第8話
小さな街から離れ、大通りから一本裏にある喫茶店。
紺のスーツに身を包んだキャロルが、優雅な所作でコーヒーを飲んでいた。
キャロルの席に、他に誰もいない。
店員や客たちが、綺麗なキャロルに視線をチラチラと巡らせている。
そんな視線を気にする素振りがない。
胸元からは豊満な胸が惜しみもなく見えていた。
一人の男性客が、喫茶店の中へと入っていく。
まばらな客がいる店内をグルリと見渡し、窓際の席にいるキャロルのところで止まった。
その眉間にしわ寄っていたのである。
微笑むキャロル。
依頼した人の秘書を務めている男だった。
口角が上がり、目の前に立つ秘書の男をゆっくりと見上がる。
「言ったはずですが? 目立たないような格好で来てくださいと」
秘書の男が発した第一声だった。
臆せずに微笑みを覗かせたままだ。
「ですから、地味な格好で来たつもりですが?」
「……どこが地味ですか」
さらに眉間にしわが刻まれている。
周囲からの視線が痛い。
「座ったら、いかがですか? 立っている方が目立ちますよ」
ケロッとし、自分は一切悪くないといった態度だ。
秘書の男が確かにと思い、向かい側の席についた。
向かい側の席に腰掛けると、開き過ぎると言っていいほど胸の部分がはっきりと見え、秘書の男はどこに視線を傾けていいものかと当惑していたのである。
場の空気を払拭するために、一つ咳払いをした。
「電話で、お願いしたと思いましたが?」
「先程も言いましたが、地味な格好です」
平然とした顔で、キャロルも譲らない。
依頼を頼んだ際も露出の多い格好に驚き、秘書の男が電話で約束を取り次いだ際に、地味な格好で来てくださいと伝えておいたのである。
だが、以前よりも色、露出も少ないとは言え、どこで知り合いと会うかもしれない状況下で、キャロルの格好は秘書の男の範疇を越えている格好をまだしていたのだ。
秘書の男の言葉に、不愉快な表情を見せず、優雅な微笑みを絶やさない。
「胸が開きすぎです」
「そうですか」
秘書の男に促され、自分の解放されている胸の谷間を見る。
いつもよりも、ボタンが多く閉めていた。
普段だったら、もう一つぐらいボタンを開けているところである。
(うるさい男。別にいいじゃない。これぐらいは)
真面目そうな秘書の男に、きっとモテないわねと微笑みの裏側で、小さく呟きを零していた。
その小さな呟きを、秘書の男は聞こえていなかったのである。
秘書の男が嘆息を吐く。
スーツをビシッと着こなし、髪をきちんと整えている姿に面白みがないと感想を抱く。
逆に、私の方が嘆息を尽きたいわと言う思いを飲み込んだ。
「本題に入っても、よろしいですか?」
これ以上、服装のことで、詮索されるもの面倒だと思い、話を本題に戻した。
さっさと要件を済ませ、秘書の男と離れようとしたのである。
「ああ。手はずは?」
「要望がありましたファイブが、仕事を引き受けました。すでに仕事に入っております。ご安心ください」
「少し遅くありませんか? 依頼をしてだいぶ経ちますが?」
秘書の男の瞳が光る。
自分の立ち位置が、上だと言わんばかりの態度だ。
(こういう鼻持ちならない男って、嫌いよ)
「元々休みに入っていたファイブを指名したのはそちらです。戻るのに時間が掛かると最初に申し上げたはずですが?」
堂々と、受け答えをしていた。
「……、それにしても遅いです」
秘書の男も引き下がらない。
「では、この仕事、なかったことに」
秘書の男が驚きのあまり腰を浮かせる。
「ま、待て、待ってくれ」
訝しげな眼差しで、キャロルが睨む。
「待ってほしい」
「……では、このまま続行しても構いませんか?」
一気に形勢が逆転する。
(バカな男ね)
渋い表情で、ああと短く返事をした。
キャロルがニッコリと微笑む。
(ザマーミロ)
秘書の男が疑念を口にする。
「大丈夫なのでしょうね?」
「何がです?」
「失敗はしないでしょうね。それに秘密は……」
「その点でしたら、大丈夫です。彼らなら、やり遂げます」
きっぱりと断言した。
失敗なんて一切考えていない様子のキャロル。
どこからそんな自信が湧いてくるのだろうと、逆に不安になってしまったのである。
そんな秘書の思惑を、瞬時に読み取った。
「彼らと仕事をしてきて、今まで失敗したことはありません。依頼はきちんと遣り通してきました」
「若いと、聞いたが?」
不安要素を上げた。
(ネチネチしつこい男ね。あーやだ。こんな男と早く離れたい)
「えぇ。若いですよ。ですけど、誰よりも信用できます。彼らは」
躊躇なく、あっさりと認めた。
秘書の男と依頼主は、この仕事を頼むにあたっていろいろと調査し、その中で数人まで絞り込んでいたのである。
その中に入っていたのが、ファイブだ。
秘書の男と依頼主は、その中で評判の高かったファイブを選んだのだった。
けれど、ファイブの若さを気に掛けてもいたのである。
どこか不安が拭え切れない。
「指名したのはそちらです。ファイブについて調査したのでは?」
「ああ、した。かなりの腕のようですね」
「えぇ。彼らほどの腕はなかなかいませんよ」
秘書の男が調査書を思い起こす。
そこに拳銃の腕前などが記載され、読めば読むほど信じられないものばかりだった。
裏の世界で、ファイブの評価が高かったのだ。
「事実ですか」
「事実です」
秘書の男が嘆息を吐いた。
不安要素があるにしろ、ファイブ以外にいないだろうと抱いたからだった。
「わかりました。では、仕事は始めていただいているのですね」
「勿論です」
「仕事の内容は、以前、話した通りです。今のところ変更はありません」
「何かあれば、ご連絡いたします」
「連絡は、私の方に」
「わかっております」
「では、よろしく」
「わかりました」
秘書の男が立ち上がり、喫茶店を出て行ってしまった。
冷めてしまったコーヒーの代わりに、アイスティーを頼んで飲んでいると、キャロルのスマホがタイミングよく鳴った。
番号を確かめてから出る。
「はい。………大丈夫です。ファイブが仕事に入りました。………そうです。連絡は先程終えたばかりです。はい、………そのようにいたします。ご安心ください」
スマホを切った。
ストローで、キラキラと輝く氷をかき回す。
今にも壊れそうなボロボロの酒場に、酒やケンカを愛する男たちがすし詰め状態にたむろっている。
人を押しのけなければ、奥のカウンターまで辿り着けないほどだ。
酒場の中では複数の音楽が乱れ飛び、目の前にいる相手と話そうとしても、声のトーンを上げないと成立できない。
そこに顔や身体に傷を作り、身なりも、そこら辺にいる風体のよくない若者の格好をしたアルフレッドが、男たちの波を掻き分けて歩いていく。
僅かな隙間を掻い潜り、壁にもたれ掛かる。
でき上がっている男たちの群れを、ザッと一望した。
喧騒している空気を眺めている。
「見っけ」
ターゲットの男二人を発見する。
勝ち誇ったような顔だ。
アルフレッドより少し丈があり、がっしりと筋肉がついている男たちを注視し、持っていったテキーラを一気に口に放り込む。
五臓六腑にテキーラが染み渡る。
顔色に変化が訪れない。
男たちは完全にでき上がって、ゲラゲラと笑いながら、複数の男たちと店で安い酒を酌み交わし騒いでいたのである。
ターゲットの男二人を、空のグラスを通して眺めた。
「博打で、負けたな」
安い酒を見ながら呟く。
視線を巡らせながら、緻密に観察していった。
クロードの情報では、多額の報酬を貰っていると言うことだった。
その報酬で地下に潜っている男たちが、女や酒、賭博などに使って、この世の謳歌を楽しんでいたのである。
「つくづく運のないやつらだな」
持っていたグラスを手から落とす。
グラスはまっ逆さまに床に弾け飛ぶ。
だが、その音に誰も気づく者がいない。
ゆっくりとした歩調で、ターゲットの男たちに向って歩み寄った。
男たちの前を通り過ぎようとした瞬間、アルフレッドと身体がぶつかった男が、いきなり拳を振り上げる。
「おい! 何しやがる」
二メートルを超える大男の拳が、アルフレッドの左の頬を直撃し、大男の身体の幅より三分の一ぐらいしかない身体が、ターゲットの男たちがいるテーブルへと飛ばされた。
その勢いで、一人の男が弾き飛ばされる。
テーブルにあった物が、床に全部投げ出された。
切れた唇から流れ出る血を拭いながら、アルフレッドが言葉を吐き捨てる。
「くそったれ」
「何しやがる!」
「痛いんだよ!」
「バカヤロー」
波紋のように、怒号が店内に広がっていく。
いつの間にか、周囲にいた男たちが、ケンカをはやし立てていた。
引火した花火のように、あちらこちらで理由なきケンカが始まってしまう。
店側の人間も慣れたもので、誰もケンカを仲裁しようとはせずに静観していた。
酒が入っているせいで、誰が誰を殴っているのさえ、わからない状態だ。
それでも殴り合いのケンカが止まらない。
敵、味方もないままにただ殴っている。
すでに倒れて伸びきっているターゲット二人の男を見つけ出す。
一人ずつ店の裏側へと連れ出した。
その間、何度かアルフレッドに拳や蹴りが降りかかってきたが、鮮やかな動きで交わし、殴り返したり、蹴り返したりしていったのである。
連れ出し終わると、気を失っている二人を見下ろし、またいつの間にか殴られ、唇から流れて出ている血を拭う。
「手伝えよ。それにいきなり殴るなよな」
アルフレッドが背後にいる大男に話しかけた。
「悪かったな。面白くなってな。ついつい……」
大男が殴る動作をしてみせる。
呆れた顔で、背後にいる大男に視線を注いだ。
大男とは友人で、ターゲットの男たちに近づくために仕組んだケンカ騒ぎだった。
グラスを落とすのが、合図となっていたのである。
「本気で、殴ることねーだろう?」
「アルだって、本気で来たじゃないか」
腫れ上がった顔を指し、大男が笑い飛ばす。
「最初にビート、お前から来たからだ」
「リアルがないだろう?」
「もういい。今回はサンキュー」
「こういうことなら、いつでも言ってくれ。いつでも付き合うぜ」
「ああ」
呆れた顔で、アルフレッドが答えた。
ビートは一度も立ち止まらず、背中を向けたまま、手を振って颯爽と帰っていく。
血が止まった唇が、微かに笑っていた。
「さて、仕上げと行くか」
読んでいただき、ありがとうございます。