第9話
外出禁止を命じられているシオンが、盗聴を聞く単調な仕事に飽き始めていた。
潜入しているブライアンが仕掛けたテロ集団のアジトの内部を、何時間も一人で留守番しながら聞いていたのである。
ソファに深く腰掛けていた。
やっと回転している天井についている羽根を見上げる。
どこか遊びに出かけようかと邪なことを掠めていた。
「つまんないな」
静寂な部屋で、独り言が響き渡っていた。
不意に視線を彷徨わせる。
けれど、誰もいない。
盗聴を聞く仕事は、クロードやルイ、ブライアンがおもにやっていた仕事だった。
アルフレッド、シオンの仕事の役割は、潜入や戦闘と言ったような外回り的なことが多い。けれど、二人が不在のために無理やりにクロードに押し付けられたのだ。
「何で俺なんだろう」
大きな溜息を漏らした。
「つまんないな、誰か来ないかな」
愛嬌がある笑顔に、違うことがしたいと言う表情が見え隠れしていた。
何か面白いことないかと周囲を窺う。
「つまんない。つまんないな」
他の人が見たら、ずっと楽しげにしているようにしか見えない。
そこへ、休憩を取りに来たグレンが雑に扉を開ける。
「うるさい。聞くなら、上で聞け」
苛立ちを全面に出していた。
それに対し、気圧されずにヘラヘラとしていたのだ。
薄い壁で隔てた隣の部屋で仕事しているところまで、愚痴がはっきりと届いていたのである。
その愚痴を永遠と聞かされていたのである。
聞くことに疲れてしまい、仕事を中断し、この部屋に訪れたのだった。
「だって、つまんないんだもん」
漆黒の闇のような黒い瞳がきらりと光る。
遊ぶ相手を見つけた猫のように、不機嫌なグレンをロックオンした。
遊んで貰うために、確信犯的に声を大きくして愚痴っていたのだ。
甘えたような微笑みをする。
「お前の愚痴、聞いている方が、疲れる」
「だったら、代わって」
「断る」
「どうして?」
可愛く口を尖らせた。
そんなシオンを胡乱げに眺めている。
「お前の仕事だろうが。真面目にやれ」
「意地悪。じゃ、一緒に聞こう?」
一人は寂しいと言う顔を覗かせていた。
そんな態度に、びくともしない。
「断る。くだらん話なんぞ、聞きたくもないわ」
「俺だって、聞きたくないもん」
駄々をこね始めるシオン。
(クロードのやつ。シオンを残りおって!)
管を巻いている姿を見据えている。
「罰だろうが。諦めろ」
「つまんない。聞こう、聞こうよ、グレン」
しつこく駄々をこねるシオンとの押し問答に嫌気が差す。
黙り込んだまま、汚い食器が山のように溜まっているキッチンに行った。
入った途端、眉間に深いしわが刻まれている。
「汚い……」
誰が当番なんだと巡らせ、その汚い食器に手をつけようとはしない。
綺麗なカップを探し、コーヒーを淹れて椅子に腰掛ける。
「俺のは?」
「飲みたければ、自分で淹れろ」
「淹れてくれも、いいのにな」
可愛く甘えてみせる。
面倒になったグレンがミネラルウォーターとグラスを、楽しげに自分を見ているシオンの前に乱暴に置いた。
結局、折れたのだ。
「ありがとう」
ふんと鼻先で返事をした。
ゆっくりとコーヒーを飲むと言う目論見が消えたのだった。
止まらない口に、グレンが愚痴を零し始める。
それを楽しみながら、シオンが聞いていた。
いつの間にか、のどに違和感を生じさせていたのだ。
(こいつはわしに何をさせたいのだ)
カップのコーヒーが半分までなくなり、暇を弄んでいる様子のシオンをグレンが目を細めて窺っていたのである。
冷えてしまったコーヒーで、グレンの愚痴が長かったのかわかる。
虚しさが過ぎり、長い息を吐いた。
屈託のない微笑みに、本当のことは話すまいと抱きながらも質問を投げかける。
どうしても聞いてみたいことがあった。
「なぜ? 戻ってきた」
不可思議な顔で首を傾げる。
「わしが死んだって、お前はここに戻って来るような玉ではなかろう」
ゆっくりと、冷めたコーヒーに口をつけた。
そんなグレンの仕草を見つめている。
「俺、そんなに薄情じゃないよ」
心外と言う顔を作ってみせた。
「いや、薄情だ。わしを殺す仕事が来たら、お前は躊躇なく、わしを殺すだろう?」
「そうだね」
可愛らしい表情のままで、即答した。
グレンも、驚く顔を見せない。
そう答えると確信があった。
「薄情だろうが」
「だって、仕事だもん」
そっぽを向くグレン。
(ホント、シオンは何を考えているのやら……)
「ま、クロードがそんな仕事、引き受けることないから、大丈夫だよ。きっと」
最後の言葉と共に、可愛らしく微笑む。
平然と言う姿に、恐怖心が起こらない。
ただ、シオンと暮らして行く課程の中で、殺されても、それも悪くないかもと言う気持ちが芽生えていたのである。
長く生きたと言う思いが強かったのだ。
生に固執していた昔の自分が嘘のように、何の拘りもなく、いつ死が訪れても構わないと気持ちへ変化していった。
「質問を戻すが。なぜ、戻ってきた」
その眼光が嘘を言うなと訴えていた。
首を竦めているシオン。
(そんなに嘘はついていないんだけどな。ただ、言わないだけで)
「飽きちゃったし、どこか行こうかなって思っていた時にさ、キャロルから連絡あったから。だから、戻ってきたの。なんか面白い匂いを感じたし」
戻った経緯を語った。
「ふーん。そうか」
すべて信用した訳ではない。
昔から本音を言っているのか、わからないところがあったからだ。
「ここを出てから、仕事はしていたのか?」
「うん。時々ね」
「何人……、お前が憶えている訳ないか」
仕事で何人の人を殺してきたと、聞こうと思ったが途中でやめた。
細かいことを気にしないシオンが、憶えている訳がなかったからだ。
「正解。きりがないからね」
「そうだな」
「俺たちがいない間に、随分と綺麗にしたんだね」
胡乱げな眼差しで、グレンが部屋を見渡す。
必要な物以外ない、シンプルなリビング。
また要らぬものが増えるなと危惧を憶えた。
三年前は、いろいろなもので溢れていたのである。
それらのものを、時間をかけて整理していった。
「あまり、ここに置くな」
原因の一端であるのん気に笑っている人物に釘を刺した。
「はーい」
一番物を購入する張本人であるクロードの行き先を聞く。
これ以上、散らかさないようにするためだ。
(シオンより、クロードにしっかりと言っておかないと)
「アルから呼び出しがあって、外に出かけたよ」
「珍しいな。外回りの仕事に出かけるなんて」
五人の中で司令塔の役割をしているクロードは、基本的に待機していて、指令を外に送っていたのだ。この仕事を始めた頃は外に出ることもあったが、ブライアンやシオンの成長と共に、外へ出る機会が少なくなっていたのである。
「そうだね」
「心境の……」
咄嗟にシオンが手で遮る。
イヤホンに、エリックがメグとは違う女と愛を語り合っている声が聞こえ始めた。
どうぞと目配せし、空いているイヤホンをグレンに渡す。
意味深な顔をしたので、何か重要な話かと過ぎったのだ。
イヤホンをつけたグレンが、顰め面を覗かせる。
「いい趣味とは、言えんな」
「そうだね。節操がなさ過ぎだよ」
「人のことは、言えんだろう」
「俺? 俺の場合は、……そうだな、ボランティアみたいなものだよ」
くだらないと鼻で笑う。
「向こうが求めてくるから、それに俺が応える。……似た感じだね。こうして考えてみると。でも、俺には騙しているメグはいないよ」
「それがせめてもの、救いだな」
「よかった。最低の男の烙印、押されなくって」
女の喘ぎ声と共に、エリックの声も聞こえ始める。
「せっかちなやつだ」
眉間にしわを寄せつつ、グレンが吐き捨てた。
イヤホン越しに、女を抱きながら、今後の説明をし始めていたのである。
「可哀想」
唐突に扉が開く。
情報収集の仕事を終え、うんざり気味のルイが立っていった。
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