第11話
外ではライト代わりに、弓張り月が輝いている。
ライトなしでも、バルコニーを歩くことができた。
広いバルコニーに、数台のテーブルと椅子が置いてあった。
その一つの椅子に、パトリシアに勧める。
優しい微笑みを絶やさないルイ。
逆に、胡散臭さを感じさせ、警戒を怠らない。
「ありがとう。……えーと……」
早く新しいドレスが届き、この場から離れたいと巡らせながら、向かい側に座ったルイを傍観している。
まだ、名前を聞いていないと抱き、その先の言葉が続かない。
「ルイと呼んでください。パトリシアさん」
すでに自分の名前を知っている事実に、目を丸くする。
そして、次の瞬間、絶対にそりが合わないと、肌と第六感で感じずにはいられない。
胡乱げな眼差しを注いでしまう。
だが、ルイは平然としていた。
「よくご存知ですね。私の名前を」
「えぇ。パーティーにいらっしゃっている八割の方の名前を知っていますね」
「そ、そうですの」
サラッと答える姿に、さらに目を見張る。
(なぜ、私に近づいたの? お父様に取り入ろうとしているの?)
パトリシア自身でさえ、パーティーに来ている半数の人しか、名前を知らなかったからだ。さらに付け加えれば、その半数のさらに半分の人は、顔と名前が一致するか怪しかった。
「大半の方々は、名前だけ呼んだだけでしょうが」
「……」
「面白みがないパーティーです」
「……」
「パトリシアさん、面白いパーティーだと思いますか?」
どう解釈していいのかわからない微笑みに、一瞬だけ見惚れてしまった。
(あまり見ていなかったけど、……綺麗な人ね)
思わず、綺麗な顔を凝視していたのである。
美しいと表現するのは、まさにこれだと抱いてしまう。
「!」
我に戻り、身構える。
勘のいいパトリシアは、今回のパーティーの本当の目的にも、ルイが気づいていると確信してしまう。
警戒心を増しながらも、言葉を紡いでいく。
「……私も、面白みがないパーティーだと思います」
「よかった、私と同じ意見の人がいて」
このパーティーの目的は上流階級と深く繋がろうとして、多額のお金が裏で暗躍していた。それを隠そうと、あらゆる多方面から客を招待して目隠しを施していたのである。
そして、パトリシアの父親も一枚噛んでいたのだった。
「はっきりと言いますね」
「そうですか」
「じゃ、なぜ来たのですか」
「友人の代理です」
「友人?」
「えぇ。単なる代理です。友人に恥をかかしたくないので、このことは内緒にして貰えますか?」
「構いません」
本当か、嘘か、判別がつかない。
追求をしても、嬌笑で受け流されるだけだと、勘の鋭いパトリシアが推測する。
それ以上の追求をしなかった。
「ありがとう」
それからしばらくの間、二人が他愛ない会話をし、時間が流れていった。
その間、一秒たりとも気を許さずに、警戒していたのである。
自分から視線が外れ、その方向に視線を傾けた。
すると、ルイに付き添っていた老人が戻ってきたのだ。
あまりの速さに驚愕しつつ、年老いた老人が呼吸が乱れていないのにも驚かされた。
手早く手渡すと、老人が先程と同様に軽い足取りで姿を消した。
どこから調達してきたのだろうと言う疑問だけが、脳裏に焼きつく。
「部屋の前まで、案内させてください」
そっと立ち上がり、手を差し伸べる。
無言のまま、着替え室まで案内された。
部屋に入り、ルイから手渡された箱を開ける、
自分の嫌いなオックスブラット色のドレスが入っていた。
開けた箱を、思わず閉じてしまう。
小さい頃から血を連想させる赤系の色を極力避けていた。
もっとも嫌いな色だった。
「……どうしょう」
着替えないで、このまま出てしまおうかと脳裏を掠めた。
失礼な真似はできないと思い止まり、用意されたドレスを仕方なく着始める。
鏡を通し、自分の姿を確かめるが似合わないと抱く。
小さな嘆息を零した。
「見せたら、着替えよう」
部屋を出て、ドアの前で待っていたルイに姿を見せた。
「似合いませんね」
開口一番、否定されたことに、ムッと素直に感情が表に出る。
「用意したのは、ルイ、あなたでしょう」
「ちょっと、よろしいですか」
非難めいた視線を送っているパトリシアを、部屋へと連れ込む。
黙ったまま、鏡の前に椅子を置く。
「どうぞ」
「……」
置かれた椅子と、平静なルイを見比べる。
状況を飲み込めず、首を傾げるばかりだ。
「こちらに座ってください」
促されるまま、素直に椅子に腰掛けた。
セットしてあった髪を、器用にいじり始める。
驚愕している彼女を無視し、てきぱきと髪をアレンジしていった。
化粧も、少しばかり手を加える。
「どうです?」
鏡に映っている自分に言葉が出てこない。
自分とは思えない姿が、目の前の鏡に映っていたのだ。
パトリシアの美しさを艶やかに変身させ、同性、異性から見ても嫌がられない魅力を引き出していたのである。
「似合っていますよ」
素直な反応を見せる顔で、これを作り上げたルイを見上げる。
満足げな笑みを覗かせていた。
「そうだ」
零したワインと、同じ色した深紅の薔薇を一輪だけ抜く。
透き通るような綺麗なブロンドの髪に、ルイが挿した。
その仕草を、ただ目で追っていただけだ。
「さぁ、行きましょう。皆さん、あなたをお待ちになっていますよ」
驚きを隠せないパトリシアの耳元で囁いた。
「ちょ、ちょっと待って」
「何か? 気になることでも」
「なぜ? この色を選択したの?」
首を傾げるルイ。
「それに髪のセットやお化粧まで」
上流社会の男性に、到底できない髪のセットや化粧のやり方まで知っていることに、素直に驚きが表面に現していたのである。
不信感がますます増大していった。
「髪や化粧が、なぜできるかは秘密です」
ニコッと鷹揚に笑って濁した。
「……」
「色はあなたに似合っていると思ったからです。それにこの手の色したドレスは、初めてじゃないですか?」
「どうして、初めてだとわかったの? 調べたの、私のこと」
眉間にしわが寄っていく。
「多少は」
その表情に悪びれる様子がない。
咄嗟に咎めるような視線を注いだ。
けれど、表情が一切変わらず、どこか尊大のままだった。
「数回前のパーティーで何を着ていたのか、それくらいは。話題づくりのために必要だと思いませんか? 付け加えさせて貰えれば、あなただけではありません。パーティーに来られた方は、調べさせていただきました」
いつのまにか、不敵な笑みに変っていた。
(嘘でしょ!)
倣岸な感じを漂わせているルイから、視線がはがせない。
「もしかして、全員の?」
「えぇ。勿論です」
シラッと答える姿に、呆れて思わず笑ってしまう。
強張っていた緊張が取れている。
「なぜ嫌いかは知りません。けれど、あなたには似合った色だと思いますよ」
「……ありがとう」
「いいえ」
「赤は血の色を連想させて、どうしても好きになれなかったの。昔は嫌いな色じゃなかったんだけど」
段々と萎んでいく声音に、表情も暗澹な空のように沈んでいった。
話を聞いて嫌いな理由に察しがつく。
調査しているうちに、もしかしてと言う疑念が浮かんでいたのだ。
「血ですか」
「いやな色でしょ?」
「確かに血の色を連想させますが。他にもありますよ、連想させるものが」
不意に顔を上げ、優しい微笑みのルイを見つめる。
「リンゴとかイチゴ。それに情熱なんて、どうでしょうか」
「……」
「悪いものばかり連想するのではなく、楽しいものを連想すればいいですよ」
「そうね。そうすれば、赤、好きに慣れるかしら?」
逆回りしていた時計の針が、何かのきっかけで素直に動き始めたように、心が少しずつ動き始める。
「慣れると思いますよ」
「……私も慣れる気がしてきた」
「それじゃ、参りましょうか」
「えぇ」
素直にルイの手に、自分の手を重ねた。
パーティー会場の扉の前に立つと、隣にいるパトリシアに話しかける。
「申し訳ありません。私はここまでです」
すぐにはルイの言葉を飲み込めなかった。
微かに眉が動いた瞬間、さらに言葉を付け加える。
「怒らないでください。あなたの笑顔がとても綺麗ですよ」
文句の一つでも言おうとしたけれど、何も言えなくなってしまう。
「もし、よろしければ、今度お茶でもどうですか? いつでもお話は聞きますよ」
受け取ったメモに視線を落とすと、そこに電話番号が書かれていたのである。
「失礼します」
一礼してから、背を向けて歩き始める。
その後ろ姿を見送りながら、貰ったメモを綺麗に折りたたみ仕舞い込んだ。
一人でパーティー会場へ入っていく。
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