第10話
ビシッと黒のタキシードで決め込み、颯爽とルイが上流社会のパーティーに潜り込んだ。パーティーに溶け込んで、誰もスラム地区に住む住人とは思えないほどの優雅さを醸し出していたのである。
どこから見ても、子息のような風貌だ。
美しい顔立ちのルイに、誰しもが視線を注いでいた。
そんな視線を微笑みで返す。
ますます注目を浴びていった。
目当ての女性を捜すために、視線だけ動かし、賑わっている会場を窺う。
うっとりと、ルイに誰しも見惚れていた。
大広間に、上流階級の人間がひしめき合っている。
その群れを一望した。
(欲にまみれた人間ばかりだな)
その中に自分もいるのかと思い始めると、滑稽だと思えてきて、口元が僅かに緩んだ。
「懐かしい、お顔だこと」
声が聞こえる方へ視線を傾け、微笑みを浮かべた。
頭の中はすでに仕事モードへ変わり、瞬時に声の主が誰なのか導き出す。
(まさか、このパーティーに来ているとは……)
面倒ごとにならなければいいなと言う顔を億尾にも匂わせない。
美しい足取りで、近づいてくる五十代半ばのマダムに声をかける。
「お久しぶりです」
歳の割りに綺麗な面立ちをしている。
上質な薄いシャンパンゴールドのドレスに、決して派手には見えないシンプルなアクセサリー使いこなし、実際の年齢よりも、かなり若く見えるほどだ。
(相変わらず、趣味がいい女だな)
マダムの手を優しく取り、手の甲に軽くキスをした。
「もう、会えないのかと思っていたのよ」
マダムが少し怒った表情を覗かせる。
三年ぶりに、ルイを見かけたからだった。
「すいません。世界各地に、旅行に出かけていたものですから」
「そう。誰と一緒だったのかしら?」
素っ気なく答えつつ、探るような目で、微笑みを絶やさないルイを眺めていた。
「一人ですよ」
「ホントかしら?」
「勿論。久しぶりに、こちらに戻ってきたものですから。マダムのお顔を拝見できることができて、来た甲斐がありましたね」
(ぬけぬけと、私に嘘がつくわね)
美しい微笑みを崩さぬままでいるマダム。
深く心理を探ろうと、平静を装っているルイの様子を観察していたのだ。
以前の態度と、変わらない。
逆に、貫禄がついた態度に、無性に腹立たしい気持ちが込み上げっていく。
「お上手ですこと」
「本当ですよ」
強い叱責にも似たマダムの視線に、怯まずに嬌笑で受け止める。
「お時間、作って貰えませんか?」
「忙しいわ」
突き放すような仕草を取った。
寂しさを僅かにルイが窺わせる。
「残念です」
マダムのサファイア色した瞳が、微かに動いたのを見逃さない。
(勝ちだな)
「ほんの僅かでも、構いません。いつでも駆けつけます」
「そう」
「はい」
素っ気ない態度にも、怯む様子がない。
ただ自然に逆らわず、清らかなる流れに任せるように微笑んでいる。
眺めていたら、怒っていることがバカらしくなっていった。
ふっと、マダムが軽く息を吐く。
誰もがルイの魅力に落とされてしまう。
そして、柔和な表情になった。
「じゃ、連絡するわ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げる。
そんな些細な動作にも、美しいと思わずにはいられない。
一つ一つの所作が洗礼されているのだ。
少し悔しげな息をマダムが漏らす。
「あなたが来ると知っていれば、もう少しいい物を選んだのに」
「いいえ。十分にマダムの美しさが出ています」
「ありがとう」
ようやく、満足げな笑みを覗かせる。
「お連れの方、捜しているようですよ」
何度か、マダムの視線が微かに揺れていたのだ。
自分と話している間に。
でも、気づかない振りをし、会話を続けていたのである。
(まだ、あなたには利用価値があるからね)
機嫌を取り戻したところで、上手い具合に話題を上げたのだった。
「そうね。そろそろ行くわ」
「お待ちしています。あなたからの連絡を」
質の高い香水の香りだけを残し、マダムが立ち去った。
その背中を眺めつつ、口が微かに動く。
「いるとは思わなかったな……」
囁き程度の呟きが、周囲の雑音にかき消されていた。
気を取り直し、目当ての女性を捜す。
軽く食べ物をつまんだ。
あちらこちらで弾んでいる会話に、そっと耳を済ます。
頭の中に、その会話を録音していった。
(まったく、つまらないものばかりだ)
いつか役に立つかもしれないので、隅々まで記憶していく。
無駄のない仕草で、持っていた皿をテーブルに置き、ボーイからシャンパンが入ったグラスを受け取る。
自分に向けられている視線に気づいているが、それらを上手く交わしていった。
興味が引くような笑みを零しつつ、距離感を保つのだ。
「さてさて。仕事をしなくては……」
目当ての女性をロックオンした。
誰にも気づかれないように女性を注視する。
数人で話し込んでいるグループに、目当ての女性がいたのである。
(彼女か……)
話も弾んでいるようで、はにかむような笑顔を覗かせていた。
仕草やちょっとした時に出る顔の表情などで、ルイはその人の本質を見極める能力を持っていたのである。
目当ての女性を目利きしていく。
「及第点って、とこか」
最初の印象を漏らした。
写真で見るよりも綺麗だった。
情報では獲られない、生の仕草で、女性の性格などを、さらに読み取ろうと頭をフル回転させる。
徹底して調べつくすのだ。
「ちょっと、修正が必要だな」
周囲に聞こえない程度の囁き声だ。
勝ち誇ったように、ルイが微かな微笑みを浮かべる。
風を切るように、人と人の間を通り過ぎていく。
すれ違うボーイから、鮮やかな深紅のワインを一つ貰った。
パトリシア・モーガン、二十歳。
勘当されたエリック・モーガンの妹。
赤ワインを持ったまま、話し込んでいるパトリシアの脇を通ろうとし、ルイが誰かの肩に触れてしまった。
持っていた赤ワインの雫が、パトリシアのシェル・ピンクのドレスに落ちてしまう。
「あっ」
「すいません」
赤ワインの雫が、腰から下のスカートに染み付いた。
赤い染みから、ルイが視線を外す。
驚くパトリシアに視線を傾けたのだ。
申し訳ないと言う顔を覗かせるルイ。
気にしないでくださいと微笑んで返した。
話し込んでいた客が、少しざわつき始める。
「そういう訳にはいきません。どうか代わりのドレスを用意させてください」
「そのようなお気遣いは、いりません」
「いいえ。そうさせてください。私の気持ちです」
「大したことは、ありませんから」
先程から微笑みを絶やさない目の前のルイに、落ちた赤ワインの雫のように不信感が広がっていく。
早くこの場をやり過ごし、この場を離れようと巡らせた。
離そうとしないルイが、言葉巧みに追い詰める。
その結果、思惑にズルズルとはまっていった。
「こちらの不注意です。どうか、代わりのドレスを用意させてください」
「でも……」
周囲の人間もそうして貰ったら?と、後押しとなる声を次々にあげていった。
逃げたくっても、逃げられない。
困惑しているパトリシアを無視し、ルイが優雅に手を上げる。
白銀の雪のような髪と髭を生やした老人を呼び寄せたのだ。
話に夢中になっている人たちの間を潜り抜け、瞬く間にやってきた。
何も言わずに書いたメモを渡したと思ったら、呼び寄せた老人が俊敏に去っていく。
「新しいドレスが届くまで、どうか私とお付き合いください」
複雑な顔をしているパトリシアに、手を差し伸べる。
断りきれなくなり、ルイと共に人気のないバルコニーへ向った。
(私、行きたくないのに……。やはり、こんなパーティー来なければよかった)
上流社会のパーティーで、若い男性の中で流行しているタキシードに視線が傾く。
お金持ちのお坊ちゃま風の姿に、ますます上流社会のパーティーを好きになれないと、どうにか嘆息を漏らしそうになるのを堪えた。
どうもこういった上流社会のパーティーに馴染めなかったのだ。
楽しげに話しかけてくるルイに、気づかれないように嘆息を漏らす。
お金持ちのお坊ちゃまは、一番嫌っているタイプだったからだ。
パトリシアの家は祖父の時代に成り上がった家系で、生粋のお嬢様と言う訳ではない。
その辺にいる女の子と、変わらない普通の女の子だった。
隣に歩いているルイに注意を払い、軽く目を伏せてしまう。
強引とも言える行動に、さらに印象を悪くしていく。
うんざり気味の様子に、彼女の心境が手に取るように把握していたのである。
順調に進んでいる成り行きに人知れず、ほくそ笑む。
読んでいただき、ありがとうございます。