第12話
パーティー会場の扉の前で別れたルイが、玄関先に横付けされていた、綺麗に磨き込まれた黒塗りの車に近づく。
ボーイの一人が、すかさず後部座席のドアを開けた。
「ありがとう」
懐から出したチップを渡し、キラキラと光沢を輝かせる車に乗り込む。
運転席に先程の老人が座っていた。
あっと言う間に車が走り出す。
しばらく単独で走っていると、ルイが無造作に上着を脱ぎ始める。
さっきまでの人に好まれる表情とは違い、普段のマイペースな要素を醸し出していたのだ。
「いつまで、その格好」
運転席にいる老人を垣間見ることなく、淡々とした口調で尋ねた。
「結構、気に入っているんだが」
その声は先程までの老人の声とは違う、若々しい声に変貌していた。
小さく笑いながら、老人がミラーを覗く。
足を組んで、こちらを窺う、呆れ気味のルイを直視した。
突如、老人の右手が自分の左の顎に手をかけ、剥がしていく。
老人の皮膚の下から、張りのある若い皮膚が露わになっていった。
しわだらけの老人のマスクの下から、パソコンの前で気難しい表情とは打って変わったクロードの顔が現れた。
「どうだ、久しぶりの変装は?」
感想を求めたが、嘆息するだけで何も答えない。
応じる気がない様子に、首を竦める。
パーティー会場から離れていくと、運転しているクロードがさらに速度を上げ、前を走る車を次々に追い抜いていった。
ただだるそうに、窓の外に視線を注いでいるだけだ。
情報収集に長けているルイは人間嫌いなところもあり、仕事でなければ、率先して人とかかわろうとしなかったのである。
思っていた疑問をルイに投げかける。
「あまり口を挟みたくはないが、なぜこんな回りくどい、やり方なんだ?」
器用に運転しながら、顔に残っている細かなマスクの粘着物を取っていた。
速度は緩めない。
隙あらば、車を抜いていく。
「どこが?」
「あえて、嫌いな色のドレスをチョイスしなくても?」
「ああ、そのこと」
前にいるクロードに視線を傾けず、ただ窓の外を眺めながら答えていった。
質問をぶつけるクロードもルイ同様に、パトリシアについての詳細を読んでいた。書類に好きなタイプや嫌いな食べ物まで網羅され、パトリシアのことが記載されていたのである。
「嫌いじゃないと思った。ただ、それだけ。後は経験。他は?」
そっけない返答。
怒るどころか、拍子抜けした顔を滲ませている。
「それだけなのか?」
「それだけだよ」
どこか納得していないクロード。
「普通の女の子と一緒、割りとラクにいけた。素直でいい子だよ、パトリシアは」
「そうなのか。俺には難しそうに思えたが?」
「それは見かけだけ」
「そういうものか」
「そうだよ」
ルイの興味が削がれる。
手持ちのパソコンを取り出すのを、ミラー越しに眺めていた。
自分の仕事が終えると、自分だけの世界へ入り込んでいく。
どこまでも、マイペースなルイだった。
慣れているクロードが、話しかけるのをやめない。
「あーいうのを見ると、とても女嫌いとは思えないな」
パソコンをいじる手が中断した。
二人の間に、沈黙の空気が流れる。
珍しく沈黙を破ったのは、ルイの方だった。
「別に嫌いって言う訳じゃない。ただ、幻滅しているだけ」
「世間では、そういうのを女嫌いって言うんだ」
「あっ、そう」
呆れ交じりの溜息を漏らす。
昔からルイは、なかなか部屋から出ない。
部屋から出る時は、食事か、一人で飲みに行くか、情報を入手するために出かける以外になかったのである。一緒にいるメンバーの前でも口数が少なく、集団で行動するより、マイペースに一人で行動することが多かったのだ。
「少しは直っているかと思っていたが、ダメだったようだな」
チラッと、小さく笑っているクロードを窺った。
おとなげないと知りつつも、珍しくルイも応戦する。
「三年で性格を変えようって言うのが、無理なんじゃないの? 三年で、性格変わった?」
「わからん。お前から見て、俺、変わったか?」
「……興味ない」
「少しは、人間に興味出せ」
「考えてみる」
意外な返答に、一瞬だけ惚ける。
少しばかり変わったなとクロードが過ぎらせていた。
「そうか」
三年前は、決して聞けなかった。
無理だと言う言葉から、考えてみると言う前向きな変化に口元が緩む。
ミラー越しに映る姿に、嬉しい笑みが零れた。
パソコンの光で、ルイの顔が照らされている。
深夜遅くまで続いたパーティーも終わり、パトリシアは帰宅していた。
疲れている身体を癒やそうと、ベッドの中へ潜り込んだものの、夜が明けそうな時間になっても眠れないでいたのである。
疲れ交じりの嘆息を吐いた。
ベッドから起き上がり、腰掛けたのだ。
不意にある顔が浮かんでくる。
嫌いなタイプだったはずのルイのことだ。
ルイの姿が頭から離れず、鮮明に穏やかに微笑む姿が焼きついて、消えることはなかったのである。
(もう一度、会いたい……)
早い時間から講義があるのにと、軽い溜息が零れてしまう。
これまでなかった感覚だった。
軽く頭を振った。
飲み物を飲んで、気分を変えようとする。
廊下を歩いていると、父親の書斎のドアから、明かりが僅かに漏れているのに気づく。
歩いていた足をパタリと止めた。
ふと、危険信号を知らせるランプが頭の中で点灯する。
唇を噛み締め、重くなった足を一歩踏み出した。
次の足を踏み出し、書斎の前で立ち止まる。
「話し声……」
書斎に父親であるマードック・モーガンの姿しかない。
マードックが誰かと電話で話している。
耳を済ませると、その相手が誰なのか、すぐに把握した。
「兄さん……」
姿を消した兄をずっと案じていた。
部屋の中央に置かれた大きな机、その前でマードックが興味なさそうに事務的に話していた。マードックの意にそぐわないことをし、何年も前に家を飛び出していたのである。
飛び出したエリックは、マードックの中ではいない存在だ。
そんな状況下で、家の者たちは一切兄のことは口に出さない。
マードックが不愉快になるからである。
ただの赤の他人、それよりも悪く、役にも立たない者と接する時の態度と変わらなかったのだ。
そんな父親の態度に、深く寂しさを募らせていた。
「帰りたいだと。ふざけたことを言うな。私には娘しか子供はいないぞ」
冷たい言葉に、パトリシアの身体が凍える。
もし反発したら、自分も同じ態度を取られるのだろうかと抱くだけで、自分の身体が真っ二つに引き裂かれそうな衝動に駆り立てられたのだ。
「……話? まともな話なんだろうな」
(家族三人しかいないのに、どうしてバラバラなのだろう……)
興味が削がれていた目に、薄い光が宿ったことを見逃さない。
微かな隙間からでも窺えたのだ。
鼓動がドクドクと鳴り響く。
それは悪い知らせを知らせるサインだった。
エリックとパトリシアの父親マードックは政治家ではなかったが、議員に大きな影響力を与えるほどの実力者なのである。
その手は血塗られていた。
知人の政治家のためにいくつも手を汚し、必要がなくなったら、その政治家まで抹殺していた。
そういった冷徹な人種の父親だった。
それでも父親である。
嫌いになることもできずに過ごしていたのだ。
「どうして……。もう、やめて」
微かな声で懇願した。
扉を開いて、中に入って訴えることができない。
そんな父親や兄でも、心の底から愛していたし、父親に嫌われることが、どうしてもできなかったのである。
気づかれないように、足音を立てずに歩き始めた。
力なく、ゆっくりとした歩調で、自分の部屋へと帰っていった。
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