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夜の匂い

作者: 城田なお

孤独なわたしに起こった悲劇といえない悲劇

散らかった六畳間で

パソコンに触っているとほっとする。

スクリーンに打ち出される文字は自分の世界を

構築してくれるパズルのピースだ。

独りでいるのはいい。

誰も自分の思いを邪魔する人間はいない

この世の果てで、言葉が打ち寄せるさざ波のように

私をやさしく包んでくれる

もう、だれも愛さないと決めたのには

わけがある。自分は愛されるに足りる人間じゃない

とか、ネガティブな考えに支配されているわけではない。

充分に愛されていいはずなのに、なぜか人を愛すると

人を失ってしまう。

中川が死んだのを知ったときはまさか、と思った。

ニ週間前に、蒲田の駅中の立ち飲み屋でしこたま飲み、

帰れなくなって付近のビジネスホテルに泊まった。

中川は医者のくせに、仕事以外何もできない奴だったから

「ねー、今日はもうお金ないから、奈々がホテル代払って」

と言われた時はさすがに、かちんときたが

「君に貸すというのであればいいよ。ホテル代割り勘なんておんなとしては嫌だな」

といいながら、しぶしぶ財布を出したのだった。

二日後、中川から仕事中に

『奈々の銀行の口座番号おしえてください』

とメールがきたときは

「あいつも少しは大人の男になったじゃん」

と、にやにやしたのだ。

それから、いつになっても中川からお金が振り込まれることは

なかった。

一か月たったときに

中川の行きつけの居酒屋のママから

『なかちゃんと連絡とれてますか?』

というショートメールが来た。

『中川は仕事が忙しいだろうから放置状態ですよ』

と私は返信した。

それから、二、三日たった、ある日のこと

『なかちゃん、死にました』

というショートメールが届いた。

一瞬、なんのことだか

わからなかった。

『なんですか?』

『なかちゃん、糖尿で急死したんですって』

ショートメールに書き込まれた

急死。

という言葉が、タンポポの綿毛のように

私の意識の中に飛び交っている。

『え』

それだけ返すのがやっとだった。

中川のお葬式には行っていない。

恋人なのに、中川は自分のプライベートを

硬く閉ざしていた。なぜなのかわからない。

奥さんがいたわけでもない。

独りで、ずっと鶴見のマンションに住んでいたらしい。

中川は、よく夜中に私に電話をかけてきた。

私は鶴見から駅が数個しか離れていない蒲田の近くにすんでいたから

会おうと思えば会えたはずなのに

そして、部屋に呼ぼうと思えば呼べたはずなのに

中川はわたしをプライベートな空間に招き寄せようとは

決してしなかった。

それでも、彼は夜中に私に電話をして

「きょうはね、病院でね、こういうことがあったんだ」

と、職場で起こった出来事をぽつぽつと話してくれた

そして最後には

「ああ、やっぱり奈々は僕のかのじょだよね。僕のことよくわかってくれる」

そう言って安心したように電話を切った。

中川が本当に医者をしていたのかどうかは

わからない。わたしは彼のことを何も知らない。

何もしらないけれども

彼が電話をかけてきてくれる、という事実が、とても気に入っていた。

だれかが、自分を愛してくれている

誰かが自分に関心を持っていてくれる

そういう些細な事実が私にはとても必要なのだ。

でも

中川は一人で死んでしまった。

今もスマホの中には中川の電話番号が残っている

しんとした静寂の音が聞こえる夜に

いつか中川が、

「ごめんね、死んだっていうのは冗談だよ」

と、電話をかけてきてくれるような気がしてならないからだ。

深い海の底から

夜が迫ってくる。

甘い夜の匂いにむせかえりながら

私は深く眠る。

あっけないおわかれ

それでも日常はつづく

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