第14話
エリックの進言によって、地下がある程度綺麗に改善されたものの、数時間後に元の汚れが舞い戻っていたのだ。
その数日後に、地下に漂う悪臭も戻っていたのである。
地下の中を何食わぬ顔で、武装しているアルフレッドとシオンが廊下を闊歩していた。
二人の顔は平然としている。
ブライアン同様に、地下に潜入していたのだ。
ただし、互いの立場が違っていた。
普段の二人の格好とは、まるで違っている。
軽装のシャツに汗や泥がつき、何日もシャワーを浴びてない。
どんなに汗や泥がついたシャツを着ていても、爽やかさが失われていなかった。
むしろ、地味に装っても、二人は際立っていたのである。
「臭い」
顰めっ面で、一言漏らした。
先を歩いているアルフレッドが嘆息を零す。
「我慢しろ。俺たちは下っ端なんだぞ」
「やだ」
駄々をこねるシオンを軽く諌める。
「シオン」
「臭い、臭い、臭い」
これ以上は面倒だと、無視を決め込む。
アルフレッドの背後で臭いと連発しながら、楽しげな表情で歩いていた。
気取られないように隅々まで監視カメラや武器庫、どの部屋が何に使われているか、チェックしていたのである。
眼光だけ鋭く、四方八方を巡らせていたのだ。
監視カメラに映っている二人の映像が、普通に会話しているように映っている。
カメラがついていても、音声が届いていない。
「シャワー浴びたい」
「……」
「もう少し、いい待遇にして貰おうかな」
自分の身体の匂いを嗅ぎ、まるっきり危機感が感じられない。
ほとほと疲れ顔をアルフレッドが覗かせる。
「不満を言うな」
「いやだ」
「状況を考えろ」
「遊ぼうよ、アル」
「まだ、おとなしくしていろ」
「えー、まだおとなしくしていないと、いけないの」
口を尖らせ、つまらないと愚痴を吐く。
「シオン」
ただ単純に暴れたいと請うていたのである。
それをアルフレッドが制していたのだった。
ずっと同じことを繰り返し、真面目に仕事をしない態度に、少し苛立ちを憶える。
だが、顔色一つ変えずに、無視を敢行し、黙々と仕事を続行していた。
頭に地下の地図をインプットしていったのだ。
負けじと、変な節をつけ、ぼやき始める。
何か言ったところで、変わらないと承知していたので、ただ単にアルフレッドで遊んでいたのだ。
そのことにも気づいていたが、注意したところで、やめないことを痛感していた。
(のん気なものだ)
意識を完全に仕事へ向けようとした瞬間、シオンが別な話を始めたので、意識の半分を楽しげに話す声音に耳を傾けてしまった。
「あっ、そうだ。食べ物もおいしくないんだよな。ケチ臭いよね、ここ」
食べ物の件では、同意見だった。
(確かに。ここのメシは不味いな)
下の立場から入った二人に、いい食事が出るはずがない。
そうした面を考慮しても、ここは酷い環境と言うことを感じていたのである。
「どこからか、調達して来ようかな」
「好きにしろ。けど、あまり目立つことはするな」
遊び感覚が抜けないシオンに、軽めに注意を促した。
真面目に聞いている様子がない。
心の中で嘆息を零した。
(久しぶりのシオンはキツい。あれの口を止めてくれ、クロード)
機関銃のように喋る口が、先ほどから止まらないのだ。
それを延々と聞いているアルフレッド。
ある程度好きにやらせていた方が、静かで仕事がラクできると、長年シオンとコンビを組んで学んだ答えだったのである。
それでも疲れるのであった。
「俺の話、聞いていたか?」
「あいあいさ」
のん気に答える仕草に呆れる。
それ以上、言う必要がないとわかっていたので、次の仕事の話題に移った。
注意すること自体、無意味なのである。
どんな時でも、シオンはおどけていた。
何があっても、このスタンスを崩すことがない。
どんな危険に落とされようが、笑っているのだった。
「で、わかったのか」
「うん。いる場所はちゃんと聞いたから、大丈夫」
「そうか。じゃ、後で面会に行くとするか」
「いい食べ物があるかな?」
浮き立つシオン。
「待遇がいい分、美味いものが出ているだろうな」
「じゃ、分けて貰おうと」
「必要以上に、接触はするな」
きつく窘めても、どこ吹く風だ。
「大丈夫」
後ろを振り向かないでも、無邪気に笑っている姿が想像できた。
(疲れる。ゆっくりと、飲みたいな)
三年ぶりのやりとりに、すでに疲労感が半端ない。
歩いている二人の背後から、人相が悪く、筋肉隆々の男二人が声をかける。
声だけで、アルフレッドは誰なのか見当がついていたのだ。
立ち止まって、二人が気軽に挨拶を返した。
ここに来て、親しくなった男たちなのである。
さばさばして、気さくな二人をアルフレッドとシオンが気に入っていた。
新参者を冷たく見る傾向が多い中で、二人が早々に声を掛けてきたのだった。
「酒でも飲まないか? 上から美味い酒が手に入ったからよ」
あまりの酒臭さに顔を顰める。
離れようとするアルフレッドの肩を軽く叩いた。
辟易した顔で対応する。
「朝だぞ」
「いいじゃないか。硬いこと言うなよ」
大酒飲みで筋肉隆々の男が、逃げようと試みるアルフレッドの肩に腕を回し、これでもかとばかりに赤い顔を近づける。
せせら笑う男。
大酒飲みで筋肉隆々の男が吐く息で、酔ってしまいそうな感覚を憶えた。
大酒飲みの部類に入るアルフレッドさえ、顔を顰めるほど酒を煽っていたのである。
声をかける前に、すでにボトルを何本も開けてしまっていたのだ。
「シオン、お前も来い。女たちがお前に会いたがっているからな」
「うん」
楽しそうに返事をした。
(これ以上の面倒事は、御免蒙りたい……)
「そうか、そうか。お前は素直でいい。他の連中ときたら、俺のこと避けたがるからな。お前はホント、偉いぞ」
巻きついている男の腕を、ようやく自分から離した。
大酒飲みで筋肉隆々の男は、酒とケンカ、それに賑やかに騒ぐことをこよなく愛していたのだ。
視線を傾けた先に、シオンとじゃれ合っている姿がある。
女は二の次で酒さえあれば、とにかく満足していたが、酒癖の悪い男を地下のメンバーが避けていたのだ。
地下の中でも、浮いている存在だったのである。
「そお?」
「偉い、偉い」
陽気にシオンを褒め称えていた。
屈託のない笑顔で返しているシオン。
「嬉しいな」
「そうか、そうか」
大酒飲みで筋肉隆々の男は、身長が高く、シオンの頭をこれでもかと言うぐらいに、ぐしゃぐしゃに撫で回す。
もう一人の男が、アルフレッドの逆の肩を軽く置いた。
「気をつけろ。女たち、お前の弟を狙っているぞ」
無邪気に笑っているシオンを目で指す。
(どこでも、同じだな……)
思わず、遠い目をしてしまう。
地下に女たちの姿が、ちらほらとあった。
あまり地上に上がれないために、地下の男たちが勝手に呼び寄せていたのである。そして、それを地上の者たちが黙認していたのだ。
「大丈夫だろう」
「女は怖いぞ。弟君、心配じゃないのか」
意味ありげな視線を注いでくる。
けれど、何とも思っていない。
ただ、シオンが遊びにかまけて、仕事を忘れる可能性があると、心配がそこにあっただけだ。
「子供じゃない。それぐらいの分別は……たぶんある」
忠告してくれた男とは、違う意味で不安げな双眸を一瞬だけ覗かせていた。
つい先だっても、ルーシーたちと遊び、帰ってこなかった記憶が頭の中に蘇っていたのである。
(大丈夫だなよ……。けど、不安だ、自信がない)
「そっか」
渋い表情のアルフレッドに、男が笑った。
ただ、アルフレッドは苦笑するだけだ。
「……これを置いてから行く。先に行ってくれ」
ライフル銃の弾丸が入った箱を、5ケース持った手を上げて示した。
別な男たちから、入ったばかりの新人である二人をこき使われていたのだ。
「早く来ないと、このバカが全部飲んでしまうぞ」
「ああ。わかった。できるだけ早くいく」
「なら、いい」
男二人がアルフレッドとシオンの前から立ち去った。
見送っていたアルフレッドが、どうせ戻ってくる頃には、すでにほとんどの酒がなくなっていると、数分後の現実がはっきり見て取れたのである。
二人のピッチの速さを、把握するほど飲み明かしていたのだった。
「ま、しょうがないな」
「それじゃ、おいしい食べ物へと行きますか?」
ワクワクとしながら、シオンが言葉を紡いだ。
無邪気に歩き出す背中を見て、首を竦めるアルフレッドだった。
「先に、片づけだ」
頭の中に食べ物しかない様子に、ふと笑みを零した。
二人が再び歩き始めた。
しばらく歩くと、突如シオンが立ち止まる。
それを気配で感じ取ったアルフレッドも、同じように立ち止まった。
一人ワクワクしているシオンの方へ、身体を傾けさせる。
「どうした?」
「俺たちのように、新人さんが入ったんだって。この部屋に」
声のボリュームを上げ、屈託ない笑顔で頑丈そうな扉を指差す。
それに促されるように、扉に視線を注いだ。
「おい!」
「挨拶していこうよ」
「後にしろ。これがあるだろう」
「ちょっとぐらい、大丈夫だって」
「ダメ……」
制止しようとしたが、いたずらっ子のような表情を覗かせ、力いっぱい扉を叩き始めてしまった。
バカ……と呟きながら、後戻りができなくなった状況にうな垂れる。
成り行きに身を任せるしかないかと、無邪気に扉を叩くシオンの後ろ姿を傍観していた。
「こんにちは。いますか」
応答がない。
それでも諦めなかった。
「こんにちは。誰かいませんか?」
何度も叩いているうちに、ようやく頑丈な扉が開く。
その隙間から、眉を少し潜めているメグが顔を出した。
関係者以外立ち入り禁止と書かれたプレートが扉につけられているにもかかわらず、シオンは誰かが反応するまで叩いていたのだ。
地下の者たちは、不必要に近づかないようにしていたのである。
黒い瞳を輝かせているシオン。
嘆息を零しているアルフレッドの顔を、訝しげにメグが交互に見比べる。
この突然の出来事に、把握し切れていない。
「何? ここは関係者以外、立ち入り禁止よ」
厳しい声音で注意を促した。
しゅんと肩を落とす。
「ごめんなさい。俺たちつい最近ここに入ってきたから、同じ新人さんに挨拶に来たんだ。俺、シオン。で、こっちがアル」
落ち込みながらも、用件をしっかりと伝えた。
「……」
勝手に接近してしまったシオンに、頭を抱え込む。
戸惑い気味のメグの視線に気づき、軽く頭を下げて挨拶をする。
扉の向こうから、微かに声が聞こえ、メグと二言、三言交わしているところに、マークが姿を現した。
一瞬の隙を見逃さずに、いきなりシオンが言葉をかける。
「こんにちは。俺、シオン。よろしく」
無邪気な笑顔と、右手を差し出した。
逡巡しているマークが、握手をするのを待つ。
「……」
待っても握手してくれないので、もう一度挨拶を繰り返す。
「こんにちは。俺、シオン。よろしく」
マークの口が閉じたままだ。
あどけない表情を覗かせていた。
許可なく来たことを怒ることも忘れ、メグがしょうがないわねと苦笑を滲ませている。
その一方、隣にいるマークが、無邪気な笑顔と右手を見比べていた。
渋い表情が、思いっきり表れている。
「こういうの、嫌い?」
無邪気な姿を憎めないと思ったメグ。
挨拶を待っているシオンに成り代わって、困惑しているマークに声をかけた。
「別に」
「挨拶しないと、終わらないわよ。きっと」
ウインクする。
諦めの境地に入り、恐る恐る手を出す。
すると、マークの右手を掴み、ブンブンと楽しそうに何度も大きく振って挨拶した。
あまりに大きく振るシオンに、思わず立っていた体勢が崩れる。
気にする様子もなく、ただ話しかける。
「えー……、名前は?」
「マークよ」
眉間にしわを寄せているマークを尻目に、無邪気な行動を楽しそうに眺めていたメグが代わりに答えた。
「よろしく、マーク。で、こっちがアルだよ」
すいませんと言う顔で右手を出し、不信の色が隠せないマークに挨拶する。
ぎこちなく挨拶を交わす二人を無視し、この状況を楽しんでいるシオンの口が開く。
「何か、いい匂いがするね」
言葉に促され、メグが辺りを見渡した。
テーブルに置いてあるポトフに視線が止まる。
「これね」
「そのようだね」
マークのために用意された食事だった。
それをメグが上から運んで来たのである。
上と下とでは、食事の内容が全然違っていたのだ。
入ったばかりの二人では残り物しかなく、粗末なものしか口にしていない。
そのために最近のシオンの口癖が、おいしいものが食べたいだった。
ポトフに注視し、食べたそうなシオン。
そんな可愛らしい仕草に、微かに笑みを零した。
「食べたいの?」
「うん。おいしそう」
素直に受け答えをする態度に、メグの警戒心はどこかへ吹き飛んでしまっていた。
完全にシオンに対し、心を許していたのである。
そんな立ち居振舞いに呆れるアルフレッドとブライアンだった。
「明日、持ってきてあげる」
「ホント?」
「嘘は言わないわ」
目を輝かせ、はしゃぐ。
「ありがとう」
満面の笑みが漏れていた。
さらに警戒心が解けていく。
「すいません」
遠慮のない行動に、真摯にアルフレッドが謝罪した。
「いいのよ。気にしないで」
それからシオンと、メグがしばらく話した。
終わる頃を見計らって、アルフレッドが挨拶する。
「失礼します」
「じゃね」
朗らかなメグが軽く手を振って、頑丈な扉を閉じた。
歩き始める二人。
「明日が楽しみ」
「行くぞ」
読んでいただき、ありがとうございます。