第16話
今年、最後の投稿となります。
四階にある自分の部屋を出て、メグがエリックの部屋へと向かう。
四階のフロアは、それぞれの個人部屋になっていたのである。
真新しい可愛らしいピアスが揺れる。
恋人のために、ピアスを新しいものに変えたのだった。
最近、エリックの裏の仕事が多く、まともに話をしていない。
だから、久しぶりにじっくりと話そうと思い、一番奥にある部屋を訪れた。
そうすれば、モヤモヤしている気持ちが晴れる気がしたからだ。
最近のエリックの様子を気に掛けていたのである。
何があったと言う訳ではない。
ただ、女の勘が燻ぶっていたのだ。
扉の前に立ち、軽くノックをする。
顔や声を感じたいと気持ちが早まっていた。
「エリック。私、メグ」
応答がない。
いる気配を、どこかで感じる。
もう一度、ノックをした。
けれど、結果は同じだった。
「……」
ノブに手をかけようとするが、躊躇ってしまう。
拒絶されていることを知るのが怖かった。
今にも泣き出しそうな瞳で、冷たいノブだけをひたすら凝視している。
だが、扉が開かない。
「エリック。いないの……」
小さな呟きだけが、木霊しているだけだ。
辺り一面、静寂に包まれる。
「エリック……」
部屋に入って、いるのか、いないのか確かめたいと言う衝動に駆り立てられる。それと同じぐらいに、怖いと言う気持ちもあり、どうしてもノブに触れられない。
しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
何もできずに、マークがいる地下へと降りていく。
階段を下りながら、今は自分の仕事に集中しようと気持ちを切り替えた。
(仕事が終われば、話す時間もできるはず……。そうすれば、きっと……)
何度も大丈夫と、自分に言い聞かせる。
そうしなければ、不安で押し潰されそうだったからだ。
マークの部屋の分厚い扉の前で、深呼吸をしてから両手で自分の頬を軽く叩く。
寂しく、不安いっぱいの表情から一転し、口角を上げる。
いつものようにノックをし、爆弾の実験をしているマークを訪ねた。
「順調? ……」
扉を開け、マークを捉えた途端、フリーズしてしまった。
顔や服についている火薬。
部屋に入った瞬間に感じた、つんと鼻腔に刺すような汗の臭いで顔を歪めている。
「何? この臭い」
日頃から、汚れた服を出すように伝えていた。
それに毎日シャワーを浴びるようにと、無頓着で気にしないのでお願いしていたのだ。
周りに対し、特にエリックに、彼の悪いイメージを払拭させようと言う思いがあったのである。身だしなみや整理に無頓着なマークと、綺麗好きなエリックでは、性格が合わないようで、意見の食い違いが生じ始めていた。
二人に打ち解けてほしかったのだ。
だから、何かと綺麗好きなエリックのために、マークに身だしなみのことで注意していたのだった。
「そうか?」
意に返した様子がない。
単に慣れた臭いだったのだ。
部屋中に充満している臭いに顔を顰め、辺りを確かめる。
「そうよ。汗と火薬のいやな臭いが混じっているわ」
「別にこれくらいは、平気だろう」
僅かに首を傾げているマーク。
昨日からシャワーを浴びていないのを察する。
大きく嘆息を吐く。
ここへ来て、マークが食事や眠るのも忘れ、実験に打ち込むことが度々あったのだ。
苦笑いを覗かせ、後でシャワーに入れさせないと強く抱き、マークのこれからの予定を組み立てていく。
「寝てもいないでしょ?」
「ああ」
実験の手を休めずに、そっけない態度を返した。
ひと晩眠っていないはずのマークの頭が、澄み切った空のように冴えている。
実験に入ると、何日も寝ないで実験を続けていることが日常茶飯事だったのである。
爆弾作りにのめり込むと、いやなことを全部忘れ、爆弾以外のことが真っ白に消されていたのだ。
「実験もいいけど、シャワーを浴びてね。……きりのいいところで、シャワーをして貰いますから」
有無を言わせないメグに答えない。
(実験に集中したいのに……)
仕事をしている自覚があるので、メグに対し、意識が辛うじて残っている状態だ。
面倒見のいいメグに、少し困惑していた。
鬱陶しく感じるぐらいに、口うるさかったのである。
それに、近頃は辟易していた。
何日でも寝ないでやろうとすると、睡眠は大切だと説く。
無理やりベッドに、押し込めたこともあったのだ。
気分が乗っていたところで、実験を中断させられ、ベッドに押し込められた時は、ほとほと困ってしまったものだった。
多少は迷惑な部分があるにしろ、何かと世話をしてくれるメグに、いい人だと好印象を抱いていたのである。
やややり過ぎの面があるが。
「聞いているの? マーク。ちゃんとシャワーを浴びて貰うからね」
釘を刺しているメグ。
それをいつものように聞き流しているマークだった。
ふと、いつもより来るのが遅いことに気づく。
それに遅くなった時は、きちんと理由を最初に言うはずなのだ。
言わないことに、何かあったと巡らせた。
爆弾作りに集中しながらも、逐一観察することを忘れていなかったのである。
小言が止まらない姿に、手を休めることなく、言葉を投げかける。
「君の方は? 順調かい」
「えっ」
エリックと、自分のことを言われたのかと巡らせ、目を大きく見開く。
思わず、マークの背中を凝視していた。
(エリックと、何かあったか……)
思考とは、違うことを口に出している。
「確か……、シャーリーだっけ? 君が抱えていた子。その後、その子と上手く行っているのかい?」
固まっていたメグの思考と身体が動き出す。
「……シャーリーね。うん、大丈夫。今日来てくれて、少し話せたわ」
声音が狼狽えていた。
気づかれないように、メグが胸を撫で下ろす。
(マークが知っている訳ないじゃないの)
「そう。それはよかった」
淡々と返事を返した。
子供たちとの話を聞かせていたのである。
入ってきたばかりのシャーリーと言う不登校をしている女の子と、会話が上手く進まないと、前々から弱音を零していたのだ。
エリックと話す時間が段々と削られていた寂しさもあって、何かと地上の出来事を地下で作業を行っているマークの背中に、話すようになっていたのだった。
それに対し、いやな顔一つしないで黙って聞いてくれていたのである。
「何を、話したんだい?」
いつもの指定席であるマークの斜め後方に腰掛けた。
邪魔にならないように、ある一定の距離を開ける。
こうして背中を眺めながら喋ることが、嫌いじゃない。
むしろ、少し心が落ち着くのを感じていた。
「そうね、好きな男の子の話をしたわ。マークもいたでしょ? 好きな女の子」
強張っていた表情が、徐々に薄れていく。
様子のおかしいメグに気づき、何気ない話を振ったのだった。
マークなりに、心を軽くしてあげようとしていたのだ。
「そうだね。でも、だいぶ前だから、忘れたよ」
そっけない態度を崩さない。
「忘れたの? 私は、ちゃんと憶えているわよ」
昔を思い出し、はにかむ笑みが零れる。
声音からも、そうした感情を読むことができたのだ。
「どんな子?」
「同じクラスの子よ。誰に対しても優しい男の子で、名前はロス」
「付き合った?」
マークの視線が、寸分の狂いもないくらいに、正確に薬品を測っていく。
話しながらでも、手際よく測っていく動作に、感動を憶えずにはいられない。
(一切躊躇いもなく、あんな速さで間違わないなんて、マークって凄いな)
自分をひけらかそうとはしない姿に、親しみを抱く要因の一つでもあった。
「いいえ。転校してしまったから。ただ、好きだった。それだけよ」
「そう」
毎日のように通ってくるメグ。
日常の何気ない会話するまで、マークと親しくなっていったのだ。
突如、来る予定になかったエリックと、ルッソが訪ねてくる。
普段だったら、訪ねる際に事前にメグにも連絡があった。
久しぶりに会うエリックの姿に、顔が綻んでいる。
話しかけようとした瞬間、難しい顔を覗かせているエリックが言葉を遮った。
そんな冷たい態度に、ある程度の理解を示すが、感情を押さえられずに顔を曇らせる。
そんな二人に構わずに、初めてここに来たルッソが、作業の手を休めないマークに言葉をかける。
「順調とは聞いているが、何か問題とかないか?」
「いや、別に」
誰が来ようと、態度を変えない。
鮮やかな手さばきで、計量している姿を眺めている。
ずっと様子を窺っているルッソが感銘を憶えていた。
ニンマリとした顔を隠せない。
いやらしい笑みが、零れてしまったのだ。
傍観者に徹しているエリック。
「素晴らしいものだ」
ルッソの背後に立っていたメグが、そんなルッソのいやらしい笑みに気づかない。
透明なビン越しに窺っていたので、二人の表情を見逃さなかったのだ。
(薄気味悪い笑いだな。よくこれで本性を隠せていたな)
「少し、時間いいかな?」
「どうぞ」
「近々、必要になるが? その辺は大丈夫だろうか」
器具や薬品に興味を憶え、ルッソが身近にあった器具や薬品を手に取りながら話していた。
こうした現場を目にしたのは初めてだったのだ。
そのため、いろいろなものを手にしていたのである。
そういった行為にも、許容範囲と流していたのだった。
「試作品はできている。後は微調整をするだけだ」
「そうか。それなら安心したよ」
満足げなルッソとは対照的に、人を小バカにしたようなマークの態度に、エリックが不快感を覗かせていた。
依頼主であり、大事な話をしている最中に、仕事を続けている態度が気に入らなかったのである。
それに部屋に入った瞬間から感じている、この臭いにも顔を歪めずに入られなかったのだ。
「一言いいかな。マーク、少しは手を休めて話を聞いたら、どうだろう?」
我慢できなくなったエリックの一言を聞いても、手を止めようとはしない。
「……」
二人の間に流れる重い空気。
自分の立場はどちらにつくべきかと、メグがオロオロと戸惑ってしまう。
いつもだったら、エリックの方へつこうとしたはずなのに、素直につけない自分の気持ちがそこにあったのだ。
そんな不安定なメグの気持ちに気づかない。
不機嫌さを滲ませている視線が、ずっとマークの背中に注がれていた。
口の端が上がっているルッソは、首を竦めている。
「話は聞いている。気に入らないなら、別な人間でも使えばいい」
怒りも、何もないマークの声音だ。
苛立ちを憶えているエリックが、できるだけ顔を平静に取り繕うとしていた。
けれど、それがなかなか上手くできない。
徐々に、ボロが出始めてきたのだ。
二人を見比べ、ルッソが軽い溜息をつく。
「君みたいな下級な出では、わからないと思うが、話を聞く時は……」
「そこまでだ、エリック」
話の腰を折られ、恨めげにルッソを視界に捉えている。
そんな表情を向けられても、態度が変わらない。
「私は、いっこうに気にしていない」
「ですが」
「気にしていない」
やめようとはしないエリックを、普段見せない鋭い眼光で制した。
それ以上、何も言えなくなる。
その顔が、まだ不満げだ。
納得できなくても、メグや優秀な作り手を、今失う訳にはいかなかった。
「エリック」
静かな声音の中に、不快感を滲ませていた。
「……」
何か言いたげな顔を、ルッソに傾けている。
それでも首を振って、黙らせた。
マークを下手に怒らせ、仕事を遅らせたくないルッソ。
それに鮮やかなに計量する姿に、予想以上の職人芸に見惚れてしまったと言う理由もあったのだ。
「メグだって、困っているじゃないか」
視線をメグに傾けた。
当惑げに視線を彷徨わせていたのである。
自己チューなマークのせいで、メグの存在が抜け落ちていた。
「……」
自分の失態に気づき、軽く息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
「マーク、すまない。続けてくれ」
しばらくの間、ルッソがマークの無駄のない仕事風景を眺め続けていたのだ。
眺め続けていたルッソが、何も語らずに、ただ満足げに部屋を出た。
それとは対照的だったのが、エリックだった。
気分を害されていたのである。
ムスッとした表情で、気後れしているメグに話しかける。
「メグ。少し、がっかりしたよ」
「ごめんなさい」
軽くメグの肩を叩き、不機嫌なエリックもルッソの後に続き、部屋を出て行った。
重い扉が閉まった。
疲れ交じりの溜息が零れる。
その溜息は二人のいざこざが終わった安堵感と、エリックとまともに話せなかった寂しさが複雑に絡まっていたのだった。
二人が部屋を出て、しばらく経ってから、少し俯いているメグに話しかける。
けれど、計量の手が止めない。
「悪いことをしたかい?」
「いいえ。それがあなたの仕事だもの」
「そうかい」
ようやく、計量の手が止まった。
「外で食べるか……。メグは、どうする?」
計量のメドが立ち、ひと段落するためにランチに誘った。
「……付き合うわ。でも、その前にシャワーを浴びて」
眉間にしわを寄せるマーク。
「昨日シャワーしていないでしょ? 臭うから」
促され、自分の臭いを嗅ぐ。
まだ、これくらいならと思っていると、さらにメグが言葉を続ける。
「シャワーが先です」
強い態度に折れ、渋々シャワーを浴びに行く。
読んでいただき、ありがとうございます。