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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第91話 フェリシアの手記

四月で連載一周年を迎えました。

亀の歩みですが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

「こちらです」


 蜜蝋の灯を手に前を進むフリアエに従って、アレクセイは地下への扉を潜った。


 伯爵の館を後にしたアレクセイたちは、フェリシアの残した記録を見るためにフリアエの生家へと赴いていた。バルダーの街の名士なだけあって、彼女の実家は立派な造りの建物である。領主の館と違って実に()()()()()()溢れる堅牢な様式は、アレクセイの逸る気持ちを少しばかり落ち着かせてくれた。


「私までご一緒してもいいんでしょうか?私もクレアさんみたいに席を外した方が……」


 最後尾を歩くエルサが控えめにそう言った。

 今この場にクレアの姿はない。バルトたちとの謁見を終えた一行がこれからの予定を伝えると、彼女は自分が見るべきものではないとして、同行を辞退したのだ。


「エルサさんとてヴォルデンの血を引く者なのですから、遠慮する必要はありません。それに、私たちはもう仲間ではありませんか」


 ソフィーリアにそう言われて、エルサは頬を染めて俯いた。アレクセイとて妻の意見に文句はない。それにここまで共に旅をしてきたのだから、彼女にも知っておいてほしかった。


 フリアエの家の地下室は結構な広さを有していた。棚には羊皮紙の束が目立ち、それらは丁寧に保管されているように見える。彼女は幼い時分にここに潜っては、昔の記録を読み漁っていたらしい。アレクセイのことも、そのときに知ったのだという。


「まさかご本人に助けられるとは思いもしませんでしたけど……これもご先祖様のお導きなのでしょうか」


 ちなみに彼女に掛けられた懸賞金と手配書は、政務卿補佐官の名において既に取り下げられていた。街の広場では役人によって直々にそう布告されたし、その旨を記した立て札も立てられている。


 但し一連の騒動のために騎士としての資格は剥奪されているため、今の彼女は平服姿であった。鎧姿などではなくそうして普通の女性の格好をしていると、フリアエは本当にフェリシアそっくりに見えた。憑き物が落ちたかのように穏やかに微笑んでいることも、それに拍車を掛けているのだろう。


 そんなフリアエの横には、見慣れぬ一人の少女が付き従っていた。抜けるような白い肌に白い髪、赤い瞳とくればある種の特有の病気を思い起こさせるが、その少女は日光を嫌がる素振りもない。それもそのはずで、年の頃はエルサと同年代に見えるこの娘は、なんと白竜のデナであったのだ。


 神竜の鱗の隠し場所にアレクセイたちが選んだのは、白竜デナの腹の中であった。

 竜を操る神器ならば、人ではなく竜たち自身が持っていればよい。そう考えたアレクセイはフリアエに頼み、彼女の愛竜に鱗を呑み込んでもらったのである。

 すると不思議なことに、白竜は人の少女の姿に変わったのだ。だがいかな竜の神の鱗とはいえ、ただの竜を人化させるような力はない。そして彼女は、ただの竜ではなかった。


「それにしても驚いたな。まさか彼女が古竜であったとは」


 フリアエが卵から孵したのは、今やほとんどその姿を消してしまったという古竜種であった。神竜によって直接生み出されたとされる古竜は、高い知能と力を併せ持つ。魔物の一種である普通の竜とは、根本的なあり方が違うのだ。


 紫の騎士たちはどこぞの迷宮の古竜の心臓を手に入れるために神器を求めていたようだが、その相手がすぐそばにいたというのは、なんとも皮肉な話である。成竜ですらない彼女を倒す方が遥かに簡単なはずだ。そうしてデナは創造主である神竜の鱗から力を得て、人の姿になることが可能になったというわけだ。


「お前のヨメはそうと知っていたみたいだけどな。なのにワタシに乗り移った。あれ、すっごく気持ちが悪かった」


 デナはぶすっとした顔でそう言うと、ソフィーリアに向かって牙を剥いた。ソフィーリアが行った≪竜潜り(ウォーグ)≫は、竜の精神を屈服させて体を操る業である。自我のある彼女にとってはさぞかし不快なことだっただろう。


「ええと、ごめんなさいね?あのときは、急を要していましたから」


 そもそも一度デナを倒したのも彼女である。敵意という程ではないが、厳しい目を向けられるのも、まぁ仕方のないことだ。ソフィーリア自身も、最初に彼女と戦ったときに只の竜ではないことに気が付いていたらしい。

 全てが終わった後にデナに対して真摯に謝ったようだが、今はそれとなく距離を置いているようであった。


 アレクセイがしばしの間デナたちと話をしていると、本棚を調べていたフリアエが声を上げた。


「あぁ、ありました。以前読んだのはだいぶ昔のことだったので、記憶が曖昧でしたが……よかった。本の状態も大丈夫そうです」


 振り返った彼女の手には、一冊の本があった。なんの変哲もない革表紙のものだが、しっかりとした造りをしている。


「ご先祖様……フェリシア様は、故郷の記録を残されることに気を払われていたようです。ここには五百年の時を経た本たちが数多く残されていますから」


 バルダーの他の家では燃えてしまった記録も多いとのことだが、この家のものはしっかりと守られている。聞けばこの地下室自体、フェリシアが主導となって建造したものであるという。彼女がそうした理由は分からないが、先祖代々これらを守るように伝えられていたのだそうだ。


「さぁ、アレクセイ様」


「……うむ」


 アレクセイはフリアエからその本を受け取った。

 気のせいかもしれないが、これまで手にしたどの本、どの武器よりも重い気がする。聖竜の大盾を構えたときですら感じなかった重圧を、アレクセイは感じていた。そしてそれは、自身の内からくるおそれのようなものなのだろう。ここにはもしかしたら、アレクセイたちが知りたかったことが書かれているのかもしれないのだから。


 そのときアレクセイの籠手に重ねられるものがあった。ソフィーリアの、ほっそりとした手である。


「ソフィーリア」


「読んでみましょう、あなた」


「あぁ」


 そうしてアレクセイとソフィーリアは、二人でフェリシアの手記を読み始めた。




 **********




 神竜の月、二十二日。


 初めて、日記というものを書いています。

 いつだったか人から頂いたものがあったことを思い出し、ここに筆を取っている次第です。そして最初に記すことがとても悲しい出来事であることが、私は残念に思えてなりません。


 今日、ある知らせを受け取りました。

 私の兄、アレクセイが戦死したという報が、王都から来られた特使の方より告げられたのです。


 まさか、と思いました。ですが、涙は流しませんでした。

 覚悟はしていたことなのです。私は騎士の、戦場に向かう人間の家族であるのです。待つ方にも強い心が必要だということは、ヴォルデンの女であれば誰もが承知していることでしょう。


 夫や義理の両親たちは、それでも信じられないといった様子でした。

 私の兄のアレクセイは、偉大なる四騎士の一人であり、竜殺しの英雄と人々から呼ばれています。確かに兄は強い人です。


 ですが私は知っています。兄は、普通の人なのです。強いところも弱いところもある、この村で生まれ育ったヴォルデンの男でしかないのです。決して無敵の英雄なんかじゃない。

 私にとって兄さんは騎士ではなく、たった一人の、優しい、漁師の息子でしかないんですから。

 いつかこんな日がくるんじゃないかと思ってはいました。


 でも嘘であって欲しかった。


 いつまでも死なない人間なんていません。

 だからこそ、来たるその日は、もっと穏やかなものであるべきなのです。たくさんの人のために剣を振るった兄だからこそ、最期の瞬間は愛する人たちに囲まれて逝ってほしかった。


 兄と共に、ソフィーリア様も亡くなられたと聞きました。

 ヴォルデンという国のことを思えば、それはとても悲しく、厳しいことなのでしょう。私自身も、彼女のことを本当の姉のように思っていました。


 ですが私は、兄が一人でなくてよかったとも思いました。

 こんなことを聞いたら、兄は怒るのでしょうね。

 ですがあれほどまでに国に尽くした兄が、ひとりゾーラの御許へ行くなんて、あんまりではありませんか。

 せめて最愛の人が傍らにあるのなら、兄の魂も少しは癒されるでしょうから。


 母なるゾーラよ。

 兄アレクセイと義姉ソフィーリアの魂に、どうか安息があらんことを。




 **********




 地竜の月、五日。

 昨日、村長さまのところにある知らせが届きました。

 魔王軍の侵攻により、どうやら王都陥落が間近のようです。兄の弔い合戦に出られた四騎士様の軍が敗れたとも聞きました。


 村の主だった者が集められ、夜遅くまで会議が開かれました。

 そして皆で村を捨てて逃げることが決まりました。

 ここは軍隊の要所でもなんでもありませんが、魔王の軍勢は兵も農民も関係なく手に掛けるのだそうです。


 誰も口にはしませんでしたが、誰もがこの国の終わりを予感しているようでした。

 四騎士の内のお二人が亡くなられ、"竜の鱗(ドラゴンスケイル)"たる我が兄や"白竜の聖女"様まで失ったいま、ヴォルデンにはもうほとんど戦う力が残されてはいないでしょう。


 それでも男たちは、自分たちも剣をとり戦おうと言いましたが、それを村長さまが窘めていらっしゃいました。

 またそれは、王都におわす陛下のご遺志ではないようです。

 生きてヴォルデンの証を残せ、と。


 私も今から不安で仕方がありません。

 ですが今は、家族のためにできることをするしかないのです。


 ただひとつ気にかかるのは、王都にいる兄の子供のこと。

 両親を失った甥はどうしているのか。

 あの子が無事に逃げられるよう、母なるゾーラに祈っています。




 **********




 金竜の月、十七日。

 バルダーの村での暮らしはこれまで以上に厳しいですが、なんとか家族全員が生きていくことができています。魔王の軍勢が足を向けぬほどに貧しい土地ですが、私たちヴォルデンの民ならば耐えることができます。

 母なるゾーラに感謝を。


 それに心の(よすが)がもうひとつ。

 兄と義姉が残してくれた神なる竜の鱗が、ともすれば折れそうになる私たちの心を救ってくれるのです。

 彼らの生きた証がこうして人々の役に立っていることを、私はとても喜ばしく思います。


 王国が崩壊してから半年ほど経ちました。

 噂によると、もうすぐ大戦が近いのではないかとのことでした。多くの国がそのための兵士を募っており、現に故郷を取り戻そうと村を出て行った者も少なくありません。


 子どもたちのためにと、夫や義父はなんとか説き伏せました。

 兄は私たちを守るために戦い、逝ったのです。私たちはなんとしても生き続けなければならないのですから。


 東に向かったというウィリアムは、今頃どうしているでしょうか。

 村を捨てる直前にあの子から来た手紙には、古竜塔にいる叔父を頼るとありました。

 兄たちの結婚式で一度だけお会いした、魔術師だというソフィーリア様の弟君のことでしょう。

 確かにヴォルデンなき今、頼れるのは魔法の力だけなのかもしれません。かつての兄のお仲間だという賢者様もいらっしゃるのでしょうし、きっと悪いことにはならないはずです。


 母なるゾーラよ。

 どうかあの子に、御身の加護があらんことを。




「そうか……ウィルはルーカスの元へ行ったのか」


 アレクセイは読み終わったフェリシアの手記をソフィーリアへと渡した。

 一緒に文字を追っていたのだが、妻は食い入るように何度もそれを読み返している。主に自分たちの息子に関する部分をだろう。その表情は真剣そのものだ。


「ウィル……私たちの息子に関する記述はこれだけなのか?」


 ソフィーリアはそのままにして、アレクセイはフリアエへと問いかけた。


「騎士学校へ行く前に一通り読んだはずですが、私が目にした限りはフェリシア様が残された手記はそれだけだと思います。件の手紙を探したことがありますが、どうやら紛失してしまっているようです」


「そうか……」


 フリアエの言葉に、流石のアレクセイも落胆せざるを得ない。ウィリアムから届いたという手紙そのものがあれば、なお喜ばしかったことだろう。特にソフィーリアにとっては、随分な慰めになったはずだ。


 だがここで得た情報は大きい。

 何しろ息子の消息が分かったのだ。少なくともヴォルデンの王都が陥落した時点では、まだ生きていたということだ。そして息子は東にあるという古竜塔へと向かったのだ。


 古竜塔は五百年の時を経た今もなお存続する、魔術師たちの総本山だ。癖はあれど彼らは往々にして聡明で、強力な魔法の力も有している。義弟にあたるルーカスもそれは同じだが、彼は利発な甥っ子を溺愛していたから、もし巡り合うことができたなら力の限り守ってくれるはずだ。


「ソフィ」


「……あなた」


 アレクセイはソフィーリアの元に寄ると、その頬を伝う涙を拭ってやった。実体のなきそれは宙へと消えたが、それでも彼女の心に生じた感情は本物だ。闇霊といえど涙は零れる。ならばそれを止めてやるのは、誰でもないアレクセイの役目だった。


「あなた、あの子が……ウィルが生きていました」


「ああ、そうだな」


 アレクセイは身をかがめると、ソフィーリアを優しく抱きしめた。冷たい胸甲に頬を寄せながら、妻は目を伏せている。


 依然として、ウィリアムがどのような末路を辿ったのかは分からない。

 無事古竜塔にたどり着いてそのまま保護されたのかもしれないし、あるいはそれが叶わず、道中で命を落とした可能性だってある。


 だがここは悲嘆すべきところではないだろう。


 アレクセイとソフィーリアは、陽の光の当たらぬ地下書庫で、しばしの間そうして身を寄せ合っていたのだった。


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