幼馴染の少年はそうだったのだ。別にずば抜けて正義感が強いとか、自分が世界を救うんだとか、そういった"勇者的"な考えを持っていたわけではない。彼はどこにでもいるような少年で、でも自分の知る誰かが理不尽に傷つくのは絶対に許せないというような、情の深い人間なのである。
そしてベラはここ最近の己を顧みて、大いに反省することになった。アーサーやクロエが自分たちなりに動いていたときに、自分は何をしていただろう。
とりたてて不真面目だったわけではない。少なくとも冒険者としてはそうだ。ポリン平原での狩りでも、気を抜くことなく仕事は勤め上げたつもりだ。街での滞在時に一党を取り仕切るのもベラの役目だ。だが"それだけ"で本当によかったのだろうか?
ベラもまた、仲間たちのために何かをするべき、してあげたいと強く感じていた。
「あたしも、少し考えてみるよ」
「そう」
ベラが決意を新たにしてそう言うと、いかにも興味なさそうにクロエが返してくる。ベラは立ち上がるとクロエの頭をポンポンと叩いた。彼女は煩わし気にその手を払ったが、その口元は微かに弧を描いていた。
それからベラはいまだに軟膏塗りを続けている二人の元に駆け付けた。やはり慣れないせいか、ロゼッタではうまく塗れないらしい。アーサーが恥ずかしがって無駄に動くのもいけないのだろう。
「貸してロゼ!こういう奴にはね、少しくらい無理やりやってやった方がいいのよ!!」
「いでーーーー!!……ってンアーッ!おま、どこ触ってんだ!?」
「ベ、ベラさん……大胆ですわ」
三人でわいわいやりながら、ベラは考えていた。仲間たちのために何をすればいいか、大切な人たちのために何ができるかはまだ分からない。だけど一つだけハッキリと決まっていることがあった。
それは絶対に、もう二度とアーサーを目の前で死なせはしないということだ。折角防御のスキルを頑張っている彼には悪いが、アーサーを残して逃げるようなことは決してしたくはないのだ。
だってベラは、この幼馴染の少年のことが大好きなのだから。