第92話 白竜の乙女たち
これにて第四章は終了です。
中央よりやって来た内務卿補佐官、バルトの対応は迅速であった。
アレクセイたちがフリアエの家でフェリシアの手記を読んだ、次の日のことである。
バルダーの街の領主であるゴデスラス伯爵が、中央に対する反逆の企みを抱いていたことを住人たちに告知したのである。更にそこには伯爵が死んだことも含まれていた。ただし塵になって消えたなどと本当のことを言うわけにはいかないので、死因は計画が暴かれた伯爵が逆上し、その場で処断されたということになっていた。
またバルトは、街の秘宝であった神竜の鱗が計画に利用されたことをも明かした。無論のこと古竜を操るという鱗の力そのものは秘されたが、自分たちが目先の金目当てに売り払ったものが国家反逆に使われかけたと知って、街の住人たちは大いに動揺したようだった。
その衝撃は領主の死などよりはるかに大きいものであった。特に年嵩の者などは自分たちの不明を嘆いたという。
「伯爵と協力関係にあった者は依然として不明であり、それは街の住人たちに関しても同じである。故に、こうなった以上はこれまでのように秘宝を街に置いておくことはできないだろう」
バルトはそのように言うと、神竜の鱗は中央にて厳重に保管すると宣言した。そこに批判の声を上げる者がいなかったのも、また当然のことであった。
「もっとも鱗は既に迷宮の奥深くの沼の底だ。我々はそれらしいものを見繕って帰るとするよ。うまく行けば伯爵に計画を持ちかけた連中が釣れるかもしれないからね」
どうやらバルトは先の宣言で相手をおびき出す算段であるらしい。危険な賭けではあるが、アレクセイはそれに関しては何も言わないでいた。
なぜならこの行いは、フリアエに対するバルトからの配慮でもあったからである。
「敵は鱗が既にないとは知らないんだ。となれば狙われるのはフリアエ嬢ということになってしまう。そうなれば彼女は再び追われる身だ。せっかく手配書が取り下げられたのに、それじゃああまりに可哀想じゃないか」
己が身を呈して伯爵に反抗したフリアエへの、せめてもの詫びであるらしい。確かに一時は手配人となり、騒動が収まった後も騎士の位を剥奪されたままというのは不憫に過ぎる。
彼女が今後穏やかに過ごすためのバルトの対応は、アレクセイとしてもありがたいものであった。
(ここまでしてくれた御仁に嘘をついたままというのは忍びないが、こればかりはな)
そしてバルトもまた知らないことだが、神竜の鱗は本当に失われたわけではないのである。本物は白竜デナの体内にあり、そのことをアレクセイたちは伝えてはいないのだ。
バルトもまた権力者の一人である。アレクセイの私見ではバルトは信用してもよさそうに思えるが、真実そうかは分からない。神竜の鱗のような大きな力を持つ秘宝というのは、できるだけ人の目には触れない方がよいのだろう。
また彼が行ったのは諸々の告知だけではない。彼はこれを機会にバルダーの街全体のあり方についても手を入れる算段のようであった。
「今回の件で伯爵の家は御取り潰しだからね。新たな領主を派遣しなきゃならない。そうなると街の参事会も一時解散かな。統治機構を一新して膿を絞り出さないと。後は……冒険者ギルドの方も、このままにしてはおけないなぁ」
バルトが取った手段は、なんと街のギルドマスターの更迭であった。
と言っても帝国の役人である彼に、半官半民の組織である冒険者ギルドの人事権はない。その指示自体は帝都にいるギルドのグランドマスターから出されたものであり、つまりは彼がバルダーに向けて出発する前から決められていたことなのだという。
バルト曰く、もとより冒険者からのバルダーの街のギルドの評判は大層悪く、中央の本部にも多くの苦情が寄せられていたらしい。職員の対応の悪さもそうだが、亜竜の鱗の需要の高さを笠に着て、素材を安く買いたたいていたことが一番の理由であった。更には街への入退場料金の法外さも彼らの怒りを買ったとのことで、遂には中央も重い腰を上げたということらしい。
「街に関してはそんなところかな。次は君たちについてだけど、やはり報酬もなしというわけにはいかないよ。結果には対価があるべきだ。冒険者ならそれは金と名誉だろう?加えて……君たちはラゾーナで我が妹を助けてくれたそうじゃあないか。流石に何か報いらせておくれよ」
なんとバルトは、かつて知り合ったクランマスター、セリーヌの兄であったのだ。ウォールデンという家名にもしやと思い尋ねてみれば、彼女は三つ年下の妹だという。
「あの街であった一件については、妹からも報告は受けていてね。そこで随分と力を貸してくれた冒険者がいると聞いていたんだけど、それがまさか君たちだとはなぁ。世間は意外と狭いものだね」
ということで、アレクセイたちはバルトに押し切られ金貨百枚を受け取ることになったのである。それは伯爵が出した偽りの任務報酬と同じ額であった。ちなみに出所は伯爵家の金庫からだ。
「これ以上位階を上げるつもりはなかったのだがな」
またそう言うアレクセイの胸元には、三つの星が刻まれたプレートが下げられていた。今回の一件を受けて、アレクセイとソフィーリアは二ツ星から三ツ星へと昇格していた。
「目立ちたくはないというあなた方の気持ちは分かるのだけれど、それだけの腕前を持っていながら二ツ星という方が、かえって他人の興味を引くと思うよ?」
そう言ってアレクセイたちの昇級をバルトに進言したのはクレアである。特に二人の装備は誰が見ても高級品であり、そういった面でも二ツ星はありえないとのことであった。ここまでくればアレクセイたちも諦める他はなかった。
「なるようになれだな」
「それもまた一興、ということなのでしょうね」
そうしてアレクセイは妻と顔を見合わせたのであった。
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「はいよっ!川魚の香草焼きお待ちっ!そっちのお客さんにはエールのお替りねっ!」
太陽が沈んだ後、宿屋"白竜の鱗亭"の食堂に威勢のいい声が響いていた。溌剌とした笑顔で客のテーブルに皿を運ぶのは、店の主人の娘のリーデルである。額に汗を浮かべつつ食堂のあちこちを走り回る姿は実に様になっており、流石は本職といったところであった。
「お、お待ちどうさまです。こっちが貝のバター焼きで……え、頼んでない?し、失礼しました!」
一方であたふたと給仕をこなしているのは、なんとフリアエであった。先日まで鎧を着こみ腰に剣を吊るしていた娘は、今は前掛けと料理を乗せた皿で武装している。客は大入りであったが流石は元騎士、疲れこそ見せてはいないものの、慣れない仕事になかなか順応しきれない様子だ。
それでも彼女に悪態をつくような客はいない。美しい娘が懸命に仕事に励む様にみな見惚れているようである。美人は得とはまさにこのことだろう。
「ん、ぶどう酒とつまみ。あと豚の腸詰大盛り……ね、これ一本貰っていい?」
そして食堂にはもう一人。その身に見合わぬ怪力で多くの料理を運ぶ小柄な少女は、白竜のデナだった。給仕の娘としては些か以上に笑顔が足りないが、しかしどこか愛嬌のある彼女を客たちは可愛がっているようである。
三者三様の娘たちが忙しく駆け回るさまを、アレクセイは食堂の片隅で眺めていた。
「フリアエも思い切ったものだ。剣を置いてここを手伝うとはな」
一連の事件の後、フリアエはひとつの決断をした。それは街に残り、バルダーの復興に尽力するというものであった。
手配書が取り下げられたとはいえ、彼女が一時の間罪人として周知されたことに変わりはない。騎士にも戻れない以上、街を出て自分のことを誰も知らない土地に行くという選択肢もあったはずである。だがフリアエは生まれ育った土地で、人々の目にさらされながらも生きていくことを選んだ。
「今回の件で、この街はこれから変わっていかねばならなくなりました。でも私はそれでいいと思うのです。今までのように目先のお金だけを追い求めていたらどうなるか、みんな分かったはずです。だから私は、ここをもっとよくする手伝いをしたいんです。騎士とは違う、別の方法で……」
その手始めとして、フリアエはリーデルの宿屋を手伝うことにしたのだという。逃亡中に世話になった友人への恩返しもそうだが、冒険者や旅人といった外部の人間と密に接するこの仕事から、街を良くする方法を探っていきたいのだそうだ。
領主に街の有力者たち、そして冒険者ギルドのマスターが変わったいま、バルダーの街は大きな転換の時期に入っている。迷宮との付き合い方も、今後は変わっていくことだろう。
「それにしても本物の竜がお皿を運んでいるなんて、誰も思いもしないでしょうね」
つまみ食いを咎められリーデルに頭を叩かれているデナを見ながら、ソフィーリアはクスリと笑った。白髪の少女の正体は、リーデルとて聞かされているはずである。だが仕事に関しては容赦しない彼女の肝は、実に大したものだと言えるだろう。
「うむ。それにこうしていつも多くの人目に触れていれば、連中もおいそれと手出しはできまい」
神竜の鱗がまだ存在することを、あの紫の騎士の仲間あたりが気づく可能性はある。だが普段から多くの冒険者に囲まれていれば、相手も迂闊な手段を取れはしないだろう。それに鱗を内に秘めたデナはかつてより遥かに強力になっている。少なくとも数体のデーモンでは相手にはなるまい。
「あの竜の娘がいるならば、フリアエの身も安全だろう。フェリシアの子孫には、願わくばこのまま穏やかに過ごしていってほしいところだ」
リーデルやデナと笑い合いながら卓の間を走るフリアエを見て、アレクセイはしみじみと呟いた。
やはり妹には剣など似合わない。慌ただしくも、それは危険とは程遠い平和なものであるべきなのだ。少なくともアレクセイは、そうした妹のような民を守るためにこそ剣を振るっていたのだ。
「でも良かったですね、お子さんの手がかりが見つかって。古竜塔といえば智と書物の守り手ですから、きっと昔の記録もあるに違いありません」
自分のことのように嬉しそうに、エルサはそう言った。そしてその笑顔のままに、卓の上の料理へと手を伸ばした。取ったのは丸々と太った川魚の塩焼きである。尾びれの付け根辺りを豪快に掴むと、それをそのまま隣の席へと明け渡した。
「はいミューさん、ごはんですよ~」
アレクセイたちと同じようにどっかと椅子に腰を下ろしたスライムのミューが、頭上に掲げられた焼き魚に齧り付いた。というかうにょんとその身を伸ばして、一口で呑み込んでしまったのである。
「いい食べっぷりだ。今回は実に役に立ってくれたからな。好きなだけ食べるといい」
ミューは魔物ではあるが、冒険者ギルド的にはエルサの使い魔扱いである。そのため周囲に冒険者が数多くいるこのような場所でも、表に出すことを許されていた。
また今回の一件でこのスライムは大きな役割を果たしてくれた。鱗がレックスに奪われたときに取り返してくれたのが、この水玉なのである。アンデットゆえに聖なる鱗に触れられなかったアレクセイたちの隙間を縫っての活躍は、決して小さなものではないのだ。それゆえの褒章だ。食事ができないアレクセイたちに代わって、この場では大いに胃袋を振るってもらっていた。
(本来は私の擬態用に連れていたのだが……まぁよいかな)
自身の鎧の内にミューを仕込んで、その上で食事をさせてもよかったのだが。なんとなく「一人の仲間」として扱った方がよかろうということで、こうしてみなと椅子を並べていた。今のところ、それを咎めるようなものもいないので問題はないだろう。
「次の目的地は、古竜塔ですね」
「ああ。ウィルだけではない。ルーカスの軌跡も分かれば、なおのこといいだろうさ」
フェリシアの手記には、息子のウィリアムは東に向かったと記されていた。そこにはソフィーリアの弟であるルーカスもいたはずだ。彼ら二人のことが一度に分かるのなら、妻にとってこれほどよいことはないだろう。
卓の上に置かれたアレクセイの手の上に、ソフィーリアの手がそっと重ねられる。
アレクセイはその手を取りつつ、妻と共に三人の娘たちを見守っていた。
投稿期間が飛び飛びになってしまい、申し訳ありませんでした。
今後はなるだけ早く出せるよう頑張ります。
フロムの新作がなければ、ですが。